「おや、立花先輩ではないですか。善法寺先輩も。」
狼煙をあげておいてこれだ。相変わらず飄々としている。
「どうやってここを知った?」
「え
……仙蔵、頼んだわけじゃなかったの?」
河川敷に着き、馬の上から声をかける。喜八郎はとろんといつもの調子で、私たちに特段構わず焚き火を左手でいじる。利き手に違和感をもって右手を見ると、頭巾を硬く巻き付けてあった。
「伊作、喜八郎の右手を診てやってくれ。」
喜八郎はぎくりと固まって、顔を逸らす。
診て、と言われてすぐに察した伊作は、鞍に手を添えてさっさと馬を降り、喜八郎に駆け寄る。問答無用で布をほどかれた右手は、真っ赤に腫れ上がっていた。
「中手骨が折れてるのかも。」
喜八郎の右手を両手で支えながら、伊作が丁寧に観察する。そうっと、手の甲の骨にそってなぞる。人差し指側から順に撫でて、薬指の延長をなぞった時に喜八郎が呻いた。
「ここだ。変に曲がってないとは思うけど
……、帰ったら新野先生にも相談しよう。骨継ぎは、先生が詳しく知っておられるから。」
「治るのか?」
馬から降りて、川辺に寄せる。馬は頭を下げて数歩降り、水辺に口をつける。
「細い骨だからすぐ治るよ。でもよく動かすところだから安静にしないと痛むかも。添木を当てて、固定しよう。」
ほっとした。
手頃な大きさの添木を、と、川辺を注視する。ひとつ、小ぶりなしゃもじほどの流木を見つけて拾う。
「伊作!これでいいか?」
ぽんと放って、伊作はよく見ていない様子だったけれど難なく受け取った。風呂敷包を開いて、中から包帯を取り出す。喜八郎の右手に添木を当てて、せっせと手早く包帯を巻いてゆく。きゅっと巻き終わりを結ばれて、手当てが済んだそこを喜八郎は興味深げに観察している。
「
……すごい。痛みが落ち着きました。」
「良かった。
……これは、踏鋤の握り方がいつもと違ったかな?」
「はい、二つ目の打撃を入れた時からおかしくて
……」
手の腫れに至った角度と強度を伊作が聞き出している。いくつかの質問に、はい、いいえ、それはこうです、と喜八郎が答えていく。一通り話し終えた様子を見て、僅か空いた間に、二人の顔を見る。
「さて、
……聞かせてもらおうか。」
ぴりっと空気を締めて、焚き火を囲むように私も近くへ腰を下ろす。目を逸らす喜八郎をじっと観察する。
口を噤んでいたが、観念して、俯いて、喋り出す。
「出立の日を、たまたま、聞き齧りまして。」
「盗み聞き。」
訂正する。これは、絶対に張っていたと見た。
「
……盗み聞きまして。それで今朝、明け方から、六年長屋を張りました。」
ふむ
……と言葉を待つが、喜八郎はそこで顔を横に向けた。これは、まだある。教員からの指示ならばそう言うはずだ。
「私の部屋に入ったな?」
「
……ふ、文机の中の、依頼書を見させてもらいました。」
「無許可侵入し、盗み読みと。」
ハラハラした顔で伊作が私を見てくる。そわそわして、申し訳なさそうな表情が視界の端にうつる。
「
……申し訳ありません。」
「うん。宜しい。」
はあ、と喜八郎が息を吐く。
「喜八郎。」
びく!と顔を上げた、その瞳を見て言う。
「ありがとう。助かった。」
大きな瞳が、もう一段見開かれる。唇がくしゃっとする。はあっ
……と、大きくため息を吐く。
「
……あの間合いで刀振られると思ったら、生きた心地しませんでしたよぉ
……」
「自信はあったさ。苦無と棒手裏剣もあったし、向こうは素人のようだったし。」
「農民は鍬振ってて
……腕力あるじゃないですか
……」
尤もだ。得物の長さの差も、本当は心配だった。けれど、争わないと決めたとて、あの様子の伊作を抱えて逃げ切れるかが懸念だった。
間違いなく、私たちは喜八郎に救われた。
「心配かけたな。すまなかった。」
「刀くらい、持ってきてくださぃ
……」
喜八郎は俯いて、声は尻窄みで、本当に気を揉んだのだとわかる。気運も判断力もある、良い後輩を持ったとしみじみする。
恨めしそうな顔を上げた喜八郎は、私たち二人の顔を見比べた。
「
……六年生、って、違いますねぇ。」
「四年生と、か?」
頷く。
「ああいう忍務ばかりなんでしょうか。僕は
……、こういうのもやる必要があると思えましたが、守一郎はどうだろうか、とは思います。」
「あいつは編入してきたばかりではあるが
……」
「変装だって、見た目だけじゃない。『知っていなければ』『場数をこなしていなければ』話せない。プロ向けの忍務じゃあないですか、今日のは。」
確かに、そうだ。私が今し方得てきた情報は教員を通して売られる。あの町はいずれ落とされる。制札の類は見当たらず、有力者の後光もなくなっていた。荒れているが使いやすそうな土地だ、すぐに領地になり、寺は焼かれ、新たな町になるだろう。
「そういう中で、お前の活躍は目覚ましいものだったよ。」
「褒めておられますか?」
「勿論。自慢の後輩だ。」
喜八郎は少し俯いて、唇をモゴモゴした。
「少し、気が済みました。」
飄々として見せているが、機嫌がいいときの態度だ。喜八郎は笑ったり喜んだりという表情を隠すところがある。それでも滲む感情が見分けられて、なんだか可愛い。
「僕、課題は善法寺先輩に頼みます。」
「
……ん?課題?」
伊作もこちらに気を向ける。
「はい。閨事を実施して、ことの流れと工夫を報告する課題です。」
「閨?僕に?」
瞬く。伊作も、急な指名に不思議そうにしている。課題は、というのは何だ。何を引き合いにした?
「何故伊作に頼むんだ?」
「善法寺先輩は人体への知見が深いと改めて感じましたし、立花先輩には、先日断られましたので。」
伊作はそわそわと何か言いたげにしている。どうしてか、私を取り巻く人間が近寄ろうとするときにこうなる。文次郎が寄ってくると黙るし、作法委員の面々が話しかけてくると用事を思い出す。僕の事は気にしないで、と、声が聞こえてきそうなほどに。
「
断ったのは、個人的な相談だろう。課題があったとは聞いていないぞ。」
「そうでしたっけ。」
ぽやっと言って、喜八郎が私と伊作を見比べる。
「ではお二人に頼めますか。」
「ええと
……僕は記録とか監督、かな?」
「いえ、お二人に触れて欲しいです。」
要望が豪胆すぎる。後輩の顔をして、肝が座りすぎではないか?
けれど
……
先刻踏隙を打ち込んだあの刹那、眼光は「闘う忍」だった。私は見たことがある。長物を意のままに操り、まるで重さを孕んでいない様相で空を切り、と思えば躱しようなく重く鋭く突くその手練を。嘲るように、針の穴を通すように見透かすその手管を。
喜八郎は喜八郎だ。
けれど私は見紛った。
救われた瞬間のあの安堵により、私は私を取り戻し、怒りを吐いた。寺の男が当然の顔をして搾取した"イサク"は、私が大事にする一人の人間であると主張できた。
仲間が横にいると知った時のそれだった。胸のつかえが取れ、自分が在るが儘に振舞える、あの空気。
私は喜八郎を、年下扱いし過ぎているのかもしれない。喜八郎は、二つ上の先輩からの指導で心根を腐らせたりしないのかもしれない。
「触れてくださいますか?」
きょろっと大きい瞳が、懲りずに期待して私を見る。
「
……ああ。引き受けよう。伊作、付き合ってくれまいか。」
おずおず、伊作は頷いてくれた。伊作が喜八郎を見る。
「僕がいていいの?仙蔵に一回頼んだんだよね?」
「はい。善法寺先輩とご一緒でお願いしたいです。お二人が昼にも交わっておられたのが、とても綺麗だったので。」
「「昼?」」
揃った私と伊作の声は、先ほどより二回り大きかった。
僅か間が空いて、ふと伊作が顔を上げる。そのおかげで私も近付いてくる足音に気がついた。
「あれは、滝夜叉丸と、三木ヱ門です。」
喜八郎が言って、二人分の薄い駆け足に合点が行く。大きく音が立たないようにしている、忍の走り方だ。
「喜八郎ぉ!立花先輩、善法寺先輩!」
「合流されてたんですね!」
ざざっと駆けてきて、私の元へ来て、膝をつく。先に三木ヱ門が口を開く。
「立花先輩、忍務で寄られていた農家に我々は張りました。」
伊作は沈黙したまま、気配が変わる。
「何か、特筆することがあったのか。」
「それが
……、戻ってきた頃に言い争いがありました。一頻りのあと会話が落ち着いたので様子を伺っていたのですが、突然女の方が男を襲いまして、返り討ちに遭いました。」
女は妻と見ていたが、私の言葉で参ってしまっただろうか?投げかけた言葉を思い返す。俯いた滝夜叉丸が続ける。
「その後
……男の方が家に火をつけました。茅葺き屋根が燃える中、見間違いでなければ腹も切って、自害を
……」
「自害?」
視界の端で、伊作が口元を抑えるのを見た。顔を上げて、改めて真っ直ぐに伊作を見る。口元を隠したまま、伊作が少し息を吐く。
「親殺しだから、涅槃に入ったんだと思う。」
違和感に、背筋がざわつく。親殺し?私には、女は我々と変わらない程度の年頃に見えていた。随分と若い妻を娶ったか、娘ではないのだろうか。さまざまに疑問が湧く。涅槃も、ここでは引き合いに出すべきではない。
「自害を選ぶことを、涅槃と説くのか?」
「あの寺ではそう。僕はそうは思わないけど。」
私の瞳を見返す伊作の目は、焚き火の炎に照らされて、
ただ静かに、めらっと光る。
ここで問うのは野暮だろう、と、一段落だけ観念した。
「わかった。あとで話そう。お前たち、この後の話をするから聞いてくれ。」
四年生の三人が顔を上げて居住いを正す。
必要な情報は得られたこと。
あの寺の管理者が、今回自害した男であること。
あの寺は七年ほど前に活動を止めていたが、稚児の教えを悪用する良からぬ町で、寺であったこと。
三人は真剣に聞いて、その手元、拳はぐっと深く握られていた。
「情報収集はでき、現場から概ね無事に離脱できた。あとは報告で済む。忍務の報告には、お前たちの名は出さない。今日見聞きしたことは墓まで持っていくように。」
一同、えっ、と言わんばかりに驚いた目をする。三木ヱ門は薄く口も開いている。
「
……あのなあ。何と言って出てきた?出門表には何と書いたんだ。」
「
……野営自主練、です。」
「それで、そこそこ距離のあるここまできて、先輩の忍務に無断で参加したと話して、
……お前たちの先生は褒めてくださるか?」
誰からともなく、う〜
……と唸る。教員から指示される忍務は、事前によく確認されて、難易度や適正で分けられる。補助に当てがわれることも、学園長が絡んでいなければ学年一つ飛びにはなり得ない。
「私個人としても、
……あの町の話を無闇に広げたり、騒ぎ立てたりをしたくない。言い方次第でお前たちの実技評価を上げてやれるところすまないが、私の我儘と思って聞き入れてくれまいか。」
それぞれに見合わせて、私の顔へ視線が戻る。
「はい。」
「平滝夜叉丸、このことは絶対に口外致しません。」
「承知しました。」
三人からはっきりと約束してもらい、少しホッとする。
私の推察では、七年前、あの寺の住職と坊主を殺したのは伊作だ。それを、今日会った男も握っているようだった。学園の教員たちは報告の後、この町へ追加調査に来るだろうか。
放っておいても落ちる町といえ、年齢と下の名前は、寺に記録があれば伊作と一致する。
取引先と言えそうな惣や村、町の名前はつらつらと頭に入っている。関わった全ての人間が稚児遊びでどうこうしたかと言えばわからないが、広々とした畑や大きい作りの農家が、荒れて空家ばかりになっていたのは事実だ。
僧侶が死んだことで稚児遊びはできなくなり、声が大きい者の抑圧も無くなった。
あの農家が焼けた事は、かえって良かった。何を隠す気で焼いたかはわからないが、あの男が日記をつけていたとして、伊作の特徴が書かれている懸念はもう気にしなくて済む。
寺に稚児の入出記録はあるのだろうか。それを教員が見たら、伊作と紐付くだろうか。紐付いた場合、
……住職と坊主を毒殺したとわかってしまった場合、どう判断する?守ってもらえるか?もし、この寺にゆかりのある人間がいたら、どう思う?もしこの宗派を熱心に学ぶ人間がいたらどう思う?
寺は、私が今戻って焼いておいても良いのでは無いか?
他の住民は、どれだけ七年前の稚児事情を握っているのだろうか。
何人住んでいて、そのうち何人が知っているのだろうか。
何人だったら、
………………
ぞくりと、胸が震える。
軍師とは、城主とは、組頭とは、これを胸に指揮を取るのか。
私と伊作ならば、遂行できる。日頃の忍務は、「言われたことを実行する」ものであった。これまで実施したことは、工夫も、鍛錬も、勉学も、根回しも、まだ"一端"であった。何を遂行する。何を果たす。何を獲る。
自軍を勝たせたい。
城を守りたい。
主に応えたい。
同級生に、心からの安寧を与えたい。その為には、
「
……仙蔵。」
ハッとして、声の方に顔を向ける。
「怖い顔してるよ。」
「
……そうか?少し考え事をしていた。」
優しく微笑んだ同級生が、私の瞳を見て、少し言い淀んでから、言葉を紡ぐ。
「忍務は、済んだんだよね。なら今日は野営をして帰ろう。明日の昼間に帰れば、文次郎も留三郎も、小平太も長次も安心するよ。」
同級生たちの名前を丁寧に挙げる。自分の心拍数が、妙に早まっていたと気付いた。深く呼吸をして、少しずつ落ち着けてゆく。
「そうだな。それに、喜八郎を新野先生に診せなければ。」
「はい。夜明けまで休んで、帰りましょう、立花先輩。」
いつになく真面目な調子の喜八郎が私を見つめる。その瞳にまた、私は安堵する。
迷ってはいる。私の懸念は晴れてはいない。
けれど、帰ろう。
きっと伊作は私の懸念を見透かしている。自罰でも遠慮でもなく、"もう関わらない"と、強く思っている。
五逆罪でも無間地獄でも別に構いやしないが、私が手当たり次第に他害するのは、きっとお前は好まないな。
保健委員長、善法寺伊作。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.