保科
2025-07-11 08:56:18
4643文字
Public スタレ
 

世を灌がん

ヒアンシーの前で飲月君の姿になって欲しかったな〜という気持ちの表れの文字

ぱしゃり、静けさの中で靴先が水面を打つ。
「たんたん、ここは……
「ああ」
後ろを歩くヒアンシーの呟きに、丹恒は頷いた。
「誘い込まれたな」
振り向いた先、暗闇の向こうで幾つもの造物の目が輝く。
神悟の樹庭の奥深く。天空の手掛かりを探してここまで来たはいいものの、暗黒の潮の侵食は深刻だった。敵を退けながら進むうち、気づけば、二人は袋小路の部屋まで追い詰められていた。
「あ――取り敢えず!」
ヒアンシーが近くの壁に手を掛けると、何かのカバーを取り払った。
程なく、警報音のようなけたたましい音が鳴ると、丹恒達が通った出入り口が、左右から伸びる扉で閉じていく。
「今、樹庭の各部屋に設置されている、延焼を防ぐための隔壁を動作させました!恐らく少しばかりの時間稼ぎですが……
――いや、いい判断だ」
閉じる寸前、通路から飛び出した造物を、丹恒は槍で薙ぎ払う。掻き消えるのを確認した後、視線を向けた扉は閉まりきっているものの――ダン、ガンガン、ドン、と絶え間なく叩かれている。びくり、肩を震わせたヒアンシーが、うつむきながら呟く。
……困りましたね……
……ここで、悠長にしている時間は無さそうだな」
ダン!ひときわ強く叩かれた瞬間、微かだが、確かに軋む音も聴こえる。いつまでも籠城できる、というのは望み薄だ。
「ヒアンシー。この部屋に、非常口……といったものはあるのか」
……どうでしょう、私の知識では何とも……教員助手に、樹庭の全ての情報が与えられるわけではないので……
肩を落とすヒアンシーに、気にするな、と丹恒は首を振る。そんな都合良く脱出できるということは、もともと期待していなかった。が。ヒアンシーはぎゅっと手を握りしめ、顔を上げる。
「ただ。ここは講堂の一つだったはずです。隔壁を閉じたまま、閉じ込められる……というのは考えづらいです。……ですから、別の脱出口があるかもしれません。イカルン!」
「ぷるる!」
呼ばれたイカルンが、ヒアンシーの近くに舞い降りる。
「壁の向こうに空洞がないか、あなたの力で探してもらえますか?」
「ぷるる、ぷるっ!」
「よろしくお願いします。私も、他に仕掛けがないか見てみます!」
「頼んだ。俺も探してみよう」
ぱしゃぱしゃ、とヒアンシーの足音が遠ざかるのを聞きながら、丹恒はさっそく辺りを見渡す。そこは、ヒアンシーが言う通り講堂だったのだろう――かなり広い部屋だった。床は水浸しで、散乱した書物が揺蕩っている。
さらさらと流れる水の発生源をたどりながら、丹恒は近くの壁に手をついた。
教室とヒアンシーは言っていたが、であるのならば、この壁の隙間からこんこんと流れ出している水は、本来存在しないものなのだろう。暗黒の潮の襲来が直接の原因なのかは定かではないが。水を指先に纏わせる――流れを追う。近くの崖までつながっている。
………
この量とこの距離では、隙間を押し広げたところで先に地盤が崩壊する。徒労に終わりそうだ。それ以外に、何か活用はできないか――「ぷる、ぷるるっ!」突然のイカルンの嘶きに、丹恒は背後を振り返る。
「たんたん!来てください……
対角の位置に立つヒアンシーが手を振っていた。何か見つかったのか。足早に駆け寄れば、彼女の正面にある壁は崩落していた。……いや、舞う砂埃を見るに、今壊したのか。
「その、叩いた壁に不自然な反響があったので、イカルンに壊してもらったんですが……
……成る程、これは」
石の煉瓦が側面に積まれた、古く、脱出用の通路であったろう空洞は――土砂で埋め尽くされ崩落していた。ついさっき壁を壊したから、といった様子でもない。原因は不明だが、恐らく、壁から漏水している件と関わりがありそうだ、と直感的に思った。地盤が歪んだか。
「撤去するには……時間がないか」
「地質的に砂が多いです。一度避けれたとしても、また流れ込んでくるかも知れません……
心当たりのある手立てが潰えた――その事実に、会話が途切れる。顔を見合わせた丹恒とヒアンシーの中心。
勇ましい顔のイカルンが、雄々しく手を挙げた。小さな手がぴしっと伸びる。
「ぷるる!ぷるっ!」
「ええっ!?イカルン、あなたが掘るんですか……?」
……気持ちは有り難いが……イカルンの体格では、土砂に押し流されてしまうことだろう」
「ぷる……
躊躇いつつの丹恒の指摘に、威勢を削がれたように、しょも、と頭を下げて落ち込むイカルン。
慌てた様子で、ヒアンシーがその背中を撫でて労った。
「だ、大丈夫ですよ、イカルン。あなたの気持ちは十分伝わりました。ありがとうございます」
………ああ、その通りだ」
その姿に、丹恒は考える……この非常時に、ヒアンシーはもちろん、イカルンでさえも、全力を尽くそうとしている。であるならば。
足元の水。少量ながら絶え間なく流れ込むそれは、新鮮な水源とつながっている――
丹恒は己の掌を暫し眺め、おもむろに、強く握りしめた。――顔を上げる。
「ヒアンシー、潮時だ」
「あ……っ」
丹恒の呼びかけに、ハッとした様子のヒアンシーが扉を振り返り――ぐ、と手に持った杖を強く握りしめる。
視線の先、分厚い鋼鉄製だろう扉は、ぎちぎちと変形し、隙間からは造物の手が覗いている。決壊するのは、もう間もなくだ。
その、まさに終末と呼ぶべき光景を視界に収めながら――すう、はあ、と深呼吸をしたヒアンシーが、完璧な笑顔で振り返る。
――大丈夫。大丈夫です。
なんとしても、たんたんはオクヘイマまで送り届けます。――私の命に代えても、必ず。
これでも、私も、黄金裔の一人ですから。大丈夫です!」
………
いつも通りの口調と態度をかけらも崩さず、そう口にする姿に、丹恒は幾度目かも分からない敬意を抱いた。彼女が抱く、人々を率いる黄金裔としての覚悟は、決して飾りではない――だからこそ。
……ありがとう、ヒアンシー。
だが――お前が命を懸けるのは、今では無いだろう」
「で、ですが……
「俺がやろう」
だからこそ、ここで彼女を失うなど、万に一つもあってはならなかった。開拓の行人として、なにより、彼女の友人である丹恒として、それは許されないことだ。
言い切った丹恒は、足元の水に指先で触れる。ちゃぷ、と波紋を描く液体は、けしてなじむことのない異国の水だが――決して御せないことはない。いや、御してみせよう。
「詳しく説明することはできないが、少しばかり手立てがある。
俺の合図と共に、扉を開けてくれないか。そして、開き始めたら俺の元まで戻ってきてくれ――こちらから仕掛ける」
………
ヒアンシーの視線が、数秒、丹恒を戸惑ったように見据えて。
「わ……分かりました。たんたんが、そういうのなら。
……イカルン、こっちへ!」
「ぷる……?」
聞きたいことの全てを飲み込み。硬い顔で頷いたヒアンシーが、操作盤のある壁まで走り出す。後を追うイカルンが不安げに振り向くのに、丹恒は安心させるように薄く微笑んだ。
直ぐ、正面の扉に視線を戻す。ぎ、ぎぃ、と軋む扉の向こうを注視する。不規則にしか思えないその乱れの内側に流れる、波のような鼓動を注視する。
「(挙一明三)」
「たんたん、いつでも行けます――!」
「(君命無二)」
「ぷるるっ」
「(一意専心――)」
――今だ!」
鋭い叫びに、ガコン、とヒアンシーのほうから物音がした直後、駆動音が扉から鳴り響く。ねじ曲がった扉は怪しい音をがなり立てながらも、徐々に開いて――溢れ、飛び出す数多の造物の視線の先。
目を伏せた丹恒は、身動ぎもせず、ヒアンシーが堪らず叫ぶ。
「たんたん――!」
その、呼び声に応えるように。

――飲月君が、目を覚ます。

――蒼龍よ、世を濯がん!」
瞬間。叫びに応じるように背後から立ち上った水柱が、彼が指し示す正面へと軌道を変え、全ての造物を飲み込みながら通路を満たしていく。恐ろしいほどの轟音とともに、視界にあった造物があっという間に流され、押し潰され、見えなくなる。
呆然と、イカルンを抱えたヒアンシーが呟いた。「す、ごい……
意のままに水を操る能力。海洋のタイタンの力でなくて、どうしてこのような事ができようか。一体彼は何者なのか。見開かれた、彼女の視線の先――二本の角を額にたたえ、水面を歩くように宙に浮き、長い髪をたなびかせる異質な風貌の青年。ああ、それは、海洋というよりも、大地の――
ぱしゃり。水音に、ヒアンシーは我に返る。
扉が完全に開ききる頃。彼が翳していた手を下ろすと、途端水流も止まる。通路に転がる造物の影は、活動を停止したのだろう、程なく消えていく。
青年はふう、と一つ息を吐くと――「ヒアンシー、イカルン」
「あ、は、はい!?」「ぷるっ!」
視線を向けられ、あまりにも普段の調子で名前を呼ばれたヒアンシーが、戸惑い気味にイカルンと一緒に駆け寄る。その事を気にせず、青年は続ける。
「一旦、見える範囲を一掃したが。あれほどの量が湧き出る以上、いつまで持つかわからない。早くここを出るとしよう」
「え、っと。それは、了解なんですが……
あの、たんたん……なんです、よね?
なんだか、すごく、雰囲気が……
戸惑い気味の問いかけに。飲月君――丹恒は、ほんの少しだけ寂しそうに目を伏せると。
――そうだ。違わない。俺は、俺だ」
どこか寂寥と、決意の滲む言葉。
「そう、なんですね……
……分かりました、行きましょう!」
……ああ。すまない」
その葛藤すらも、一瞬で見抜いたのか。何も聞かず、ただ頷いて走り出す彼女の優しさに。丹恒は救われた心地で目を伏せた。



「で、出れました……!良かったぁ……
「ぷる……
「ハァ………2人とも、怪我はないか」
造物をことごとく水で押し流しながら、走り続けてどれくらいが経ったか。
ケファレの光が差し込む場所まで戻る頃には、全員へとへとだった。地に足をつけ、普段の姿に戻った丹恒が、服の裾を払いながら2人に問いかける。
えへへ、とくたびれた顔で笑うヒアンシーが、ぎゅっと握った手で無事をアピールした。
「はい、私たちは大丈夫です!たんたんのおかげです……たんたんこそ、何ともないですか?」
……そうだな。外傷はないが……故郷でない分、かなり疲れたな」
「そうですか……
ぺちゃりと床に沈んだイカルンを撫でながら。ちらり、ヒアンシーの目が、丹恒をうかがうように向けられる。
………気になるか」
何が、とは言わなかったが。「そうですね」と、意図を汲んだヒアンシーは呟いて。
「でも、たんたんが話したくないのなら――少なくとも私にはそう見えます――、無理に聞くことはありません。
私にできることは、貴方の尽力に感謝することだけです」
………
「学者の端くれとしてはたっ………っくさん、聞きたいこと、ありますけどね!」
「正直だな」
「はい。言いたいことは言える時に言わないと、後悔しちゃいますから!」
そう口にしてから、あ、と手を叩くと。
――とってもカッコよかったですよ、たんたん!」
「ぷる!」
にっこり。ヒアンシーの笑顔と、元気なイカルンの声に、丹恒はむ、と複雑そうな顔をして。
……享受しよう」
粛々と頷くものだから、ヒアンシーは堪らず吹き出した。