250817 新刊①

スモロ「深海魚は極彩色の夢を見るか」



第一章

✴︎ 着陸


 ポーン、という電子音が二回響く。すると、天井のランプが鈍く点灯した。乗客たちの意識は僅かだか頭上へと上る。人々の話し声は小さくなり、揺れる機体の震えがやけに大きく感じられた。
 そして、この軽快な合図を皮切りに、機内には乗務員の声が大きく流れ始める。
『皆様、ただいまシートベルト着用のサインが点灯しました。これより着陸体制に入ります。シートベルトをしっかりと
 女性のたおやかな声が、着陸に向けての一連の諸注意を知らせた。乗客たちの間には、アナウンスに耳を傾けるが故の静寂と、その沈黙の奥に隠しきれずにいる高揚感が、まるで細波のように広がっていく。
 男はその変容を肌で感じ取りながら、テーブルの上に広げていた書類を、カバンの中へ入れた。
 そして、テーブルを元の状態に戻すと、次はシートベルトの金具に触れ、状態を確かめる。異常なし。しっかりと固定されている。これなら外れることはないはずだ。
 不意に動かした視線の先にある窓の外では、みるみる景色が移り変わっていた。先ほどまでは、太陽の日差しが白雲の水面に照りつけてひどく眩しかった。だが、今この瞬間、機体はその分厚い雲の海へと飛び込もうとしている。
 ── ゴオォォ、
 雲を割く音が、揺れが、轟々と機内に響いた。強い風に揺られ、機体はさらに大きな音を立てる。明かりは遮られ、どことなく仄暗い。
 先ほどまで湧き上がっていた昂りは一転し、機内にそこはかとない恐怖心が薄らと影を落とす。人々は本能的に、落ちゆくことを恐れるからだろう。
 それと同時に、足元からはじわじわと圧力が迫り上がってきた。床から足裏を押し上げる力が、ゆっくりと全身を伝い、てっぺんへと上っていく。
 圧力は、耳元でゆっくりと滞った。すると。耳の奥へ空気がギュッと押し込まれて詰まるような、そんな鈍い感覚に苛まれた。著しい気圧の変化に身体がついていかず、激しい違和感を患い出しているのだ。
 男は、幾度となく飛行機に乗っているが、この感覚にだけは未だ慣れることができずにいた。どうにも座りが悪くなり、無性に落ち着かない。不快感を抱いていることを表に出しはしないが、いつだってこの時間 ── 飛行機に乗っているとき、男は様々な違和感から逃れられず、そんな自分が一番苦手だった。
 ── 空を飛ぶ、とは、こんなに窮屈なものだったか?
 耳の奥に溜まった圧を抜くべく、男は顔に力を込め、クッと鳴らした。すると気圧の差が平衡になり、何かが詰まっていたような感覚が消えてなくなる。ここからさらに機体が降りる中で、また詰まることがあるかもしれないが、そのときはまたこの『耳抜き』をするしかない。
 いつの間にか、雲の海を抜け、窓の外には深い青に染まった本物の海が広がっていた。こちらもまた、空の世界と同じように、太陽の日差しを浴びて煌々と光っている。
 そしてその煌めきの向こうに、今はまだ小さな影が、しかしくっきりと見え始めていた。今回の目的地 ── ウィナー島である。
 雲海を抜けてから着陸までの流れは、とてもスムーズだった。風の濁流を通り抜けて島へと近づき、空港内の滑走路へと降り立った飛行機は、タイヤが地と擦れる大きな音を立てて、一気に減速し、止まる。
『─ ご搭乗、ありがとうございました』
 安全確認がされた後、人々はアナウンスに従って続々と飛行機を降りた。男がタラップから外へと躍り出れば、真夏の燦々とした日差しが思いきり当たる。生来日に焼けづらい体質だったが、その熱に肌がじりじりと逆立つのを感じた。
 グッと目を細めながら、辺りを見渡す。荷物を抱えた、いかにも観光客らしい人たちの姿が多いようだ。仕事目的でこの島を訪れている男の方が稀なのかもしれない、と推察する。
 しかし、ウィナー島自体に観光名所らしい観光地はない。もとは鉱業や採石業で栄えた、第二次産業を主とする島だ。
 ならばどうして、という疑問の答えは、隣島のヒノモトが、世界的に有名な観光大国だからである。ヒノモトと定期便で繋がっているこの島は、宿泊地としての需要が高い。この島でホテルを借り、ヒノモトへと遊びに行くという旅行プランが近年増えつつあるらしい。その方が安価だと、若者人気が高まっているからだ。
 だが ── 事が進めば、この島自体が多くの人々の関心を集めることになるだろう。男は、機内で確かめていた書類の内容を思い出しながら、そんなことを想像した。
 人の流れに着いて行き、手荷物受け取り所まで歩いて行く。小さな空港だから、歩けばすぐだ。辿り着くも、手荷物ターンテーブルはまだ稼働していない。
 同じように自分の荷物を待ち侘びる者たちは、ここからの旅情を思い会話をしたり携帯に視線を落としたりと様々だった。
 周りにつられ、男も携帯電話を取り出して、機内モードを解除する。職場から連絡があるかもしれない、と思った。
 すると、新規メールの受信を告げるバナーがパッと現れる。タップすると、件名のないメールが開かれた。送信者は同僚ではない、友人だ。
「Good luck, Smoker.」
 それは何に対する祈りなのだろうか。そも祈るようなタチでもなかったろうに。スモーカーはそんなことを思った。
 だが、このメールといい、普段の態度といい、もともと何を考えているのか読めない人物なのだ。メール越しの思惑なんて尚更、読み解けるわけがない。
 男は考えることを早々と止め、とりあえず「Same to you.」と返した。あからさまな皮肉だと彼はすぐに理解するだろう。それでいい。どうせ、この程度の悪態など意にも介さない。
 携帯をしまうと、ターンテーブルが鈍い音を立てて動き出した。わらわらと人が近付いていき、自分の荷物を今か今かと待ち侘びる。幸い大柄な男は、人波の後ろからでも自身の荷物を探し出すことができた。すまない、と前に声をかけて人の間へと割り込み、黒いキャリーケースを掴み上げる。
 一度床に置き、持ち手を引っ張り出して、進もうとすると、ぐにゃりと蛇行した。これまで重ねてきた長旅のせいで、キャスターが劣化しているのだろう。この取材が終わったら、次の取材までに新調すべきかもしれない。
 ゴロゴロゴロ、と重たげな音を響かせながら、静かなロビーを後にする。出口を目前にして、日差しが強烈だったことを思い出し、鞄からサングラスを取り出そうとした。
 そのとき、機内でおざなりに詰め込んだ書類がいくつか落ちる。今回の取材のために、企画担当から渡されたものだ。
 拾い上げるとき、何度も読み込んで脳裏に染み付いた言葉を、ついつい目が拾ってしまう。
『大海賊時代終期』
『当時としては珍しかった潜水艇』
『前期の発見を経て、四期にして大々的な発掘調査に』
『今期のリーダーは水中考古学界、気鋭の新星。名前は、エドワード・ロウ』──今回の取材相手の名前だ。
 彼と、彼が発掘調査を行っている沈没艦について取材し、あるがままを記事として書き、世間に公表する。それが、スモーカーの今回の仕事だった。


✴︎ エドワード・ローという男


 『ルポタージュ』とは、現地に赴いて取材をした内容を、メディアに報告すること。また、とある事象の問題や現状について綿密に取材し、客観的に叙述する、文学ジャンルの一つである。

 スモーカーは、そのルポタージュを主として行う記者、ルポライターだ。数年前に前職を辞し、友人の伝手を頼りに小さな出版社へと再就職し、この仕事に従事するようになった。
 まずは雑務処理の仕方を教わった。次に、先輩記者の取材への帯同を重ね、取材のノウハウを学んだ。
 そして、記事の書き方。ルポタージュは「報告文学」と呼ばれるため、基本的には記者の主観を含まず、取材に基づいた事実を分かりやすく表現した文章が求められる。
 スモーカーは前職のおかげで、国外での活動は慣れていたし、現地を歩き回るに十分なスタミナがあった。何より、よく報告書を書く羽目になっていたため、「報告」のコツは知っていた。必要なのは、状況や様子を多くの人が理解できる言葉で表し、しかし複雑に重ねすぎないこと。
 そうして一年ほど前、交渉から取材、そして執筆・編集までを一人でこなすことができるようになった。出来上がった誌面の、記事の末尾に自分の名前が載るようになった。
 スモーカーはそこからやっと、『ルポライター』としての道を歩み始めたのである。
 そんな新人ルポライターにとって、今回の取材は青天の霹靂だった。予定外の話だったこと、それまで経験してきたジャンルと畑違いだったことがあって、己に話が巡ってきたときは、けっこう驚いたものだ。
 もともと別の記者が担当する予定だったのだが、直前となって彼が別の取材で怪我を負い、当面の間、療養に専念しなければならなくなったのである。取材目前にしてキャンセルするということは憚られ、編集部は急遽、代わりの担当記者を選任することとなった。
 そんな代打に選ばれたのが、スケジュールに空きがあったスモーカーだった。驚きはしたものの、仕事を断る理由はない。
 了承すれば前任がまとめていた事前資料をどっさりと渡された。猶予がない中、それをなんとか読み、出来うる限りの知識を自身に落とし込んだ。
 そして、取材に必要な荷物をまとめ、パスポートとチケットを手に、十数時間。会社が手配していた飛行機を乗り継ぎ、このウィナー島へと辿り着いたのである。
「飛行機から見たこの島の全景は、とても迫力があったでしょう。中心に位置する山は長年の採掘で掘削されたとはいえ、とても目を惹きますし。建物はどれも、遠くからでも分かるほどカラフルなのが特徴的ですからね」
「ッあぁ、そうだ、な」
 今は、目的の港町へと向かうために、ロータリーに停まっていたタクシーに乗り込み、岩山の中を下っているところだった。舗装されているはずなのに随分と安定しない車道に、タイヤがこすれたり、トランクの荷物が揺さ振られたりしている。
 車内にはゴロゴロ、ガタガタといういやな音が響き続けていた。体躯に見合った体重があるスモーカーでさえ、ルーフにくっついたアシストグリップを握っていないと、右や左へずるずる転がされていきそうなほどだ。
 そんな荒れた道も慣れたものなのか、陽気な運転手だけはよく喋る。舌を噛まないのだろうか、と感心するほどの饒舌さだ。
 男が矢継ぎ早に語る世間話に耳を傾け、煩雑な相槌を打ちながら、スモーカーは窓の外を眺めた。揺れる車窓から見る街並みは、色とりどりのペンキで塗り飾られた建物が立ち並んでいて、運転手の言葉通りだ。確かに人々の目を潤す。
 曰く、採掘業の最盛期に住んでいた富裕層が、自身の財力を誇示するために、各々が色とりどりの邸宅を建てたことが起源らしい。自然的な岩肌の島を美しく飾り立てるものとして、今も島民たちが愛しみ、守り続けている景色なのだと言う。
「それにしても、お仕事しにこの島に来るってのも珍しいですね。観光客の方なら、よくお乗せしますが……一体、何をしに?」
 ふいに運転手の興味がスモーカーへと向けられた。バックミラー越しに様子を伺うような視線が届く。もの珍しがられるのは、今に始まったことではないので、気にしない。
 この島で行われている海中発掘の取材だ、と言葉少なに答えた。すると、彼もその発掘について知っているらしく、あぁと感嘆を漏らす。
「随分と古い、海賊が乗ってた沈没船を探してる、ってやつですよね。長らくやってましたが、一昨年すごい発見がされたって、島のお偉方がてんやわんやしてましたよ。今年も調査に来てるんでしたっけ?」
 ウィナー島近海での発掘調査自体は、民間人による発見があったことを契機に、十年も
前から始まっている。しかし、それに続く目ぼしい発見がなく、しばらく進展せず、細々とした発掘調査が続いていた。
 だが二年前、重大な遺物が発見された。学術的な価値があったため、相当話題となったらしい。その功績により、今回は過去最大規模での発掘調査が開始されているのだ。
 しかし、島の住人でさえ、そのことを詳しくは知らないらしい。そうだ、と肯定を返したが、返ってきたのは「へぇ」と短い一言だけ。それが、この発掘調査に対する一般の認識なのだ。
 激しかった揺れは、いつの間には納まっていた。悪路が終わり、タクシーはカラフルな建物に挟まれた大通りを、優雅に駆け抜けていく。
車窓からは、人々の営みが垣間見えた。買い物をする人、散歩を楽しむ人、など。住民たちで活気付いた街という印象だ。
 更に進むと、今度は港沿いの長閑な道へと出た。車窓から見える景色は一変し、特に目を惹くのは海の色だ。絵の具をそのまま溶かし込んだかのようなディープブルー。空の上から眺めていたよりも煌々とした光りを集め、星を蒔いたように輝いている。
 舗装された湾には、漁船が規則正しく列を成していた。その船体に、荒い白波が飛沫を高く上げてぶつかっていた。
 男はサングラスを外し、目を凝らして、その水面を見つめる。
 この深い水底にどんな歴史が隠れているのか。スモーカーは、『彼』と共に探らなければならない。
「もうそろそろ着きますよ」
 運転手は長く一方的だった世間話を止め、目的地が近いことを告げた。海岸線に続いている港の外れに、発掘チームが滞在する建物があるらしい。まずはそこへ行き、挨拶する流れになっていた。
 並んでいた船の数はみるみると減り、建物の数もぽつぽつと少なくなっていく。活気ある中心地とは対照的に、静かなところだ。
 そうしてタクシーが停車したのは、大きなアパルトマンのような建物の前だった。
 二階建て。先ほどのようなカラフルさはなく、白一色。道路に面した壁には大きなシャッターが付いていた。恐らく、ガレージだろう。
 また、二階のベランダではタオルなどが幾つも干され、風でゆったりと踊っている。ここで生活している人がいるかのよう。
 これが研究施設だなんて、誰が想像するだろうか。スモーカーはコンクリート造りで無機質、生活感のない、いかにもな風体を想像していた。だから、まるで民家と言った方がしっくりくる外観を目の当たりにして、驚きを隠せなかった。
 それは不信感となり、つい言葉に表れる。
「本当に、ここであっているんだな」
「ええ。お疑いならスマホの地図アプリで調べてみては?」
……申し訳ない。失礼なことを尋ねた。いくらだ?」
 メーターに提示された料金を支払い、領収書を受け取って降りると、改めて建物を一瞥した。外壁にはところどころ修復の跡が見受けられ、それなりに年季がある古い建物だ。
 トランクからスモーカーのスーツケースを下ろした運転手は、挨拶と会釈をすると、タクシーに乗って颯爽と消えた。
 その車体の影を少しだけ見送ってから、男は戸口へと歩み寄り、ブザーを鳴らす。
 ビー、と鈍い電子音が響いてから数拍して、扉が開いた。数センチの隙間から聞こえるのは、若い女の訝しむような声。
……どちらさまで?」
「クローバー社の者です。取材のご挨拶に伺いました」
と答えると、扉が完全に開放された。
 姿を現した女性は褐色の肌色と黒々とした髪色をしていた。地元の人間ではなさそうだ。チームのメンバーとして、この島にやって来た一人なのだろう。
 彼女は、スモーカーの姿をてっぺんからつま先まで静々と見やった後、半身をずらして入室を促した。
「リーダーに、ですね。ご案内します。大きい荷物はそこらへんにでも置いておいてもらえれば」
 女は入ってすぐに位置する階段を上っていく。スモーカーはスーツケースの柄をしまうと、その場に置き、女の小さな背中を追った。
 二階へと上がってすぐが、広いスペースになっており、そこにはいくつかの作業机がくっつけて並べられている。机の上にはノートパソコンの他、紙の資料や分厚い本がいくつも積み上がっていた。こうしてみると、確かにここは研究の場なのだと解る。スモーカーは少しだけ、背筋を伸ばした。
 突然現れた大男の影に、視線が一気に集まる。しかし、それだけの存在感を一切合切気に留めず、黙々とノートパソコンを睨んでいる男がいる。スモーカーは、もらった資料の中に混ざっていた写真で見て、その男のことを知っていた。
 真っ直ぐに彼へと近付くが、熱心に画面を見ている男は、まだ気付いていない。
「リーダー。……リーダー! お客様がいらっしゃいましたよ」
 女が二度ほど呼びかけて、やっとその視線が己へと向けられる。その瞳は、黄色みを帯びたアンバーだった。望遠鏡で観測される満月によく似ている。
 彼はしぱしぱと瞬くと、その縁を飾る黒々とした睫毛が揺れた。そして瞳が己を捉え、口が丸を描いた。呆気にとられたような表情に、スモーカーもつられて少し動揺したが、それを堪えて名を告げる。
「どうも。クローバー社からの取材で参りました、アルノルト・スモーカーです」
 数秒、見つめ合う不思議な時間が続いた。その間観察することになった、ポカンとした表情は、まるで不可思議に出くわした子どものように幼かった。
 彼はチラリと視線をデスクトップへと向け、ギュッと目を凝らすと、ハッと気付いたか
のようにごちる。恐らく画面に写し出された日付を確かめ、予定を思い出したのだろう。
……あ~、今日からだったか。すまない。すっかり、忘れてた」
 ガリガリと頭を掻いた男は、写真で見たよりも日に焼けていて、そのくせ調子の悪そう
な顔立ちをしていた。健康的に焼けた肌色に、不健康の象徴とも言えるだろう隈を携えた相貌。本来なら両立し得ないもののようにも思えるが、これが上手に共存している。
 不思議と目を引く容姿を、しかし、不躾にならないように伺い見た。ポロシャツとデニムズボンというラフな服装は、この島の気候と調査での動きやすさを意識しているのだろう。半袖から覗き見える二の腕には程よい筋肉がついていた。身体を鍛えているのかもしれない。
 スモーカーによる静かな『観察』に気付いていないのか、あるいは気に留めていないのか。ローは黙って机上をごそごそ漁り出したかと思うと、資料と思しき紙束の下からアルミ製のカードケース引っ張り出して、その中に入った小さなカードをスッと差し出してきた。黒いインクで刷られた名前と連絡先の載った白い名刺は、とてもシンプルなものだ。
「エドワード・ローだ。知っているだろうが、水中考古学を……その中でも大海賊時代の船舶を専門に研究してる。今回のウィナー島近海域沈没艇発掘調査におけるプロジェクトリーダーを務めている」
「存じています。今回は急な担当変更があった中、取材を受けてくださり、ありがとうございます」
「怪我なら仕方がないだろう。むしろ、わざわざ代理を立ててもらって、申し訳ないよ」
 名刺を受け取ったスモーカーは彼に倣って改めて自己紹介をし、謝意と共に自らの名刺を差し出した。ローは受け取ったそれをじっと見た後、名刺入れにしまう。
 改めて顔を向けた男は、少し悩んだ素ぶりを見せながら、おずおずと口を開いた。
「取材を許可しておいて申し訳ないが、基本的には発掘や分析の作業を優先させてもらう。危険が伴う海中での発掘以外は、自由に帯同してもらって構わない。なにか質問があったら時間のあるときにまとめて受け付けるということでいいか? そちらの仕事の勝手を知らないから、不都合があるなら今のうちに聞きたいんだけれど……
 矢継ぎ早に飛んできたのは、相手が示した今回の取材のルールだった。即ち意味を噛み砕いた記者は是を返す。
「構いません。むしろ線引きをしていただいて助かります。私の方こそ知らないことが多いものですから、作業の邪魔をしないよう努めます」
「ありがとう。……あぁ、そうだ。しばらくいるんだろう? だったらその、堅苦しい言葉遣いは止めてくれ。苦手なんだ、そういうの。おれ自身、気を遣って話すなんて、できねェしな」
 分かりやすく肩を竦める姿から、本音なのだろうと察する。しかし、自分より年若いとはいえ、取材相手であることに変わりはない。仕事相手に失礼な対応は、社を代表して来ている身としては決して許されるものではない。
 どう返してやれば角が立たないだろうか、と悩んでいると「なぁ、いいだろ?」と念を押される。下から覗き込まれるように言われると、何だか無碍にし切れなかった。スモーカーは昔から、こういった年下然とした振る舞いに弱いのだ。
 ここまで言われてしまっては、彼の言う通りにしない方が失礼だと考えたスモーカーは、折れた。
……あとから元に戻せと言わないんだったらな」
 求められた通り不躾に返せば、目の前の男は満足げにクイと口角を上げる。
 だが希望が叶ったにしては、いやにもの言いたげな眼差しだったことが、スモーカーには印象深く映った。

(続きは誌面で)