あがさ
2025-10-04 15:21:01
12033文字
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予感





 かぶき町に店を構えるスナックの店主、お登勢こと寺田綾乃の堪忍袋の緒は、今にも切れそうだった。

 誰に対してか。

 それは、スナックお登勢の二階に彼女が部屋を貸している、万事屋銀ちゃんなどという巫山戯た看板を掲げる坂田銀時という男に対してである。
 銀時とお登勢の出会いは原作第四訓を読んでいただければ良いとして、その後成り行きで彼に部屋を貸すことと相成って早数年。当時の選択が間違っていたとは思わないが、それはそれとしてあの男の家賃滞納癖にお登勢は頭を悩ませていた。
 断っておくが、若造一人から家賃の一月や二月分回収できないくらいで立ち行かなくなるような生活をお登勢は送っているわけではない。そもそも空腹に耐えかねて供物の饅頭を無心してきた事から分かる様に、誰がどう見ても根無し草、お世辞にも金銭とは生まれてこの方縁がある様には見えない銀時には、端から家賃支払能力を期待していない。寧ろ、お登勢が設定している金額はかぶき町の相場としては破格と言っても良いくらいだ。
 とは言え、若い時分に旦那に先立たれてから此の方、伊達に女身一つでこの町で生き抜いてきたお登勢ではない。金のあるなし関係なく分け隔てなく接し、本当に困っている奴には手を貸すのを厭わない人情の人であると同時に、堅実な商売人魂も備わっている。大家と入居者という関係になったからには、傍から見たら安かろう家賃でもキッチリと納めて貰わねばならないのである。


 かくして、今日こそあのちゃらんぽらんに家賃を払わせようと意気込み、二世帯住宅構造の二階へと続く年季が入った外階段を軋ませながらお登勢は万事屋へと向かった。

「銀時ぃ!!居るのは分かってんだよ!!!追い出されたくなかったら、払うもんさっさと払いな!!!」

 玄関先、ドスの効いたがなり声をいつものように張り上げる。
 それに対する返事が皆無なのには慣れっこだ。だが一旦居留守を決め込まれたとしても怒鳴り続けていれば、そのうち騒音に耐えられなくなり最終的には逆ギレして怒鳴り返しに銀時はのこのこ出てくる。そこを更にどやしつけて口論が苛烈するのが二人の攻防の常である。今日とて、そう待つ事なく玄関に近づいてくる人影が扉越しに見えた。
 但し、いつもと違ったのは引戸を開けて出てきたのが銀時ではなかったことである。

「申し訳ございません。ぎ...坂田は、...今留守にしていまして」

 戸の影に身を半分隠し明らかにおっかなびっくりの様子ながらも丁寧に告げてきたその声は、毎晩店で相手にする飲んだくれ、かぶき町で長年暮らし世の酸いも甘いも舐め尽くせし風格纏うオヤジどものいがら声を聞きなれたお登勢にとって、ちっとばかし柔らかすぎる高さだった。
 聞き慣れない声同様、その顔も初めて見る。
 黒髪短髪。眼鏡越しに覗かせている目元はまだ成長途中の幼さを残していて、年の頃は十代半ばと当たりをつける。お登勢の剣幕に驚いてはいるが、この年頃の男子にありがちな斜に構えた雰囲気はなく、人好きする空気を纏っていた。

 勢いを削がれたお登勢は目を瞠る。

「おや、見ない顔だね。あんた誰だい。」
「えっと、志村新八と言います。先日から万事屋銀ちゃんの助手を務めています。...あの、もしかしてここの大家さんのお登勢さんですか?銀さんから伺っています。」

 ご挨拶が遅れてすみません。少年はにこやかにそう言って、ペコリとこれまた礼儀正しく挨拶してくるものだから、お登勢はいよいよ面くらう。

「助手ぅ?ここのロクデナシ稼業に助手なんか必要なもんか。あんた、あの男に何か騙されてるんじゃないかい?」

 「万事屋」と言えば一見それなりの肩書きに見えるが、要は頼まれたら何でもする使いっ走りである。社会を規則正しく回す歯車の一員になる気などさらさらない銀時が、それでも食っていく為に稼がなくてはならないからと自由気ままにやっているのが「万事屋銀ちゃん」なのだ。
 あの日墓場で出会う以前の銀時の過去は、彼から直接教えられたこともないし尋ねたこともない。ただ何やら脛に傷がありそうなことだけは伺えた。
 腐れ縁の幼馴染が共に出征したお登勢の旦那である親友を伴わず、独りで帰って来てから纏っているもの。
 それと似た空気を、あの時の銀時からは感じたのである。
 とにかく、お登勢に拾われここに住み始めてから暫くは、銀時はあまり出歩かず一日の大半をぼんやりと過ごしているようだった。しかしそれでは食い扶持もすぐ底を尽きるので、お登勢は敢えて何かと銀時に雑用を押し付け、時には自分の店の客やご近所さんからの頼まれごとを横流しにしていた。
 そうするうちに、それをそのまま商売にしてしまったわけである。

 一度、スナックお登勢にいちゃもんを付けたうえちょっかいをかけてきた馬鹿な輩どもがいた。酔っ払いとゴロツキの町かぶき町ではそう珍しくもないことだが、丁度店に飯をたかりに来ていた銀時もその場に居合わせ、その辺にあった棒切れで瞬く間に相手を伸してしまった。その際の銀時の体裁きは型などない一見でたらめな動きに見えたが、その実相手の動きを完全に見切り一撃で制圧するものだった。それは熟練された道場剣術などではなく、体に染みついた命のやり取りに対する本能的な動きにも見えた。
 それ以降、お登勢が拾った若造はどうやら腕も立つらしいと噂が広まり、偶にではあるが、銀時への依頼に警察の目から零れ落ちたちょいとばかしの荒事も混じるようになったようだ。
 別にお登勢は銀時の保護者でも何でもないただの大家なので、彼が請け負う仕事内容までいちいち把握はしていない。だが、時折怪我をしていることには気が付いている。派手なものはなく、服の下に隠れるような些細な傷が大半のようだが、それでもそれ相応のきな臭いものなのだろう。お登勢や店に火の粉が降りかかるようなことは一度たりともなったため、呆れはするが口出しは一切しないでいる。
 「万事屋銀ちゃん」に関わる責任も因果も、全て彼一人のもの──ほんの短期間万事屋に他の構成員がいたこともあったが直ぐまた銀時は一人でいることを選んだ──、だからこそ気ままにできるのだ。

 それなのに今更助手とは、一体どういう風の吹き回しだろうか。

 正直、お登勢は銀時がこんな年端もいかぬ少年を傍に置くような男とは思っていなかった。奴も奴で大概お人好しの部類に入ると思ってはいるが──でなければ何でも屋なんてできない──馴れ馴れしいようでどこか他人が自分に深入りしてくるのをのらりと躱している。
 またここまで散々書いてきた通り、万事屋なんて商売、単純に良いことよりも碌でもないことの割合の方が多い。
 銀時もそれらを十二分に自覚しているだろうに。

「割と酷い言われようですね⁉まぁ...確かにここの仕事も銀さんも、やる気があるのかないのか分からない仕様のなさなのはこの短い期間で十分理解してます。」

 苦笑いを浮かべる少年は、驚いたことにどうやら自分の意志でここにいるようだ。

「へぇそうかい。まぁ、奴が不在であんたがここの従業員ってなら、代わりを務めてもらおうかね。新八って言ったかい、ちょいと手を貸しな。」
「え?」
「あたしがここに怒鳴り込んできた目的、あんたも聞いていただろう?」

◆◆◆

 当初の目的は空振りに終わったが、その代わりにお登勢は夕方からの開店準備を新八に手伝わせた。
 新八はお登勢の期待以上に良く働いてくれた。主に掃除を任せてみたのだが、細かいところまでよく気が付いて埃一つ残さないし、家具の扱いも丁寧だ。掃除が一取り終わると料理の下拵えもやらせたが、こちらも慣れた手つきで卒なくこなすときた。
 勿論、これっぽっちの労働では現在滞納されている五カ月分の家賃を補うことは到底できない。しかし、新八があんまりにも一生懸命頑張る素直で愛想の良い子なもんだから、お登勢はすっかり毒気を抜かれ、滞納分の回収は少し待ってやってもいいだろうという気にさえなっていた。
 因みに暫く経ってから新八が白状してきたが、銀時は外出しているわけではなく未だ二階で惰眠をむさぼっているという。出勤して早々に新八が声をかけたが一向に目覚める気配がなく、そうこうしている内に鬼気迫るお登勢がやって来たため、馬鹿正直に真実を伝えたら銀時諸共どんな目に合うかわからないと咄嗟に誤魔化してしまったらしい。
 けれど上述の通り、新八の働きに免じて今日のところは見逃してやってもいいと珍しく仏心が生まれていたお登勢であったので、恐縮しながら謝ってくる新八を笑い飛ばしただけだった。
 折角鬼を騙せていたというのに今になってそれこそ馬鹿正直に種明かししてくる新八の不器用さに、お登勢はいっそ好感すら持てた。

「────へぇ、それであんたら姉弟は銀時に助けられたってわけか。そうだとしても、あんな奴の下で働こうなんて気になっちまうたぁ、お前さんもつくづく物好きだね」
「あはは...確かに自分の選択を疑う瞬間が全くないとは言い切れませんね。......それでも、あの日あの人に感じた煌めきを信じてみようと思うんです」

 気恥ずかしそうに、それでいて真っすぐ一本芯の通った声色で新八が言う。
 その瞳は今ここにいない男の背中を見つめているのだろう。

「お前さん、苦労するだろうね」
にやりとお登勢は笑った。


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