せいたろ(sitr)
2025-05-10 09:50:54
7880文字
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教えてほしい

隠し湯( https://privatter.me/page/67e56545a051d )から学園に帰る伊作と仙蔵。
六年長屋の庭先に残された踏鋤を留三郎が見つけ、届けることになる。

濡れ場なし 隠し湯(前々作)のピロートーク?+わちゃわちゃ
伊仙 仙伊 仙←←←綾

転載•改変禁止

然程の時間はかからず、伊作は気がついて私にしがみついてきた。湯に揺蕩っていた脚がじゃぶっと櫂いたので、安心させようと抱き直した。
「は、 ……あ、と、んで…………
げほげほと咽せながらも伊作は重心をすぐ捉えて、湯船の底に座る。尻をついても水面は胸あたりの水深で、ふー……っと深く息を吐く。
「大丈夫か?」
「うん……、ありがと……
するっと離れて木枠の外へ向いた伊作は、立ち膝で少し湯船の外に身を乗り出した。手鼻をかんで湯船の外にそれを捨て、二度ほど繰り返して、一息ついた。
私に背を向けて、伊作は少し俯いている。
……せ、仙蔵、ああいう風にすること、あるんだ……
「ん?……どれだ。」
ああいう風、という伊作は唇を少し尖らせて、モゴモゴと続ける。
「もうだめって、言ったのに。」
……もうしないか?」
「や……
振り向いた伊作は困り顔で、唇を結んで、抗議の顔をしている。
眉を寄せて、眉尻を下げて、顎をきゅっとして、その続きは言わなかった。その様がどうにも可愛くて、難しくて、複雑だった。
……仙蔵は、もうしたくない?」
「したいよ。」
すぐに答えると伊作はぶわっと耳を紅潮させて、少し俯いて、小さく「僕も」と呟いた。
ほっと緩む感じがお互いに流れて、私がふっと口を緩ませると、伊作もふはっと笑った。
「仙蔵だって助平だ!」
「そうとも。私にだって性欲くらいある。」
おお、と目を丸くして、伊作は何やら反芻する。
……確かに……
そういえば伊作は、初めて寝た柚子湯の夜も、私が伊作に対して昂っているのを見て何か言っていた。
「そんなに私は、清潔に見えるか?」
「ほかの四人がちゃんと男子だなってのはしっくりくるけど、仙蔵って別に……酔って下ネタ話したりとか、おっきいカブトムシ捕まえてきたりとか、しないから。」
まじまじ言うので吹き出してしまった。
「か……カブトムシを捕まえてきた方が、性欲がありそうか?」
「何だろう、男子っぽさ?」
「女っぽい訳ではないだろう。」
そうだけど、と、悩んでしまう伊作はもういつもの調子で、くるくると明るく表情を変えて楽しげだ。
「お前はお前で腎張だな。」
「うっ……気にしてるのに……
「遅漏でもないのが不思議だ。回数も量もそこそこあるし……
ん?という顔をして何か考えているので、少し遮るつもりで伊作に近寄る。つっと耳元に唇を寄せる。
「次は張型も持て。お前と一緒の回数こなしては私は枯れる。」
「やだ!」
ぱっと反論する伊作を横目に、大きく笑って立ち上がる。
「これ、湯を抜いておけるか?」
「一回全部抜くよ。すぐできる仕掛けがあるんだ。」
「それはよかった。好き勝手使ってしまったからな。後に浸かる者に悪い。」
手桶をとって、湯の引き出し口へ歩み寄る。さら湯を注ぎ入れながら、髪から簪と櫛を抜く。ぱさっとほどけ落ちた髪を軽く左右に振って、手桶の湯を頭から被る。
帰ったら、午後一番くらいか。
私たちはさら湯を浴び直して、髪に櫛を通して入浴を終えた。
湯船は木枠に手のひらほどの小さな門があって、湯を抜くのは簡単だった。少し先に小川があり、抜いた湯はざばざばとそこへ流れて行ったので辺りが水浸しになることもなかった。
すのこをひたひたと歩いて小屋に行き、身体を拭いて帰り支度を整えた。おむすびを食べながら他愛のない話をして、お互いに瞳を見て、笑い合った。
不意に会話が途切れると、伊作は私の瞳を見て、何も知らない子供のように微笑んだ。
その自然な稚さに内心困ってしまったが、微笑み返す。顔を寄せると、当たり前のように伊作からも頬を寄せてきて、私たちはお互いに横顔を触れ合わせた。
僅か接触するだけの口付けをして、小屋から出る。伊作は背負い籠を肩に引っ掛けて、私は藪を出るまでは少し後ろを歩いた。小道に出てからは隣を歩いて、うららかな午後の道のりを二人で帰った。



出先から学園に帰り着くと、正門で文次郎と留三郎が待っていた。
「わざわざ出迎えなんて、何かあったのか?」
不思議に思って問うと、二人は一度見合わせて、文次郎は持っていた木製の道具を目の高さに持ち上げる。
「これが六年長屋の庭先に落ちていてな。」
そう言って差し出されたのは、見覚えのある踏鋤だった。留三郎が言うには、昨日の日中には落ちていなかったものらしい。
「修補した壁の点検ついでに植樹を見回ったから、間違いない。夜に来て、置いて行ってしまったのだと思う。」
夜半にうろうろする者がいることはあるし、それが喜八郎というのも、別に珍しくはない。しかし、喜八郎があんなに大事にしている踏鋤をそこいらに置き忘れて自分だけ帰るというのは、あり得ない。
「僕と仙蔵の話し声を聞いちゃったかな。」
「話し声というか、……お前たちのレポートの仕込みを聞いたんだろう。」
神妙な顔をして、私たちの顔を見ずに留三郎が言う。照れが勝るのか低学年の頃から、留三郎はこの手の話題になるとむずがったり焦ったりする。
いつもの調子の伊作に、留三郎はそわそわと居心地が悪そうだった。
「私は喜八郎とはこの手の話をしないからな……、どう受け取っているかわからん。耐性が無くとも、座学は四年ならぼちぼちあったと思うが……
「座学と、身近な者の閨は違うだろう。」
ぱっと言い返してきた留三郎を文次郎が見ていたが、揉めるでもなく、揶揄うでもなく、私に視線を戻してきた。
「勘繰っていても仕方あるまい。届けてやろう。これはやはり、綾部喜八郎がよく持ち歩いている踏鋤なんだな。」
「これは喜八郎のもので間違いない。私が届けるよ。」
「そうか?俺が行ったって良いんだぞ。」
意外そうな顔をする文次郎を、心配そうに留三郎が見る。何故お前がそういう顔をするんだ。
「明日には委員会もあるし、さっさと顔を見せてやりたい。喜八郎は聞き分けは悪く無いし、きっと少し驚いただけだ。」
「確かに、お前には聞き分けがいいな。」
では任せる、と、差し出された踏鋤を受け取る。そこで文次郎は六年長屋へ、留三郎は用具委員へ向かうと言って解散した。
「僕も行くよ。」
「いや、気にするな。あれは少し私に甘えているところがあるからな。他の者はいない方がきっと伸び伸びするんだ。」
気を揉んだ顔をしていたが、伊作はこれで納得した。
「わかった。けど、説明に必要ならすぐ呼んで。実際にレポートもあるんだし。」
「ああ。……いや、まあ、私とお前がどうだって、喜八郎に配慮する理由はないのにな。」
はた、と一度伊作の動きが止まる。少し首を傾げて、小さく唸る。
「そうだけど……、取られちゃうって心配したんじゃないかな。」
「私は喜八郎の所有物ではないぞ。」
「そうだけど。慕っている先輩に相手がいたら、ちょっとは思うところあると思うよ。」
色恋沙汰になると日頃ぱやぱやしているが、今日はまともなことを言うので少し驚いた。お前はお前のことを好きで仕方ない男と寝起きして何もないのに、先輩に懐いたくらいの後輩を心配するのか。
「確かに慕われているが、喜八郎は別に私をどうこうしたいという感じじゃあないさ。そも三禁があるだろう、学習以外の都合で色事を後輩にふっかけることは、私には無いよ。」
「う〜ん……。とにかく、心配してるからね。」
わかったわかった、と宥めて、私は伊作が長屋の方に行くのを見送った。



踏鋤を持って、四年長屋へ向かう。軒先で、忍具の手入れをしている者の姿が見える。平滝夜叉丸が、戦輪を磨いているようだった。
「熱心だな。」
「あ……立花先輩!」
畳んだ風呂敷の上にそっと戦輪を置いて、滝夜叉丸が座り直す。
「喜八郎はいるか?」
滝夜叉丸が答える間も無く、すらっと引き戸が開く。むすっと口に不満をたたえたその人物は、喜八郎だった。すぐに踏鋤を差し出す。
「これを忘れて行っただろう。」
「えっ……それでか?様子がおかしいのは。」
驚いた声を上げる滝夜叉丸をチラッと見て、また喜八郎に視線を戻す。踏鋤を受け取って、会釈程度に頭を下げて、喜八郎が口の中で呟く。
「ありがとうございます……
不貞腐れた顔、態度、声色。二歳下とはこんなに幼かっただろうか、と僅か思案するが、こんなものだ。というか、六年だってガキ臭い時がある。
「その態度は先輩に良くない、喜八ろ……
「すまない、外してくれるか。」
嗜める滝夜叉丸を遮って、微笑んで見せる。すぐに引いて、ぺこりと頭を下げて、滝夜叉丸は磨きかけの戦輪を抱えて、長屋から出ていってくれた。
「お前がそれを、六年長屋の軒先に置いて行ったというから。」
少し顔を背けて口を噤んでいた喜八郎が、やっと唇を動かす。
……お入りください、立ち話もなんですので。」
示される通り中に入ると、喜八郎は座布団を出してきた。衝立で仕切った部屋の右奥へぽふんと置いて、自分の分も近くに置いて、つろっと私へ視線を向ける。二人きりになった途端、今度は不安げで、ほんの少ししおらしい。
奥に置かれた方の座布団へ腰を降ろす。
喜八郎はそっと足音なく歩いてきて、私がすわりを落ち着けるのを待ってから正座する。
「昨晩はどちらにおられましたか。」
「は部屋だ。」
ぴく、と喜八郎の顔がこわばって、俯く。
「は部屋で、何か……お話されていましたか?」
「課題があって、それに取組んでいたよ。」
細く息を吐く気配を感じる。喜八郎は何かに耐えている。平時の、マイペースな、穏やかな、ゆったりと甘えた気配ではない。
「課題、ですか。それだけですか。」
「ああ。それだけだよ。」
……うそ。」
声が僅かに震えている。俯いたままの喜八郎の顔は見えない。
「課題でお互いに、あんな、い、慈しむのですか。好きと言い合うのですか。僕はあんな課題は知りません。」
「私は……嘘なんかついていない。」
ぱっと顔を上げた喜八郎は、眉を寄せて困り顔で、こんなに心を荒らした表情は四年見ていても初めてだった。
「僕にも御教授ください。」
ざわ、と胸が冷える。
……学園の指示でなければしない。個人的な色の相談は下級生からは受けない。」
「どうして……
喜八郎は納得しない声を出して、もごもごと言葉を探している。
「学園では、監督することはあれど教員から色の実技は無いではないですか。上級生が教えると聞いています。」
私の身体が上級生に無碍に散らされた過去がずっと気色悪いからだ、と、あっさり言ってしまうべきか。奇しくも二つ上だった。変な男がいた。教員に気取られないよう動くのが上手かった。
私はあの男ではない。
私を散らしたあの男はもういない。
綾部喜八郎は、私ではない。

ただ、腹の底にいる私の雄が
大事な後輩に欲情するのかと思うと
それだけで冷たいものがじくじくと広がってゆく。

「そんなに上級生が良ければ、お前には私を除いても十人いる。年上というだけならばもう一人……
「そういうことではありません!」
遮られて、口を噤む。
「それでは意味が無いんです。歳上に拘っているわけではないんです。」

言うな。

「僕は」
言うな。もう言うな。目で訴える。
「僕はあなたに拘ってるんです。立花先輩。」
「私はお前に、何かしたか?」
少しでも逸らしたくて問う。
「言いません。それは僕だけの宝物なので。」
きっぱりと言い放たれて面食らう。確かに見目や知性は優れている方だと自負もあるが、私よりも長く時間を過ごした友もいて、まだ変な大人にいじくりまわされた訳でもきっとなくて、健やかでまっすぐなお前が、どうして私を引き合いに出して色をねだるのか。
「僕もお尋ねします。何故僕のお願いを断るのですか。二歳下は眼中にありませんか。僕は立花先輩に見目は気に入られていると思っていました。」
勢いよく捲し立てられて、はあ、と気が抜ける。
「お前の見目や中身はさして問題ではないよ。好きな部類だ。」
「そうでしょう。それで潮江先輩ならまだわかるのです。」
…………?どうして文次郎が出たのか、怪訝な顔になってしまう。種類が違う。性格も違う。
「どうして、善法寺先輩なんですか。」
「ん?伊作と、お前を比較しているのか?」
「善法寺先輩が良いのなら、僕だってもっと、あなたの中で価値が高い筈でしょう。そんなの、……そんなのは、」
声が震える。ハッとして何か言わなければと思った時には遅かった。

「あきらめられなく、なるではないですか」

「たちばなせんぱいを、お慕いしていること」

拳を作って俯いて、喜八郎が震えている。
演習に失敗して悔しがって泣いていた時は、背を撫でてやった。教員に叱られてむくれていた時は、頭を撫でてやった。罠の仕掛けに自分ではまって泥だらけになったのを見つけた時は、笑ってやった。泥を払って、しっかりしろと言って、仕掛けの見直しを助言した。
今は、
どうもしてやれない。

「私は、そんなにいいものではないよ。」
「あなたはっ、綺麗で完璧で、や、優しくて、なんでもできて……
「お前は私をそう見ているのか?」
私に夢を見ている喜八郎に、私の汚れたところを、浅ましい所を、知られなければいけない。
お互いに、一度沈黙する。
一つ息を吐く。腹を括る。細かいことは誰にも話したことが無かったが、これを話さないで喜八郎を突き放せないと思った。
「もっと、今のお前より幼い時に、二つ上の先輩から……御指南をいただいてな」
話し始めた私の気配をわかってくれて、喜八郎はじっと息をひそめる。
「一年生の冬だ。十の頃なんて、雄蕊と雌蕊の話を習ったくらいで、何も知らなかった。相手は当時の、三年生で、二つ上だ。成長が少し早かったのだろうし、他の三年生と比べても体が大きかった。」
一つ息を吐く。
「火薬庫に呼び出されて、あまり接点がなかったから、先輩がなんだろうと何も考えずに向かった。まだ赤ん坊みたいな十歳と、一足早く二次性徴が来た十二歳なんて、争ったら敵うわけもない。私はそこで、犯された。」
喜八郎の拳が弛んでゆく。
「きっと……今見たらあの男もただの三年生だったろう。でも当時の私は怖かった。授業でも課題でも指南でもない。次の年も、その次も、その次の年も、その男は私に粘着した。怖い目を見ているから私も従順だった。」
喜八郎は息を潜めている。
「たった二年だって、一生越せない。ずっと先輩だ。お前が私を慕ってくれるのは嬉しいが、こんなものだ。お前の望む清廉潔白で美しい立花先輩は、この世には居ない。」
顔を上げた喜八郎と、ぴたっと目が合う。
「お前の前にいるのは、上級生に弄くり回されてそういう身体になって、同級生と課題に取り組む傍ら、それを口実に淫蕩に耽るただの一人の男なんだよ。」
何か言おうと、喜八郎の唇が動く。何も出ないで、困った瞳で、私を見ている。
「罷り間違ってお前の身体に影を落とすことがあったら、私は堪えられない。」
なんとか微笑んで、なるべくいつもの調子で言葉を紡ぐ。
「可愛いお前の、悪い男になりたくない。私が傷つきたくないということだな。繰り返したくないんだ。お前は何にも悪くないし、大切に思っているよ。」
喜八郎の瞳の下側に、ぷっと涙が溜まって膨れる。すぐに決壊して、一雫こぼれ落ちる。泣き顔に僅か動揺した私を見逃さず、喜八郎は私の袖口をはしっと摘む。
……泣いてしまいました。抱き締めて、ヨシヨシしてください。」
要求がなんだか可愛くて、ふっと気が緩む。くんと引かれた袖に促されるまま、腕を伸ばす。喜八郎が膝立ちになって、私も膝で歩いて、両腕でふわっと抱き締めた。
ぎゅっとしがみつく喜八郎は以前よりも力強くて、まだ小柄だが確かに成長しているなと改めて感じた。
「僕を抱くと、あなたが傷つくんですか。」
不満があからさまに声に出ている。幼い。納得できない喜八郎はおとなしく私の腕に収まっている。
「そうなるな。」
「僕はどっちでも構いませんので、そういうことなら逆でも大丈夫ですよ。」
ふっと笑ってしまう。
「未使用でその口ぶりはなかなか勇ましいな。」
「子供扱いですか?」
声をあげて笑ってしまう。よしよしと背を撫でて、触れ合った側頭部を喜八郎に傾ける。
……お話ししてくれたこと、ありがとうございます。」
「うん。初めて詳細に話したよ。」
「他に知っている人がおられるのですか。」
「伊作には、少しだけ話したな。」
……と沈黙する。少しの間が空き、あっ、と気がついたような声を出して、私の肩を掴んだ喜八郎が少し身を離す。向き合った格好で、顔が近い。
「二つ下であることを今の瞬間まで随分呪いましたが、僥倖に変えます。」
喜八郎の両手が私の両頬に触れて、しっかりと支えられて、押し当てられるように口付けられた。驚いて手首を掴んで、顔を背ける。
「善法寺先輩にできなくて、僕にはできることがあります。二つの歳の差があるから、きっとあなたの枷を外せる。僕は諦めないことにしました。」
すらすらと話されて、言葉が出ない。喜八郎は私が押し退けるまま体を離して、元の通り座布団に座った。
「お慕いしています、立花先輩。やっぱり僕の色の指南はあなたに頂きたい。僕に教えるのはあなたであってほしいんです。」

憑き物が落ちた顔で、喜八郎が言う。いつもの様相に戻ったと言える。それはそれで良かったが、困ったことにはなった。

少し遠くから、四年生が数名、雑談しながらこちらにくる声が聞こえてくる。
「喜八ろぉー、団子もらったよ!部屋にいる?」
田村三木ヱ門の朗らかな声で、ふっと引き戻された感じがした。はぁーい、と喜八郎が立ち上がって歩いていき、引き戸を開ける。
「あっ!すみません、お話中でしたか。」
「いや、用はもう済んだよ。」
立ち上がってい部屋を出ると、少し恐縮した様子の三木ヱ門と、心配そうな表情の滝夜叉丸が並んでいた。
「私はもう行くから、気にするな。」
「立花先ぱぁい」
のんびりと私を呼んで、大きな瞳で見上げる喜八郎が、ふわっと緩く微笑む。
「踏子ちゃんを届けて頂いて、ありがとうございました。」

「見つかったんだぁ!今朝持ってなかったからどうしたのかと思ってたよ!」
ぱっと明るく喜ぶ三木ヱ門、安心した顔の滝夜叉丸、そこに並ぶ喜八郎の顔は、少し幼くて穏やかだ。

きっと話は終わっていないし、諦めないというのもどうにか宥めなければ行けないが、今はできることが恐らく無い。
最上級生の立花先輩の顔をして、ひらっと一度手を振った。

そうして私は、四年長屋から出た。
六年長屋に帰ると伊作がいて、軒先で小平太の鍛錬を手伝っていた。しゃがむ、立ち上がる、その繰り返しを数えている。手元では風呂敷の上で、乾かした葉を茎から外す内職をしている。

ただ日常が続いていることが、私には好ましい。

私に気がついて手を振る小平太に会釈する。伊作が振り向いて笑ってくれる。

私はきっと、狡くて賢しい。きっと、もういいと思っている。完璧を目指すことは、私がそうできることだけだ。できないと思うことに心血を注ぐ負けん気は、きっと私は持ち合わせていない。

私に起きたことを無かったことにして、私に嵌った枷を外す努力をするなんて

私には、きっとできない。