吾妻
2025-07-26 18:37:50
10681文字
Public アークナイツ
 

Pinky swear

テキ博♀。つきあってる。お兄ちゃんとドクターが付き合っていると知ったラファエラちゃんのお話。


2.

 数日後。
 一週間の業務を終えたラファエラは、停泊中の移動都市にショッピングに出掛けた。
 大都市での補給は久しぶりで、同僚たちも銘々に休日を楽しむ中、ひとりでふらりと市街地に出たのだ。
 ロドスに入職してから親しく話す同僚が少なからずできたものの、たまにはひとりでゆっくりと過ごしたかった。

 大通りにごった返す雑踏を、するすると身軽にすり抜ける。
 治安があまりよろしくない大都市で生活していたからか、この程度の人混みはもはやぼんやりしていても簡単に歩ける。

 本日の目的はショッピングだ。
 買いたいものも決まっているし、お店の目星もつけてある。
 確か、この大通りを渡った先の、二本目の曲がり角――

「あれ?」
 思わず声が出てしまった。
 目の前に、見覚えのある人影を発見したからだ。
 しかも今回は〝数日前〟とは違って、隠れるような場所もなければ、すでにばっちりと目が合ってしまっている。
 こうなってしまうと無視をするのもなんだかおかしい気がして、
「お兄ちゃんだ」
 足を止めて、声をかけた。

 古書店と思しき店の前に佇んでいたエルネストは、義妹との遭遇に一瞬呆気に取られた顔をしていたが、すぐに穏やかな笑顔を向けてきた。
「なんだ、お前も今日は休みだったのか」
 ロドスに入職してからというもの、以前ほど会話をしなくなった兄だが、こうして接している間は以前となんら変わりない。
 余計な愛想が込められていない表情も、〝他所行き〟の時と比べてかなり気安く砕けた口調も、家族の距離感そのままだ。
 環境が変わっても、こうして変わらないものもある。
 その事実を噛み締めるたび、温かい感情が湧いてくる。

「買い物か?」
「うん。リキュールを何本かと、バースプーンを買いたくて。この近くにいいお店があるって聞いたから。お兄ちゃんも買い物?」
「あー……まぁ、どちらかといえば……
 妙に歯切れの悪い返答だった。隠し事をする時もやたらとスマートに振る舞う兄らしくない。露骨に目を逸らす仕草など、余計に怪しい。
 これは、もしかして、もしかしなくても。
「ドクターとデート?」
「ンッ……
 ストレートに問い掛ければ、兄は急に喉を詰まらせたように息を止め、その後何度か小さく咳き込んだ。
 やっぱり。
 らしくもない挙動不審さは、おそらくはドクター絡みなのだろうと予想はついていた。
 やがて、咳き込みを咳払いになめらかに移行させたエルネストが、訝しげな眼差しを義妹に向ける。
「どうして急にドクターの話になるんだよ」
「だって、付き合ってるんでしょ?」
「は? なんで――
「ドクターが教えてくれたの。お兄ちゃんと私は家族だからって」
……
 エルネストはとうとう言葉を失い、しばらく呆然とラファエラを見つめていたが、やがて口の端にかすかに苦笑を浮かべて、「……そうか」と呟いた。

 それきり黙り込んだ兄を見上げ、ラファエラはその表情から彼の心情を読み取ろうとした。
 しかし、気まずそうにも照れくさそうにも見える表情からは、いまいち真意を汲み取れない。
……私には知られたくなかった?」
 熟考の末に直球の問いを投げ掛ければ、エルネストは小さく首を横に振って「違うよ」と笑う。
「今までと勝手が違いすぎて、俺自身どうしていいのか混乱してるだけ」
……そっか」
 それが兄の本心のすべてなのか、ラファエラにはわからない。
 もしかしたら本当は、隠しておきたかったのかもしれない。
 しかし、問い詰めたところで、エルネストは真意のすべてを話してはくれないだろう。
 覚悟が決まるまで、本心を他人には明かさない。そんなエルネストの性分は、やっぱりどことなく父と似ていると思う。

 家族なんだから、喜びも悲しみも全部打ち明けて、分け合いたいと思っていた。
 血が繋がっていないからこそ、絆を大切にしたいと願ってきた。
 しかし、長く傍にいたからこそ、わかってしまうのだ。
 一見器用な兄の不器用さ。生き方を簡単には変えられない、彼の頑固さ。
 そういうところも全部ひっくるめて、愛すべき兄なのだと、近頃は思えるようになってきた。

(私は私で、パパとお兄ちゃんにまっすぐ向き合うだけ)

 家族が水臭さを発揮したとしても、怯まずに歩み寄ればいいだけだ。
 自分が器用ではないことくらい、ラファエラはもう知っている。下手な小細工をしたところで、うまくいった試しがない。
 搦手がうまくいかないなら、結局は真正面からぶつかるしかない。なにも難しくはないだろう。

「私ね、お兄ちゃんとドクターが付き合ってるって聞いたとき、嬉しかったんだ。お兄ちゃんのことも、ドクターのことも、とっても好きだし、大事だから。でも、ちょっとだけ心配だったの」
「心配?」
「お兄ちゃんがドクターにフラれちゃったら嫌だなって……
……
 エルネストは一瞬、呆気に取られた顔で黙り込み、妹の言葉を飲み込んだのちに、少しだけ渋い顔をした。
…………なんでそうなるんだよ」
 歳を重ねるごとに表情を取り繕うことがうまくなった兄が、これほど不服そうな顔をするのは珍しい。
「だってお兄ちゃん、いっつも……
 張り合うように唇を尖らせて過去に言及しようとすると、察した兄が素早く両手を挙げて降参の意を示した。
「はいはい。お前の言いたいことはわかったよ。だけど、これまでだって別に適当に遊んできたわけじゃないし、今回は……
 そこまで言って、エルネストはふと黙り込んだ。
 慎重に言葉を選んでいるような。自身の本心と向き合っているような。そんな沈黙のあと。
「今回は本当に、フラれたくないって思ってるよ」
 自嘲めいた笑みを口の端に浮かべつつ、まるで独白のように呟いた。

(やっぱり)

 数日前に感じた予感が、確信へと変わった。
 いつだってある程度の余裕を崩さない兄が、戸惑いや動揺を隠しきれない理由。

(お兄ちゃん、やっぱりドクターのこと)

 すごく、すごーく好きなのでは?
 これまで一度も見たことのない兄の余裕のなさ。それがとてつもなく新鮮で、なんだか可愛らしくも感じられる。
 そして、何事もスマートにこなし、何もかもを一人で背負おうとする兄が、柄にもなく自身の感情に振り回されているように見え、微笑ましくなった。
 知らず知らずのうちに口元が緩んで、にこにこと笑顔を浮かべてしまう。それに気づいた兄は居心地が悪そうについっと視線を逃がし、わざとらしく咳払いをした。

 会話が途切れ、沈黙が訪れる。
 お互いが次の会話のきっかけを探しあぐねているところで――

「すまない、エルネスト。思ったより時間が掛かってしまった。だいぶ待っただろう?」
 古書店の扉が開き、細身の人影が姿を現した。
 黒と白を基調としたシンプルな装いの女性は、ラファエラを見つけ、僅かに目を瞠る。
……あ、ドクター」
 見慣れた服装ではなく、マスクも身につけていなかったので一瞬判断に迷ったが、眼の前に立っているのは確かにドクターだった。今の今までおとなしかった兄の尻尾がご機嫌に揺れ出したことからも明らかだ。
 のんびりした口調で呼び掛けるラファエラに、ドクターは柔らかい笑みを目元に浮かべる。

「やぁ、ラファエラ。君も買い物に――
「ま、待ってください!」

 和やかなドクターの挨拶を遮るように、古書店の扉が再び開いた。
 やや裏返った声と共に、フェリーンの男性が転がるように飛び出してくる。
「何か?」
「あ、あの! 良ければこのあと食事でも! せめて連絡先を……!」
 男は、肩越しに振り返ったドクターに駆け寄って、両腕で彼女の肩を鷲掴みにした。
 あまりの勢いに周囲の時が一瞬止まり、同時に、元気に揺れていた兄の尻尾もぴたりと静止した。

……連絡先なら、先程配達依頼をした際に記入したはずですが。何か不備でも?」

 ドクターの立ち直りは早かった。周囲がまだフリーズしている中で、あくまで和やかに話題を逸らす。こんなふうに声を掛けられるの、もしかして結構多いのかな? あまりに自然な流し方に、ラファエラは内心で首を傾げた。
 いつもはマスクをしているから分かりづらいけど、ドクターってとっても綺麗だし、話していて心地いいし、さりげなく気遣ってくれるし、傍にいると安心する。部下であるオペレーターたちからは、年齢性別問わず信頼を寄せられているように見えるし、そんな人がモテないわけがないのだった。

 男は、今度はドクターの両手を自分の両手で握り締める。早口で言い募る言葉の断片からは、彼が古書店の店員であること、これほど源石エネルギーの分野に精通している人と出会ったのは初めてだということ、この出逢いを運命だと感じているらしいことが伝わってくる。
 なんだかちょっと危ういな、とラファエラは思った。
 言葉ではうまく言い表せないが、男の前のめり具合にやや偏執的なものを感じてしまった。相手の事情も考えずに一方的に距離を詰め過ぎだ。
 助け舟を出さなくては、と身構えた瞬間。

「■■さん」

 傍らから、聞き慣れた声が耳慣れぬ名前を呼んだ。
 わざとらしく、くっきりはっきり本名で呼びかけて、エルネストは大股にドクターの傍へと歩み寄る。
 怯んだ男がぱっと距離を取る隙を見逃さず、男とドクターの間に割って入った。

「こちらは?」

 ラファエラからは兄の背中しか見えないが、彼の声音には聞き覚えがあった。
 あくまで和やかで、礼儀正しい爽やかな声。しかし、彼がその礼儀正しさを発揮するのは、往々にして内面の苛立ちを必死に抑え込んでいるときだ。
 例えば、柄の悪い客に接するとき。また例えば、父の部下が勝手に面倒事を起こしたとき。
 おそらく今、彼の顔には、完璧かつ威圧感に満ちた笑みが浮かんでいるのだろう。

「古書店の店員さんだよ。本を何冊か探してもらったんだ」
「そうなんだ。それで、お目当てのものは見つかった? 荷物があるなら俺が持つけど」
 さりげなさを装いつつ、案外露骨にドクターに身を寄せて、エルネストは恋人の顔を覗き込む。
 ドクターも素早くエルネストの意図を察し、口元に苦笑を浮かべつつ、彼の背を掌でそっと撫でた。

「大丈夫。本艦に届けてもらえるように手配したから」
「わかった。じゃあそろそろ移動しようか。今から向かえば予約の時間にちょうどいいよ」

 にこやかに言葉を交わす二人を見て、古書店の店員は徐々に顔色を失って、じりじりと後ずさりをすると、挨拶もなく店の中へと消えていった。
 不届き者が去ったのを見届けると、エルネストの尻尾が彼の機嫌を表すように、ふわりと一度大きく揺れた。

……だから、さっきも『ドクターの方を見てるよ』って言ったのに」
「君が正しかったよ。悪かった」

 子供っぽく拗ねる兄の声と、なだめるように彼の背を撫でるドクターの手。
 撫でられるリズムと呼応するように揺れる、大きなふわふわの尻尾。

 兄があんなふうに嫉妬をあらわにするのも、ちょっぴり意地の悪い牽制をするのも、初めて見た。
 それに、ドクターが自分から積極的にスキンシップを図るのも、珍しい光景だった。
 二人の背中を見ていると、ここ数日抱いていた不安や焦燥がゆっくりと溶けて消えてゆくのを感じる。

(なーんだ)

 思わず口元に笑みが浮かぶ。
 心配なんて余計なお世話だったな。
 だって、どう考えてもお兄ちゃんはドクターのことが大好きだし。
 ドクターだってお兄ちゃんのことが好きだと思う。
 だったらあとは、邪魔をするのも気が引けた。
 二人が自分の存在を思い出して振り返る前にと、ラファエラはそっと、その場を立ち去った。