もち粉
2025-08-25 20:47:50
10194文字
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その結論に、祝福を


カブミス
同情とラベリング


コツコツと、城のバルコニーを降り、回廊を抜けた先。
自分が消して出たはずの明かりが、部屋の隙間から漏れているのに気づき、カブルーは訝しんだ。
靴底に忍ばせていたナイフを、そっと手に取る。

警戒しながらドアを開ければ、ベッドにミスルンが座っていた。
いつもの服に、髪にはあの髪飾り。ちょっと斜めについているのはご愛嬌か。

「ミスルンさん!? 転移術で入ってきましたね、ダメですよ市街地では使わないでくださいって、あれほど……

……寝られているか?」

遮るように聞かれて、カブルーは一瞬、言葉を探した。

……まあ、最低限は」

ふうん、とばかりに半眼になったミスルンだが、多くは追求せずに小さくため息を吐いて話を切り替えた。

「座ってくれ、話がある」

ミスルンは、まるで家主のように、ベッドの向かいの椅子をカブルーに勧める。
(ここ、一応俺に与えられた部屋で、あなた不法侵入者なんですが……
心の中で突っ込みながらも、カブルーは大人しく腰掛けた。

「お前が離れてから、自分が何を感じているのか、その名前が思い浮かばなくなった」

ああやはり。とカブルーは思う。
自分の行動は、ミスルンの感じる力を奪ってしまっていた。
ミスルンは続ける。

「だが……その状態が、不快だと思えた。意味がわからないことを、苦しいと感じた。それは、自分で感じて、自分で名前をつけたものだ。最近は、お前に甘えて、自分の心をお前に委ねすぎていたように思う」

カブルーは黙って、ただ見ている。
ミスルンは髪飾りに少し触れて、視線を落としながら言葉を継いだ。

「それで、考えた。これをもらった時、本当はもっと、たくさんのことを感じていたはずなのに、一言〈嬉しい〉で済ませてしまった。でも、机の上に置いて、ただ見ているだけで……胸の中が、ざわざわした。ざわざわして、ふわふわと落ち着かなくて、少し苦しくなった」

「誰にも教わっていない。昔感じた似たような状況とも、まったく同じではなかった。わからないから、自分で、新しく、名前をつけた」

少しの間。窓の外の空が、群青から薄明の色へとにじみはじめていた。

「他の誰かが、この感情をどう感じるかは、わからない。けれど私は……〈好き〉とは、こういうことなのではないかと思う。
私は、カブルーが好きだ」

カブルーは、はっと息を呑んだ。
言葉の意味が胸に届くまでに、少しだけ時間がかかる。

ミスルンが、「好き」という感情に、自分の足でたどり着いた。
誰にも教えられず、自分の内側だけを手がかりに――独りで、たどり着いてくれた。
そうして、ここまで伝えに来てくれた。

その事実に、胸が熱くなる。

ほんの少しだけ目を伏せて、震えを抑えるように息を整えてから、ようやく口を開く。

「あなたがその言葉を、自分で考えて、選んでくれたのは――俺にとって、何より嬉しいことです」

沈黙が、静かな呼吸のように流れる。

「俺は、あなたのことを『可哀想』だと思ってました。可哀想だから、せめて何かしてあげたくて……。うまいものを食べて欲しくて、復讐以外の人生を送って欲しくて、欲求を取り戻して欲しくて――
俺の手で、可哀想じゃなくしてあげたかった――

「だから、その、つまり……
カブルーは首裏に手をやり、視線を宙に漂わせた。

ミスルンの視線がじっと注がれているのを感じる。

「カブルー。私の、欲求を言うぞ」

ミスルンの声は、わずかに上ずっていた。

……胸が苦しくて、これ以上は、耐えられそうもない。だから、早く――言ってほしいんだが……

見れば、ミスルンは胸の前で服を握りしめ、もう一方の手でベッドの縁をぎゅっとつかんでいる。
顔は真っ赤で、一つだけの黒い瞳が、涙に濡れたように潤んでいた。
睨むみたいに、でも一生懸命に――まっすぐ、こちらを見ている。

カブルーは慌てて背筋を伸ばして、追い立てられるように一息に言った。

「あの、惚れてます、ミスルンさんに。俺は……ミスルンさんが、好きです」

言い終えたあと、しばらく沈黙が落ちた。

ミスルンは、身体の力をそっと抜いて、それから笑った。
あの、いつか見た笑顔よりも静かで、少し震えていた。

……じゃあ、私の感情の名付けはもういらない。それは私が自分で向き合うべきものだ」

「はい。それは、あなただけのものだから。
でも――そのあと、どうしたらいいのか分からなくなったら……俺にも教えてください。一緒に、考えますから」

ミスルンは、もう一度髪飾りを撫でて、ひとつ息を吐いた。

「うん――。じゃあ、今ひとつ相談だ。私たちは、このあと、どうするべきだと思う?」

「そうですね……とても難しい問題ですが」
カブルーはわざとらしく思案のふりをして、口元に手をやって虚空に視線を投げる。
一拍おいて、ちらりとミスルンを見やると、笑みを含んだ瞳と目が合った。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。

互いに引き寄せられるように立ち上がる。椅子が床に擦れる音がする。
二歩の距離がもどかしく、カブルーは腕を伸ばして迎えに行く。

答えは、案外、シンプルだった。

ふたりは、そっと唇を近づけた。




窓の外が、しらじらと明るくなってゆく。
夜が、ゆっくりと終わりかけていた。

カブルーがそれに気づき、ぽつりと漏らす。

……夜が明けちゃいましたね」

ふたりは窓辺に立ち、静かに寄り添ったまま、夜明けを見つめていた。

「朝は、そばで迎えたいと思っていた」

こつん、と胸に頭を預けてきたミスルンに、カブルーは小さく微笑む。
腕の中のミスルンはもう、可哀想には見えなくて――ただ、可愛かった。

重なったふたりの影が、のぼりはじめた陽に照らされて、ゆっくりと伸びていく。


窓の外は、すっかり明るくなっていた。