sidori
2025-09-14 00:00:00
24816文字
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人妻定食九月号『蛟九』

モブ視点で高銀の坂田に失恋するNTRマガジン九月号です。

jilの『犬も食わないドカ盛もぐもぐ定食~モブ仰ぐ仲直りデート濃厚困惑仕上げ~』


平穏な毎日が終わるのは、いつだって突然だ。
可もなく不可もなくの生活が、どれだけ尊いものであったのかを、思い知らされる。
「は、はひっ、はあ、はひっ」
僕はモブおじ妖怪の茂部雄耳雄。
大人しくて臆病な人畜無害な妖怪だ。家でゴロゴロと平穏な日々を過ごしていたが、突然ママンに家から追い出されて今に至る。
予兆はあったのだ。たとえば、家の机の上に求人誌が置いてあるとか……
でも、僕は現実から目を背けたくて、ずっとそれを、見えないフリをしていた。
そして、求人誌が崩れるほど重なったある日ーー。僕の日常もまた、崩れた。
臆病な僕の、当然の結末。
でも、だからって。
「ひいいい!おたすけをおおお!」
ママンから手切れ金として渡された300ペルカを抱きながら、あてもなく山をモブッモブッと放浪していた僕は、運悪く凶悪な妖怪の集団に絡まれてしまっていた。
「ヒャッハーー!有り金全部置いていきな!」
「いやーー!やめてーー!」
「モブおじのくせに生娘みたいな声を出すな!」
たしかに僕はろくでもない妖怪だったけど、こんな目に会ういわれはないはずだ。
「あうっ」
木の根に足が引っかかっり、デュルンッと転んでしまう。
ーーもうダメだ!
咄嗟に頭を手で覆い、目を瞑ったその瞬間ーー僕に掴みかかろうとしていた妖怪が、吹き飛んだ。
「おいおい、いつからこの山は世紀末になったんだ。ギャーギャーやかましいんだよ、発情期かテメェらは」
耳に馴染むような気怠げな低い声が、僕の頭上から降ってきた。
「お、お前は!」
悪い妖怪たちは怯えたように後ずさり、突然の乱入者を指さした。
「ひっ、ひい!なんでこんなところに!」
「あ、あれは!」
「九尾の……人妻銀ちゃんだ!」
「万事屋銀ちゃんな!なんだその不名誉極まりない呼び方は!」
乱入者はーー銀色の髪をした男だった。
その背には九本の尾が、ゆらめいている。
「失せな」
その一声に、悪い妖怪たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
それをただ呆然と眺めていた僕に、その男の人が手を差し出す。
「災難だったな。立てるか?」
「は、はひ」
差し出された手は白くて、美しかった
「あ、ありがとうございまひゅ」
「ここら辺では見ない顔だな。どこから来たんだ」
「でゅ、でゅひゅ!」
本当は全然ここら辺に住んでいるのだが、どうやら引きこもり生活が長すぎたせいで、知られていないらしい。
どう答えるべきか悩んでいると、相手はなにかを勘違いしたのか、「いや、無理に言わなくてもいいけどさ」と、慌てたように言う。
「俺、九尾の銀時。ここら辺で万事屋やってんだ。なにか困り事があれば助けになるぜ?」
銀時さんが胸元から木の葉を一枚取り出すと、目の前でぼふんっと名刺に変化させて、それを僕に渡す。
受け取った名刺は、人肌に生暖かった。
「えっと、その、ぼく……住むところを探してて」
「え、まじ?実はもちょうど探してたんだよな。一石二鳥だし、一緒に行くか」
「え、まさか銀時さんも家を追い出されて……
「はあ!違うし!俺はその……家出、みたいな?」
「家出……
ーーかっこいい!
思わず僕は、尊敬の念で銀時さんを見る。
僕なんて、一生家から出たくなくて、しがみついていたのに。
自ら家を出て、自分だけの力で生きていくなんて……そんなアウトローな生き方ができるなんて……
「ふっ、よせよ。照れるぜ」
照れくさそうに鼻の下をこすりながりも、銀時さんーーいいや、銀さんは満更でもない様子だ。
「あ、あれは箱入り人妻の銀さんだ」
「おいおい、今日は旦那がいないみたいだ」
「大丈夫かな、迷子にならないかな」
「今なら旦那さんに怒られずに、お菓子あげられるかな?」
「止めておけ、後で旦那さんに睨まれるぞ」
なんだか、あちこちからヒソヒソと妖怪たちの話声が聞こえる。どうや、銀さんはここら辺では有名らしい。
「で、お前はどんなところがいいわけ?」
「え?」
「だから、住むところだよ。なんか、いろいろ条件とか希望とかあるだろ?」
「え、えっと……
そういえば、何も考えていなかった。あるのは、ただ漠然とした、今夜はどこで眠ればいいのだろうという不安だけだった。
「でゅふ……ひっ、ベッドと屋根があって、インターネッツがあれば……
「無欲なやつだなぁ。俺はやっぱり天蓋付きのベッドにシャンデリアに、あ、あといちご牛乳用冷蔵庫は必須だろ?」
「しゅ、しゅごいなぁ、銀さんは。僕はそんなに豪邸住めないよ……
「別に普通だろ、こんくらい」
もしかして銀さんは、どこかお金持ちの人妻なのかもしれない。
よく見れば、同じ雄だというのに肌は白いし、キメ細やかだ。銀色のふわふわの髪をかきあげるたびに、甘やかな香りが漂っている。
そういえば、服からもいい匂いがする。柔軟剤じゃない、なんだろうか、もっと、こう上品な感じの匂いだ。お香みたいな感じのやつだ。
なんだか妙に胸がドキドキしてきて、僕は額に滲み出た汗を拭う。
「ふ……ふぎゅ、と、ところで、僕たちは今ど、どこに向かってるの?不動産屋さん?」
「妖怪に不動産屋なんてあるかよ」
「え、じゃあ……どこに……!」
「決まってんだろ?奪うんだよ」
「え、ええ!?」
「安心しろよ。奪うって言っても、相手は超絶極悪妖怪だ」
「ええっ!?」
「しっ!静かにしろ!」
突然、銀さんが僕の前に手を出す。
「ここはもう、やつの領域内だ」
「ええええーー!」
思わず周りを見渡してみる。
そこは森の中にひっそりと佇む、澄んだ清流が、なだらかに流れ落ちる滝つぼだった。
ほかに妖怪の気配もない。静かな場所だ。
たしかに美しい場所ではあるけれど、不自然に石像が目に留まる以外に、特別目立ったところはない。
逆に言えば、不自然に石像がそこにあった。
龍の形を模した、3メートルほど巨大な石像だ。銀さんは石像に近づくと、慣れた手つきでそれを押し出した。
「ここを、こうして、と」
なにかギミックがあるのか、それとも銀さんが並外れた力持ちなのか。石像はズズゥと音を出して動きだし、やがてカチッとハマるような音がして止まる。
その途端、地鳴りのように地面が震え始める。
「でゅっ……!でゅふっ!?」
激しい揺れに立っていられなくて、思わずその場に尻もちをつく。
目の前で滝が二つに割れ、その奥に地下へと続く隠し階段が現れた。
「え?え?ええ?」
「行くぞ」
銀さんは戸惑う僕の肩を掴んで、ズンズンと進んでいく。階段に足を置いた途端、割れていた滝がまたひとつに戻る。
まるでどこぞのゲームのギミックのようだ。
ひんやりとした空気に包まれたそこに明かりはなく、完全な闇だった。
「真っ暗で何も見えないよ……
「くそっ、アイツ明かり消しやがって……!やり方が陰湿なんだよ」
そう言って銀さんが指先に狐火を浮かべる。
「ほら、もっと近づけ。そこ、足元気をつけろよ」
「はわわわ銀さんいい匂いでゅふよぉ」
銀さんが僕の肩を抱き込む。甘い匂いがして、思わず胸いっぱいに吸い込む。
「おい、なにいきなり深呼吸して……?ここ、空気薄い?」
「でゅふ!い、いえ、気遣いなく……
銀さんの体温を感じながらゆっくりと階段を降りていく。ああ、このときが永遠に続けばいいのに……と思うよりも先に、階段の一番下までつく。およそ十段ちょっとの儚い時間だった。
目の前には赤い扉があり、銀さんが押すとそれは簡単に開いた。
向こう側から強い光が差し込む。それに思わず目を瞬きながら、床を踏んだ瞬間ーー。
目の前に広がっていたのは、滝の中とは思えないほどの、広大な空間だった。
品のいい白樺の床に、太い柱が連なり、高い天井を支えている。
おそらく、ここは現実の世界ではなく、異空間なようなものなのだろう。そして、あの扉は現実と異空間を繋ぐ境目だったのだ。
妖怪にはそのような術を使う者もいる聞いたことがある。
問題はその空間よりもーー地響きのように低い声の轟きだった。
「なんだ、もう帰ってきやがったのか。もう少し辛抱があるやつかと思ったんだが……俺の見込み違いだったか?」
圧倒的な重量を持った声に、僕は腰が抜けてその場に座り込む。
「でゅ、でゅふっ」
目の前にいたのは、龍だった。
日の光を浴びた水面のように、キラキラと光る鱗を身にまとった、巨大な体躯。
ああ、妖怪なんてものじゃない。
もっと高位のーー神に近しい存在だと、本能が訴えかけている。
「なあ?ボケ狐」
「うるせぇ、クソ蛇」
「蛟だ……って、言ってんだろ」
龍ーーいや、蛟が唸る。
というか、蛟ーー蛟だって!?
僕みたいな凡庸な妖怪とは住む次元が違うーー水神の化身じゃないか!
おかしい。絶対こんなのおかしいよ!
序盤ステージなのに、もうラスボスがいる!
「勘違いしてもらっちゃ困るぜ」
そんな相手を前にーー銀さんは怯むどころ、むしろ少し苛立たしげに語りかける。
「よくよく考えたらなんで俺が家を出なくちゃいけねぇんだと思ってさ。こうやって、テメェを追い出しに来たのさ」
「ほう……?」
「元はと言えば、ここは俺が住んでた家だぞ!それにテメェが転がり込んできたんじゃねェか!」
「テメェが滞納してた家賃一括で払って、今も家賃払ってんのは俺だがな」
「やいやい、蛟!覚悟しろ!」
蛟の言葉を遮るように、銀さんが声を張上げる。
「テメェもまどろっこしいことは性にあわねぇだろ?一気討ちと行こうじゃねェか」
「ふっ……。上等だ」
蛟が息を漏らすように笑う。チロチロと見える長い舌が、舌なめずりをしているようだった。
「はわ、はわわわ」
そして僕は、はわはわと焦る。めちゃくちゃ焦る。
だって、おんなおそろしいクソデカ神に、か弱い箱入り人妻の銀さんが、とても勝てるとは思えない。
ーーだ、ダメだ!ぎ、銀さん!
そう叫びたいのに、恐怖が張り付いた喉から声が出ない。
「決着をつけようぜ、高杉!」
瞬間、銀さんの体が青い炎に包まれる。熱さに目を細めたいときには、もうその姿は巨大な獣に変化していた。
白銀の毛並みを靡かせて、九つを尾を振れば、風が渦巻いた。
「ぎ、銀さん!?」
なんてこった……!銀さんはただの人妻ではなく、デカ強種族だったのだ!
蛟が啼き、獣が吼える。それだけで、空気がビリビリと震える。
そこからは、なんというか、もう、怪獣大戦争。
互いに噛みつき合いながら、爪を立て合い、炎を吐く。
ギャオオオオオ!ゴオオオオオ!
キシャアアアア!グオオオオオ!
ドッカンバッカン!
ドッコンバッコン!
頭が割れるような叫びに、思わず耳をふさぐ。
これが令和の妖怪大戦争。粉砕された柱の破片を避けるために身をかがめる。
「だいたい!お前は自分勝手なんだよ!」
「ああ!?テメェが人のこと言えんのか!」
「いつも靴下裏返して出すなって言ってんだろ!」
「朝帰りになるときは、連絡しろって言ってんだろうが!」
「束縛男は嫌われるぜ!」
「尻軽男は疎まれるぞ!」
「ひぃ〜!お助けを!」
怪獣たちのバトルに巻き込まれないように、僕は必死に逃げ惑う。狐が蛟の身体に容赦なく爪を立てると、ボロボロと剥がれ落ちた鱗が降ってきた。こんなの当たったら死んでしまう。
「はっ!ひっ!ふっ!」
ああ、人生で一生分くらいの運動量だ。明日にはスリムタイプになっているかもしれない。
「キシャアアア」
蛟が狐の喉元に食らいついた。そして、長い尾をその身体に巻き付けて、締め上げる。
「ぎ、銀さん!」
銀さんがピンチだ。それなのにーーそれなのに、ぼくは何もできない。悔し涙で眼鏡が濡れる。鼻水もでてきたので、お母さんが持たせてくれた鼻富豪で鼻をかむ。
「ぎ、銀さーー」
「放っておきな。夫婦喧嘩は犬も食わないって言うだろ?」
突然、背後から声がした。慌てて振り向くと、そこには死にかけの老婆の妖怪がいた。
「うわぁああ妖怪だあ!」
「アンタもだろ!」
老婆は呆れたように言いたがら、袖から煙草を取り出した。
「アタシはここの家主さ」
「え、ここ賃貸?そ、それより、え、夫婦喧嘩って、え?」
なんてこった。銀さんは蛟の人妻だったのだ!
衝撃の事実に僕は思わず眼鏡が割れる。
「今回の家出の原因聞いたかい?なんでもあいつらの養父が来るから、お茶請け買って来いって渡したお金を、銀時がパチンコで全部スったうえに、代わりに泥団子に幻術かけて出そうとしたらしいよ」
「ええ……
それは流石に銀さんが悪い。人妻とはいえ、擁護ができない。
「それに、もうすぐ終わるさ」
「え……
体を締め付けられながらも、狐も負けじと蛟の体を尾で叩く。
「シャアアア」
「キャオオオ」
蛟の尾が狐の顔面を、狐の拳が蛟の顔面に入る。
互いのクロスカウンターをまともに受け、叫びながら、ドシンッと巨躯が倒れた。
蛟も狐も、ぐったりとした様子で伏している。
「ぎ……銀時」
……っ、あ?」
それでも蛟がキッと狐を睨みつけ、狐もまた歯を剥き出しにする。
「今夜は……鯨の煮付けが食いてェ」
だが蛟が口にしたのは、それはこの場には場違いな夕食のリスエストだった。
狐は一瞬ポカンと間の抜けた顔をしたあと、ピンッと耳を立てて、そわそわとし始める。
「しっ……しょ……うが、ねぇなあ〜」
そして、落ち着かないように尾を揺らしながら、蛟の身体をツンツンとつつく。
「ったく、いきなり鯨の煮付け食べたいなんてワガママ言いやがって!そんなすぐに作れるもんじゃねぇんだぞ!」
悪態をつきながらも、その声は上ずり、どこか嬉しげだ。
「か、買い物行かねぇといけねぇじゃんかよ!ったく、ワガママ言いやがってよぉ〜」
言いながら、狐はーー銀さんはしゅるしゅると元の姿に戻る。
「え?え?」
「喧嘩の落とし所を示してやるのも、いい旦那のーー家族の条件ってやつさ」
「は、はあ……
「アンタもだけどね」
「え?」
老婆はフーと煙草の煙を吐いてから、僕に視線を向ける。
「アンタのこともおふくろさんから聞いてるよ。ったく、少し知り合いが多いだけのただのスナックのババアに、アンタを頼む……てさ」
「ママンから……?」
「まあ、銀時と一緒にいるとは思わなかったけどね……。アンタ、パソコンに詳しいんだって?」
「いや、詳しいというほどでは……でゅふ、インターネットサーフィンを少々嗜んでいる程度で……。あとは、パパンに無理やり受けさせられた一般レベルのMOSと基本情報技術者しか……ショボ」
「アタシら古い妖怪はそういうのに疎くてね。幸いなことに、ちょうどアンタの力を借りたいっていうツテがあるんだけど、どうする?」
……え?」
僕は思わず老婆の顔をまじまじと見る。
やはり、妖怪だ。
「は、働かせてください!」
「アンタ、名前は?」
「茂部雄耳雄です!」
「贅沢な名だね。あんたの名前はモブおじだよ」
「はい!」
こうして、銀さんが旦那さんとお買い物デートの準備をしている傍らで、僕が就職を決めたのだった。