薄く目を開けると、見慣れた幕屋の天窓から光が差していた。
あの光の向こうで、誰かと話をした気がする。誰と
……何を話したっけ?
「バツー様! うわああああんバツー様あああぁぁぁぁ~~!!」
「グフッ
……! いって、痛いって! ハクヤク!?」
「おじさん! おじさん~~~~っ!!」
「グハッ! 今度は何だピーターか!? お前はマジで重いんだよ!」
寝起きにいきなり伸し掛かられて体中に痛みが走り、何故か力が入らず身動きができない。それも構わず二人はバツーを潰しながらおんおんと泣き続けている。
嬉しい記憶が思い出せそうだったのに、全部吹っ飛んだじゃねぇか。というか何がどうなってる??
「おじさん、良かった! 痛いとこ無い?」
「いやあちこち押されて痛ぇよ
……」
「傷は塞がったけどまだ痛覚に残ってるのかも。きっと新しい血を内臓に届けるのが最優先で後回しにされちゃってるのよ。血が殆ど入れ替わって、体が頑張って適応しようとしてくれてるから、しばらく我慢してね」
(
……何か凄い冷静だな
……ほんとにアズィーザかこいつ?)
ふとアズィーザが横を向くと、持っていた布で鼻を押さえ込んだ。
「
……おい、大丈夫か? 鼻血出てんじゃねぇか」
「平気よ、これくらいで済んだのは幸いだと思うべきかしらね。収穫もあったし」
「?」
「自前で新術を開発できちゃったなんてラッキー過ぎる
……術研の経費が浮いたわ、うざったい貴族達にも実績としてお披露目できるし
……見てなさいよ、もう田舎の小娘とは言わせないんだから
……とは言えちょっと負担が大き過ぎるから禁術扱いにすべきかしら。ああでも、あの全身が焼き切れるような感覚
……快感かも
……フフフ
……」
ブツブツと独り言を言い、不気味な笑みを浮かべながら幕屋から出て行った。
帰ってくるたび人格がコロコロ変わってる気がするが大丈夫なのかよあいつ?
ふと、幕屋の隅の方に気配を感じた。伸し掛かる二人の隙間から目をやると、膝を抱えて座り込んだアルタンがいた。小さくこぢんまりと、それに背景と同化して驚くほど存在感が無い。顔を膝に押し当てていて表情は見えず、横にファティマが付き添って背中をさすっている。
「
……何やってんだアルタン
……」
ふるふると首を振り、こちらを見ようとしない。
「バツーが無事で嬉しくて泣いてるのよ。ずっと付き添ってたんだから。ほんと可愛いわよね」
よしよし、と頭を撫でて抱き締めると、うぅ
……と小さく呻いている。
こんなんが族長で大丈夫かよ。同盟とかいいからお前は一生その隅っこで暮らしとけ。
「バツーさん、目が覚めたんですね。良かったわねテリー!」
「
……ああ。家主よ、体に異常はないか」
幕屋に入ってきたトパーズとテリーに声を掛けられた。
未だに体の上で泣き続ける二人の圧力が異常だと伝えたい。
「
……こいつらが退いたら痛みもなくなるだろうよ」
「ふふっ、問題ないみたいですね。でも二人にはちゃんとお礼を言ってあげて下さいね。皆交代でずっと回復術をかけてたんですよ」
「
……そうなのか?」
「うぅっ! バツー様、三日間も
……ずっと死んだように眠ってらっしゃって
……!」
「うっ! 死んだようにじゃなくて、完全に死んだんですよハクヤク君
……」
「マジか、完全に死んだのかよ俺?」
「テリーから全部聞かせて貰いました。おそらく毒の影響で失血死された後、陛下とピーターの蘇生術で息を吹き返されたと
……奇跡としか言いようがありません。陛下の命懸けの合成術が無ければ、どうなっていたか分かりませんよ」
目をくるくるさせるバツーを見てトパーズが説明してくれた。それをきっかけに少しずつあの時の記憶が蘇ってくる。
確か土砂降りの雨で、氷のように冷たい感覚が残っているが、抱き締められたような温もりも覚えている。
(そういや、格闘家とは色々話したっけな
……)
内容は朧げにしか覚えてないが、何か恥ずかしいことを言った気がするような、そうでもないような
……。
じっと格闘家を見つめると、突然仮面の下から大量の液体がダバーっと滝のように落ちてきた。
「うわっ、何なんだお前!? このタイミングで泣くのか!?」
「うっ、す、すまない
……家主の元気そうな姿を見ると安心してしまって
……少し席を外すっ」
両手で仮面を覆いながら、そそくさと逃げるように出て行った。
仮面を押さえても意味ないだろ、めちゃくちゃ滴ってんだよ。
各方面の対応でどっと疲れたが、一通り馴染みの顔を見終わり、バツーはある事実に気付いた。
「野郎ばっか泣いてやがんな
……大丈夫かよこの村は
……」
「ふふ、女性はこういう時強いのかもしれませんね」
「
……なんか分かる気がするぜ」
『いつまでもウジウジしない! いい加減前を見てよね!』
胸の上にあるハクヤクの髪の色で思い出した。ずっと会いたかった彼女に会えたのだと。
(あいつも
……助けてくれたんだな
……)
彼女と同じ明るい色の髪を撫でると、小さな頭をすりすりと首の辺りに押し付けてくる。
「あっズルいです! 私も撫でてください!」
「ピーター様、不可能です! 定員オーバーです!」
二人の頭が顔面に寄ってきて押し返そうとしたが、まだ回復しきっていないのか腕に力が入らず、顔を仰け反らせることしかできなかった。
「ちょっと待てお前らこっち来んな!
……いって! おい鼻の骨が折れたぞ今!!」
「そんなの後でいくらでも治しますから、今は痛みに耐えて私を優先して下さい」
「怖っ! お前の発言いちいち恐怖なんだよ!」
「そうですピーター様、また死んでしまいますよ!」
「安心してください、何回死んでもすぐ生き返らせますから」
「だから怖ぇよ! 聖騎士の癖に人の道に
悖るようなこと言うんじゃねぇ!」
トパーズは肩をすくめながらその光景を見守った。
変わらずわいわいと響く声に、アルタンはぐし
……と鼻をすすりながら面を上げた。もう駄目かもしれないと思っていたバツーが、ちゃんと目の前で喋っている。
「アルタン、大丈夫?
……安心して、バツーはちゃんと帰って来てくれたから」
「
……ああ
……」
元気そうに喚く姿を見て、心臓が握り潰されるような圧迫感が消えてゆく。
二年前の悪夢が蘇り、あいつの二の舞になるのではと、目を覚ますまで生きた心地がしなかった。
「それにしても、一匹狼だったバツーにこんなにお友達ができるなんて嬉しくなっちゃうわね。
……あ、でも年齢的に子供達って言うべきかしら」
アルタンはファティマの横顔に目を移した。嬉しそうに笑う彼女は、あの時もこうして寄り添ってくれていた。
「
……なぁ、ファティマ
……」
「ん?」
「一緒にいてくれて
……ありがとう
……」
「
……ふふ、どういたしまして」
賑やかな声が広がる幕屋で、二人は見守るように隣り合い佇んでいた。
バツーが目覚めた次の日、テリーは体調を窺いにバツーの幕屋を訪ねていた。自力で半身を起こせる程には回復しているらしく、布団を腰まで掛けた状態で寝台に座っている。仮面の下で様子を確認しながら安堵の息を吐いた。
今日はどうしても伝えたいことを話そうと、側にある椅子に腰掛けた。
「家主、すまなかった
……俺は結局、何も出来なかった。必ず助けると言ったのに
……」
「
……んなことねぇよ。お前が来てくれたおかげで、最期が
……一人じゃなくて良かったって思えたからな」
「そうか
……ならば、良かった
……」
「それにあいつらから聞いたぜ、ずっと蘇生させようとしてくれたんだろ。
……ありがとな」
「いや、あれは皇帝のお陰だ
……俺は咄嗟には何も出来なかったんだ、頭が真っ白になってしまって
……情けない
……」
「
……相変わらず律儀だよな、お前は」
苦笑しながら、いつものように八重歯を覗かせている。あの時の蒼白な顔が嘘のように色付いており、また安心した。
以前より若々しくなったと女性陣が話していたのだが、テリーも同意見だった。肌には艶があり、僅かにあった目の下の皺も消えている。手の甲や頬も若干ふっくらしたような印象を受け、まるで時間が巻き戻ったような錯覚が起こる。元々若造りではあったが、自分が見ることの出来なかった時代の姿を見られたようで、何と言うか嬉しい。
女性陣からは「恋してるの?」と問い詰められ「断食と瀉血効果だろ」とあしらったそうだが、若返りの秘訣を知りたいとしつこく問い詰められてうんざりしているのは知っていた為、テリーはその話題には触れなかった。
「魂の人間、と言っていたな
……興味深い話だった」
「そういや話したなそんなこと。ただの地方の迷信だ、忘れていいぞ」
「いや、俺は思ったんだ
……家主が、皆の最期を看取る者だと言うのなら、俺は
……俺が、家主の最期を看取る者になると」
バツーはきょとんとした顔でこちらを見た。
「お前
……何言ってんだ?」
「帝国では長期休暇が取れることもある。その度にこの村へ来よう。家主の様子を見に」
「
……そんなん必要ねぇよ、アズィーザに付いててやってくれ。それに親がまだ生きてんだろ、ちゃんと里帰りしろ」
「俺の気が済まないんだ。それに俺は
……あの時決めた。家主を、決して一人にはしない、してはならないと」
「
……お前、よくそんな小っ恥ずかしいこと言えるよな。仮面被ってるから言いたい放題かよ」
「俺はいつもこんな感じだが
……それに息を吹き返したとは言え、一度は家主を看取ったんだ。俺にもその役目が回ってきている気がしてな。術が使えず役に立てなかった分、何か家主の力になりたい。だから少しでも、家主の負担が軽くなればと思ったんだが
……」
「あ~あ~分かったよ! そこまで言うなら好きにしろよ!」
プイッと背けた顔は髪で隠れていたが、少し赤くなっているのが見えた。
「
……言っとくが、こうなった以上俺は長生きするぞ。こういう勘は当たるんだ。せいぜい俺より先にくたばらねぇよう頑張るこったな」
「ふ、承知した。
…………バツー」
消え入りそうに小さく、あの時求められたように再び口にしてみた。するとバツーは凄い勢いでこちらへ振り向いた。
「お、お前、今なんて
……」
「名前を呼んだだけだ、バツー」
「! ちょ、やめろ! なんかくすぐったい! ゾワゾワする!」
「何故だ? お前がそう呼べと言ったんだろう」
「俺が!?」
「ああ
……覚えてないのか? 求められたからバツー殿と呼んだが、呼び捨てでいいと言うから
……」
「!?」
テリーにとっては忘れ難い心の交流だったのに、当の本人は覚えていないと分かり少し悲しかった。
けれど珍しく言葉を失い、寝台に座ったままあたふたと変な動きをしながら赤面する姿は微笑ましく、追い討ちをかけたくなってしまう。あの時の仕返しだと言わんばかりに。
「こう
……優しく頬を撫でながら懇願してくれたな
……それにお前は満足そうに微笑んでいたぞ。嬉しかったんじゃないのか?」
「
――――っ!!」
バツーの失っていた記憶が蘇ってくる。
言った、確かに言った。というか何で死に際にそんなこと言った!?
「
……バツー?」
「言うなっつってんだろ馬鹿野郎が!!」
「何故だ? 俺はお前の命令に従っただけだが
……背くと無礼極まりないんだろう、確か」
「うっせぇ!! あっち行け!!」
言いながら枕をブンブンと振り回して攻撃してくる。天性の動体視力でそれを躱しながら、これ以上は可哀想かと思い席を立つことにした。
「分かった、もう行くから
……一つだけ、俺の頼みも聞いてくれないか?」
「あ?」
「まだ俺の名を呼んで貰ってない。格闘家じゃなく
……ちゃんと本名で呼んでほしい」
「何でだよ!?」
「お前も同じことを言ったんだぞ。家主じゃなくて、ちゃんと名を呼んでくれと
……俺はちゃんと応えたんだから、バツーも
……」
「っ
……だからもう言うな!! あれは何と言うか気の迷いというか
……!」
「
……寂しかったんじゃないのか?」
「ばっ!? 馬鹿言えこの筋肉! 筋肉馬鹿!!」
「さっき言ってたじゃないか、最期が一人じゃなくて良かったと」
「~~~っああもう分かったよテリーテリーテリーテリー!! ほら言ったぞ早く行け!!」
終いには枕をぶん投げられたが片手で受け止め、必要だろうと、軽く投げ返してやる。受け取った枕にそのまま突っ伏して顔を隠されたが、耳が真っ赤になっているのを見て思わずニヤけてしまった。仮面があって良かったと、初めて龍の穴の掟に感謝した。
更に数日が経ったが、アズィーザ達はアバロンへ帰ろうとしなかった。力技で不可能と言われる属性の合成術を使い、その反動かアズィーザの体の調子が戻らなかったのだ。
もう皇帝疲れた、しばらく実家でゴロゴロしたい、人生の中休みを満喫したいなどと誤魔化していたが、油断するとすぐ鼻血を出すことは隠しきれていなかった。それを見兼ねてピーターやトパーズ、ハクヤクが回復術をかけながら、時間をかけて療養することに決めたようだ。
そんな中でも毎日バツーの幕屋を訪ねることは欠かさずに体調を気遣ってくれる。魔力が戻ったからと、自分の不調も顧みず回復術を掛けてくれている。
子供の頃はあんなに自己中で皆を困らせる暴れ馬だったのに、思い遣りのある大人に成長して
……とバツーは感慨深くなってしまった。伝承法のせいかは分からないが、人間的に大きく成長している様を見せつけられ、まるで自分の娘のように誇らしく感じた。
あの時の礼を言うと「新術生み出せたからチャラにしてあげる♡」と上機嫌で返された。貴族やら術研とやらの資金繰りも考え大変だろうに、多くのものを背負いながらも前向きな姿勢に敬服の念を持った。
歩ける程に回復し、少し足を慣らそうと幕屋の中を歩き回っていると、机の上に置いてあった手紙が目に留まった。
そういえばまだ返事を書いていなかった、と思う隙もなく体が勝手に動き出した。気付いた時には筆記具を手にしていた。
口は達者なものの、いざ文にすると何を書けばいいか分からなくなるバツーだったが、今日は何故か驚くほど筆が進んだ。とりあえず近況報告でもしてみようと、何かに突き動かされるように手は滑らかに動き、スラスラと長文を書き綴ってゆく。
一回死んだって書いたらビビるか? と悪戯めいた笑みを浮かべたが、流石に心配させ過ぎるだろうと思い直した。
あっという間に一通の手紙が完成した。かつてない大作の出来栄えに、今度はどんな返事が来るかと想像しながら、揚々と封を閉じた。
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