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保科
2025-07-01 00:14:32
3538文字
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スタレ
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なさけはひとのためならず
ニャンコのためだよ セファリアの話
「いいですか、セファリア」
と。目の前の澄ました顔の裁縫女が口を開く時は大概有り難いお説教だ。
「情けは人の為ならず、という古い言い回しがあります。これは、誰かにとって役立たない、ということではなく。誰かのためを思った行いが、いずれ自分に返ってくるという
――
」
その言葉の続きが思い出せないのは、当然、嫌気が差したあたしが早々に家を飛び出したからだろう。
家越え屋根越え柱越え。ひょいひょいひょい、と三段跳びで駆け抜けた頃には、もう振り返っても
――
アグライアは当然として
――
誰もいやしなかった。ととと、と仰け反りながら足を止めて、そのへんの街路樹に背を預ける。
「ああぁ〜〜〜もう、いちいち煩いんだよなぁ
……
!」
ちょっとお客さんをからかって遊んだだけでこの始末だ。んべぇ、と舌を出しても、滔々と語られた含蓄の苦味がまだ口の中に残っているようだった。あれ以上聞いていたら耳が神聖さに光りだしそうだ
――
勘弁してほしい。ケファレだってそんな派手な見目じゃないだろう。
なによりも。生きるのが下手くそなあたしを揶揄する厭味ったらしい言葉の端々に、あたしを真摯に見つめるまなざしがあるのも居心地が悪い。聞いていても嫌になるし、逃げ出したって、アイツの、驚いたように名前を呼ぶ声が頭から離れない。
――
何処へ行くのですか、セファリア
――
!
「
………
んにゃあ
……
」
ぐぐっ、と、伸びをしながら見上げた空は、いつもどおりどこまでも高く、どこまでも青い。半端者への当てつけみたいな綺麗さだ。
嫌気が差す。
「
…………
」
もう、帰るのやめようかな。また、昔みたいに
――
ぼんやり、そんなことを思った矢先。
「「ああーっ!」」
「
――
うぇえ、何!?」
近くからきゃあきゃあ、と大声が上がるものだから、驚きに思わず前のめる。
見渡せば、近くの広場にいる子どもたちの声だった。年は違うだろうけれど、背丈はそう変わらない。きっと、同じくらいと思われるだろう。
背の高い木の周りに集まって、何やら騒ぎ立てている。やれ、お前のせいだ、ちがう、そっちが煽ったから
――
「はぁあ、
……
お気楽なもんだね」
オクヘイマは貧富の差がドロスほど大きくない。子供も教育を受けて、苦労せずに行きていくだけの環境がある。それは、どんなに
――
顔が険しくなるのに頭を振る。なんてことない。あたしが思うことは何もない。それだけ。
彼らの指さす方を見やれば、木の枝に小さなボールが引っかかっていた。高さにして子ども5人分、といったところか。表皮は滑らかで下生えの枝は刈られている。大方、暴投でもしてしまって、誰も取りに行けないんだろう。あの類の木は、大した技能もない子どもが登るのは至難の業だ。
フン、と鼻を鳴らす。精々足掻けばいい。騒がしい声は、やがて落胆の声が入り混じる。届かない、登れない、どうしよう、いやだ、大事なものなのに、
「父ちゃんがくれたボールなんだよぉ」ぐず、と鼻を鳴らす涙声。つい、顔が上がる。
「おれの、だいじな」「あーもう、悪かったって、な、元気だせよ
……
」「蹴ったら落ちてくるかもしんねーだろ!」「もう試したって!大人呼ぼうぜ」
「
………
」
『
――
セファリア』
ああ、なんでこんな時に限って、
『いいですか、セファリア
――
』
アグライアの声が聞こえてくるんだ。
「
………………
、
……………
」
知っている。何かをしたって、いいことなんてひとつもなかった。この先もきっとない。あたしの善意なんて張りぼては当然のように報われないのに、あの女が物語る、幻想みたいなお伽噺は、眩しくて。
――
でも、アグライアは、嘘は言わないって、知っている。
顔が熱い。心臓が痛い。浮かされるように彷徨っていた視線が、再び、木の上をとらえた。子ども5人分
――
そんなの、なんてことのない、高さだ。
背筋を伸ばす。フードを深く、深くかぶり直して。
「
―――
やればいいんでしょ裁縫女ッ!」
突然虚空に叫んだあたしに、驚いたらしい子供たちの声がぱたりとやむ。それを気に掛ける余裕はない。
飛翔する弊を使うまでもなかった。ボロ靴の踵を強く踏み込んで、2秒後に蹴り飛ばす。それだけで、
「
……
ほら!」
あたしの体は木の上にあって、掴んだボールはぽーん、と地上に落ちていく。わ、と小さな声が上がって、うちの一人が掴んだのを確かめる。まじまじとこちらを見上げてくる視線が気持ち悪い。吐きそうになるのを、ぐ、と奥歯を噛み締めて。
「
――
もう、変なとこに投げんじゃないよ」
ぶっきらぼうに呟いた。それに、誰かが口を開くより早く。向けられるまなざしの奥を、あたしが見てしまうよりも、早く。早く、早く、早く
――
「
―――
」
枝を強く蹴って、あたしは脱兎の
――
脱猫のごとく、その場をあとにした。
転がるように来た道を戻った。
「セファ
――
」
通りすがりの物いいたげなアグライアの言葉も無視して、与えられた部屋に転がり込む。屋根裏の倉庫にベットと小棚があるだけの部屋はそれでもあたしにとっては随分豪勢で、でも今はそんな感傷に余裕を払う余地もない。ベッドに飛び込んで、薄い布団を引っ被る。
心の中はぐちゃぐちゃだった。アグライアの言葉に乗せられた愚かしさ、もしもに期待する浅ましさ、慣れないことに対する心のざわめき、ううう、と喉の奥からうめき声が漏れ出るのを枕に押し込んだ。
ああ、ああ、ああ、
――
恥ずかしい!
子どもたちの視線が思い出せない。何でも見えるはずの瞳の中で滲んだみたいにぼやけていた。それが、異端に対する萎縮であるのか、コソ泥に対する蔑視であったのか。思い出せない
――
思い出したくない。
不相応なことをした。するもんじゃなかった。なんでこんな、全部あの女のせいだ
――
ぞわぞわと全身を走る怖気に、後悔ばかりがひたすら募っていく。
「うう、う〜
………
」
呻いて、頭を抱えて、自分のバカさにちょっぴり泣いて、また呻いて。
コンコン、とノックの音に、微睡みから目を覚ました。半分ぼやけた意識の中で、恐ろしくないものと判断する。
「
……
何」
だから、掠れた声で返事をすれば、案じるようなアグライアの声。
「セファリア、食事の時間です」
「いらな
……
」い、と言い切るには、お腹が空いていた。さっき分も飛び出したせいで、結局食べ損ねたんだ。ここでの生活も長い。すっかり空腹と無縁となったあたしにとって、食事という習慣は魅惑のものとなっていた。
「いりませんか?」
「
……
いる」
格好がつかない。でも、仕方なく、本当に仕方なく、立ち上がって、部屋を出た。扉の側に立っていたアグライアは、あたしのことをちょっと見下ろすと、何も言わずに先を歩いた。説教の最中で逃げ出したあたしに、言いたいことなんていくらでもあるだろうに。
罪人のような心地で階段を降りた先のテーブルには、おいしそうなスープと、ふかふかのパンが人数分と
――
りんごが一つ。
「
………
?」
違和感があった。アグライアは、すでにこの『金織』で成功して、そこそこの財産を持っている。それゆえに食べ物についても質のいいものを選んで買っていて、食卓に並ぶのもそういうもので
――
このりんごは、ずいぶんと味気ないくすんだ色だ。
「
――
あなたに、と」
その言葉に、視線をアグライアに戻した。「先程、子どもたちが届けに来ました」
「
……
は?何の話?」
目を丸くするあたしに、アグライアは微笑みながら、りんごを手に取る。美の極地のような女には、ずいぶんと似合わなくて、でも、それを気にした素振りもなく
――
愛おしそうに、目を細める。
「『服屋のおねえちゃんがボールを取ってくれた』そうですよ。
お礼に、だそうです」
「
――
アハハ、人違いじゃないの?あたし、そんなこと、」
「『ありがとう』と。お礼を伝えてほしいと、頼まれました」
震えた声の弁明を無視して、目の前に差し出されたりんごを。
思わず、手に取ってしまった。
それは、くすんで、しなびて
――
ちょっと眩しい。
「
………
すっごいまずそう」
「おや。では、私が食べましょうか?」
「いい、食べる。あたしの。
あんたにはあげない」
「そうですか」
したり顔でうなずく裁縫女にムカついて、りんごを3口で食べ終えた。案の定酸っぱくて渋い。顔を顰めるあたしに、彼女は妙にうれしそうに笑いかける。
「セファリア、『情け』も、悪くないでしょう」
「
……
もうゴメンだよ、こんなの」
心底の言葉なのに、何故か彼女をは微笑んだままで
――
あたしは、そのまなざしに、いつの間にか嵐のような気恥ずかしさが消え失せていることに気付いて。それがムカつくから、再度、顔を顰めた。
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