sidori
2025-06-13 23:51:36
17515文字
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人妻定食六月号『古杉・ジューンブライド』

モブ視点で高銀の坂田に失恋するNTRマガジン六月号。

jilの『彼との約束をしんみり炒めた坂田の情緒グツグツ煮込みスープ~涙の言い訳を甘苦く煮立てたソース仕立て~』



「10年前に、結婚しようって約束したんだ」
僕の婚約者はそう言って、僕がはめた薬指をなでながら、僕ではない男のことを話し出した。
「この戦が終わったら、なんてベタもベタな口説き文句で、ベタもベタもフラグ立ててさ」
彼はーー銀ちゃんは、僕の顔を見て薄く笑う。
銀ちゃんが、過去のことについて僕に話してくれたのは、それだけだった。
その人が今は何をしているのか。
今もまだ生きているのかも、わからない。
ただ、銀ちゃんの心がまだその人にあるのだということだけが、わかった。
万事屋銀ちゃん、坂田銀時。
犬の散歩から宇宙の平和までなんて嘯く彼に僕が依頼したのは、「婚約者の代行」だった。
僕の家は、由緒はあるが金はない。そんな典型的な没落地主だった。先の天人との戦争がきっかけとはいえ、家を立て直そうという気概も行動力も持ち合わせずプライドばかりが肥大した両親を、僕はいつも冷ややかな目で見ていた。
そんな折、金持ちのご令嬢との結婚の話が持ち上がった。
「困るよ。僕にはもう婚約者がいるんだ」
婚約者なんて嘘だった。
そう言ったのは、両親への反発心だった。
僕はすぐに家を飛び出して、
歌舞伎町を訪れた。
足がつかない歌舞伎町の根無し草。金を払えば「なんでと」やってくれて、もしも「なにか」あっても、困らない人間。
言い方は悪いが、銀ちゃんはちょうどよい人材だった。
「だからって、俺を選ぶなんてモノズキだなぁ」
銀ちゃんは呆れたようにそう言ったけれど、僕の依頼を引き受けてくれた。
両親に雇われた監視がついていることには気がついていた。
彼らに見せつけるように、僕は銀ちゃんを「婚約者」として、歌舞伎町に駆け落ちしたのだ。
「大丈夫だって」
特売の卵とトイレットペーパーが目的の買い物デートの最中、背中に視線を感じる僕の手を銀ちゃんが軽く握る。
一週間後のご令嬢との結婚式の日まで、僕が連れて帰られないように守る、というのも僕が彼にした依頼のうちだった。
銀ちゃんは、不思議な人だった。
グーダラでズボラかと思えば妙に生真面目で。
繊細かと思えば大胆で。
そして、とても強いのだ。
最初の頃、追っ手に無理やり連れて帰られそうになったとき、銀ちゃんはあっという間に相手を倒してしまった。
それから、相手も警戒してこうして僕たちの様子を伺ってくるばかりで手を出してこない。
あのときのーーひらりと粋な模様の袖を翻して、風になびく銀ちゃんの髪のきらめきを、僕は今でもはっきりと覚えている。
偽物の婚約者として銀ちゃんを選んだのは、本当に偶然だった。たまたまそこにいて、都合のいい相手。
それなのに、僕は彼を見ていると、ときどき胸が詰まるような気持ちになる。
「あ……
銀ちゃんの視線がふと、なにかを見つけて、釘付けになる。
その視線を追うと、それはなんの変哲もない町の掲示板で、町内会の催しや回覧情報、習い事の募集や指名手配犯の手配書がペタペタと乱雑に貼られている。
「銀ちゃん?」
「いや、何でもねぇよ」
銀ちゃんは頭を軽くかいてから、目をそらす。
「行こ?」
銀ちゃんとはまだ短い付き合いだが、分かったこともある。
可愛くねだるような声色をするときは、なにかを誤魔化そうとするときだ。
僕はもう一度、掲示板を盗み見た。けれども、やけにするどい目つきの攘夷浪士の手配書が、印象に残っただけだった。
窓を叩く雨音を聞きながら、梅雨の季節は気が滅入ると、銀ちゃんは鬱陶しそうに頭をかいた。
ソファーに寝転んで、ジャンプを読みながら、銀ちゃんは嫌そうに窓を睨みつける。
僕が「どうして?」と聞くと「天パがひどくなるから」と嘯いた。
納得していない僕の顔を見て、銀ちゃんはそっと「古傷が痛むから」と答えた。
銀ちゃんの体は傷だらけだ。小さなものから、大きなものまで。古いものから、きっとまだ新しいものまで。
かつて攘夷戦争に参加していたのだと、聞いたことがある。きっとそのときの傷がまだ疼くのだろう。いや、それとも、まだ治っていないのかもしれない。
膿んだ傷はやがて体を腐らせる。とくにこんなジメジメとした夜には。
「知ってる?銀ちゃん?」
彼の気を紛らわせたくて、僕は適当な話を舌にのせる。
「6月に結婚する花嫁は幸せになれるんだって」
「へえ」
興味なさげに、銀ちゃんが相槌を打った。その目は僕ではなく、窓の外を見ている。
「ねえ、銀ちゃん」
「あ?」
「結婚しようか」
明日が僕の結婚式の日だ。
そろそろ痺れを切らした追っ手が、無理やり襲ってくる頃だろう。
「銀ちゃん、僕と結婚しよう」
そう言って、僕は頭を抱えてうずくまった。
銀ちゃんが木刀を抜くのと同時に、窓ガラスが割られた。
両親の雇ったならずものたちが、土足で銀ちゃんの家を荒らしてくる。
「行くぞ!」
銀ちゃんが僕の手を握って、家の外に一緒に飛び出す。
雨の中、街の中をひたすらに走り回る。
敵は多くて、あちこちの道の角から飛び出して、僕たちの行く手を阻もうとする。
「銀ちゃん、僕行きたいところがあるんだ」
「あ?お前こんなときにーー」
「お願いだよ、銀ちゃん」
追っ手の人を投げ飛ばしたばかりの銀ちゃんが、僕の顔を一瞬睨んでから、困ったように眉尻を下げた。
今度は僕が、銀ちゃんの手を握った。銀ちゃんは大人しく、僕についてきてくれた。
バシャバシャと水溜まりを蹴飛ばして、前身濡れ鼠のようになりながら、僕はそこを目ざした。
薄暗い空に向かって伸びる尖塔を見つけた銀ちゃんが、訝しげには顔をした。
「教会?」
黒々と濡れたアーチの門を押して、中に入る。バラの庭を横切って、誰もいない礼拝堂に駆け込んだ。
「銀ちゃん」
僕は、祭壇の前で銀ちゃんの雨に打たれて冷たくなった手をとる。
「病める時も健やかなるときも……
そして、その薬指に指輪をはめる。
立派な指輪なんかじゃない。露天で買った、オモチャの指輪。
「愛することを、誓います」
銀ちゃんは、薬指をしばらく眺めながらフッと息をこぼした。
「俺は、永遠の愛なんて、そんな大層なもんは誓えねぇよ」
そう言って、僕の目を見つめる。
「お前はまだ、愛を知らないんだな」
それはなんだか、大人が子供に言い聞かせるような声だった。
「10年前に、結婚しようって約束したんだ」
銀ちゃんが指輪をそっとなでる。
「この戦が終わったら、なんてベタもベタな口説き文句で、ベタもベタもフラグ立ててさ」
そして、銀ちゃんは薄く笑ってから、指輪をはずした。
ーーふられちゃったな。
なんて、言葉に出すには苦すぎた。
僕は家に帰ることにした。
そして、親の決めた相手と結婚するのだ。
「銀ちゃんも分かってたんでしょ?僕に本気で逃げる気なんてなかったって」
手のひらのオモチャの指輪を眺めながら、僕は誰にでもなく呟く。
これは、ただの癇癪を起こした子どもの、あてつけの家出だった。
彼女ーー本当の婚約者のことだって、別に嫌いなわけじゃない。きっと、いい娘なのだろうと思う。
それでも、もしも銀ちゃんがあの指輪を受け取ってくれたならーー僕はきっと、本当の本気で、逃避行をしたのだろう。
僕の初恋が呆気なく終わり歌舞伎町から、家路を辿る道中、一人の浪人が前から歩いてきた。
「お前じゃあ、アイツは持て余しただろうさ」
すれ違いざまに低い声で囁かれた言葉に、僕はとっさに振り向く。
一瞬だけ見えた横顔はどこかで見たことがあるようにも思えた。けれども今は、ただ遠ざかる背中しか見えなかった。