つくも軌
2025-08-06 09:45:44
2586文字
Public TKD兄弟(繁と晴)
 

TKD兄弟(繁と晴)SSまとめ

TKD兄弟(繁と晴)蓮在泥中潔/無常の白百合
※捏造生前『軍艦』ネタ

*蓮在泥中潔


……もし、お前が当主になりたいというのなら、この身を投げ出したっていい」

……そう、兄上が口にしたのは、いつかの川辺の帰りのこと。
相も変わらず父の〝いびり〟は激しさを極め、次第に露骨になっていったが、兄上はそれでも平気な顔をして私のうしろを歩いていき、あくまで父の意向を汲んでやろうと、伏せた眼に感情を乗せることはない。

初めて顔を合わせた時から、兄上はどこか「違う世界の人だ」と子どもながらに感じていた。
まるで、天上から人々を見下ろす仏のように。
透き通った色のない瞳が鏡のように自分の姿を映すたびに、外で苦しむ民の惨状をその目に容れてしまうことを憂いた。実の兄弟とは思えないほどに、美しく綺麗な人だった。

「兄上はどうして私を立てるのですか。なにも父に従う必要などない筈なのに」

……そんな美しい姿には見合わぬように、庶民同然の衣服を汚したまま水にぬれた兄上に声をかければ、先のような言葉をどこか浮ついたような声でぽつりと返す。驚くことにそれは当時まだ元服もしていない、いわば幼き少年が発した『戯言』であるのだが、〝良い思い〟をしている筈の兄弟である私としては、それが哀しくて仕方がなかった。

「私が武田を継いでしまえば、兄上は死しても嗤い者となるでしょう。それがどうにも許せませぬ」
……成らば生かして使えばよい」
「父上がそれを許すとお思いですか!」
…………次郎」

ふと、兄上が私と目を合わせる。
先ほど──────父親の前で川を泳いで見せた姿は見るも無様な姿であり、ゆるやかな浅瀬でありながらも必死に藻掻いて〝溺れた〟あとの、乱れた髪から雫が落ちる。

そんな兄が、ふっと、菩薩のような笑みを浮かべた。
──────瞬間、私の背筋に〝ぞっ〟としたものが這い上がる。
まるで見透かされたような〝恐怖〟。
父上もまた兄に対して抱いている、天上から見下ろされるような感覚。
……私は、目の前の『兄上そんざい』に釘付けとなる。

……帰ろう、次郎」

ぼんやりと、立ちすくんだ私に向かって『救い』のように手を伸ばされると、離さないようにしっかりと握る。
もう、私には兄しかいなかった。
例えこの先、父に何を言われようと、兄上だけは守らなければならない。
そう誓ってしまうほどには。

水辺で力なく微笑む兄の姿はまさしく、甲斐を統べる『花』だった。


*蓮在泥中潔(はすはでいちゅうにあっていさぎよし)
仏教の教えによる、煩悩や世俗の汚れに染まらず、清らかさを保つ人のたとえとして使われる言葉。