勘右衛門は委員会を終え、長屋に向かって歩いていた。周囲では忍たまたちが思い思いに過ごしている。三郎と「学園長先生の思いつきも大概にしてほしいよ」なんて中身のない愚痴を溢しあっていると、校庭の隅に兵助を見つけた。掘った穴の中からにょっきりと首だけ出した喜八郎と何やら話し込んでいた。今日は天気も良く、喜八郎にとっては絶好の穴掘り日和だろう。距離が遠くて何の話をしているかはわからないが、楽しそうに笑い合っている。なんとも微笑ましい光景だ。
「前々から思っていたんだが、兵助って絶対喜八郎のことが好きだよな」
勘右衛門と同じ光景を見ていたらしい三郎が、口元に手を当ててにやりと笑みを浮かべる。これは揶揄う気満々の顔だ。
「なかなかいい雰囲気じゃないか」
「おい、あんまり揶揄ってやるなよ」
「あんなところで見せつけるみたいにイチャイチャしといてそれは無理があるだろう」
「どうなっても知らないぜ」
一般的にイチャイチャと呼ぶようなわかりやすい接触はないが、三郎の言いたいことは十分に理解できる。少なくとも兵助はあの逢瀬を楽しんでいることだろう。
こういう時の三郎は止めても聞きやしない。勘右衛門は早々に諦めて静観を決めた。一方、こちらの話など知りもしない兵助は喜八郎との会話を切り上げると、すぐにこちらに気がついて近づいてきた。
「おいおい兵助、お前もなかなか隅に置けないじゃないか?」
三郎が兵助の肩に手を回し、意地の悪い笑みを向けた。兵助は露骨に嫌そうに顔を顰める。
「なんの話だ?」
「さっきのあれだよ」
「さっきの?」
「俺たちの仲だというのに相談も報告もないとは水臭いじゃないか」
兵助が助けを求めるように勘右衛門に視線を向けてくるが、三郎がこれくらいで納得するとは思えない。肩を竦めてお手上げのジェスチャーをしてやった。
「どうなんだ、もう口吸いくらいしたのか?」
「なんの話をしてるんだ?」
「お前と喜八郎に決まっているだろう。なんだ、まさかまだ付き合ってないのか? 向こうも満更じゃなさそうだったし、さっさと告白すればいいだろう」
「さっきから何を言ってるのか理解できないんだが、俺も喜八郎も男だぞ?」
兵助が組まれた肩をぞんざいに振り払う。予想通りの反応だ。三郎がぽかんとして視線で疑問を投げかけてくるが、知ったことかと首を振ってやる。
「喜八郎のことが好きなんじゃないのか?」
「そりゃ好きか嫌いかって話なら好きだが、三郎も勘右衛門も雷蔵も八左ヱ門もみんな好きだよ」
そして「それだけなら俺はもう行く」と言って三郎を無視してさっさとどこかへ行ってしまった。
「えっ……?」
三郎は困惑したように遠ざかっていく兵助の背中を指差し、勘右衛門と視線を交互に向けて戸惑いを表現している。
「だから『どうなっても知らない』って言っただろ」
「知ってたのか」
「まあな」
勘右衛門も少し前に「好きなら協力してやるぜ」とかなんとか言って「なんの話だ?」と盛大に首を傾げられた。三郎と違って善意100%でもこれなので、おそらく本当に心の底からあり得ないと思っているのだろう。
「本当にいいのかあれで? 絶対好きだろう、あれは」
「俺もそう思うけど、こればっかりは本人の意思が大事だからな」
まさかさっき話している姿を見ただけで好きだと断じているわけではない。最近喜八郎の話をすることが増えたとか、それが随分楽しそうだとか、よく一緒にいるところを見かけるようになって、こないだは一緒に出掛けていたとか、そういう全部をひっくるめての判断だ。この件について誰かと話をしたのは今が初めてだが、それは今まできっかけがなかっただけに過ぎない。たぶん他にも勘づいている奴はいるだろう。
好きなのは、たぶん間違いない。けれど本人も言っていたように、勘右衛門たち同級生を好きなのと違う感情なのかと言われると、外野が判断するのは難しい。仮に明確に恋愛感情だったとしても、それを叶えようと動くかどうかは本人次第だ。相手がいることなので、本人が叶えたいと思っていたところで叶うかどうかもわからない。
「よし、嗾けるか」
「おい、何する気だ」
「こういうのはどうだ。お前が『三郎に告白されたんだけどどうしよう』って兵助に相談する」
どくん、と心臓が跳ねた。兵助と喜八郎の話をしていたはずが、突然話がすり替わって動揺する。慌てて周囲を見回したが、この話が聞こえる範囲には誰もいなかった。遠くから元気な掛け声が聞こえてくるくらいだ。
勘右衛門は三郎が好きだった。仲の良い友人同士というポジションを手放すのが惜しくて全く進展がないまま月日が経過しているが、諦めたつもりはない。そんなところにこんな提案が舞い降りてくるとは、まさに渡りに船である。
なるべく平静を装いつつも、期待する気持ちは抑えられない。
「はあ? なんだそれ。付き合ってる振りでもしようってか」
「そうじゃない。相談するだけだ。それで少しは意識するだろう」
「いいけどあの調子だぞ? 『気持ち悪い』とか言われたらどうすんだよ」
「気持ち悪いのは俺だけだろう。お前にデメリットはないはずだ」
三郎の言う通りのような気がする。なかなかアクションを起こせずにいたが、一石を投じるきっかけには十分だ。上手くすればそのまま付き合えるかもしれないし、無理でも友情は維持できそうだ。
「なるほど、試してみるか」
「よし、上手くやれよ。雷蔵と八左ヱ門には俺から言っておく」
◇ ◇ ◇
三郎の口車に乗せられてほいほい了承したが、部屋の前で三郎と別れてすぐに後悔し始めた。兵助に相談して「いいじゃん付き合いなよ!」などと言われればいいが、「やめときなよ」と言われたらどうすればいいのだ。相談だから必ずしも兵助の言う通りにしなくても良いが、大反対された上で付き合おうとするなら兵助との友情が危うい。三郎が軽蔑の目で見られることになっては蜥蜴の尻尾切りのようで後味が悪いし、勘右衛門自身が避けられる可能性だってある。卒業までまだ1年以上あるというのに、同室と気まずい関係になるのはどうにも避けたい。
大体「嗾ける」だけならさっきの三郎の揶揄いで十分じゃないのか? 少なくとも兵助が喜八郎との関係を見つめ直すきっかけ程度にはなっただろう。じゃあこの馬鹿みたいな駆け引きに意味はあるのか? そもそも三郎はどうしてあんなリスクの高い提案をしたんだ?
夕食を終えて寝支度を整え、布団に潜り込む頃になってもぐるぐると迷っていた。
「勘右衛門、何かあった? 俺で良ければ力になるよ」
隣で同じように寝支度を整えて布団に入った兵助が、天井を向いたまま言う。心配してくれるのはありがたいが、残念ながら兵助に言える内容ではない。
「なんでもない」
「ならいいんだけど。話す気になったら話してね。俺は勘右衛門の味方だよ」
こんな風に言ってくれる兵助のことを信用しきれていないなんて、どれだけ薄情な奴なんだと自己嫌悪に陥る。それでも話すことはできなくて、その日はそのまま眠りに就いた。
翌朝、顔を洗いに井戸へ向かうと、早速三郎に出会した。兵助が隣にいるので大丈夫だろうとドキドキしながら、念の為何か言われた時の言い訳を頭に浮かべる。「昨日は眠くてそれどころじゃなかったんだ」とりあえず今日のところはこれで十分だろう。
互いに挨拶を交わすと、三郎に顔を覗き込まれてどきりと心臓を跳ねさせた。
「どうした、勘右衛門? 眠れなかったのか?」
「え、そうなの?」
「いや、そんなことはない。普通に寝た」
勘右衛門が返事をするより先に兵助に顔を覗き込まれて、慌てて否定する。しかし兵助は信じていないようで、いつまでも心配そうにこちらをちらちらと窺ってくる。
寝る前に悩んでいたのは確かだが、悩み事くらいで眠れなくなるような繊細さは持ち合わせていない。特に眠れないと思うこともなくいつも通り眠りに就き、朝まで健やかに眠った。だから寝不足なんてことはあり得ない。余計なことを言うなと三郎を睨みつけるが、あっちはあっちでいつも通り飄々としていて感情が読めない。
結局、その後も何も触れられることがないまま授業を終えた。悪戯の結果はすぐにでも知りたい性質だと思っていたが、珍しいこともあるものだ。けれどそうなるとますます三郎の真意がわからない。
「勘右衛門、そんなに見つめられると穴が空きそうなんだが」
「えっあ、ごめん」
昼食を食べながら、気づけば斜向かいに座っている三郎の顔をじーっと見つめてしまっていたようで、慌てて我に返った。いくら見つめても面の向こうの表情が見えるわけではないし、もちろん考えが読めるわけでもない。
「勘右衛門、なにかあったの?」
「あ、いや、なんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ」
真っ先に心配してくれる雷蔵に申し訳なく思いながら下手な誤魔化しを敢行する。何も言わないが、隣に座る兵助からの視線も痛い。昼食の小鉢である煮物を口に運びながら、ちらりと三郎の様子を伺う。何食わぬ顔で食事を続けながら「やはり雷蔵は優しいな」なんて冗談を飛ばしていて歯噛みしたくなる。なんで当事者のはずがそんな他人事みたいな顔をしているのだ。他人の面を被っているからといって限度がある。
そんな状態で、3日が経過した。その間も気にしているのは勘右衛門ばかりで、三郎の真意は読めない。だんだん悩んでいるのもアホらしくなってくる始末だ。三郎と2人っきりで話していてもあの話には触れてこないし、最早なかったも同然だった。せっかくのチャンスを逃したのかとは思うが、今後も三郎と馬鹿がやれるならそれはそれで悪い結果ではない。
ところがその日、部屋で夕食を摂っていると、兵助に神妙な顔で話を切り出された。
「聞いたよ。三郎に告白されたんだって?」
「えっ、そっ……だっ……」
びっくりして「それ、誰から」と言いたかったのに、上手く言葉にできなかった。箸からするりと冷奴が滑り落ちる。運良く皿の上に落ちたが、勘右衛門に行方を追う程の余裕はなかった。
「三郎から聞いた。……っていうか、探りを入れられたというか。返事保留にしてるって聞いたけど、どうして?」
どうして、と問われると困る。というかうっかり肯定したみたいになってしまったが、厳密には告白されてなどいない。たぶん勘右衛門が有耶無耶にした“兵助を嗾ける”という作戦を実行に移したのだろうが、告白されていないのだから返事も何もあったものではない。
「あー、その、なんだ。三郎の態度があまりにも変わらないから、もしかして揶揄われてるのかと思って……」
「そんなのどっちに転んでも関係が悪化しないための気遣いに決まってるでしょ。失礼だよ」
「ごめんなさい」
何故怒られているのかいまいち腑に落ちないが、とりあえず謝ることにする。随分面倒な事態になってしまった。どうやって収拾をつけるつもりなのか後で三郎に相談しに行かなくてはならない。
「ねぇ、俺の勘違いならそれでいいんだけど、もしかして俺が以前に男同士とかあり得ないって言ったの、気にしてる?」
「……まあ、その、多少?」
そういえば最初はそんなことで悩んでいたなと今更思い出す。三郎の真意に意識が向いていた所為ですっかり忘れてしまっていた。
「ごめんね、俺の所為で。あれはあくまで自分の話で、他人にまで強要するつもりはないんだ。勘右衛門の選択を否定するつもりはないよ。大好きな友人たちのことなんだから、応援するに決まってるじゃない。だから好きなら好きってちゃんと返事してあげて」
「そうだな、ありがとう」
まさか断るつもりだと言い出せる雰囲気でもなかった。本当に告白されたのであれば断るつもりはなかったが、これは一体どういう状況なのだ。完全に付き合う流れになってしまっている。
夕食と片付けを終えると、勘右衛門は早速三郎に文句を言いに行くことにした。ろ組の部屋を訪ねるとあちらも夕食は終えたらしく、三郎は面の手入れをしていた。出かけるところだったのか何かを察して気を利かせてくれたのか、雷蔵はすぐにそそくさとどこかへ行ってしまう。扉を閉めると、あちこち散らかった変装道具を傍に避け、どかりと胡座を掻いた。
「おい、何ややこしい事態にしてくれてんだ」
「おっ兵助からなにか言われたか?」
三郎は作業を中止して手に持っていた化粧筆を宙で振り、カラカラと楽しそうに笑う。それが余計に勘右衛門を苛立たせる。
「お前がさっさと言わないから俺の方から言ってやっただけだ」
「その所為で付き合うみたいな流れになってんだけど」
「当たり前だろう。そのつもりで狙ってやってるからな」
「は? ……は!?」
怒鳴り込みに来たはずだったが、突然の切り返しに混乱が拭えない。自分に都合よく曲解しているような気がしてならないが、他の解釈もいまいち思いつかない。理解が及ぶにつれて、心臓がやたらと元気よく跳ね始める。
「ああ、もちろんお前が私と付き合いたくないというなら断ってくれていいが」
勘右衛門の混乱を嘲笑うみたいにしれっと付け加えられる。友達の枠を飛び出さないように細心の注意を払っていたはずだ。だというのに、三郎は勘右衛門の想いに気づいているとでもいうのか、妙に余裕綽々といった雰囲気だ。勘右衛門に振られるなんて微塵も考えていないように見える。
「……すっげぇムカつくんだけど」
「なら断ればいいだろう」
想い人と付き合うという待ち望んだ展開だと言うのに、なんだか嵌められたようで微妙に嬉しくない。好きだとも付き合いたいとも一言も言われていないというのも引っ掛かる。無駄な抵抗だろうがこのまま三郎の策にハマるのも面白くないので、最後の悪足掻きに講じることにする。
「俺は俺のこと好きな奴としか付き合いたくないんだけど」
三郎にきょとんとした目を向けられる。そのまままじまじと見つめられると、だんだんと自分がおかしなことを言ってしまった気がして、じわじわと顔に熱が集まってくる。三郎の反応を窺いたいところだが、恥ずかしくて膝に頬杖をついた手の中に顔を埋めるしかできない。
あまりめんどくさい女みたいなことは言いたくないが、三郎相手にこんななし崩しみたいな関係の始め方をすれば後で泣きを見るのは容易に想像がつく。別に浮気を疑っているわけではないが、雷蔵という三郎にとっての絶対的な存在が身近にいるのは変わりようのない事実だ。
「おい、せめてなんか言えよ」
あまりにも無反応の時間が長く、途中で耐えられなくなった。ちらりと覗いた三郎は相変わらず涼しい顔をしている。面だから当たり前なのだが、何故こっちばかり無様な顔を晒さねばならないのだ。理不尽だ。不公平だ。
「すまん、お前にもそんな可愛げがあったとは知らなくて……」
先程まで真っ直ぐに勘右衛門に向いていた視線がうろうろと宙を漂い始める。三郎の顔のほとんどは作り物だが、眼球は数少ない三郎本人のものだ。それはつまり。
「なに、照れてんの?」
「うるさい」
自然と機嫌が上向いてくる。顔の熱はちっとも引かないままだが、嬉しくなって笑みが溢れた。
この後真面に「好きだ」と言わせるだけに一刻以上かかったのは、また別の話ということにしたい。
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