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きなこ湯
2025-10-07 00:13:26
10885文字
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Ruhige Nacht.
カネブラ、トキシンと死体を埋める話です。
死人がいます。倫理道徳に欠けた題材かつ、嘔吐表現を含みます。時系列は3rd後を想定した内容です。
1
2
こんな形で河川敷での約束が果たされるとは思っていなかった。
「着いたよ」
バイクの駆動音が消え、立ち止まる。道路を走っている間はそれほど気にならなかったが、トキシンが片足を地面につけて車体を少し傾けると、高い視界がぐらりと揺れてぎょっとした。慌ててトキシンの背中にしがみつくと、トキシンは少し驚いたように息を吐いて、「大丈夫?」と訊ねる。
「降りるとき、少し高さあるから気をつけて。はい、俺の腕に掴まって
……
うん、いい子だね」
タンデムシートを積んで高さのある後部座席から降り、自分の足で地面に立つ。靴の裏がざくりと柔らかい土を踏んだ。日没すぎの空はまだ西の方が明るく見えたが、わたしたちの足元はすっかり薄暗い。
トキシンはわたしをバイクから降ろし、後部座席に取り付けた大きなバッグをよいしょと持ち上げた。大きさにしてスーツケースよりひと回り小さいくらい、バイクの移動用にしてはかなり大きな部類に入るだろう。その中に詰め込まれているものと、少し前にトキシンがさらりと告げた「なんとか入ったよ」という言葉、それからつい先ほどまで“それ”が自分の背後にあったことを思い出して、胸の入り口が詰め物をされたように重くなる。
「どうしたの?
……
お前、顔が真っ青だ。もしかして気分悪い? 慣れないバイクで乗り物酔いでもしたかな」
無意識のうちに俯いていた視界へトキシンの手が入り込み、ひらひらと振られる。
ハッとして顔をあげると、すぐ隣に立っていたトキシンと至近距離で目が合った。心配そうにわたしの顔を覗き込む青色の瞳を見返し、それから逆光になって黒々と浮上がる、トキシンの背負うバッグのシルエットへ視線が吸い寄せられた。
「
……
ああ、なるほど。大丈夫、これは俺が背負うよ。それに、お前が背負うにはさすがに重たいだろ」
トキシンは納得したように小さく頷き、殊更に優しい声で囁いた。「安心して、俺に全部任せて」と繰り返し、バイクのサイドシートからホームセンターで購入したシャベルを取り外す。一式揃えばかなりの重さになるはずで、わたしがバッグの中身を階段の踊り場から空き教室まで引っ張ってゆくだけで汗だくになっていたことを考えると、やはりトキシンは並外れた力の強さがあるのだと実感させられた。
トキシンがシャベルを二本担ぐ。金属の先端が擦れ、乾いた空洞の音が響いた。
「それじゃあ行こうか
……
ってお前、急に近づいてどうしたの。えっ
……
お前も持つって、このシャベルを? いやでも、お前には重いだろうし」
頭の中で響く警鐘と、人の骨の折れる鈍い音が鳴りやまない。吐き気が消え去らないことも、極度の緊張で手足の感覚が遠いことも、悪寒が止まらないのに冷や汗が出ることも、すべて何もかも、わたしのせいだ。起こったことは変えられないし、それでもなお、わたしは倫理道徳の正しさよりも浅ましく生きる明日が欲しい。だからこちらの道を選んだ。
荷物はわたしが持つ、と繰り返す。自分でも情けないほど強張った声だった。陽が傾いて、もうトキシンの表情すらよく見えない。けれどトキシンは、わたしの青ざめた顔を鮮明に見下ろせるのだろう。躊躇い混じりのため息が聞こえてきた後、静かな声で「わかった」と頷く。
「じゃあ、こっちのシャベル一本持って。あと、このビニール袋。それ以外は全部俺が持っていくから。でも、もしお前がしんどくなったら、俺はお前ごと抱えていくからね」
わかった? と少し屈んで念を押される。深く頷くと、トキシンは困ったように眉尻を下げて笑った。またわたしのことをわがままだと思っているのかもしれない。トキシンに迷惑をかけていることは動かしようのない事実なので、あながち間違いではないけれど。
暗い森の入口は静かで、周囲に人の気配はしない。かすかに聞こえてくるのは、木々のざわめく音ばかりだった。
埋めると口で言うのは簡単だが、実際やってみると重労働だ。夏の盛りは過ぎた初秋、陽が落ちれば半袖では過ごしづらい寒さだが、五分と経たず汗だくになっていた。ぐっしょり濡れた背中は身体にかかる負担だけでなく、まだ捨てきれない良心や常識がすり潰される冷や汗でもあっただろう。汗がこめかみから顎を伝い、ぼたぼたと流れ落ちる。軍手をはめて握り締めたシャベルの柄が滑りそうになって、慌ててぎゅっと手に力を込める。
人の出入りを想定していない山の中に当然山道なんてあるわけがなく、急勾配を踏ん張って歩き、ようやくたどり着いた場所。雑草と木々の生い茂る狭い道を進んでいたはずが、急に少し拓けた空間があった。そこで、わたしたちは死体を埋めるための穴を掘っている。
意識しないと呼吸が浅くなる。シャベルの先端をざくりと地面に刺し、空を仰いで深呼吸した。夜の空気は冷たく、深く吸い込めば一向に消えない吐き気もいくらかマシになる。
疲労でぼんやりとした頭のまま、わたしと異なり軽快なペースで掘り進めるトキシンを眺める。相変わらず疲弊している様子は少しもないが、さすがのトキシンにとっても重労働なのか、右手の甲で額を拭って顔を上げた。
「ふうっ
……
うーん、もうちょっと深く掘った方がいいかな」穴の深さを確認し、それからわたしの顔を見返す。「どうしたの。さすがに疲れたかな。
……
って、よく見たらお前、すごい汗掻いてるじゃないか。大丈夫? ここから先は俺がやろうか?」
だいじょうぶ、と首を横に振るも、トキシンは頑なに譲らなかった。抵抗する間もなく片腕で抱き上げられ、掘った穴の中から外へ追い出される。もともと力の差では絶対に敵わないのに、この状況でトキシンに抵抗できるはずもない。
「ちょっとそこで休憩してて。埋めるとき、また一緒にやろう。それに、お前に無理をさせて倒れられる方が、俺も大変だと思うし」
今回ばかりはトキシンの言い分の方が正しい。わたしが巻き込んでいる側ということもあり、大人しく従うことにした。
とは言え、暗い森の中で座れる場所など限られる。ふらつく足取りで移動し、近くの木の幹に背中を預けた。それだけでドッと疲労が押し寄せ、強い眩暈が襲う。感覚の遠くなった手を握ったり開いたりを繰り返し、なるべく無心になって自分の呼吸を数えた。
ざく、ざく、ざく。相変わらず軽快なペースで土を掘る音が響いている。穴の中から掻き出した土の山は当然トキシン側の方が多く、何度目かわからない惨めさを目の当たりにした。
トキシンがいなければ、わたしはこんなところにはいない。わたしが突き飛ばして動かなくなった死体を運ぶことも、バイクで神無町から離れた山間部へ移動することも、こうして罪を隠す穴を掘ることもできなかっただろう。けれど、突然めちゃくちゃな言い分で
――
わたしが「トキシンくんを誑かしている」だとか、なんだかそんなことを言っていたような気がする
――
階段の上でわたしの腕を掴んで、髪を引っ張ったのはあの子の方だ。間違いなく逆恨みで、トキシンがいなければ関わることのなかった人だったかもしれない。けれど、悪かったのはどうしようもなくわたしで、それ以外はあり得ない。
視線の先は自然と足元に向かう。夜の暗がりに佇む四角いタンデムシートバッグに。スーツケースよりひと回り小さい、ということは、その中身がどうなっているかなど直接見なくとも想像に難くない。しかも詰めたのはあの不器用を極めたトキシンで、やけに上擦った声で「お前は見なくていいよ」と言うものだから、何をどうしたかなんて明白だ。極度の疲労に覆われた今の思考では、さすがに可哀想だな、くらいにぼんやり思うことしかできない。
トキシンには見るなと言われた。自分でも、見ない方がいいだろうと思う。階段の踊り場に落ちた、あらぬ方向に曲がった腕の関節を見ただけで吐き気を堪えられなかったのだから、それ以上なんて見ない方がいいに決まっている。ここで吐けばまた迷惑になるだろう。けれど散々吐き戻して胃の中は空っぽだし、どういうわけか、わたしの手は勝手にバッグの開け口に触れていた。
硬いジッパーを指先でなぞる。軍手越しではごわごわとした感触しかわからない。この中にわたしが殺した人間の身体が入っていて、どの道、もうすぐ。
「
――
何してるの」
耳元で声が聞こえたと思った途端、手首を掴まれた。振り返るとすぐそばにトキシンが立っている。
トキシンの左手はキメラとして移植された銀の義手で、かたく冷たい。トキシンもそれをよく理解しており、普段わたしに触れてくるのはいつだって右手だ。驚いて二の句を告げずにいると、トキシンはハッとして掴んでいた手を離した。
「ごっ、ごめん! い、痛くない
……
?」
恐るおそる訊ねたその様子に、わたしの手首が心配されているのかと気付く。大丈夫だと頷くと、トキシンはほっと息を吐いた。
「よかった。怖がらせて本当にごめん
……
いやでも、今のはお前だって悪いんだからね。それ、勝手に開けようとしてただろ。俺、見ないでって言ったのに」
夜の森の暗さだと、これだけ近くにいてもトキシンの表情はよくわからない。弱ったような声色からしか判断できないが、トキシンなりの気遣いだったのだろう。
どうせこの暗さなのだから詳細は見えないだろうと言うと、トキシンは「ううん」と言葉にならない呻き声をこぼした。
「いや、でも。
……
うーん、やっぱりダメだ。俺が出すから、ちょっと離れて。うん、穴はもういい具合だから大丈夫。さっさと埋めよう」
そう言い切り、トキシンは左手でバッグを掴んで持ち上げた。引き止める間もなく穴の近くに移動して、地面にどさりと降ろす。「お前はそこにいてね」と低い声で言われ、結局はトキシンに任せる流れになった。
無理矢理詰め込んだ中身が途中でひっかかるのか、時々力づくでジッパーを引っ張りながら、トキシンがバッグの口を開けてゆく。わたしは言われた通り少し離れたところに立っていたが、トキシンは顔を上げて確かめるようにこちらを振り返った。ちゃんとここから動いてないよ、と言う。それから、この暗さだとわたしにはシルエットしか見えないと。
「なら
……
いいけど。でも本当は、見えないとしても、お前の視界にこんなの入れたくなかったな」
そう呟いて、トキシンは片足をバッグの側面に乗せた。重量のあるそれをグッと靴裏で押す。掘り返した穴のふちからパラパラと土がこぼれ落ちてゆく気配と共に、どしゃり、カバンの中身が穴の底に落ちる音がした。わたしが階段から突き落とした時とは違う、柔らかく水気の混じる音だった。
ああそうか、人の身体って水分が多くて柔らかいんだったなと思いながら、頭の内側で警鐘のように鳴り響いて止まないのは別の音だ。踊り場の硬い床に叩きつけられた、骨の折れる鈍い音。腕の関節は逆方向に折れ曲がっていた。階段を引き摺って降りるたびにプラプラと揺れていた、斑模様の赤黒い鬱血痕が浮かぶ青白い腕の、
「
――
大丈夫。ほら、こっち見て」
視界がチカチカと明滅する。暗い森の景色と、西日の遮られた薄暗い階段の踊り場と、死体を引き摺って逃げ込んだ空き教室と、バイクの後部座席から見た燃えるような赤い夕焼けの空と、時間も場所も関係なく走馬灯のように流れゆく。わたしが殺した、突き飛ばした、あの子の顔が。
「大丈夫。俺がここにいるから。ゆっくり、息吐いて」
耳元でトキシンの優しい声が囁く。いつの間にか両頬を包み込むように触れていた大きな手が、俯いたわたしの顔を上げさせた。
夜は暗く、黒いシルエットしか見えない。いつの間にか、夜空の高いところには月が昇っていた。青白い月明かりがトキシンの顔を薄らと照らしている。
「ふふ、やっと目が合った。嬉しいな」
少しかさついた親指の腹がわたしの目元をそっと拭った。涙で濡れていたらしく、肌の上をすべる感覚はずいぶん滑らかだ。ようやく酷い動揺が収まり、自分の袖で顔を拭うと、トキシンは「そんなに擦っちゃダメだよ」と呆れたようにつぶやく。
迷った末に、ありがとうと答えると、トキシンはきょとんと目をまるくした。
「
……
え。ああいや、うん。どういたしまして
……
?」
ずいぶん歯切れの悪い反応だ。どうして不思議そうなのと訪ねると、トキシンはううんと首を傾げた。
「どうしてお前にお礼を言われるのか、わからなくて」
そして、心底不思議そうにそう答える。
トキシンには数えきれない欠点があるけれど、その性根がピュアであることは否定できない。自分の感情に正直だからこそ、トキシンが差し出してくれる優しさそのものは疑うべくもなく本物だ。もちろんそれがトキシンの悪びれない責任転嫁や手の付けられない悪癖を擁護する材料にはならないけれど、結局わたしがトキシンのことを嫌いになれないのは、トキシンが嘘を吐かない人だからだろう。
きっと、この言葉も間違いなくトキシンの本心だ。
「さて、それじゃあ埋めようか。お前はどうする? 全部任せてくれてもいいんだけど
……
一緒にやりたい?」
頷くと、トキシンはシャベルを手渡してくれた。
「
……
うん。これで大丈夫かな」
トキシンは手の甲で顎を伝う汗を拭い、ふうとため息を吐いた。
目の前には平らな地面がある。一度掘って埋め直した土は、知っている者が見ればすぐにそうだとわかるだろう。夜の暗さに紛れて詳細は見えないが、月明かりの下にぼんやり浮かぶ地面の模様にはどうしても違和感が残る。しかし、こんな山奥までわざわざやってくる人も少ないだろう。あとはもう、祈るしかない。土の下にあるものが陽の目に晒されないことを。
これでやらなければならないことは終わった。強張る手をどうにか開き、握りっぱなしだったシャベルをそっと地面に下ろす。その場に膝をつくと、背後から「どっ、どうしたの?」とトキシンの声が聞こえてきた。
手のひらで、埋めた地面に触れる。二人で死体を埋めた地面を。軍手のごわつく布地の下で、湿った土の欠片が転がる感触がする。
「急に座り込んでどうしたの。気分悪い? 大丈夫?」
トキシンが屈んでわたしの顔を覗き込む。その白い頬には土汚れがついていた。思わず手を伸ばして、わたしの軍手も酷く汚れていることを思い出す。手汗で張り付いた軍手を剥がすように取り除くと、トキシンが息を吞む気配がした。
「
……
軍手だけじゃ汚れちゃったね。ごめん、せっかく綺麗な手なのに」
そう言われて、はじめて自分の手が汚れていることに気が付く。月明かりの下で目を凝らしてみると、指の腹や爪の間にまで土が入り込んでいた。爪の先がいくつか欠けているのは、震えをやり過ごすために強く握っていたことが原因だろう。
トキシンも右手の軍手を外す。その手もわたしと同じく土で汚れていた。その手を自分の服の裾で拭い、わたしの手をそっと持ち上げる。汚れを落とすように何度か撫でるも、こびりついた泥はなかなか綺麗にならない。
「
……
ああ、でも。お前の手は、こんな時でもずっと綺麗だな
……
」
そんなことあるはずない。泥汚れの酷いこの手が、人を殺して埋めると決めたこの手が、一体どうして綺麗と言ってもらえるのだろう。否定の言葉が次々と喉元に迫り上げて、気道を押し潰す。
トキシンはわたしの汚れた手を自分の口元に引き寄せ、躊躇う素振りなく口付けた。触れたくちびるの皮膚はやけにひんやりしている。薄らと吐いたため息の温度ばかりが熱く、わたしの手に張り付いて離れない。
「
――
俺を巻き込んでくれて、ありがとう」
ふと、ざらりとした布の感触がわたしの手の甲を撫でた。銀の義手を覆う、手袋の左手だ。いつの間にか、トキシンはわたしが左手に触れることを手酷く拒絶しない。
触れた手を優しく握り、膝をついたままのわたしの手を引いて立ち上がらせる。疲労のせいだろうか、一瞬目眩にぐらついたが、トキシンに支えられて踏み留まった。
「帰ろう。俺たちの家に」
優しく囁く声に頷く。
穏やかな暗闇の中に響くわたしたちの足音を聞きながら、わたしはもう二度とこの手を振り解けないのだろうと、ただ確信めいた予感を抱いていた。
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