ホリオのメンタル崩壊してるので推しの方はご注意下さい
おじさんのこれまでの要素が含まれます
死ネタ、流血シーン、オカルト要素有り
最後のページにイメージ図がのってます
◆出てくる人達
土砂降りの雨の中、バツーは一人草原を彷徨っていた。
既に日は落ちていて、松明も落としてしまった。夜目と長年の経験だけでただひたすら歩き続ける。
連れていた愛馬は事切れ、今は魔物の餌となっているだろう。その間にこの場を離れようと、傷口を押さえながら少しでも遠ざかるため必死に歩いた。羊十頭と交換した駿馬だったのにと、痛みを紛らわせるため無理矢理悪態を吐こうとするが、残念ながら声に乗せる余裕はない。
腹が焼けるように痛む。太腿も、上腕も、他にも自覚できていない傷があり満身創痍だった。雨で体温が奪われ、荒い息は細切れて霞のように消えていく。
それでも生き延びようと歩き続け、ある廃屋の跡に辿り着いた。無謀な誰かがここに家を建てようと試みたのか、基礎と骨組み、屋根と三面の壁しかない、到底家とは呼べないような建造物だった。
子供の頃にアルタン、ファティマ、アリアとよく隠れんぼをして遊んだ場所であり、急な雨に打たれた際も避難場所として使っていた場所。あの頃より更に朽ち果てて風が吹きすさび、至るところから雨漏りしているが野ざらしよりはマシだろう。
武器である鉈を落としてしまったため、奥の方から手探りで剣ほどの大きさの建材を探し出してきた。それを万が一の時の備えとして傍に置いた。
壁にもたれながら座り込んだ地面は、雨で湿気ており冷たさが伝わってくる。目を閉じながら顔を上げて、浅く荒い息を落ち着かせようとする。止血のためターバンと肩布、それから腰帯も外して、傷に巻き付け強く縛りあげた。途端に走る激痛に呻き声を上げる。
バルザイの一件以来、水場の哨戒は欠かすことはなく、今日は担当の者が不調のためバツーが代わりを買って出た。二名体制で行っていたが、馴染みの縄張りだから一人で行けるだろうと断り、それが裏目に出てしまった。地上戦艦が撃破された後は魔物の数も減少しており、集落周辺に群れはいないと報告も受けていた。
その二重の油断が窮地を招いた。遭遇した魔物の群れはどいつもこいつも狂暴で、腕には自信があったが取り囲まれて先に馬をやられ、それからは防戦一方になってしまっていた。
更にこの大雨である。戦闘中に降り始め、おかげで血の匂いは薄れて魔物の追跡を逃れられるかもしれないが、外套もなく長時間打たれたせいで体温の低下が著しい。
腹の止血帯にした肩布は背中側まで血に染まって一向に収まる気配がない。刻一刻と、血と熱が奪われていくのを感じる。
(何で止まらねぇんだよ
……)
魔物の牙を受けたが、毒が含まれていたのかもしれない。太腿も上腕も、変わらずどくどくと血を流して、座り込んだ地面に徐々に広がっていく様をただ眺め下ろした。
(
……ここで
……死ぬのか)
雨のせいで更に気温が下がり、これから長い夜を乗り切れる自信がなかった。アルタンには日暮れまでには戻ると伝えたが、この大雨では松明の火も小さくなり、馬の足もぬかるみに取られてしまう危険がある。二次被害を出してまで捜し出してくれる可能性は低いだろう。
限界かもしれなかった。先ほどまで焼けるように熱かった腹の傷も、その熱を感じられなくなってきている。
……それでもいいかと、自然と受け入れてしまいそうになる。何よりこの辛さを耐えて生き延びる程、自分の人生に意味があるとは思えなかった。
族長代理として皆を守り、村へ貢献している自覚はあるものの、生きる上での心の核となるようなものが抜け落ちている気がする。
両親は子供の頃に死別している。伴侶も既に亡くなり、さらに義父義母も世を去ってしまい、共に幕屋で過ごす家族はもう残っていない。現在は唯一ハクヤクが共に寝泊まりしているが、シゲンに与えられた課題の期間が過ぎればお別れだ。アズィーザ達もサラマット方面から戻っておりパーティの男性陣を泊めているが、彼らもじきここを去るだろう。そうすればまた一人の生活が始まるのだ。
アルタンとファティマには悪く思うが、子供の頃から死と向き合い続けたせいか、自分がその時を迎えることへの抵抗はあまりない。
それでもできれば安らかに逝きたい、誰かに看取られて逝きたいとは思っていたが、もうそれも叶わないだろう。
脳裏にピーターの護衛達が獣に食い荒らされていた光景がよぎり、自分は多分そっち側だろうなと嘲笑した。雨で血の匂いが誤魔化されているとは言え、ここもいつ獣が寄ってくるか分からない。それか出血多量で死ぬのが先か
……そう考えると後者の方がマシだと思える。
どれだけ時間が流れたのだろう。痛みの感覚も遠のいてきて、寒気で体の震えが止まらない。油断すると眠りに落ちてしまいそうになる。
死に抵抗はないもののもう少し耐えてみようかと、拳を地面に打ち付け眠気を覚まそうとしている時、何かがこちらへ近付いてくる気配を感じた。感覚が敏感なバツーは瀕死状態でもそれを察知し、咄嗟に側に置いてあった建材を手に取る。
「
……家主、無事か!?」
「か、格闘家
……? 何で
……」
雨避けの外套はびしょ濡れで、馬から降りて雫を垂らしながらこちらへと寄ってくる。夜にも拘らず仮面を付けており、ほんとに寝る時以外は外さないんだなと、場違いな感想を抱いてしまった。
「族長殿が捜索隊を組んだ。皆、家主を探している」
「アルタンが
……? こんな夜中に、危ねぇだろが」
「腕の立つ者のみだ。ハクヤクは族長の奥方と集落に残っている、安心しろ」
「いや、誰でも危ないってんだよ。月も出てねぇんだぞ」
「言われてみればそうだな。誰も異を唱える者はいなかったが」
「
……そうかよ」
希望は捨てていたものの、見知った男が現れ、そのうえ皆の名前を聞き、安心してしまった自分がいる。未練がましいと、うすら笑いを浮かべた。
緊張の糸が切れたのか意識が飛んだ。首がカクンと下へ落ちる。
「家主、しっかり
――」
テリーは側へ寄って膝と手を突くと、地面に似つかわしくない嫌な音を立てた。そして何かが手に付着している。生ぬるい、何か。
勢いの弱い松明で確かめると、それが血液だと分かった。
灯りをバツーの方へ向けるとテリーは息を呑んだ。体の至るところから出血し、周囲の地面を深紅に染め上げている。
「家主、家主! 目を開けろ!」
「
……ぅ」
肩を軽く叩くと、小さく呻いて意識が戻った。
「すぐ止血する、待っていろ!」
連れていた馬に戻り野営用の布類と二本の傷薬を取り出した。自分で止血帯を巻いたようだが、その下に傷薬を染み込ませた布を挟み入れ、上から止血帯を追加し一番大きな腹の傷を圧迫する。上腕と太腿も同じように処置を施していく。
「これを飲め、一本しかないが
……少しは違う」
蓋を開けて残りの一本を差し出した。視線は朧げに漂い、手が震えて自分で持つことが出来ないようだ。見兼ねて口元に瓶を当てて少しずつ流し込んでやる。とくとくと音が鳴り、時間をかけて全て飲み終えたのを確認した。
暫くすると少しは体力が回復したのか、目の焦点が定まって、先程より意識がはっきりしてきたようだ。
「
……寒い
……」
いくらか感覚が戻ったのか、唇は紫になっておりガタガタと震えている。
テリーは外套を脱いで凍える体に巻き付けると隣に腰掛けた。バツーの体が冷たい地面に接しない様に、血まみれの体を横抱きにして抱え上げ、自分の下肢に乗せるようにする。
「
……お前、体温高ぇな
……ハクヤクみたいだ」
「普通だ、家主が冷たいだけだ」
「
……そうかよ」
バツーは気のない返事をした。ぶっきらぼうに応えつつも、その温もりに安心している自分がいる。もう助からないとしても、最期だけでも孤独ではなく良かったと思える。
眠らないように目を開けたまま、壁のない入口の向こうに広がる闇を見つめた。変わらず雨は降り続いている。抱いている男の体温が少しずつこちらに移り、忘れかけていた人肌の心地よさを思い出せた。
ぬるい感覚にしばし身を預けた。
聞こえるのは雨の音。男の厚い胸板に顔を預けて耳を澄ますと、その中に小さく男の鼓動が重なる。自分のものではない、他人の命の音。子供の頃に聞いた親の音も、きっとこの音だったのだろう。
奇妙な感覚だ。今際の際にあるというのに、こんなにも心は凪いでいる。いくら死に抵抗はないとはいえ、両手を広げて迎え入れる程には悟りを開いてはいない。
それならきっと、誰かが傍にいてくれるから。これから迎える死よりも、その安らぎの方が上回っているからなのか。
ふと視線を頭上に上げると、いつもの奇妙な仮面がじっとこちらを見つめているのに気付いた。
「
……少しはマシになったか?」
「ああ
……」
「火を起こしてくる。少し待っていろ」
テリーは振動させないようにバツーの体を地面と壁に預けさせ、適当な木材を掻き集め始めた。バツーに近い場所に置いて松明の火を移すと、地面が湿気てはいたが幸いにも種火が勢いを増した。
先程より光量が増え、バツーの状態の悪さがはっきりと分かってくる。
処置をしたにも拘らず出血が止まっていない。地面は赤い泉のようになり、川を生み出そうとするように入り口側へじわじわと伸びてきている。
(何故だ、何故止まらない
……?)
一番大きな腹の傷は止血帯を二重にし、かなり強く圧迫しているはずだ。にも拘らずそれすら深紅に染め上げてきている。
テリーは膝をついて腹と太腿の傷を押さえたが、それでも止まる気配がない。通常では考えられない出血量だ。毒か何かが体の機能を阻害しているのかもしれない。傷薬には解毒作用があるものの、効かない類の猛毒の恐れもある。
バツーの顔を確認すると、再び意識を失っているのか目を閉じ、項垂れていた。
「火が付いた、じき皆が来てくれる、それまで耐えるんだ!」
強く声を掛けると再び目を開けて、テリーは胸を撫で下ろした。
この状態で馬に乗せれば振動で更に出血するだろう。集落までは距離があり、途中で術を使える誰かに出会える保証もなく、大雨で体温も奪われる。全てを天秤にかけ、今はここに留まるしかないとテリーは判断した。
「
……なあ、寒い
……さっきみたいにしてくれ」
「しかし、動かすと」
「いいから
……さっさとしろ」
少し迷ったが、先程のように横抱きにして、なるべく火に近い位置に座った。片手で背中を支えて、足で下半身を抱き込むようにしながら、空いた手で腹の傷を押さえ続けた。既に痛みを感じないのか強く押さえても表情は変わらない。このままでは危険だと分かってはいるが、今は術を使える者が来てくれるのを待つしかない。
再び体温を感じて安心したのか、深く息を吐いて首元に頭を預けてくる。普段怒鳴り散らす姿からは想像できない弱々しい姿に、テリーは心を痛めた。
無言が続いた。降り続く雨の音の中に、時折火がはぜる音が混ざる。
意識があるか確認すると、先ほどは闇を見ていた瞳が絶えず火に向けられているのが分かった。火を見ると生命力が呼び覚まされると聞いたことがあり、その様子にテリーは少し安堵した。
「
……お前、故郷はどこだ」
視線は火に向けたまま、バツーが静寂を破った。
「ニーベルという街だ。アバロンより南の小さな街だ。田舎だが
……皆優しくいい街だ」
「
……家族はいるのか?」
「両親と、兄もいる」
「へぇ
……兄貴も、お前みたいに筋肉の塊なのかよ」
「いや、俺ほどではないな、兄は龍の穴の人間ではないから」
「そうか
……」
「
…………」
テリーはこんな時に口下手な自分に辟易した。バツーの容態が気がかりなこともあるが。
「
……家主は、家族は」
「
……ガキの頃両親が死んで、その後娶った嫁も死んだ。そっからは一人だ」
テリーは何とか話を膨らませようと質問したことを後悔した。
「
……辛いことを話させてしまってすまない」
「別に構わねぇよ
……それにな、村のババア共が言ってたんだよ。そういう天命を持って生まれる奴もいるってな
……どうも俺はそれらしい」
「
……人の死を看取ることがか?」
「そうだ。やたらと早死にが多い家系には、そういうのを全部背負って生きていく奴も生まれるんだとよ
……特に両親が早くに死んだ奴はな。なんか知らねぇが先祖に因果があって、それが縺れたままで解消出来てねぇと子孫に来るんだと。周りはバタバタ死んでって、そいつらの面倒見たり埋葬したり
……そういう奴のこと〝魂の人間〟って言って、それが俺って訳だ」
「そんな
……」
眠らないように喋ろうとしているのか、おそらく普段であれば話してくれないような事を聞かせてくれる。辛い内容なのに淡々と、さもあらんと言うように言葉を綴っている。
「アルタンの親も早死にだったが、あいつにはファティマがついてるからな
……俺と一緒で血が色々と強ぇから、ファティマが生きてる限りあいつの周りは心配ないらしいぜ」
「族長殿もなのか」
「俺とはちょっと違うが、産まれてすぐお袋が逝っちまったからな
……それも良くないんだと。そのまま丸っと子供に来ることもあるらしいからな。そういう奴は生きる上で色々苦労するんだとよ
……あいつの生き様見りゃ分かると思うがな」
「アバロンでは聞き慣れない話だ
……」
「まあ、俺も若い時は迷信だと思って本気にはしてなかったが
……最近、やたらと身近に感じるんだ。それに
……もしかしたらアリアを
……俺が巻き込んだんじゃないかって」
聞き覚えがある名だった。確か以前ピーターから、バツーの亡くなった伴侶のことを聞いたような気がする。
「
……だから俺はもう、誰とも結婚はしないと誓った。ピンときたのがあいつしかいないってのもあるが、もう
……身内が死ぬのを見たくないんだよ。だから今は
……別に死に急いでる訳じゃない、でもいざそんな時が来ると、何というか
……ホッとするもんだな」
「そんなこと
……言わないでくれ」
バツーは腕に抱かれたまま、炎から目を逸らして仮面で隠れた顔を見上げた。見えないはずなのに、悲しそうな顔をしている気がする。
「
……でもその最期にいるのが、縁もゆかりもない帝国の格闘家とは
……人生何が起こるか分からねぇな」
「最期じゃない、必ず助ける、だから
……」
「
……いいって。こんなおっさんが一人死んだところで
……誰も困らねぇよ」
「困るに決まってる! きっとピーターは情緒不安定になるし、族長殿の同盟も途中なのだろう! ハクヤクも、皆も悲しむ。生きていてくれなくては困るんだ!」
「
……俺の役目は
……ピーターを助けたとこで終わってんだよ
……今になって、分かるんだ
……あいつを生かす為に俺は生まれてきたんだってな。あいつがいるおかげで
……カンバーランドとの縁も繋がった。だからもう
……」
「違う! 家主はまだ
……!」
「
……十分だ
……十分見送った。もううんざりなんだよ
……」
もしかしたら、傷薬の効果がないのは死を受け入れ過ぎているからかもしれない。気力と体力が奪われているせいか、何としてでも生き延びてやると、そんな気概を今の彼から感じ取れなかった。
あの広い幕屋で、一人佇む背中が浮かぶ。
いつも皇帝と共に集落を訪れる時は彼の幕屋が賑やかになる。でもそれ以外の時はどうなのか。
たった一人で、皆の最期を看取る天命など、あまりにも
……寄る辺なく、
心悲しい。
「
……?」
仮面の下から、雫がポタリと頬に落ちてくる。
「
……泣いてんのか?」
「家主がいなくなったら
……俺は
……」
続きが言えない様子を見かねて、バツーは血に濡れた指先でそっと仮面に触れた。
「なあ
……また顔見せてくれよ」
「
……駄目だ、今は
……みっともない顔をしている」
「んなこと気にすんな。最期の頼みだ」
「だから、最期など言うなと
……」
「じゃあ家主の命令だ
……いや、皇帝の親族にしとこう
……命令に背くなんざ無礼極まりないぜ?」
しばし戸惑って、テリーはゆっくり仮面を上げた。あの時そうされたように、今度は自分で頭の上まで引き上げた。
「
……やっぱいいツラしてんな
……あんときゃ悪かったよ。どうしても顔が見てみたくて、結局貶しちまった
……軍師に言わせりゃ
……名誉毀損って
……やつだなありゃ
……」
「いいんだ。家主が望むなら、いくらでも
……」
「
……へっ、嬉しいねぇ
……」
苦笑しながら寒さに耐える様に眉根を寄せて瞼を閉じ、言葉が消える。
「家主
……家主、しっかりしろ!」
「うる、せぇ
……聞こえてる
……」
重そうに瞼を開けると、外套の中から震える腕を伸ばしてくる。そっと撫でられて、頬が血で彩られた。
その手の冷たさにテリーの心臓が止まりかけた。見れば顔色が一段と白くなり、抱いている体温も急激に下がっていくのを感じる。
「頼む、家主
……こんなところで
……」
「
……なあ
……家主じゃなくて、ちゃんと
……名前、呼んで
……くれよ」
撫でていた手が止まり、掌で感触を確かめる様に頬骨の辺りを優しく押される。懇願するような、そんな動きに思えた。
「バツー、殿
……」
もうほとんど感覚もない。それでも不思議と、胸がこそばゆい気がする。
掌に僅かに感じるのは、血の通ったあたたかな肌。
当たり前に感じるそれは、この男の祖先達が
徒し世を生き抜き、受け継ぎ、連綿と作り上げてくれたもの。
内なる淵源が創造したものにこうして触れて、心を通わせることができている。
生まれるも死ぬも、一人だと思っていた。けれどもしかしたら自分も、誰かにそれを与えていたのかもしれない。生きてさえいれば、これからもきっと
――。
こんな時でなくても、気付ける時は幾らでもあったのだろう。何もかも遅いが、教えてくれたこの男に感謝を伝えたい。
でも、何だか自分たちには相応しくないような。
「
……何だよ、他人行儀だな
……呼び捨てで
…………いいっつーの
……」
「
……バツー」
これでいいと、ふっと微笑んだ。
いつもの険しい面差しは消え、安堵するような、柔らかな表情だった。テリーは滲む視界に、最後の感情を垣間見た。
刹那、頬に添えられた力が抜けたのを感じ、するりと落ち行く手を咄嗟に掴んだ。
「ダメだっ
……! 意識を保つんだ!」
「
…………」
「バツー、
――」
脱力し、横に逸れた顔をこちらへ向けさせて、言葉を失う。
うっすらと開かれた漆黒の瞳はもう何も映していない。
雨風の音も、火がはぜる音も、何もかもが消えた。
ぬるい涙がパタパタと、冷たい頬に落ちてゆく。
「
―――バツー! 頼むっ、俺の名も呼んでくれ
……! バツー!!」
意識が下へ、下へ、透明な何かと寄り添いながら凋落していく。
呼ぶ声が遠のいてゆくのがわかる。手を伸ばしても、もう届かない。
大きな雫が世界を揺らし、波紋が広がる。夜露のように、どこから生まれ落ちてきたのか分からない。
血と、雨と、他の何かが混じるように、ゆるゆると
……まるで泉に溶け込む様に、己の輪郭が失われてゆく。
それは生きとし生けるものの最後の約束。全てのしがらみから解き放たれる、ずっとこの時を待ち焦がれていた。
(やっと、あいつに会える
……)
今は雨が降っているはずなのに、そこには澄み渡る青空が広がっていた。
彼方の丘の上に、見覚えのある姿を見つける。
懐かしい彼女の、意志の強そうな真っ直ぐな背中。緑の草原の上で、からくれないの髪が気持ち良さそうに風に揺蕩っている。
(ハクヤクの髪の色と似てんな
……)
最期に思ったことがこれかよ、と。口許が綻ぶ感覚さえ、もう何も感じられなかった。
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