かなざわ
2025-07-07 00:03:57
13749文字
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夜の向こうに黄昏の•2

よだつか(になる予定)。プランツドールパロ。あの世界にプランツドールが存在しており、司が夜鷹の子供の頃にそっくりのプランツドールと出会う話。



「純くん、何かあった?」
 前触れのない夜鷹純の登場に司が固まっていると、慎一郎がそう声をかけながら立ち上がった。その言葉から察するに、純の来訪は慎一郎にとっても予想外の出来事だったらしい。
 慎一郎の言葉を機に、純は司に向けていた視線をふっと逸らした。
「携帯、壊れたから」
「ああ、それで来てくれたんだね。今日辺りメッセージ送ろうとしてたんだよ」
「店に在庫がなくて、新しいのが手元に来るの明後日らしい」
「分かった、何かあったら明後日以降に連絡するね。明浦路先生、少し席を外しますね」
「はい」
 盆に急須を乗せた慎一郎に言われ、司は頷くしかなかった。あの夜と同じように、純のお茶を用意するためだろう。
 空いた椅子に腰を下ろす純を見ながら、席の場所まであの日と同じだ、と半ば現実逃避混じりに思い返してしまった。
 居たたまれない気持ちで目線を落とす。司の前に置かれた湯呑みの中、注がれたお茶がゆらりと静かに揺れた。
 胃の辺りがぐっと縮み上がる感覚を覚えながら、けれど司はあの夜と同じように「帰ろう」と考えることはなかった。
 先ほど純が発した言葉が、居心地の悪さを凌駕していた。純は先ほど「その人形の話、どこで聞いたの?」と言っていた。彼は夕のことを、夜鷹純に瓜二つの顔立ちをしたプランツドールの存在を認識している。それを確信してしまった以上、詳しく聞くまではここを動くわけにはいかない。
 純は必要であれば口を開くが、基本的に饒舌な質ではないのだろう。司が緊張で口を噤んでしまえば、二人の間には沈黙が落ちるばかりだ。ささやかな風が庭木を揺らす、さやさやとした音だけが聞こえている。
 膝の上で握った手、その拳の中にじわりと汗が浮かぶのが感じ取れた。
 言わなければ、聞かなければ。今までどんなに調べても幻ばかりを掴んできた、その中で唐突に現れたプランツドールに直に繋がるであろう情報を、ここでみすみす逃すわけにはいかない。
……あの」
 意を決し顔を上げる。口を開きかけた司の言葉を遮るように、パチンと硬質な音が響いた。見ると、純が口に咥えた煙草に火を点けていた。
 どこまでもあの夜をなぞっていて、一周回ってなんだか笑い出したくなる。
 再び目が合った純の表情にはどんな色も浮かんでおらず、何を考えているかは読み取れなかった。コト、と小さな音を立ててライターがテーブルの上に置かれた。
「ご存知なんですか、その、貴方に似たプランツドールのこと」
 煙草を吸いだしたのは、司と話をする気はないという意思表示なのかもしれない。そう思いはしたが、ここで折れるわけにはいかなかった。
 司の問いかけに、純は紫煙を吐きながら咥えていた煙草を指に挟んだ。煙草の先端を灰に変えながら、白く細い煙が立ち上っていく。
「僕からしたら、君がどうしてそれを知ってるのか聞きたい」
「家事代行のバイトで、お世話をすることになったんです。依頼人が、プランツドールの元々の持ち主の方の息子さんだとかで」
 司の言葉を聞いた純が、僅かに片眉を上げたのが見えた。反応を示したのは司がバイトをしていることか、それとも「元々の持ち主」という言葉にか。
……そう」
 伏し目がちに相槌をうった純の視線が、司から外れふっと周囲を彷徨った。
 おそらくだが「金メダリストの夜鷹純」と親交があったのはプランツドールの元々の持ち主だった夫妻なのだろう。司はハッキリと明言しなかったが、彼らが他界していることは純にも伝わったようだった。
 どこまで踏み込めばいいだろうか。あまりに内情に関わる情報だとすると、根掘り葉掘り聞き出すのは憚られる。とは言え夕の見た目を考えると、純が無関係だとは考えられないのも事実だった。
 司としては夕の出自そのものに関しては、さほど重要視していない。気にかからないわけではないが、最優先で知りたいのはプランツドールを扱う店、その在処だからだ。専門家に夕の様子を直接聞けることと、プランツドール用のミルクを間違いなく調達すること。その二つの目標を達成するにはプランツドールの専門店に赴く必要がある。
「プランツドールの店をご存知でしたら、教えていただけませんか」
 何はなくとも、この情報だけは取り逃がすわけにはいかない。問いかけると、煙草の煙を目で追っていた純の視線が再度司に戻ってきた。
 目線が絡む。声音や雰囲気から別に怒っているわけではなさそうだと分かるのに、目が合っただけでビリビリと背筋が痺れるような心地になった。元々憧れていた相手という補正がかかっているのもあるが、そもそも目力の強い人なのだろう。
「知ってどうするつもり?」
「ミルクを買います」
 ミルクはプランツドールにとっては必要不可欠の生命線だ。調べた中には市販のミルクでも代用出来るとの記述も見かけたが、情報に確実性がない以上、出来ることならそれは最後の手段にしておきたかった。
 迷いなく答えた司の言葉に、純は不可解な言葉でも聞いたかのように軽く瞬きをした。純は表情筋がほぼ動かないせいで、どんな感情を抱いているのか判断がしにくい。
 怒っているわけではなさそうだけどこのリアクションはどんな感情なんだろう、と戸惑っているところに慎一郎が戻ってきた。
「お待たせしました」
 慎一郎は以前と同じようにお茶を淹れると、純の前に湯呑みを置いた。
「純くん、現役の頃に人形がどうとか言ってたことあったよね?」
……そうだね」
「その話、覚えていたら明浦路先生に聞かせてあげてくれないかな」
 慎一郎の言葉を聞いた純は、頷くでも首を振るでもなく。何かを考え込むような眼差しで煙草を咥えると、ふっと紫煙をくゆらせた。
 純の態度には慣れているのだろう、慎一郎は急かすでもなく元の椅子に腰を下ろす。
 吸って、吐く。その度に煙草がじりじりと短くなっていく。数回それを繰り返した後、純が手元に置いていた携帯灰皿に煙草を押し込んだ。
……現役の時に僕をモデルにしたプランツドールを作らせてほしいって頼んできたのは、その頃の支援者だよ。君が言ってる元々の持ち主っていうのは、そこ」
 予想通り、というべきか。純はやはり、プランツドールに関わる一端を担っているらしかった。
 純が全く関わっていない、いわゆる肖像権やら諸々を無視した状態で生まれてきたわけではないことに少なからず安堵する。
「よく承諾したね。純くんはあまりそういうの、好きじゃなかったろう」
「支援額の割に、ほとんど要求をして来ない人たちだったんだ。絵に描いたようないい人、っていうのかな。唯一要求してきたのが、僕に似せたプランツドールを作りたいって話だった」
 淡々と話す純は、承諾をしたとは言えプランツドールに愛着はおろか興味もなかったのだろう。むしろこの様子では実際に目にしたことすらなかったのかもしれない。
「作る時に、いくつか条件を出した。作成は一体のみ、家族以外には見せない、情報を外に出さない、他人には譲渡しない」
「え……
「息子は他人じゃないって話なんだろう。そもそもその息子とは折り合いが悪いって話だったけどね」
 折り合いが悪い、という言葉を胸中で繰り返す。思い出したのは、依頼人がプランツドールへ向けていた態度だ。あからさまな物扱いと、依頼人からは決してミルクを飲もうとしなかったという話。
 関係の良くなかった両親が愛していたプランツドールを、彼はどんな気持ちで引き取り手元に置いたのだろう。放置しようとして結局それが叶わず、家事代行に頼ってまで延命させようとしたのだろうか。
「結局、その人形を持て余していたんだろう」
「俺は、依頼主とほとんど接触はありませんでした。けど、本心から疎ましく思っていたなら、お金を払ってまで人を雇うことはしなかったかと思います。ただ接し方に困っていたんじゃないかなって……
 犬に触れた経験のない人が、目の前に現れた犬に突然吠えかかられた際にどんな反応を見せるか。慣れた人なら、犬の状態を見て宥めるか気を引くか、対処法を選べる。けれど犬と接触のなかった人がどうなるかと言えば、その場で立ち竦むしかない。
 おそらくだが、彼はプランツドールへの接し方が分からなかったのだろう。本当に持て余していて放り出したかったのなら、ミルクを購入することも、プランツドールを目覚めさせる香料を入手することもなかったに違いないのだから。
 司の前に何人が同じ依頼を受けたのかは知らない。何が琴線に触れたのかは未だに分からないままだが、夕は司の声に反応し、目覚めるようになってくれた。
 依頼人がその事実を知った時にどんな気持ちだったのか。何を思って正式な書類まで作成し、司にプランツドールを託していったのか。今となっては確かめようのないそれを想像し、苦い気持ちが込み上げてくる。
 司は夕に対して特別な何かをしたわけじゃない。ただ声をかけ、向き合っただけだ。
 たったそれだけのことを、何故してあげられなかったのか。
……その人形、僕が引き取るよ」
「え」
 知らず俯きかけていた顔を上げた。
 純の表情は動かないままだ。何を思ってそんなことを言い出したのか、司にはその意図が読み取れない。
「純くん、君に面倒がみられるのかい?」
 驚き戸惑っている司に助け船を出すかの如く、慎一郎が口を挟んでくれた。その声音から、慎一郎も純が自主的にプランツドールを引き取ると言い出したことに驚いているようだった。
 司と慎一郎、二人の視線を向けられた純がどこかつまらなさそうに手に持ったままだった携帯灰皿の縁を指先でなぞった。
「面倒なんて見ないよ。あれは枯らす」
「な、に言ってるんですか」
 驚きに言葉を忘れていた口から、反射的に声がこぼれる。
 聞き間違いだと思いたくて、否定をしてほしくて、言葉は疑問の形を取っていた。
「枯らすって言った」
「純くん」
「僕と同じ顔の人形に、価値なんてないよ」
 司の言葉に返されたのは、先ほどと代わりないものだった。純は淡々と「プランツドールを枯らす」と言ってのけたのだ。
 さすがに見かねたのか慎一郎が呼び掛けたが、重ねて純から告げられた言葉はフォローどころか更に状況を悪化させる内容だった。
 怒りとも哀しみとも焦燥ともつかない気持ちがこみあげてきて、くらりと目の前が揺れた気がした。
 夕と同じ顔で、違う色の眼差しで、どうしてそんなこと。
 感情のまま口を開くと大きな声を出してしまいそうで、咄嗟に服の胸元を掴んでゆっくり息を吐いた。
……枯らすと分かっていて、俺があのこを預けると思っているんですか」
「君はあの人形に対して責任はないはずだけど」
「あります。貴方が価値がないと判断しても、俺はあのこを家族だと思っている。家族に害を為すと分かっていて、みすみす手を離すことは出来ません」
 枯らす、なんて言葉を本当は使いたくなかった。司が知っているプランツドールは、夕だけだ。その夕は、司からすれば植物だなんて思えなかった。
 一日のうちの数時間だけ目を覚まして、司を見上げ、ミルクを飲んで、羊がテーブルに広げている宿題を眺めたり、耕一が差し出す絵本に首を傾げたり、司が折っている折り紙に手を伸ばしたりする。言葉がなくとも、加護家で過ごす夕は家族の一員になりつつあった。
 夕の顔立ちが夜鷹純に似ているかどうかなど、今は関係なかった。大丈夫、と。家族になりたい、と。自分自身に誓うように夕に対して告げた言葉を、胸中で反芻する。
 差し出した手を握り返された。必死になる理由なんて、それだけで充分すぎるほど。
 絶対に引く気はない。その意思を眼差しに込めて純を見つめる。視線が絡み、暫しの沈黙が流れた後。
「君はあの人形を所有しているつもりかもしれないけど」
「違います、家族です」
「どっちだっていいよ。あの人形の処遇に関する最終権限は、僕にある。あれを作る時に、そういう証書を作った。その僕が枯らすと決めた、そう言ってる」
 証書を持ってきて見せてもいいけど、と。
 何でもないことのように告げられ、司は息を呑むしかなかった。
 自身に顔立ちを似せた人形を作るにあたって、不利益を被らない為にあらゆる可能性を考慮したのだろう。その為の「最終権限」が純にあるのは不自然でも何でもなかった。
 握り込んだ服の胸元、その下で心臓がドクドクと脈打っているのが分かった。緊張と動揺で揺れる鼓動は、あまりにも冷たい。
 どうして。どうして俺は、こんなにも無力なんだ。大事なところで、いつも。
 思考の端がちりちりと焦げつくようだった。何か言わなければ、そう思うのに言葉が出てこない。
……純くん」
 黙り込んだ司に気遣うような眼差しを向けた慎一郎が、純に呼び掛ける。
 純は新たに取り出した煙草に火を点けていた。
 ふうっと吐き出されたのは紫煙か、それとも溜め息だったのか。
「条件が守れるなら、いいけど」
……え?」
「僕が言う条件を守れるなら、その人形を生かしてもいい」
「条件って、どんな」
「あれは僕の手元に置くよ。君が面倒をみに来る分には、勝手にすればいい。僕はあれに一切関わらない」
 この数分で様々な情報が与えられ過ぎて、頭がパンクしそうだった。けれどここは、絶対に間違えてはいけない選択肢だ。それだけはハッキリと分かった。
 純は夕を、自身と似た顔立ちのプランツドールを自身の手元に置く気でいる。その目的は、枯らす為。
 けれど、司が面倒をみて生かすことを止めるつもりはないのだと言う。
「どうする?」
 試すような問いかけ。
 答えなど、最初から一つしかない。枯らすか、生かす為に通うか、なら。
……やります!」
 夕と一緒にいられる時間は減ってしまうが、今まで依頼として通っていた頃の生活スタイルに戻るだけだ。そう自分を納得させる。
 勢いよく頷いた司を前に、純は何を言うでもなく煙草を咥えただけだった。
 司は純と目を合わせたままだった。その瞳には相変わらず感情の波は見つけられず、彼が何を思っているかは分からなかった。
 背筋が痺れるような心地は変わらない。目が合っている、ただそれだけでまるで電流を流されてでもいるかのようだった。
 それでも、逃げるわけにはいかない。
 夕の手を離さない、その為に。大丈夫だよ、と告げた言葉を嘘にしない為に。
 司の決意を余所に、純の吐いた紫煙がゆっくりと立ち上って行った。