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薫風相逢

――初夏の風に吹かれ、再び君に逢う。

謝憐と紅衣の公子。添い遂げて間もなくの花怜。
※蝶梦(原作新修版、ラジドラ)、番外編の内容を含みます
※設定はほぼ創作と妄想でできています



――――殿下!」
 意識がふわりと浮上し、目を開ける。
 霞む視界に、ほっとしたような、泣きそうな顔をした隻眼の男の顔が飛び込んできて、もっとよく見ようと目を凝らす。
…………さん、らん?」
「よかった。……目は覚めた?」
……ん、……ここは……?」
「極楽坊。三郎が連れて帰ってきたんだ。邪祟の幻術に掛かって、三日間眠ってた」
「三日……
 靄がかかったような頭の中が、次第に晴れてゆく。“夢の中”では一月ほど過ごしていたような気がするけれど、実際に経過したのは三日だったとは!
「起きられる? 苦しいとか、痛いところとか、違和感はない?」
「んん……頭がぼーっとして、身体がだるくて……力が入らない。寝すぎたせいかな……
「それは仕方ないね。……水。飲める?」
「うん」
 水を入れた小さな茶杯を手渡され、落とさないように手を重ねて、そっと口元まで運ばれる。冷たい水はひどく甘くて、からからに渇いていた身体に染み渡ってゆく。二杯目をゆっくりと飲み干して、ようやく一息つくことができた。
「任務に出たことは覚えてるよね?」
「ああ……辺境の村に、人を襲う邪祟が出るとかで……
「あの辺りには、もっと厄介な邪祟が棲んでるんだ。対象者を強制的に眠らせて、都合のいい夢に引きずり込み、精気を吸い上げ衰弱させる」
 謝憐の身体には、花城の濃い鬼気が身の奥深くにまで残っている。謝憐の夢でありながら、花城の気配が強く影響し、あのとき・・・・の続きのような、妙に現実味を帯びた夢を見ることになったのだろう。そしてあれはきっと――花城の心境だったのだ。
「しかも、外から干渉はできない。対象者が自力で目覚めるしかないんだ。……手遅れになる前に。……滅多に姿を現すことはないから気に留めてなかったけど……こんなことなら付いていくんだった」
 ぎり、と軋むほどに歯を食いしばる。
「任務に発つ私を送り出したのは君だろう?」
 場所も遠く、数日は掛かるだろう、そう告げればてっきり自分も付いていくと言うに違いないと思っていたのに、予想に反して彼は残り、謝憐を送り出したのだ。
「それは……
「三日経っても、五日経っても、通霊のひとつも寄越さなかったのはどうして?」
 花城は珍しく迷うように左目を揺らし、言いにくそうに小さく口を開いた。
……他の神官も同行するって聞いてたし、夜は疲れて寝てるかもしれないし……あなたの邪魔なんてできないよ」
「今更じゃないか。なにを遠慮することがあるんだ?」
「だって。………………嫌われたくない」
 消え入りそうな小さな掠れ声で、彼はぽつりと零す。
 かつては、ただ傍にいさせてもらえるだけで、守ることができるだけで、身に余る光栄だった。そのはずだったのに、今ではすっかり欲張りになってしまったのだ。
 伴侶の望むことだけをしたい。そうでないことはしたくない。重荷になりたくない。負担をかけたくない。煩わしい、なんて思われるのは絶対に嫌だ。
 ――そんな子どもの我儘のような思いばかりが先走って、欲のままに振舞えなくなってしまったのだ。
 言葉を発する前に考えなおし、動く前に一瞬足が竦んでしまう。愛し、愛されたいからこそ。
……
 花城はそれきり俯き、黙り込んでしまった。固く握り締められた冷たい手に、謝憐は自分の温かい手をそっと重ねる。
「ねえ、三郎」
…………はい」
 俯いていた顔がゆっくり持ち上がる。真白い額を、謝憐は指先でピンと軽く弾いた。
「『この意気地なし。言いたいことは言えばいいし、したいことはすればいい。手に入れたのなら二度と手放すな』」
……っ!」
 不安げに揺れる瞳を見つめ、頬を包んで、にこりと笑いかける。
「確かに伝えたよ」
……え?」
「邪祟が見せた夢は、確かに悪くなかった。……でも、夢の中に“君”はいなかったから。私はね、三郎。君と現実を生きたいんだ」
 夢は、しょせん夢でしかない。
 生きている以上、いつかは目覚めなければいけない。夢の中に囚われ続けるなら、それは死となんら変わりないのだ。
「私の帰る場所も、在るべき場所も、……君の隣だ。今も、これから先も……ずっと」
……うん」
 頬を包んでいた手をするりと背に回し、抱きしめる。とん、と背を叩くように撫でると、恐る恐る上がってきた大きな手が、同じように謝憐の背を抱いた。

……ところで哥哥、また“三郎クソガキ”に会ったんでしょ?」
 忌々しい、とばかりに顔を顰める彼を嗜め、苦笑する。
「その言い方は……あの子も君じゃないか……
「“俺”じゃなければ別物同然だよ。それより哥哥……あいつにしたのと同じこと、この三郎にもしてよ」
「なんだ? ……妬いてるのか?」
 ぷいとそっぽを向き、むくれる。その表情は、あの少年にそっくりだった。
「そうだよ。気に入らないんだ。……あなたの隣にいるのはなのに」
 くすりと笑い、わざとらしく膨らませた白い頬を、指先でつんと突く。
「ふふ、そんなかわいい顔しないで。揶揄いたくなるだろ? ……心配しなくても、君が考えてるようなことはしてないよ」
「俺が考えてるようなことって?」
「んー……、こういうこと!」
 首に手を回して引き寄せ、唇を塞いだ。不意を打たれて目を丸くする彼をさらに抱きしめ、開かれた唇のあわいから舌を差し入れる。やがて応えるように花城のそれがぬるりと絡まり、こすれ合うたびに立つ水音が、艶やかに耳を打った。
「ん、……ん、っ」
……っ」
 鼻から抜ける声が、吐息が、どちらのものか、もうわからなかった。溢れる唾液を吸い上げ、甘いそれを飲み込んで。こくりと上下する喉を伝い落ちる唾液を指先で拭って、ふたりはようやく唇を離した。
……は、ぁ……っ」
……哥哥」
 伴侶が身体を離そうとするのを許さず、引き寄せてぎゅうと抱きしめる。
「こんなこと……君にしかできないし、したくない。私の“三郎”は……今ここにいる“君”だから」
……
「だから、もっと甘えてもいいし、困らせてくれたっていいし、我儘だってたくさん言えばいいんだ。君は私のことばっかり優先してくれるけど、君自身の望みもたくさん聞きたいよ。想いを交わすってことは……伴侶になったってことは、そういうものだろう?」
…………うん」
 想い合うことも、身も心も捧げ、貰い受けたいと願うことも、お互いに何もかもが初めてで、手探りだ。ときには失敗することもあるし、空回ることもあるだろう。臆病になることもあれば、抑えきれない思いを抱えて、はち切れそうになることだって、あるかもしれない。そのすべてを、愛するひとと共に乗り越えてゆきたいと思うのだ。
 花城は首筋にすり、と顔を寄せ、囁いた。
「ねえ哥哥、もっとして?」
…………言っとくけど、三郎あの子にはこんなことはしてないよ?」
「気が変わった。あいつにしてないことを、俺にしてよ」
……やっぱり君は顽皮だな」
「ふふん、それって褒め言葉?」
 困ったように眉を下げながらも、こぼれる笑みは隠せない。望まれるまま、伴侶の笑んだ唇にそっと口づけた。

  ◇◇

 後日、万神窟。
 謝憐と花城が一緒になっている像がたくさん並ぶ中に、また一対の像が追加された。
 馬に乗った少年が手綱を引きながら、人を肩に担ぎ上げている、というもの。それはまさに、“薬師”と“紅衣の公子”の最初の出逢いの一瞬を写し取ったものだった。像でありながら躍動感にあふれ、楽しげに大笑いする公子とは対照的に、薬師は慌てふためいた表情をしている。謝憐は目をまん丸に見開き、一瞬で赤く染まった頬を、叩く勢いで覆った。
「なんっ……! ……なんでこの時を彫ったんだ! 他にもあっただろう!?」
「だって、あのときの慌てた道長哥哥の顔、すっごく愛らしかったんだもの。残しておきたくて」
「〜〜〜〜ッ!」
「“したいことはすればいい”んでしょ? 俺が作りたいものを作っただけ。なにか問題ある?」
 そう言われてしまっては、謝憐には返す言葉がない。なにも言えない代わりに、楽しげに笑う白い額を、指先で弾いてやった。