山城まつり
2025-10-12 18:19:40
8152文字
Public クリムゾン・ジェネシス
 

シャルラッハロートの診療録 ─クリムゾン・ジェネシス─ Ep.000

シャルラッハロートの新作です!嵐の山荘ミステリー(風)になる予定です!
プロローグはすぐに書けるんだよなぁ~~~……問題は、ふわっとプロットにしただけの第一章以降を、私が書けるのかってことで……。ゆっくり頑張ります。CODE:KAGUYAとスーリニと反復横跳びしながらやっていきます。よろしくお願いいたします。

いつも通り、感想乞食で……す………やっぱり感想って、嬉しくて……(黙りなさい)

※本シリーズは医療従事者でない人間の書いた医療の描写を含みます。症例論文、手術動画、医学書などを参考に執筆していますが、現実の医療と異なる場合があります。特に本シリーズは「魔法医療」を描いておりますので、現実の医療と大きく異なる部分があります。

2025.11.28 加筆修正しました

プロローグ:嵐の予兆



──2005年、三月二十一日。
手術灯が、宵闇を断ち切るように輝いていた。
白く清らかな光の下、そこに満ちる空気は冷たさを抱き、鉄の匂いと電子音が室内を占めている。
寂寂じゃくじゃくとした術室。麻酔科医の声が厳かに、鐘を打つように響いた。

「体温、二十四度まで低下。人工心肺、脱血は右大腿だいたい静脈、送血は左大腿動脈。下半身ルートからの部分体外循環を維持中、流量3リットル。圧、安定しています」
「動脈血ガス、pH7.19。二酸化炭素30。酸素、150」

五人以上の執刀医、同数以上の看護師。彼等は深く息を吐き、頷いた。
目の前に横たわる患者の女性は、全身が壊死しかけている。心臓、肺、肝臓、腎臓、脳──全ての臓器が崩れ始め、細胞の境界さえ曖昧だった。
その死の波に抗うは、心臓外科医、呼吸器外科医、消化器外科医、脳外科医──絶対的な砦の中でも最前線を担う、歴戦の医師達。青いガウンに身を包んだ彼等は、眼前で死へと誘われつつある命に対してひとつ、祈りを置いてポジションへと並んだ。

肉体が、概念の存在へと置き換わっていく女性の症状。
それは、病ではなく……敢えて言うなら〝呪い〟だった。

「体表温、十八度まで下げます。ですが、これ以上は……
「構わないわ。ここで止めたら、もう戻れない」

執刀医の一人──仙田芳子せんだよしこは鋭く言い切り、吸引管を手に取る。彼女の本来の専門は脳外科だ。だが、今この瞬間に限ってはそのような肩書きは邪魔でしかない。目の前の命を救う事。そのためには、自分の領域に囚われてはならないのだから。

吸引管を当てる。すぐにごぼごぼと管が液体をすすり始める。引かれた血液は赤ではない。それらは青白く、冷たく発光し、時折数列を瞬かせた。魔法因子が液体として滲み出しているのだ──想像以上に悪化した体内状況に、仙田も、周りの医師達も息を呑んだ。

「血管が……溶けていく……

向かいで術野を維持する助手の一人が、そう声を震わせる。心臓外科医の早乙女さおとめが、努めて冷静に声を上げた。

唐澤からさわ、脳波を見ていなさい。虚血時間が持たない」
「了解……ッ。デルタ波、微弱に残存。脳循環ギリギリです!」

仙田はそれを一瞥して、冷静に指示を飛ばした。

「早乙女、メス。急ぎ心臓壊死部を置換するわ。心臓からの還流、人工心肺で維持して」
「了解。右心房に脱血ルート再建。酸素化血、動脈ライン戻します」

機械出しの看護師が無言で器具を渡す。その音を聞いて、心拍モニターの波形が僅かに揺れた。

患者の胸腔を開く。
心膜を切り開くと、心臓は鈍く光っていた。
それは肉の鼓動ではなく、概念の振動だった。人工心肺下では有り得ない物理的なビートと魔法周波の波形が干渉し、時折白い火花を散らす。
動いて、いる。だがその動きは徐々に、人間の理解の及ばぬ〝ナニカ〟へと転じようとしていた。

……──。」

早乙女はそれを無理やり呑み込みながら、右心房へメスを当て、大腿静脈に入れていた脱血管を差し直した。血が滑らかに引かれていき、サクションの中に青白い光を帯びた緋色が流れ込む。

「仙田先生、体外循環、再建しました」
「有難う。唐澤、術室魔法汚染が酷い。エアクリーンは?」
「回ってます! ですが追い付かず──」
「仕方ないわね。魔法で遮断かけて」
「は、はい……!」

脳外科第一助手の唐澤が、一度術野を外れて呪文の詠唱を開始した。
異界遮断魔法──それは異界と現界の干渉を一時的に弱める魔法的な防壁だ。周波が1間違うだけで異なる魔法が顕現される中、医療現場では使える魔法を「制限する」事が重要だった。

「──〈下す我が命のままに、うつろうつつえにしを絶て〉!」

言葉が結ばれる。典型的で初歩的な、三文構成の律。どこから見ても正確。どこから見ても完璧。だが──この聖域に満ち始めた異界の気配を追い払うには、些か力量不足だった。

「──異界反応、止まりません! 切断不能、周波数、生体由来! このままじゃ、術室ごと飲み込まれます!」
「より高度な魔法でやりなさい! 制限を強く、フェイズを切るんです、異界との同期を──」
「し、しかしそうすれば魔法医療が続けられません!!」

早乙女は舌打ちをひとつ飛ばした。それを受けて、仙田は瞳を伏せる。「切断不能、周波数、生体由来」──つまり、患者の女性自身が異界と同調しているのだ。
魔法とは、異界の概念を現界に持ち込み放射する技術。それには異界との接続が不可欠だ。だが、今回の症例──この女性に限ってはそうではない。
彼女は、異界に〝接続〟しているのではなく……その魂が、肉体が異界の〝一部〟と化している。彼女の存在自体が、異界に存在する〝概念〟に書き換えられようとしているのだ。
仙田は唇を噛みしめる。

──あの時、私が彼女の魔法感受体を切除した。
なのに、まだ〝概念〟は彼女の内側で生きている。
それが積もり、暴れ、彼女を人ならざるイキモノへと変えようとしている。

「早乙女先生、仙田先生、どうしますか!!」

唐澤の声が、鋭くて、正しくて、痛い。仙田は一度言葉を詰まらせながら、それでも真っ直ぐに、台詞を継いだ。

「いい。異界との接続を切って。非魔法でやるわ。左心耳からアプローチ──早乙女、お願い。私は脳をやる」
「了解。弁輪切開、人工弁準備。メッツェン」
「唐澤、脳波は?」
「デルタ波、消失……脳循環、限界です!」
……ッ、そうね──」

魔法による治療方法ばかりが脳裏を占めて流れていく。しかしこの場ではもう、異界との接続は使えない。異界と同調しつつある患者を目の前にして、異界概念を流せば──彼女の病状は間違いなく悪化するから。
思考が回る。思考が止まる。その間にもこの聖域は異界に侵蝕されつつあり、バイタルは音を立てて崩れていくというのに!

「仙田先生、天井が──!」

その声に、はっとする。
見れば、天井に黒々とした空が広がっていた。それは壁を伝ってじわじわと室内に広がりつつあり、時間が無い事を明確に謳っていた。ざわ、と医療スタッフの間に困惑が広がる。本能としての危険信号が、胸中を叩いている。だが、それでも。

「いい、続けるわ!」

仙田は自らの掌で血を拭い、メスを構え直す。

手の震えを抑えようとしても、抑えられない。
心臓では弁輪を切開し、人工弁を挿入している。
肝臓では肝静脈をクリップで補強。肺では肺動脈にカニューレ。呼吸器のモニターが紅く点滅する。
累計八人の執刀医──この夜、彼女一人の命のために、医療の全てが集結していた。

「酸素飽和度60%、落ちてます!」
「右肺、壊死進行! 切除ラインを──」
「肝左葉、新規の壊死を確認! デブリードマンから……!」
「駄目だ、間に合わない──!」

怒号が飛び交う。黒ずみ始めた女性の体内にいくつものガーゼとチューブが押し込まれ、医師達が、看護師が、術室を駆け回った。
それなのに、どうして。どうして状況は良くならないのだろう。

空の黒が、壁一面を覆った。
誰もが息を呑んだ。
世界の法則が、崩れていく。

……仙田先生、これ以上は──」
「まだよ」

仙田の声が震える。

「彼女はまだ、〝生きている〟」

──その瞬間。患者の瞳が、微かに開いた。
麻酔科医が小さく「和葉さん……!?」と悲鳴じみた声を漏らす。
虚ろな黒の中で、光が揺れる。
誰も言葉を発せない。
そんな静謐せいひつを破って、彼女の唇が、静かに動いた。

──ひすい。

その春の風のような、雪を撫でる風のような優しい言葉に、一同の動きが止まった。

「今、貴女──」

仙田がそう、顔を上げた。

──あきらめないで。

こえが、響いた。
頭の中に、ではなく、世界の内側に。
魔法因子の奔流が体内から体外へと羽化し、天井を突き抜け、蛍光灯が破裂した。手術灯のガラスが砕け、破片が宙を舞う。

「きゃあああああッ!?」
「な、何事だッ!?」
「手術室が──!!」

誰かの叫び、遠くなるアラーム音、そして、赤い警告。
その中でも、仙田は釘付けにされたように、患者から目を離せずにいた。

患者──和葉の体から、蒼い光が溢れ出す。
それは血管をなぞるように伝い、モニターを狂わせ、人工心肺のチューブを振動させた。バイタルモニターが異音を立てながら白黒し、文字化けした数字を吐き出し始める。

早乙女が叫ぶ。
「魔法因子が暴走ッ! 一同、避難!!」

唐澤が後退し、遮断壁を展開しようとして──この室内では異界との接続を切っていたのだと思い出す。
「避難、避難ッ!! 魔法が使えない、防御壁を張れない!! 今すぐ──!」

騒然とする室内。逃げ惑うコメディカル。地面まで侵食した異界概念は、手術室という箱の中を黒く、黒く、常闇に染め上げた。
その闇の中で、それでも──仙田は留まり続けた。手を動かし続けた。全員が逃げ去っても、一人で。たった、一人で。

「和葉──貴女、神になろうとしているのね」
『!!』

その声に、和葉の瞳が見開かれた。そして同時に、何かが応えた。
〝神〟という語が空気を震わせ、手術室そのものを塗り替えていく。

『わたしは──ただの、』

和葉の聲が、脳に直接響く。
もう救えないと分かっていながらも、仙田はそれを押し殺すように、メスを握り続けた。

『わたしはただの、お母さんでありたかったのになぁ』

彼女の言葉は酷く優しく、酷く美しく、そして何より、酷く悲しかった。
仙田の肩が震える。闇に囚われた室内で、銀の雫が零れ落ちた。

……ッ、ごめんなさい……ごめんなさい、和葉……ッ」

それに、和葉はふわりと微笑んだ。

『あなたのせいじゃないわ、芳子。ああ、でも──』

──ひすいひいろが、心配ね──。

心電図が鋭く跳ね、そして静止した。
赤い線が一本、水平に伸びていく。
沈黙の中で魔法因子が雪のように舞って、二人の間に積もっていった。

淡い光。
黒を照らす、白き光。
それは和葉の遺した愛だった。
和葉が仙田に遺した、慰めだった。

……心拍、消失」

声は震えて、掠れていた。仙田はようやく、メスを置く。薄水色の手袋の中は湿っていて、けれど冷たくて。

「時刻、二十三時五十二分」

そっと、手を合わせる。
彼女が向こうで、笑顔でいられますようにという願いと──貴女を化け物に変えてしまってごめんなさいという、今後一生赦されない罪を込めて。
黒い室内が、氷が融けるように色を取り戻していく。その力の消失が、目の前の身体から魂が消えた事の暗示と知って、仙田はただ泣いた。

救えなかった。
守れなかった。
友を、あなたを。
それが彼女をこれから縛り続ける、たったひとつの緋色の戒ヒイロノカイだった。



……

……………

その全てを語っているのは、仙田なのだろうか。
この全てを眺めている〝私〟は、仙田なのだろうか。

私は、わたしは──俺は……


──天井の光が歪み、視界が黒に沈んだ。
光と音が遠のいていく。記憶にノイズがかかり、今まで見た全てを隠していく。
その代わりに聞こえたのは、母の声。忘れられない、優しくて、愛しいひとの声。

『翠、あきらめないで』

その声に、青年は息を呑んだ。

『あなたはいつか、神になる』

嘘だと言ってくれよ。そうじゃないって、言ってくれよ。
なぁ、母さん。俺は普通の人間なんだって。誰も傷つけなくていい人間なんだって。
母さんは──誰も、傷つけてないんだって。

暗闇の中で、手を伸ばす。
しかし、掴めるものは何もない。
掴ませて。届いて。逃げないで。いなくならないで。
母さん、母さん、母さん………


「──はッ……!!」


目が、覚めた。
呼吸の音。煩すぎる心音。降り続ける秋雨の音。
青年──櫻田翠さくらだひすいは、ベッドの上で目を覚ました。
頬を濡らす汗が冷たい。シャツが身体に貼り付いて気持ち悪い。
外では雷鳴が山を揺らしている。波の音に、雨音が溶けてノイズのようにざわめいている。

胸の奥で、母の声がまだ響いている。
彼は天井を見上げ、乾ききった唇を震わせた。

……おれは、人間だ。母さんは──人間だ」

カーテンの隙間から、朝の光が差し込み始めていた。
嵐の気配が、遠くで霞んでいる。

物語は、このような確執から幕を上げる。
これは、シャルラッハロートの鎖に囚われた彼等の、もうひとつの紅蓮の創世クリムゾン・ジェネシスだ。


────────Ep.001に続く