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ねぶくろ
2025-08-16 09:45:27
5367文字
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Skeb
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君ありて幸福
Skebにて納品した作品です。
1
2
1
眠っていたのかいないのか、ネオは光に気付いて瞼を持ち上げた。閉め切られていないカーテンの隙間から、早朝の白んだ空が覗いている。ベッドに横たわった体は重く、頭が鈍く痛い。おそらくは浅い眠りを漂っていただけなのだろう。疲れのとれていない体を起こして、洗面所へ向かう。顔を洗い、居間で充電していたタブレットを手に取って、ソファに座った。
投資家であるネオの仕事は、極端に言えば、タブレットひとつで完結する。株の値動きを確認し、資産の増減を確かめて、必要な処置を行う。やっていることは、それだけだ。変動する数字を確認し、それに伴う処置をすることは、植物の世話に似ている。株価をこまめに確認してやらなければならないが、それ以外に気を付けることもない。
ネオは簡単な操作を終えると、タブレット置いて窓の外に視線を遣った。目に突き刺さるほど真っ白な光をぼんやりと眺めて、緩慢に立ち上がる。
何か食べよう、と開いた冷蔵庫には、ろくな食料が入っていなかった。面倒くささと空腹がせめぎ合って、しばらくの間、その場で制止する。時間がとまった部屋の中に、小さく腹の鳴る音が聞こえて、ネオは小さく息を吐き出した。身支度を整えるために、自室へ向かう。
重たい体を引きずるようにクローゼットを開き、いつも通りにオーバーサイズの衣類を身に纏う。姿見の前で髪の毛を整えて、ネオは財布とスマートフォンだけを手にすると、重たい玄関のドアを押し開けた。
* * *
宵の名残が見当たらない明るい空を見上げて、白夜の季節か、と今更のように思い出した。二十代の折り返しを過ぎてから、季節の移り変わりがやけに速く感じられる。通りに面した家々の庭には、清潔なクロスのかけられたテーブルが出されており、溢れるほどに花々の詰め込まれたバスケットが飾られていた。夏至祭の準備だろう。
鮮やかに咲きこぼれているのは、明るい色のゼラニウムに、純白のレースフラワー、夏空のように真っ青なワスレナグサなどだ。ネオたちの暮らす街では、夏至の日には親族で集まって食事をとり、白夜を楽しむ習慣がある。花冠を編んで親しい人にプレゼントしたり、それを飾ったりと、街に彩りが溢れるのも特色だ。もっとのどかな田舎の方では、夏至祭を町おこしに活用して観光客を呼び込んでいるとも聞く。
風に乗って、花の香りが鼻腔を擽った。時折花弁の舞い踊る街路を歩き、早朝から営業しているカフェに入る。スーパーマーケットは、この時間ではまだ営業していない。朝食がてら時間を潰そう、とネオはサンドイッチとコーヒーを注文した。道路に面したカウンター席でコーヒーのカップを傾けて、サンドイッチにかじりつく。
夜闇が来ない安心感からか、早朝にもかかわらず、街には人通りがあった。若いカップルが少し不格好な花冠を被って歩いている。溢れんばかりの笑顔と、繋がれた手が視界を横切った。老紳士が杖を突き、大きな花束を抱えて帰路を急いでいる。歩みと共に揺れる花弁はやわらかな色をしていて、起き抜けの目に優しい。ふと視線を持ち上げれば、道路を挟んだ先の庭先で、少女が花を腕いっぱいに抱えていた。家から顔を覗かせた、兄と思しき少年に向けて一抱えほどもある色彩を散らす。少年は目を丸くしてから、呆れたように花びらだらけになった頭を振った。窘めるような調子で少女を抱き上げると、二人は家の中に入っていく。
その一部始終を見送って、サラは、と記憶を浚った。
あの子は、夏至祭を楽しんだことがあっただろうか。考えてみても、花の溢れるテーブルを家族で囲んだ記憶は乏しい。
ごくり、とサンドイッチの最後の一口を飲み込んで、ネオは立ち上がった。店員に軽い挨拶を残して、店を出る。そろそろ、スーパーマーケットも開いた頃だろう。ネオが店へ向かう道を辿っていれば、「あれ」と後方から声がかかった。振り返れば、腕いっぱいに花を抱えた従兄弟、──ハンスがこちらに向けて歩いてくる。
ネオが反応するより先、「こんにちは。ネオさんも買い出しですか?」と、人懐っこい笑みを浮かべて、彼が駆け寄ってきた。それに頷きを返して、彼を見る。ふわりと、鼻先にやわらかな花の香りがよぎった。
「お前も買い出しか。すごい量の花だな」
「今日はお祭りなので あ、ネオさんも一緒にどうですか?」
無邪気な誘いに、「いや、いい」と首を振る。素っ気ない返答に、ハンスが「そうですか
……
」と気落ちしたように肩を落とした。彼の顔から微妙に視線をずらして、話題を変える。
「
……
叔母さんは、元気にしてるのか?」
「してますよ。今日は調子がいいみたいで、朝からあれもこれも買って来いって頼まれちゃいました」
この後はスーパーで御馳走の食材も買うんです と、ハンスが顔を上げて笑う。ネオは腕いっぱいの花々を見下ろして、「それはそうと、お前、花冠なんか作れるのか?」と興味本位で問いかけた。
「作ったことはないですけど
……
、多分、作れるんじゃないですか? あんまり難しくないでしょ。あんなの」
「
……
」
呆れて黙り込めば、ハンスは「あ」と何かを思いついたように声を跳ね上げた。嫌な予感に後退るが、それより先に彼がネオとの距離を詰めて来る。
「せっかくなので、作り方教えてください」
やっぱりか、と顔をしかめて詰められた分の距離を取る。ネオは抵抗するように眉間にしわを寄せた。
「なんで俺が
……
。それにさっき、行かないって言っただろ」
「その辺のベンチで良いですよ。大丈夫、時間は取らせません。花冠くらいなら、一回教われば作れるようになります
……
多分ですけど」
ね、と詰め寄られて、ネオは「叔母さんに教えてもらえばいいだろ」と苦い顔で言葉を返した。その言葉に、ほんの一瞬、ハンスの瞳に映った光が揺らぐ。彼はわざとらしいほど口角を引き上げて、「いやぁ
……
」と困ったように小首をかしげた。
「母は、俺に何かを教えるのが、好きじゃないので
……
」
「
……
」
要領が良く優秀だった彼の兄と比較してしまうからだろうか。──居心地の悪さに、奥歯を噛む。ネオはため息を堪えて、近くのベンチを指で示した。
「仕方ないな
……
。一回で覚えろ」
ネオの言葉に、ハンスの表情がパッと明るくなった。嬉しげな彼を伴い、ベンチに腰を下ろす。ネオはその腕に抱えられた花を二本抜き取ると、二本の茎を垂直に交差した。ハンスを見遣り、「とりあえず、何でもいいから二本。好きな花を選べ」と促す。彼は頷いて、ワスレナグサを手に取った。ネオと同じように、その茎をクロスさせる。
「横向きの花を一周させて、巻きつけろ。茎が折れたら、他の花を使えばいい」
「はい。
……
出来ました」
彼の言葉に頷いて、ハンスは二人の間に置かれた花の山からゼラニウムを抜き取った。
「三本目の花も同じように巻き付ける。
……
これを繰り返して、十分な長さになったら、最後に輪を閉じる。分かったか?」
ハンスは頷くと、ネオに倣って赤いゼラニウムを選び取った。自分よりも肉付きの良い健康的な指先が、花の茎を折らないようにと微妙な力をかけて、軸となる茎にゼラニウムを巻き付けていく。彼は、「最後の、輪を閉じるのはどうやったらいいですか?」と教えを乞うようにこちらを見上げた。その目を見返して、編みかけの冠へ視線を落とす。
「とりあえず、満足するまで編め。終わったら教えてやる」
「分かりました ところで、ネオさんの好きな花ってどれですか?」
ハンスの言葉に、「自分の好きな花を使えばいいだろ」とため息を返して、ネオは手元の花冠を解体した。歪んだ茎を伸ばして、山と積まれた花のてっぺんに戻す。それを見ても、彼は何も言わなかった。ベンチの背もたれに腕をのせて、空を見上げる。彼が黙々と作業をしている間、ネオは上空を流れていく薄い雲を目で追っていた。
「出来ました」
数分が経過して、彼が嬉しげに声を弾ませる。ネオは組んでいた足をほどくと、ハンスの手元に目を遣った。色とりどりの花々が一本の長いレースのように編みこまれているのを確認して、山の中からキンポウゲを抜き取る。それを彼へと差し出して、ネオは編まれた茎の隙間を指さした。
「このあたりに茎を入れ込んで、同じように編めばいい。飛び出た茎も、順番に網目に入れ込めば完成だ」
言葉だけでは理解が難しかったのか、ハンスが渡されたキンポウゲを片手に、「ここに
……
?」と目を瞬いた。彼の手の中で、茎がたわんでレースの一部に飲み込まれる。そのままではただ長さが伸びていくだけだ。ネオは、「茎の端をこっちに入れるんだ」と、彼の手に自身の手を重ねた。幼子に教えてやるように、「これはここ、この茎はここに入れればいい」と一つひとつの動作を一緒に行う。ハンスは、「なるほど」と感心しながら、重ねられた手を素直に動かした。
完成した花冠を目の高さに掲げて、ハンスが「おぉ~」と感動したように目を輝かせる。彼はそれを、迷いなくネオの頭に被せた。突然のことに、目を瞬いて彼を見上げる。
「ネオさん、教えるの上手いですね」
笑みを含んだ声に、ネオは眉根を寄せた。
「別に普通だ。それより、なんで俺に被せた?」
「それ、あげます。教えてくれたお礼に」
せっかくなんで今日中は飾っておいてください、とネオの不機嫌には頓着しないで、彼が笑う。ネオは被せられた花冠をとり上げると、小さくため息を吐いた。
「お礼になってないんだが
……
」
ネオの苦言を歯牙にもかけず、ハンスがにこやかに言葉を続ける。
「良いじゃないですか、たまには。縁起物だし、貰ってください」
「
……
」
目の前で従兄弟が作った品だ。捨てるのも忍びなく、ネオはそれを手にしたままベンチを立った。彼が座った高さから、「もう帰ります?」と声をかけてくる。ネオは「あぁ」と首肯して、家の方へと視線を向けた。
「買い物をするにも荷物になるし、一度帰る。
……
叔母さんによろしくな」
「はい。帰ったら母とも編もうと思います。教えてくれてありがとうございました」
礼をする彼に手を振って、帰路へ着く。ネオは家に帰ると、手も洗わずにベッドルームに向かった。眠りが浅かったせいか、食事をとったせいか、あるいは朝から溌溂とした従兄弟に絡まれたせいか、やけに眠い。貰った花冠をベッドサイドに置いて、シーツの上に倒れ込む。瞼を閉じれば、すぐに意識が沈んでいった。
* * *
出来ない、と花の束を握り締めて、サラが泣いている。
彼女の傍に座って、ネオはサラが集めた花を手に取った。二本の茎を垂直に交差させ、くるりと結んで、──作った冠を、小さな妹の頭にのせてやる。よく似合ってる、とその髪を撫でれば、サラは頭を振って、「自分でつくりたいの」と頬を膨らませた。そうか、と涙の理由を理解して、今度は彼女の小さな手に、自分の手を重ねる。
「縦の花に、横の花を巻き付けていくんだ。
……
ほら」
ネオと一緒に手を動かして作るうち、サラはコツを掴んで、ひとりで冠を編めるようになった。嬉しげに手を動かす妹の姿に、頬が緩む。ネオがそうして見守っていれば、作業はすぐに終わった。
完成した冠を差し出されて、ネオは目を瞬いた。照れくさそうに唇を尖らせたサラが、「あげる」と呟く。少し不格好で、長さの足りない花冠を受け取って、ネオはそれを頭にのせた。ふわりと、花の香りが鼻先を掠めて、自然と表情が和らぐ。
ありがとう、とその目を覗き込めば、サラは自慢げに「上手でしょ」とこちらを見返した。
赤、白、青、黄色。溢れる色彩の中で、サラが笑っている。
暮れない夜の明るさが目に染みて、ネオは静かに瞼を持ち上げた。ベッドに寝ころんだまま、呆然と天井を見上げる。視線を巡らせば、開け放したカーテンから光が差し込んで、ベッドサイドのゼラニウムを照らし出していた。
【ゼラニウムの花言葉】
「真の友情」「信頼」「尊敬」「君ありて幸福」
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