かいえ
2025-08-21 18:51:00
11130文字
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【蘭武】Once Upon a Time in Tokyo ⑤

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11,130文字
武道が戻って来た未来は、武道以外がみんな幸せ(最終軸の職業についている)で、26歳の武道と仲良くしている人はいない世界だった
Twitterに載せたお話に加筆修正したもの
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「また会ってくれる?」と言っておきながら、蘭はそれからというもの、店に全く顔を出さなくなった。それどころか、毎日届いていたLINEのメッセージもパタリと来なくなった。
 蘭は武道とLINEでやり取りしている唯一の相手なので、メッセージが来なくなった初日の夜には、その事に気が付いていた。
 変だと思い電話してみようかと思って、我に返った。たかが一日メッセージが来ないだけで、寂しく思っている自分に気が付き動揺したのだ。
 蘭と武道は客と店員という関係でしか無いのに、毎日蘭からメッセージを貰えると思っている自分が怖くなった。
 そんな自分の気持ちに戸惑ったせいで、蘭へ自分から連絡する事に抵抗を覚えた武道は、自分の気持ちと真っ直ぐに向き合うのではなく、誤魔化す方向に進んでしまった。 それに、蘭だって武道の知らない私生活や仕事があるだろうし、きっと忙しいのだろうと自分に言い聞かせ、現実から目を逸らしたのだった。
 しかし、一週間も音沙汰無しが続いた頃には、さすがに、何かがおかしいと思い始めていた。
 あんなにマメだった蘭が、こんなに長い期間連絡を寄こさないのは、もしかしたら、寄こさないのではなく、寄こせないのではないかと、恐ろしい想像をしたのだ。
そして、その心配はあながち間違っていないかもしれないという事が怖かった。
 蘭は自分で自分の事をヤバイ人間だと言っていた。素人の店長が疑うくらい、怪しさを滲ませていて、名前を偽った免許証さえ持っていた。どう考えても、あっちの筋の人間に違いないのだ。武道が恐ろしい想像をしてしまうのは、弟が死んでいるという事実があるからだ。しかも、病気や事故で死んだ訳ではなさそうで、蘭の話しぶり通りであれば、弟は殺されたという事になる。物騒な話だった。
 そして、蘭は殺されるなら自分だったと言っていた事も、武道を不安にさせる要素の一つだった。
 そういう訳で、蘭が危険な場所に身を置いている可能性は否定できず、蘭は既に殺されてしまったのではないかと考えて、武道は息が止まりそうになった。そんな筈はない、ある筈がないと、震える手でスマホを取り、恐る恐るLINEの画面を開いた。
 数日前に武道が送った「おはようワン!」という犬のスタンプが一番後になっていて、それは未だに既読になっていなかった。
 一方、蘭から送られた最後のメッセージは「今度はお花見をしよう」という内容のもので、送信日は十日前の日付だった。
 蘭と最後に会った日は雪の降る寒い夜だったが、あれから気温は寒くなったり温かくなったりを繰り返して、今ではすっかり桜のつぼみが膨らみ始める気温になっていた。 来週末辺りには、桜が咲きそうだったので、花見をするならそろそろ連絡をくれても良い頃じゃないかと、いつまでも既読が付かない、コミカルな表情を浮かべた犬のスタンプをじっと見つめた。どれだけ画面を見ていても、一向に既読はつかなくて、ため息を付いた。しばらくしてから、武道は「お花見はいつ行きますか?」と、打って送信した。
 音を立てて画面に浮かぶ武道のメッセージにも、その日の内に既読が付く事は無かった。
 翌朝、武道は起きて直ぐにLINEを確認したが、やはり、武道の送ったメッセージは既読になっていなかった。
 初めて蘭が店を訪れた時、蘭のあの印象的なラベンダーの瞳を、武道は以前に見た事があると思った。
 その時は、会員証を作るために預かった免許証に記された名前に見覚えが無くて、気のせいかと思ったのだが、けれども、やはり何処かで蘭を見た事があるのでは無いかと思うのだ。
 店のエプロンに付けている名札にフルネームは表記されていないのに、武道の下の名前を知っていた事を考えると、蘭が武道の名前を最初から知っていたと考える方が、しっくりする。
 だとすれば、蘭が武道に対して最初から馴れ馴れしい態度を取っていたのも分かる気がした。
 問題なのは、武道の記憶の中に、下の名前で呼ばれるほど蘭と仲良くしていたという記憶が無い事だった。どこかで、蘭と会っている可能性があるとしたら、考えられるのはやはり中学時代の東京卍會に所属していた頃くらいしか無かった。あの頃なら、抗争を含めて、不特定多数の人間と出会っていた筈だ。
 自分一人で考える事に限界を覚えた武道は、意を決して、もう一度千冬に電話をする事にした。
「もしもし」
 今回はたった2回のコールで電話に出てくれた千冬は「あ、花垣です」と、武道が名乗ると「ああ、どうした?」と、前回よりは親し気な口調で返事をしてくれた。緊張して握りしめていたスマホを持たない方の拳を、武道はそっと開いた。
「あの、お忙しいところをスミマセン。実は、ちょっと人を探しているので、少し助けて貰えないかと思いまして
「人探し?」
「はい。えっと、友人! 友人が半月前くらいから行方不明になっているんです」
 千冬に説明する手前、友人と言ってしまったが、改めて考えて見ると、蘭との関係が何なのか、武道は良く分からなくなっていた。
「それは穏やかな話じゃないな。でも、オレがそいつの行方が分かるのかよ?」
「それは分からないんですけどすげぇ昔に知り合いだった事は無いかなって。中学時代に東京卍會に所属していた頃の知り合いっぽいんです。オレは覚えてないけど、相手はオレの事を知っていたみたいでだから、名前を言ったら、千冬君は知っているかもって思ったんっス」
「そいつの名前は?」
「えっと、伊藤です」
「伊藤? 伊藤なんていっぱいいるじゃん。そいつの下の名前も言ってみろよ」
「蘭です」
「女?」
「男です」
「伊藤蘭? 伊藤蘭なんて聞き覚えが無いけど
 スマホの向こうでうーんと悩む気配を感じて、なんだかんだいって、親身に相談に乗ってくれる千冬は、昔のままなのだと、嬉しさが込み上げてくる。
「あ、一つ下の弟さんの名前が、竜胆って言うらしいです。伊藤竜胆です」
「は? 弟が竜胆で、兄の名前が蘭? そんな名前の兄弟って言ったら、伊藤じゃなくて灰谷だろ?」
「へ?」
 千冬が何を言っているか分からなくて、武道は間抜けな声を出した。
「灰谷兄弟だよ。灰谷蘭と灰谷竜胆だって。あの六本木のカリスマって呼ばれてた奴ら。場地さんがケガした抗争にも、兄弟揃って高みの見物に来てただろ? 見てない?」
 この世界の場地は、血のハロウィンと後日語られる芭流覇羅との全面大抗争で殺される事は無く、ケガをするだけで済んでいた。ただ、死にはしなかっただけで、全治一か月の大怪我ではあったのだけれど。
「それに天竺との抗争でやりあったこともあるだろ?」
 ほらと、千冬が更に例を挙げてくる。
「灰谷兄弟
 千冬に言われて、天竺の特攻服を着た灰谷兄弟を思い出していた。他の天竺メンバーは赤色なのに、二人だけ黒色の特攻服を身に着けていたから、やたら目立っていたのを思い出す。
「あいつらって、今は反社じゃねぇの? おまえ、そんな奴らとつるんでんの? 大丈夫かよ、おまえ?」
「あはい大丈夫です」
 咄嗟に大丈夫だと答えたものの、本当に大丈夫かとい言われると怪しいものだった。既にただの客と店員という関係を逸脱している自覚があった。普通の店員は常連の客が店に来なくなっても、ここまで心配する事は無いし、そもそも探そうともしないからだ。
「オレはこの通り、今は真っ当な道を歩んでるし、最近の裏社会事情は全然分からねぇからさ、知っていそうな奴に聞いておいてやるよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「だから、灰谷兄弟がどんな状況に陥っているか分からないうちは、おまえは勝手に動くなよ? 灰谷蘭が失踪しているっていうなら、それ、絶対ヤバイやつだからさ」
 千冬が本気で武道の事を心配してくれている事が嬉しくて涙が出そうだった。だから、灰谷兄弟の弟である灰谷竜胆が既に亡くなっている事を敢えて千冬に伝えなかった。しかも、殺されているなどと言ったら、速攻で蘭を探す事を止められると思ったのだ。そして、蘭が自らヤバイと言っていたのだから、きっと相当ヤバイというのは、千冬に指摘されなくても分かっていた。
「分かりました
「あのさ千冬で良いよ」
「え?」
「呼び方だよ。君付けじゃなくて、千冬って呼んで良いよ。今はもう上下関係の無い関係じゃん? だから、敬語も使わなくて良いから。オレたちタメだろ?」
 千冬の突然の提案は、胸の奥を嬉しさで熱くさせ、武道の緩い涙腺を震わせた。
「あ、それから三ツ谷君におまえの話をしたら、会いたいって言ってたぞ。おまえ、三ツ谷君に何も言わずにいなくなったんだって? めちゃくちゃ怒ってたし。今度会ったら説教されるかもな。今度飲み会をセッティングしてやるから、ぜってぇ来いよ? ビビッて逃げんなよ?」
 武道は「分かった」と言って通話を終えた。
 一言返すだけでいっぱいいっぱいになっていた。色々な想いが押し寄せてきて、胸が苦しくて、本気で泣いてしまいそうだったのだ。
 三ツ谷が今でも自分に会いたいと思ってくれていて、それどころか、突然いなくなった事を怒っていたと聞いて、とうとう涙が溢れ出してしまった。勝手に疎遠になったと思い込んで悲しんでいたのだけれど、もしかして、自分から連絡をすれば、いつでもあの頃に戻れたのかもしれなかった。
 過去から未来に戻ると、それまでの記憶が曖昧になる事が多くて、どうしてそんな状況になったのか、分からない事も多かった。今回もそれで、どうして自分だけがみんなの輪の外にいるのかは、ずっと謎だったのだ。
 中学時代に使用していた携帯は解約して電話番号も変えていて、三ツ谷から武道には連絡を取る手段が無いのだから、連絡が来ないのは当たり前だったのだ。
武道は自分の臆病さを悔いて、しばらく子供のように泣き続けた。
 泣いてスッキリしたところで、千冬から得られた情報をまとめる事にした。
 蘭は伊藤蘭では無くて灰谷蘭で、弟の竜胆と共に灰谷兄弟と呼ばれていた。武道は遠くから灰谷兄弟を少なくとも、芭流覇羅との全面大抗争と天竺との抗争の時に、同じ場所に居た事がある。
 それで、あの時だと武道は思った。
 深い記憶の底から、蘭を初めて見た時の映像がゆっくりと浮かんできたのだ。
 芭流覇羅との抗争で出向いた廃車工場の敷地内で、積み上げられたスクラップ前の廃車のボンネットに座る人物を指さして「あれが灰谷兄弟」だよと、誰かが武道に教えてくれた。
 遠目だったけれど、一瞬だけ灰谷蘭と目が合った気がした。あの時見たラベンダーの瞳を、何故か武道は覚えていたのだ。
 あの頃の蘭は短髪ではなく、黒と金で染め分けた長い髪を三つ編みにしていた。その横にいたのは弟の竜胆で、二人はいつも一緒だった事も同時に思い出した。
 灰谷兄弟と直接会話をした事は無いが、武道が灰谷兄弟を知っているように、蘭も武道の事を認知していた可能性はゼロでは無いように思えた。東京卍會内では、武道は下の名前で呼ばれる事が多かったから、蘭がフルネームを知っていても不思議では無い。
 だとすると、蘭が店に来たのは偶然だったのだろうか? それとも、最初から武道が働いている事を知った上で訪れたのだろうかという疑問が新たに生まれた。けれども、蘭は武道の前から姿を消していて、その疑問に答えてくれる事は無かった。




 その日は、朝から比較的温かく、過ごし易い穏やかな一日だった。
 武道が勤めるレンタルショップも、混雑する事の無い週の中日だったので、特に問題も起きず深夜帯に突入していて、もう少しで武道の就業時間が終わる頃になっていた。
今日のシフトは、この三月に入ったばかりの新人アルバイトと二人で、研修を終えた新人が実践練習を兼ねてレジを担当し、武道はその新人を見守りながら、ひたすら裏方作業に徹していた。
 そういう次第で、武道は新しく入荷したDVDに、店のラベルを貼る作業をしながら、レジ裏のスペースに立っていた。そして、店の自動扉が開く度に、期待を込めてそちらに視線を向けていたが、結局その日も蘭が店を訪れる事は無かった。
 蘭が店を訪れる時は、映画を観終わった時に丁度武道が仕事を終えるタイミングで来ていたので、こんな終わる時間ギリギリに来るわけが無い。そうは思っても、自動扉が開く度に、客の顔を確認するのを止められなかった。
 LINEのメッセージすら既読にもならないのに、悠長に映画鑑賞をする訳が無いのにと、自嘲するしかない。
「花垣さん」
「なに?」
 同僚で新人の小川が、困惑した顔で武道に近寄って来ていた。小川は今年の春に東京の大学に入学した地方組で、バイトもそうだが、生活面も色々おぼつかない男子学生だった。昨今の不景気で、親からの学費援助を期待出来ず、大学の学費どころか、東京で暮らす為の生活費の大半も奨学金という名の教育ローンで賄っているらしく、入学前からバイトに勤しんでいるのだった。勉強をする為に上京したというのに、勉強をする為には、まずは働かないといけないとは、何とも本末転倒な話だ。何の苦労も無く、大学どころか留学まで出来る人間もいれば、一方でその日の生活費にも困る人間がいて、世の中は酷く不条理だと武道は感じていた。
「あの、お客さんが出して来た紙幣がこれなんですけど
 そう言って見せられた札は、表面に首里城守礼門が描かれた二千円札だった。
「わ、懐かしい二千円札じゃん」
「え? これ本物なんですか?」
「本物だよ、ほら透かしもあるだろ?」
「本当だ
 武道が店の蛍光灯で、表面とは別の角度で描かれた守礼門の透かしを見せてやると、小川はようやく納得したようだった。
 ちらりとレジを横目で見ると、三人組のホスト崩れの男性客が武道と小川の様子を見て、ニヤついた顔をして立っていた。どうやら、ちょっとした悪戯して反応を楽しもうと思っているようだった。歌舞伎町に近いこの店舗は、店長の言った通りあっちの筋の人の利用も多いが、こんな風にバカな事を仕掛けてくる低レベルの客も多かった。
二千円札は発行当初こそ目にする機会があったが、大半の人々に記念の札だと勘違いされて普通に使われず、家のタンスの中に仕舞い込まれた。また、券売機や自販機で使用出来なかったという事もあり、次第に流通しなくなってしまい、今ではすっかり世の中から姿を消して、大半の二千円札は日本銀行の金庫の中に保管されていた。
 小川のしたような反応を見たくて、揶揄って楽しもうと思ったのだろうけど、それだけの為に、わざわざ銀行まで出向いて両替して貰ったのかと思うと、ご苦労な事だと武道は思ってしまった。
 小川は悪戯を仕掛けられた事にも気が付かず、渡された札が本物だと分かった事で安心して、いそいそとレジに戻り接客の続きを始めた。或る程度の鈍感力があるのは、気に病むことが無くて良い事なのかもしれなかった。
 武道は再び作業に戻ったが、またすぐに「花垣さん」とレジの前にいる小川に呼ばれた。
 今度は何だろうとレジに行くと、先程の客の姿は既に帰っていて、困った表情を浮かべた小川が、レジの引き出しを開けたまま途方に暮れていた。
「どうしたの?」
 レジの引き出しを開けっぱなしでいるなんて、不用心にも程があると思ったが、武道は叱らずに、一先ず話を聞く事にした。
「あのこの札をどこに入れたら良いのか分かりません
 レジの引き出しは、札の種類ごとに入れる場所が決まっていたが、その場所は三つしか無く、それぞれ一万円札、五千円札、千円札が納まっていた。従って二千円札を入れる場所が無く、小川はどこに仕舞えば良いか分からず困っていたのだ。
「確かに。入れる場所なんて無いよな
 レジの構造上、札の入れ場を四つに増やす事が難しかったのも、二千円札が市井で流通しなかった大きな理由かもしれないと武道は唸った。
「どうしましょうか?」
「ちょっと待ってて」
 武道は急いでロッカールームに向かい、自分の財布から千円札を二枚取り出して店頭に戻った。そうして、千円札二枚と二千円札を交換してやった。
「これで問題無いよな?」
 小川は武道に交換して貰った千円札をレジの引き出しにしまって「ありがとうございます」と、すっきりした顔でお礼を言った。
「あと、この辺りは物騒だから、レジの引き出しは会計が終わったら直ぐ閉めるようにね」
「あ、すいみません! そうですよね! 分かりました!」
 小川は蒼ざめぺこぺこと頭を下げて武道に謝ってきたから、気の毒に思うくらいだった。
 それから、退勤時間まで働いたが、後ろのシフトが来ないので、武道は暫く店内に留まった。さすがに研修を終えたばかりの新人を一人きりにする訳にもいかなかったのだ。   
 カウンターに立って入り口を見ていた武道の目に、シフトに遅れている深夜担当で同僚の葛西が、店の入り口前を横切って行くのが見えた。ビルの裏口に向かいロッカールームに向かう姿はゆっくりとした歩き姿だった。シフトに遅れている事などどうでも良いと感じられ、その尻拭いをさせられていた武道は、呆れて怒る気も失せてしまった。ともかく、武道はようやく退勤できる事になった。
 武道がロッカールームに入ると、葛西が本当にゆったりと支度をしていた。その時点で、予定出勤時間を既に十分ほど遅れていたというのに、重役出勤並みの優雅な感じでなのである。葛西の実家は裕福で、葛西が定職に就かなくても生きていけるらしく、このバイトもなんでしているのかは謎だった。
「店長に叱られるぞ」
 武道がそう声を掛けても「大丈夫」という余裕の返答しか寄こさない。深夜から明け方までのラストが出来るバイトは貴重な人材であるので、クビにされる心配も無いという事情を逆手に取っている感じすらあった。そういう訳で、葛西はいつもこんな風に自由気ままだった。
「今夜はさ、新人君だから早く行ってやってよ」
 満足に食事も摂れない小川がせっせと働いているのと比べると、葛西の生まれた時から勝者みたいな立ち位置が、あまりに不公平で、無性に腹が立ってきた。
「ああ、小川君ね。とうとう研修が終わったんだ。この時間帯に入ってくれるなら、休みやすくなって大歓迎だ。あ、はい、これ」
 葛西は思い出したというように、雑誌の束を武道に渡して来た。いつもは青年漫画誌ばかりなのに、見慣れない経済誌が複数含まれていたから面食らった。プレジデントとか東洋経済とか、人生で一度も手に取った事も無い雑誌の表紙が目に入る。表紙のアオリも「ゼネコン 絶頂の裏側」とか「世界で株価暴落」とか「先が読める、勇気が出る、自分が変わる。仕事に役立つ日本史入門」などで、漫画雑誌では、お見掛けしない言葉ばかりだ。
「なにこれ?」
「親父の愛読書。グラビアの姉ちゃんばかり見ていないで、たまには日本経済についても読んで勉強しろだってさ」
「へー。それで、読んだの?」
「ヤングジャンプの最初の見開きのビキニは最高だったよ」
「読んでないじゃん」
「読むわけ無いだろ? 文字と数字と御託ばっかりで眩暈がしたよ。という訳で、読んだらどんな内容だったか教えろよな。いつもタダで雑誌あげているんだから、代金の代わりだと思って、よろしく!」
 葛西は好き勝手言い放ちロッカールームを出て行った。絶対自分の事を古紙回収業だと勘違いしていると、葛西のぞんざいな態度に武道は呆れてしまった。
武道が暇な時に自宅で読んでいる雑誌は、いつもこんな風に葛西から手渡されて、武道のゴミ屋敷のような自宅が、よりゴミ屋敷にしていくのだった。