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夜明 奈央
2025-07-15 06:15:22
7467文字
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久々綾
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久々綾 ずるくて優しい先輩
現パロ 〝可愛い後輩〟から抜け出したいあやべ(ハピエン)
初出 1ページ目:2025年7月8日 2ページ目:同13日
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寝返りを打った拍子に頭を打つけて、その痛みで目を覚ました。しばらく頭を抱えて痛みが引くのを待つ。打つけた相手を確認すると、ベッドの脚だった。久々知先輩の家にお呼ばれして話していたはずだが、そのまま床で寝てしまったようだ。
久々知先輩は何を考えていたのか、あの後僕と手を繋いでここまで連れてきた。手を引かれるとか、肩を抱くとか、ペットボトルを回し飲みするとか。そういう一般的な友達同士みたいなスキンシップは今までにもあったけど、意味もなく手を繋ぐなんてことは初めてで、そわそわと落ち着かなかった。家に着けばあっさりと手を離されて、男友達として違和感のない距離を保ってなんでもない話をしていただけだから、結局あれがなんだったのかはわからない。
ポケットの中に手を突っ込むと、くしゃくしゃになった紙が出てきた。居酒屋に備え付けのアンケート用紙だ。開くと久々知先輩の書いた力強い文字が並んでいる。
「明日、久々知兵助は綾部喜八郎にちゅーします」
日付は昨日だから、ここでいう〝明日〟は今日のことだ。
起き上がって書いた本人を探すと、僕が頭を打つけた件のベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。
先輩が酔ったからといって記憶を失くしているところは見たことがないから、きっと今回もきちんと覚えていることだろう。こんな紙まで書いたくらいだから、今回は流石になかったことにはしないかもしれない。いや、どうだろう。僕が言い出さなきゃ忘れたことにするかも。でも僕がこの紙を見せさえすれば、たぶん本当に僕とキスをするつもりだ。
先輩とキスをするところを想像してみる。久々知先輩の顔が至近距離に迫る。僕の唇に先輩の唇が触れる直前まで考えて、恥ずかしくなって頭から想像を振り払った。僕はずっと久々知先輩に片想いしていて彼女も彼氏もいたことがないから、ファーストキスすらまだだ。ただ先輩にこっちを向いてもらうのに必死で、具体的なことを考えたことがなかった。もうそれなりに良い歳のはずなのにまともにキスの想像すらできない。それよりも僕と唇を合わせた後、気まずそうに苦笑いを溢す先輩の顔が嫌にリアルに思い浮かんでしまった。先輩にとって、僕はいつまで経ってもただの〝可愛い後輩〟なのだ。
どうせ振られるなら思い出にキスくらい、という気持ちもなくはなかったが、あんな顔をされるくらいならない方がマシだ。別に一生キスしなくたって生きていくのに支障はないし、どうしても先輩とキスがしたいわけでもない。それを考えると昨日酔った勢いで無理やり
……
なんて展開にならなかったのは本当に良かった。
先輩が起きないうちに家を出よう。それから1ヶ月も連絡を無視していれば、昨日のこともきっとなかったことになる。やっぱりそろそろ潮時だったのだ。財布と家の鍵がポケットに入っていることを確認して、机の上に置きっぱなしになっていたスマートホンを手に取る。これが僕の全荷物だ。家を出る前にもう1度確認したが、久々知先輩の瞼が開く気配はない。今度こそこれを最後にするつもりで、目に焼き付けてから家を出た。
夏の強烈な太陽にじりじりと容赦なく照りつけられ、すぐに全身に汗が滲み始める。先程スマートホンの画面に表示されていた時間はまだ8時過ぎだったはずだ。とりあえず家に帰ってシャワーを浴びて着替えをして、すぐに家を出よう。連絡は無視ができるけれど、家に押し掛けられたら根比べになってしまう。うーん、逃げ続けるなら引っ越しも視野に入れた方がいいのか? そこまでする必要ある? 後輩としてなら好かれている自信はあるけれど、それをぶち壊そうとしているから先輩がどこまで僕を求めてくれるのかわからない。
うだうだ考えていたが、答えが出ないうちに家に着いた。クーラーで涼んで水分補給をしてシャワーを浴びて、どこに行こうかと考えながら玄関の扉を開けると、久々知先輩が目の前に立っていた。玄関チャイムを押そうとしていたようだ。
びっくりして慌てて扉を閉めようとしたが、先輩の方が反応が早くて隙間に足を入れられてしまった。
「なんでいるんですか」
「お前が黙って出てった上に電話も出ないからだろ」
「僕にも色々事情があるんですよ」
どうにか扉を閉めようとする僕と、中に入ろうとする久々知先輩。じりじりと拮抗した勝負だが、足を捩じ込んでいる先輩の方がやや優勢。足先だけだったはずが気づけば膝まで入っていて、負けるのも時間の問題だ。かといってそう簡単に諦める気にもならないので、ギリギリまで粘るつもりでいる。最早ただの負けず嫌いの性分だ。
「これじゃ俺が不審者みたいだろ」
「事実不審者じゃないですか! 今日のところはお引き取りください!」
「俺とちゅーするのそんな嫌?」
瞬間、動揺が走る。その隙に先輩は易々と扉の中に全身を滑り込ませていた。呆然としている間に先輩に扉を閉められ、がちゃんと錠を落とされる。久々知先輩から距離を取る計画は完全に失敗である。せめてもの抵抗に「嫌じゃないですけどしたくありません」とぼそぼそ告げると、「無理やりするわけじゃないんだからそれならそう言ってよ」と呆れられた。そもそもそういう話をしたくなかったのだが、そんなことを言えるはずもなく黙り込むしかできない。
「なんで逃げるの」
「僕にも色々事情があるんです」
「だからその事情を聞いてるの!」
そんなこと説明できるわけがなくて目を逸らすと、先輩はため息を吐いた。靴を脱いで勝手に奥へと進んでいく。流石に追い出すのは諦めるしかない状況で、気乗りしないまま先輩の後を付いていった。
久々知先輩と僕は中学の時からの知り合いだ。といっても中学の時はそんなに交流はなくて、仲良くなったのは高校に上がってから。はっきりきっかけは覚えていないが、先輩への片想いが始まったのもその頃のはずだ。先輩の卒業と進学を機に諦めようかとも思ったが、結局諦められずに追いかける形で先輩の大学の近くに進学して、そのまま近くに就職して現在に至る。
言葉にしてみればなかなかの執念だ。
僕が学生時代から住んでいるこのワンルームの部屋に、当然先輩は何度も来たことがあった。最近は少しご無沙汰だったが、勝手知ったるなんとやらでエアコンのスイッチを入れて涼んでいる。先程玄関先で押し問答をしていただけでも外気の暑さは十分に伝わった。死なれても困るのでコップに水道水を注いで差し出すと、先輩はそれをひと息で飲み干した。
「一応確認なんだけど、あの時の『恋人になりたい』はまだ有効だと思っていいの?」
「忘れてたのは先輩の方でしょう」
「忘れてたつもりはないよ。
……
そう思われて仕方ない態度取ってたのは事実だから、そこは謝る。ごめん」
「やっぱり先輩はずるいですね。そうやって謝れば僕が許すと思ってる」
「そういうつもりで言ってるわけじゃない」
ようやく諦める気になっていたところなのに、こんな風に混ぜっ返されると決意が鈍る。座卓の近くに座り込んだ先輩からなるべく離れようと、壁に背中を預けるようにして膝を抱えた。
「っていうか、昨日から俺ばっかり悪いみたいに言われるの納得がいかないんだけど。あんなに怯えてる後輩前にしてはっきり振れる程鬼畜なつもりはないよ」
うっと言葉に詰まる。そんなことはない、と言い切れれば良かったのだが、残念ながらちょっと心当たりがあった。
僕が告白したのは、先輩と旅行した帰りだった。先輩には彼女がいるし、OKされる見込みはない。それどころか、こんなことを言えばきっと2度と会えなくなる。だから最後の思い出作りのつもりだった。
なのにどういうわけだか「考えさせて」と先延ばしにされて、変に気持ちが緩んでしまった。呼び出しの連絡を受けて実際に会うまでに間がなかったから、あの日の僕は緊張と恐怖でだいぶおかしなことになっていた。結局今に至るまで返事を貰えていないわけだが、まさかそんな裏があったとは。
振るつもりならそんなこと気にしなくていいのに。
先輩は僕と付き合うことはできなくても、やっぱりちゃんと大事に想ってくれている。確かにあの日振られていたら、先輩の前でみっともなくボロボロ泣いていたかもしれない。
あれから半年。昨日からもごちゃごちゃと目紛しくて、今なら振られても受け入れられる気がする。
「これは振ったらもう会ってくれないかもしれないと思って、考え直したんだよ。ほんとに喜八郎と付き合うのは無理なのかって。それでこないだ彼女と別れたんだけど」
「
……
? なんか話おかしくないですか」
「おかしくないでしょ。まさか俺が二股掛けると思ってる?」
「僕いま振られる流れだったんじゃないんですか?」
「昨日からずっと付き合う話してるつもりなんだけど?」
「でも、先輩は僕と今まで通りの関係でいたいんでしょう?」
「それは否定しないよ。でも喜八郎の気持ちを否定するつもりもない。進むか戻るかしかないんだったら、俺は進む方がいいと思ったんだ」
「お情けで付き合ってもらっても嬉しくないです」
「そう言われると困るんだけど、でも俺、女の子と付き合う時そんなに深く考えたことないよ。可愛いからいいかなくらいで。そういうのって、付き合ううちにだんだん好きになってくものじゃないの? 少なくとも俺はずっとそうだったよ」
先輩の眉が困ったように下がっている。
僕は先輩に好きだというだけでこんなにも大きな覚悟を必要としたのに、性別が女というだけでそんなに簡単に付き合える彼女たちが羨ましい。先輩が歴代彼女たちを大事にしているのは知っていた。だからずっと先輩の幸せを邪魔しちゃいけないと思っていたのに、まさか要らぬ気遣いだったとでもいうのか。
何を言っていいのかわからず僕が黙ったまま固まっていると、先輩が近寄ってきて僕の頭を優しく撫でた。
「そういう意味では、こんなに好きで手放したくなくて付き合いたいと思うのは、喜八郎が初めて」
先輩の額が僕の額にこつんと当たる。近い近い近い。戯れ合ってたら思ったより顔が近くにあったくらいのことはあるけれど、意図してこんなに近づくのは初めてだ。
「でもちゅーは自信ないんでしょう」
「それは返事が遅くなっちゃった理由であって、今はそうでもないかな」
「へ、へぇ〜」
勘違いでなければ、僕はたぶん久々知先輩に口説かれている。えっそんなことある? 振られるはずだったのに? 心臓がバクバクとうるさくて、全身が熱くて仕方がない。
「喜八郎のことが好きだから、俺と付き合って」
口を開いたけど掠れた息が漏れるばかりで声にならない。焦らなくていいよとでも言うように、先輩の目尻が緩められる。ようやくどうにか音になった「はい」の言葉は掠れてほとんど囁くみたいだったけど、近くにいた先輩にはきちんと伝わったみたいだ。耐えられずにぎゅうと目を瞑る。途中で振り払った想像の続きが現実になる。目を開けた先に現れる先輩の顔はたぶん、さっきの想像とは正反対だ。
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