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sidori
2025-06-13 23:51:36
17515文字
Public
人妻定食六月号『古杉・ジューンブライド』
モブ視点で高銀の坂田に失恋するNTRマガジン六月号。
1
2
3
しどりの『いにしえ香る高杉仕立ての坂田しっとり蒸し~白無垢の味わいと風味豊かなおじを添えて~』
※ぱちくんとかぐらちゃんとさだはるに出会うよりもちょっと前くらい、という時空IFです。
※解釈よりも趣味優先。モブおじさんが善人じゃありません。
ジューンブライドだなんて言葉が流行った時、正直僕はこの国にはそぐわないと思った。きっとその流行をもたらした天人達の生まれた星では、六月に雨は降らないのだろう。
この国で六月と言えば梅雨の時期だ。世界をどんよりと覆い尽くす灰色の雲が、しとしととまとわりつくような雨を降らせ続ける。勿論、僕たちの暮らしに雨は欠かせない。この時期に雨が少ないと後にやって来る夏に水不足で喘ぐ羽目になる可能性が高くなるし、そうなれば作物の育成にも大きく影響する。恵みの雨の降る季節と言えば確かに縁起の良い時期にも思えるのだが、とは言え、晴天より雨天を好む人間はやはり少数派だろう。まして結婚式のような日の事を、この国ではハレの日とも言う。厳密に言えばハレとは天気の晴れを直接指しているわけではないらしいが、──ともかく僕の感覚から言えば、やはり違和感が勝った。
しかしいざ自分が結婚するとなると、由来に納得していた訳でもない、魅力的に感じていた訳でもないそんなどこかの星のまじないでさえ気にかかるようになるのだから、人間というものは不思議だ。それとも案外僕自身が、僕が自分で思っていたよりもミーハーな質だったというだけの事なのかもしれないが、それはそれでこんな齢になってまだ新しい自分の一面に気がつく事があるのかと面白くも感じる。
つまるところ、僕は浮かれているのだった。どうして浮かれずにいられよう。
幸せにしてあげたいと思うのだ。それは当然の男心だった。やっと射止めたあの人と結婚するのだから。
それなら誰もが羨むような最高の結婚式を挙げ、皆に僕らの幸せを祝ってもらわなければならないと思うのもまた当然のことで、そしてなんと幸いなことに、僕にはそれを実現するだけの甲斐性が備わっていた。勿論、そうでなければあの人を振り向かせることなんて出来なかっただろうけれど。
六月の江戸上空に船を浮かべて、青天の真下で今日、僕たちは愛を誓い合う──ああ、僕はなんて幸運な男なんだろう。
◇◇◇
なんて、そう思えるようになった事自体が彼のおかげだった。彼との出会いは昨年の、梅雨入りが発表されるよりもずっと以前の時期まで遡る。
その頃、僕は正直に言ってあまり幸福ではなかった。恐らく僕のような立場の人間が公の場でその心情を吐露すればたちまち四方から撃たれて炎上必至であるだろうという事くらいはわかっていた。僕は確かに、生まれに恵まれてはいた。
僕は、代々続く裕福な商家の跡取りとして産まれた。攘夷戦争が始まるよりも前のことだ。当時でも既に僕のその生まれと言うのは他人からみて羨まれる物であったが、その後天人達が現れてこの国は大混乱に陥り──戦争を経て、それまで特権階級であった武士はそのほとんどが権勢を失った。また、同じ商売人でもその時勢に押しつぶされるようにして没落していったかつての豪商と呼ばれる人々も多い中、僕の家はまだ当主の座にあった僕の祖父と次期当主の父がうまく舵を取り、むしろ以前よりもずっと大きな商会となって拠点を堺から江戸へと移し、僕がそこそこに長じる頃には戦争後の新政権──将軍茂々公とその後見となった定々公によるお墨付きを頂くほどに成長していたのである。
つまり僕達は天人達の作った新しい世界における特権階級だった。幕府の御用達として顔が効くということは、その周辺に属する人間からその顔色をうかがわれ、どこに行っても厚遇を受けた。使用人は顔と名前が覚えきれないほど──実際には商人たるもの人との関係こそもっとも大事にしなさいという父の教えに従って、屋敷に時々出入りする御用聞きの小男の名前とその家族構成まできちんと把握して覚えているけれど──いて、その全てに傅かれて僕は育った。
責任感は勿論あった。このすべてが次に僕の肩にかかるのだと思うと、立派な大人にならなければと幼い頃から課された事には全て十分以上の成果を上げてきたと思う。
だけど当然のことながら、その重圧はいつになってもなくならずに憂鬱だったし、また、僕は僕の人生というものをつまらなくも感じはじめていた。僕の人生は祖父と父によって、基本的にはもう最初から全部が決められていて。僕に求められているのは、求められた事を求められた通りにこなしていくだけの能力と、実際のところ、家の体裁を保つための道具としての顔の役割だけ。要するに、我が商会には立派な跡取りがいて、今後も安心してお付き合いいただけますよという
…
重要な顧客へ向けてのパフォーマンスが出来ればそれでよかったのだ。
僕自身の意思は必要無かった。
そう。それまでの僕の人生というのは、祖父と父の操り人形としての人生だったということに気がついたのがその頃だった。やっと自我を持ったとも言えるのかもしれないし、遅すぎる反抗期だと言われればそれはそうなのだろう。ある日ふと思ったのだ。僕はこのまま──ただ言われた通りのことだけをして、好きでもない女を愛して次の操り人形を育て、そしていつかただ死ぬのか、と。
急に虚しくなって、それで僕は時々、それまでそんな事は一度もしたことがなかったのに、屋敷を抜け出して町をふらふらと出歩くようになった。供もつけず、なんにも持たずに。
それで──そうだ。その日は桜がまだ咲いていた。僕ははじめ、彼を花の精だと思った。
夜だった。江戸の町はいつも夜になっても賑やかさの止まぬ町だが、桜の季節ともなればもう一晩中そこら中で宴の騒ぎが続く。花見で有名な大きな公園を自分とは何の関係もない人々のつくる流れと喧騒の中を僕は当て所なくふらふらと彷徨い、気がつくと人通りの多い桜並木をすっかり外れてしまっていた。当然花見客目当てに広げられた屋台の列も途切れ、辺りは急にしんと静まり返って、まるで異世界にでも足を踏み入れてしまったかのようだった。
勘の良い人なら既にこの先の話の展開は読めているかも知れない。僕はそこで、僕と同じようになのかなんなのか、人混みから逸れてきた酔っ払いの男達に絡まれてしまったのだ。それを助けてくれたのが彼だった。一体どこから現れたのか──後で聞いたら、すぐ近くの木の根元にあるベンチでうたた寝をしていたらしいが、その時の僕は全く気が付かなかった。──ひらりと、桜の花びらが落ちてくるように軽やかな身のこなしで、今にも酔っ払い達に掴みかかられようとしている僕を背に庇い、あっという間に話の通じない酔っ払い達を伸してしまったのである。
その逞しくもしなやかな背中と、月と街灯のぼんやりとした光に照らされた白銀色の綿毛のような髪に僕は見惚れた。
(綺麗だ
……
)
と思った。
そして彼が振り向いて、
「オイオッサン、アンタそんな良い身なりでこんなとここんな時間にふらっふらしてんじゃねえよ。襲ってくれって言ってるようなモンだぞ。ったくよお」
と、その髪を惜しげもなくぼりぼりと音を立てて掻きむしりながら言った時には、僕を胡乱げにみやる真っ赤な──とても綺麗なその瞳に、完全に心を奪われていた。
彼の名前は坂田銀時。かぶき町で万事屋という所謂便利屋・何でも屋を稼業にしている青年で、彼は僕をおじさんと呼んだが、話を聞けば僕とそんなに離れているわけでもなかった。
なんでも彼は戦争孤児だそうで、物心ついた時には既に天涯孤独の身であり、本人も自分の本当の生まれを知らない為、正確な齢はわからないらしい。それでも大体僕の四つか、五つ下だろうという事だ。
なんでそんな事をすぐに知れたかと言うと、それ自体は彼がとても面倒見がよく、そして気さくな質だったおかげだった。
その夜、
「いい齢して迷子かよ」
と、暴漢に襲われかけたにも関わらずまだ帰りたがらない僕を屋敷の前まで送って帰ってくれた後、僕が礼をすると言うと遠慮しながらも万事屋を営んでいる事と、その住所を教えてくれた。僕は翌日早速万事屋に彼を訪ね、それからはすっかり彼の店の常連となった。
正直に言えば、それは勿論下心だった。それは僕にとって初めての恋だった。恋とはこういうものなのかと、言葉だけは知っていたそれを僕は知った。生まれて初めて、浮き立つよう、という心の持ちようを知ったのだ。もっと彼を知りたくて、近づきたくてたまらないきもちになった。なんだろう。僕は別段男性が好きだというわけではなかったはず──それを言うなら祖父と父の言うことになんでも頷くだけだったこれまでの人生の中で、女性に対しても特にときめいた事などなかったのだが──なのに、彼と一緒にいるとそわそわと落ち着かなくて、胸がドキドキして、いつも少し眠たげな、赤い瞳がもっと僕の方を見てくれないかなと、そんなことばかりで頭がいっぱいになった。性欲というものも初めて実感した。勿論僕は健康な成人男性として、男性器は刺激を与えれば勃起し、子種を出す事ができる。実を言えば僕にはもう妻と呼ばれる人はいて、跡取りとして求められるまま、義務としての子も作った。二人産まれたその子たちが可愛くないわけじゃないけど、特別愛おしい、という気持ちも湧いては来ない。彼にだけだった。どうしても欲しい。側にいて欲しい、と、生まれてこの方人間どころかモノにさえ執着したことのなかった僕が、何をどうしてでも手に入れたいと願う気持ちを持ったのは。
あけすけに言ってしまえば、僕は彼を抱きたかった。しかし彼もまたやはり立派な青年──男性であり、そのしなやかに鍛え上げられた体躯は自らが雄である事を証明する為のものだろう。僕がただ交際を申し込んだところで素直に応じ、あまつさえ性行為を女性の側としてすることを受け入れてくれるとは思えなかった。
どうすれば彼を僕のものにすることが出来るだろう。
まるで子供のようにうきうきと彼のもとへ足繁く通いながら、一方で僕はいずれ大商会を率いる商人として育てられた思考の全てを使って、目標達成への計画を立て始めていた。これまで疎ましく思っていたものにはじめて感謝した。
問題の一つは彼を囲う事を、祖父や父に認めさせなければならないということ。だがそれはそう困難な事ではないように思えた。僕は彼らの言う通り、商売に有利になる家の娘を娶り、僕のさらに次の代の跡取りとなる息子と、僕の妻になった女性のようにいずれ関係を深めたい家へ嫁がせる為の娘をすでにもうけている。子供たちは家人の手でそれに相応しいように躾けられられ、教育を受け、健やかに育っているときく。
念の為にもう一人は二人は仕込んでおけといわれているが、急かされているわけではない。妻とも床を共にしていれば文句は言われないだろう。
更に言えばむしろこの場合、彼が男性であるということを祖父と父に対して大きな利点として訴える事ができそうだった。天人の技術には男性であっても妊娠を可能にするようなものもあるが、普通は、そのままでは、男性である彼は決して孕むことはない。二人の女の腹から別々に産まれた子同士による跡取り問題などという、この世界に生きているとまま耳にし、そして大抵は泥沼の事態に発展するような事には、彼であればならないだろう。
また、彼が天涯孤独の身であるということも良かった。彼に頼る実家はなく、町のしがない便利屋と彼が自分で口にしていた通りその日々の生活はほそぼそとしたもので、僕の家の手に負えないような相手などと繋がっている様子もない。人をやって調べさせたところ彼自身があの戦争に攘夷側として参加していた過去があることがわかったが、現在の幕府の方針としては現在進行系で攘夷活動を行っているのではない限り過去の反旗に罪は問わないとされている。それはそうだ。そうでもしないとこの国の人口は経済活動を維持できないほど減ってしまうに違いないのだから。
彼の場合は元より国に仕える武士であったはずの者が反旗を翻した訳でもなく、戦争によって孤児となり、身の置き場を求めてやむなく剣を取ったにすぎなかったということであるようだから、そもそも大した罪にもなるまい。なによりこうして市井でのんびりと
…
しかも通りに面した看板を堂々と掲げて商売を営んでいるのだ。後ろ暗いところのあろうはずがなかった。
そうであればやはり難しいのは、彼を頷かせる事自体であった。
僕は僕が並べられるだけのメリットを並べ立てた。
一番大きなものはやはり金銭的な面だろう。
僕は彼に何不自由ない暮らしを約束してあげられる。
それは彼自身が望んでいる事でもある筈だった。
人探しに猫探し、浮気調査、看板持ち。仕事は選ばなければ案外多いものだがどれも大変な割に報酬は少ないと、僕が訪ねて行く度にそうぼやく彼は、「出来るもんなら俺もひだりうちわで暮らしてみてえもんだけど」と、冗談めかして笑った。
彼が僕のお嫁さんになってくれるなら、僕はわざわざ簡単な書類整理の手伝いや倉庫の在庫確認など細々とした仕事を作り出す必要もなくなるし、彼は広い家で好きだけの使用人を傅かせ、朝から晩まで据え膳上げ膳の快適な生活を送る事が出来るようになる。
彼の好きな甘味だっていくらでも食べさせてあげる。糖尿気味だと言うならきちんと医者にもかからせ、配慮した食生活を料理人から手配する事も出来る。伝手を頼ればそもそも病気自体を治癒するような天人技術も見つけてあげられるかもしれない。
彼にとって不足はない筈だった。
彼は余り欲のない質であるようなので、安全な住処と三食腹が満たせればそれでいいらしい。勿論、もし他に望みがあるのなら僕は何でも叶えてあげられる。服でも玩具でも、本でも珍しい食べ物でも。旅行に行きたいならこの星の外へのチケットだってどこへでも手配できるし、映画でも観劇でも特等席を用意して連れて行ってあげよう。
けれども彼は──僕の結婚の申し込みに是と答えてはくれなかった。
どうして?
僕は分からなかった。やはり僕が君と同じ男性だからか、と問えば、それは違うと首を横に振ったのに。別段女性との結婚願望がある訳でも、子供が欲しい訳でもないとも言っていたのに。そもそもそんな事はないと思うのだが、彼は女性にモテないらしく、相手などいない、と、言ったのに。
それなら何故僕のお嫁さんになってくれないのだろう。確かに
……
第二婦人という立場に彼のような人を立たせる事になる事だけは少し申し訳なく思う。もし彼が女性なら、祖父と父が何と言おうと、今の妻と離縁してでも彼を正妻としただろう。いずれは僕が当主だ。その事で商売に出る影響など後からどうにでもなる事だし、文句なんか言わせない。でも彼は男性だし、堅苦しいしきたりなどとは無縁のままでいたいと言ったのは彼自身だったし、それなら表に立つ必要のない第二婦人として、僕の用意する彼専用の屋敷で悠々自適に暮らしてもらうのが一番良い筈だ。ペットだって好きに飼ってもらって構わないし、そうだな──流石に浮気されるのは嫌だけど、彼が男性としても性欲を発散したいというなら娼婦を呼んであげてもいいし、吉原で座敷を借りてあげてもいい。
僕は彼の為ならなんでもしてあげるのに、これ以上何が足りないと言うのだろう。僕以上に彼を幸せにしてあげられる男がいる筈ないのに。
僕は諦められなかった。
そんな折の事。
かねてから幕府が進めていた江戸市街地の新整備計画の一端で、区画整理の対象として彼の営む万事屋のある通りが候補に含まれている事が分かった。勿論まだ企画段階であって決定事項ではない為、一般の人々には知らされる事のない情報だ。僕は懇意にしている役人を通じて知った。
彼の万事屋がなくなってしまえば──と、短絡的に考えかけた僕は、しかし彼が世話になっているというその建物の持ち主である老年期にさしかかった女性が一階部分で彼女自身の店を営んでいる事を思い出して方針を変えた。彼は、多分家族を大事にする質だ。まだほんの短い付き合いでも、身近な人間を殊更大切に想っているようだとしばしば感じる事があった。血の繋がった家族を知らないから余計に
…
なのだろうか。その理由までは僕に知る方策はまだないけれど。
つまり──彼が僕の妻となれば、彼が母同然と慕う彼女を僕の身内として扱う事も出来るという事を、彼にこっそりと伝える事にした。僕の身内の店がそこにあるという事になれば、今の段階であればいくらでも融通を利かせる事が出来るという事を。
妻になる人にとってこれ以上ない贈り物だろうと思った。僕がそう言うと、彼は驚いたように赤い瞳を僅かに見開いてぱちぱちと瞬きをして、「
……
分かったよ。アンタの申し出
……
受ける」と、きっぱりと決意を決めたような顔をして言い、「
……
どうぞよろしく、旦那様」と僕に向かって頭を下げた。
◇◇◇
僕はそわそわと、膝の上で何度も手を組み替えていた。
空を飛ぶ式場となる船は既に江戸の港から飛び立っている。僕がいるのは新郎控室だ。隣の部屋では銀時が今頃すっかり着飾られている頃だろう。花嫁衣裳を纏った姿を想像すると落ち着かない。特別に誂えた衣装は真っ白な彼にどれだけ映えるだろう。きっとあの夜、花の中から舞い降りてきた時のような美しさを再現できるに違いなかった。
準備に半年をかけ、いよいよ銀時との挙式を目の前にして、僕の胸はあの日のようにドキドキと高鳴っていた。
銀時を僕の二人目の妻にする為に祖父と父を説き伏せ、実際にはこの国にはない同性同士の結婚の為、特別に彼を僕の家の籍に迎え入れる為にあれこれと手を回して手続きを済ませ、式の段取りを決めて来た。その苦労の全てが今日報われるのだ。杯を交わし、縁組の書類に彼が直筆で署名を入れれば、彼は本当に僕のものになる。その瞬間が待ちきれない。
船窓から空へ視線を向けると、丁度分厚い雲の層を抜けるところだった。ざああ、と小さな水の粒を船体が掻き分けるささやきのような音がして、雲がぐんぐんと後方へ流れて行く様子が視認出来る。
数秒の後、船は青空の最中に出た。遮るものはなにもない。命芽吹く春の瑞々しさと、夏の力強い青さとの間で高いところまで澄み渡った六月の晴天。
やがてコンコンと戸が叩かれ、いよいよ銀時の準備も整った事を知らされる。
僕は少しぎくしゃくとした足取りで式場となる広間へと向かった。主に商売で付き合いのある幕府の役人や天人の大使たちである招待客は皆僕らを祝福してくれるだろう。中には僕が彼と結婚する事を知るとあからさまに羨ましがる者もいた。それはそうだろう。僕は少し自慢する気持ちで銀時の写真を見せたのだ。結婚しても万事屋の仕事は続けたいという銀時のわがままを聞いてあげるかわりに、僕が銀時の事を紹介する為の写真をきちんとした姿で撮って欲しいと頼んで出来上がったその写真は、それはそれは美しい一瞬を切り取ったものになったのだから。
新郎新婦の入場する扉の前で銀時と待ち合わせ、付添人に手を引かれてやってきたその姿を目にして、僕は一瞬、全ての思考を失った。綺麗だった。それしか言葉が出てこなかった。この美しい人が僕のものになるのだ。なんて素晴らしいんだろう。
彼に出会った頃の鬱々とした気持ちはもうとっくに僕の中から無くなっていた。彼は綺麗だ。育った家が家であったので、人よりも良い審美眼を備えている自負のある僕であってもこんなに綺麗な人を他に見た事がなく、こんな人を妻に持つ事が出来たら──出来た事によって、僕自身もまた特別な存在になれたような気がする。
綿帽子を被って視線を伏せた銀時の銀色の睫毛は微かに震えていた。緊張しているのだろう。僕もそうだ。だけどきゅうと引き結ばれた薄く紅を惹かれた唇に微笑んで欲しくて、僕は彼の手を取って笑いかけた。
「大丈夫だよ、銀時。僕が必ず君を幸せにしてあげる。式の事も、君は何も心配しないで、ただ座っていてくれるだけでいいから。お披露目が終わったらそのまま新婚旅行へ行こう。前に言ってたよね。故郷はずっと西の方だって。この船ならすぐに着くよ。君は
……
孤児だって言ってたけれど、生まれた地は懐かしいんだろう?そんな顔をしてた。だから一度里帰りするのもいいんじゃないかと思って」
銀時は微笑まなかったが、こくりと頷いた。僕は僕の手の中で、僕に預けられるように彼の手から力が抜けたのを感じて満足した。
広間へ続く扉が開く。僕は銀時の手を握ったまま、足を踏み出す──。
彼を僕の妻だと紹介して回るのが楽しみだった。美しい人。特別な姿をした僕の君。誓いの杯を交わして、口づけをする。そして今夜になれば
……
。そのめくるめく想像を実現する、輝かしい未来への第一歩。
その時だった。
どおん、と何かが爆発するような音がして、船全体がガタガタと激しく揺れた。立っていられない程の揺れ。ぐらりと傾いだ僕の手を、銀時が力強く引いて支えてくれた。狼狽えていると、続いて船内にけたたましいサイレンの音が鳴り響き始める。つんざくようなベルの音。避難路を示す赤い警告灯がそこかしこで光った。
「なっ、何だ
…
?!何が起こった
…
?!」
慌てる僕に対して、銀時は落ち着いた声音で答える。
「
…
海賊でも襲ってきたんじゃねえのか。オイ、この船に戦闘員は乗せてんのか?」
「か、かいぞく
…
?!そっ
……
、い、いちおう護衛を雇いはしてあるよ。だけど、まさか江戸でそんな」
「ちっ
…
数はいねえのか」
銀時は険しい顔で爆発音のした方を向いた。その言葉を裏付けるように船内アナウンスが叫ぶ。
『てっ、敵襲──!!敵襲です!!本船はただいま不審船よりの砲撃に晒されています。攘夷浪士の可能性有。繰り返します。敵襲です。乗客の皆様はスタッフの指示に従って速やかに高速脱出艇へ向かって下さい。敵船は本船への着艦を試みている模様。攘夷浪士の襲撃の可能性があります。乗客の皆様は直ちに避難を──』
「
……
そっちか。そうか、客は皆お偉いさんなんだっけ
……
?アンタ、とにかくそいつら早く逃がせ」
「わ、わかった
……
!き、きみは
…
?」
「俺が足止めして時間稼いでやる。アンタもお偉いさんたちと一緒に逃げろよ」
「でも」
「戦える奴が戦わねえと始まらねえだろうが。大丈夫──俺は強いぜ」
綿帽子を振り落とし、白無垢の打掛を脱ぎ捨て、銀時はふっ、と笑った。確かにそうなのだろう。攘夷戦争に行って、生きて帰って来た人だ。僕と出会った時も、相手が酔っ払いだったとは言え数人を相手に瞬く間に倒してしまった。腰にはいつも木刀があって、そう。それがまた彼を異質──はかなげな美しさと研ぎ澄まされた刃のような鋭さを両立させたような、普通に暮らす人々とは一線を画した──な雰囲気に見せていたのだと、僕は今更ながらに気が付く。
彼は全く動じていない。突然の戦いの気配の中でも。
僕はぱくぱくと口を動かした。荒事は僕の領分じゃない。何と言えば良いのか分からなかった。
そうこうしている内に、扉の向こうの大広間から招待客達がどんどん逃げ出して来始める。悲鳴の群れが僕達を通り過ぎて行く。その向こうからは既に大きな騒ぎが近付いてきていた。怒声。金属をぶつけ合うような音もする。それが剣同士がぶつかり合う音だと言う事に気が付いた時、僕は腰を抜かしてしまった。情けない声が喉から漏れて、よろりと後ろに逃げ出しかけた脚がもつれてその場に座り込んでしまう。縋り付く僕の手を、銀時が困ったように見下ろしてくる。
「なあ、大丈夫だって。攘夷浪士つったって大半はただのゴロツキだから。大した事ないって。ちょちょっとひねって、すぐに追いつくからさ。先に江戸に地上で待ってろって。今武器がねえから、アンタら庇いながらじゃ流石に」
「誰が、すぐにすぐに倒せるって?」
ぞ、と、寒気が走るような恐ろしい声が響いた。
ここは空の上だと言うのに、まるで真下に地獄があって、そこから這い上がって来たような昏くて低い声。銀時ははっとした顔をして僕から視線を外し、背後を振り向く。僕もその視線を追って、大広間の反対側の入り口に目を向ける。
そこには、男が立っていた。悪趣味ギリギリの派手な柄の、けれど随分と仕立ての良い着物を纏い、手には抜身の刀を提げて。その先端からぽたり、ぽたり、と赤い液体が滴るのに合わせて、男はゆっくりとした足取りでこちらに近付いてきていた。
「
……
高杉」
銀時がぽつりとつぶやく。知り合いなのだろうか。聞ける雰囲気ではなかった。声も出ない。僕はただ震えそうになるのを堪えて、銀時の背中から男の様子を伺う。
男は、まるで闇を引き連れているかのように恐ろしい気配を放っていた。紫色の光沢のある髪は前髪が長く、その下に半分隠された顔には、左側を覆うように包帯が巻かれている。こちらを──いや、男の眼中に僕はいなかった。男はただ銀時を見つめ、その緑色の瞳は凶悪な気配とは裏腹に妙に真っ直ぐな光を宿している。
(
……
似てる
……
)
と思った。
銀時と。
この二人は似ている。それが一体何なのかまでは分からなかったけれど、なんとなくそう思うものがあった。
黙って僕を庇い、男の前に立つ銀時に向かって、男は口を開いた。
「何浮気してんだてめェ。俺ァ、離婚届に判押した覚えはねェんだがな」
「あ
……
?」
銀時は訝し気な声を上げた。表情は、背中に庇われた僕からでは見えない。多分不思議そうな顔をしていたのだろう。
やや間を開けて、銀時の声で返事がある。
「
……
いや、そもそも結婚届も書いてねえだろ
……
」
と。
今すぐにでもその刃を突き付けられるのではないかと思っていた僕は、少し拍子抜けしたような心地で、訳は分からないままその場で座り込んでいた。
逆に銀時の方が、少しだけさっきとは雰囲気を変えていた。敵襲と聞いても平然としていたその落ち着いた声音に、僅かに焦りか、それとも後ろめたさのようなものを感じる。
また男が口を開く。
「下らねえ事言うなよ、銀時。約束はしたろ」
「
……
いや、だって。お前
……
」
銀時は困り果てたように肩を落とし、ぼりぼりと頭を掻く。
僕はようやっと二人の会話の意味を理解し始めたところだった。
つまり男は銀時の、所謂元彼というものなのだろう。そう理解すると、なんとなく腑に落ちるものがあった。やはり銀時のような人に、今までそういう相手がいなかった筈はなかったのだ。その相手が男である事にも今更驚きはしない。僕だってそうだからだ。銀時は体躯だけをみれば余りに立派な雄であるのだけれど、纏う雰囲気には妙に色気があって、女のそれより
……
なんというか、触れてみたい、と思わせる。この男もまた、銀時の色香に惹かれて過去に銀時を手に入れようとした一人と言う事か。僕は少しだけ男に同情のような気持ちを抱いた。ここへ来たのは偶然か、それとも僕達の結婚式の噂を聞いてわざわざ狙って来たのかも知れなかったが、でも、銀時はもう僕のものだ。
しかし──
「だっても何もねェよ。てめェは俺のモンだ。分かってんだろ」
男は悠然と言い放つ。
まるでそれが世界の真理であるような口ぶりで、銀時がその言葉を否定するなんて少しも思っていないようだ。
僕は早く銀時の口から男を拒絶する言葉が紡がれるのを待った。銀時は僕のものだ。そうなる予定だったし、それはもう確定したと言ってもいいだろう。この場から帰れさえすれば良い。攘夷浪士の襲撃だなんて予想出来る筈もない。責任はそういった連中を取り締まる機関にあるのであって、このことで僕の立場が悪くなる事はない。勿論、後で招待客達には詫びの品でも持って挨拶に回らないといけないけれど。式は後でやりなおせばいい。少し予定は違ってしまったが、帰れさえすれば、銀時には僕のもとで何不自由ない暮らしが待っているのだ。
二人がどんな風に別れて今再会したのかは知らないが、戦争が終わってもう何年も経つというのに未だに攘夷浪士などしている男に銀時を幸せにする事などできる筈がない。過去の戦争時の主義主張はともかく、現在もそう名乗っている連中が僕は嫌いだった。奴らは大義を振りかざせば何をしても良いと思っている。奴らの所為で何度大事な取引が駄目になった事か、数えればきりがなかった。銀時だってそういう連中には迷惑している筈だ。幕府側の勝利で戦いの幕が降りた後、生き残った侍の殆どは銀時のように普通に暮らす事を選んだのに、攘夷浪士のような連中がいつまでも暴れ回っている所為でいろんな規制がどんどん厳しくなるし、かつての攘夷志士達の印象まで悪くなっていってしまうのだから。
それなのに銀時は、男の言葉にじっと口を噤んでいた。
男も黙って、その銀時を見つめている。
僕は一旦落ち着いた不安と焦りが、さっきとは違う形でぶり返してくるのを感じた。どうして何も言わないんだ。
「
……
恨んでるさ」
暫くして、何かを言い淀んでいる銀時の吐息を継ぐように、男は静かに言った。
「てめェを、確かに俺は憎んだ。てめェも、俺の事を許せねェだろ。だから、何も言わずに消えたんだろ。そうだな。俺達は二度と会う筈じゃなかった。いつかどこかで、決着を付けなきゃならねえとは思ってはいたが
…
、けど、違ェだろうが。その事と、俺と、てめェのあの約束は。恨んでも憎んでも、あの時の俺達がいなくなる訳じゃねェ。消えた訳じゃねェだろ。それも、てめェも同じだろ?銀時。俺達は確かにいっぺん死んだようなモンかもしれねェがな、別人になった訳じゃねェんだ。俺ァずっと、テメーが好きなまんまだぜ」
「高杉
……
」
「だから、今すげェ腹が立ってる。てめェがふらッふらしてやがんのは昔からだ。慣れてらァ。だが流石に、余所で股ァ開こうとしてるってなりゃァ話は変わってくんだろうが。生涯誓った相手に別の男の手垢なんざつけられて堪るか。それも、てめェが心底心変わりしたんならともかくな。下らねえ脅しに屈しやがって、この馬鹿」
「っ
……
」
「
……
来い、銀時。話さなきゃなんねえ事があんだろ。その後どうするかはてめェが決めりゃいい。だが、てめェの居場所がここじゃねえ事だけははっきりしてんだ」
男が手を差し出す。
銀時は僕の方をちらりと振り向いた。
「ぎん、」
「はァ
……
。言い訳が欲しいんなら、ソイツぶった斬って無理矢理攫ってやろうか?」
ほっとして銀時を呼ぼうとした僕の声を遮って、男はドスの効いた声を銀時にかけた。僕はびくりと身を竦ませ、銀時に伸ばしかけた手を引っ込める。銀時は、そんな僕からふいと視線を逸らしてまた男の方を向いた。
「いや、でも
……
」
「てめェは本当に甘っちょろいな。何情けかけてんだ。気にすんな、もう脅しは無いぜ。あの計画は今日白紙に戻る。てめェが世話になってる婆さんの店は、てめェがいてやんなくっても何事もなくやってけるだろうぜ」
「お前、知って」
「あのな。だから来たんだろうがよ、ンなとこまでせっせと船漕いでよォ。でなけりゃこんな小物潰すのにンな面倒臭ェ真似するか。まあ、ついでだ。獲物二人ばっかし貰ってくがな」
どこかで上がった悲鳴を、僕は呆然と聞いていた。男はくつくつと笑い、また一歩、銀時へ向かって踏み出して来る。銀時は身構えなかった。男の伸ばした腕が白無垢を纏った銀時の腕を掴み、引き寄せる。僕は思わず、その体を追いかけようとして、その目の前に刃の切っ先を突き付けられた。ぞっと冷や汗が溢れ出る。男の腕に抱かれ、銀時の赤い瞳が僕を困ったように眉を下げて見ていた。
「
……
どっちがついでだか。
……
いやでも、このオッサン悪気はないんだって。本気で
……
」
「本気で、悪気が無いなら何しても良い訳にはならねえだろ」
「それをお前が言っちゃう
…
?」
僕は動けなかった。何も言えなかった。真っ黒な、悪鬼のような男の腕の中に収まる銀時の姿が、急に恐ろしい物に見えたからだ。似ている──のは、同じ生き物だからなのか。
サイレン。剣戟の音。連続する爆発音。悲鳴。怒声。
船が落ちる──浮遊感。
圧倒的な非日常と、僕にとって絶体絶命としか思えないこの状況の中で、男と銀時はあまりに"普通"に見えた。僕はもうそれ以上どうする事も出来そうになかった。男は多分、僕を斬ろうとしたのだろう。だが銀時がそれを止めた。止めてくれた、と、銀時が僕の事を想ってそうしてくれたのだと思う事はもう出来なかった。男が刀を納めると銀時の目はもう僕を見ず、二人は踵を返して僕の前から去っていく。
僕がその男の名を知ったのは、三日後、病院のベッドの上で起き上がり、新聞を広げた時だった。
『凶悪攘夷浪士、幕府要人の会合を襲撃──』
そういう大きな見出しについていたのは、どう見ても僕の貸し切ったあの船が炎上して落ちていく様子を捉えた白黒写真で、その横にあの男の顔写真付きの手配書も並べられていた。
攘夷浪士、武装集団鬼兵隊。その総督、高杉晋助。
あの日、暫く呆然としていた僕は、その後燃え盛る日に追い立てられるようにして気が付けば救命艇の中にいた。本船はその直後に空中で粉々に爆発し、火の粉の混じった欠片が雨と共に町の上に降り注いでいく様を、僕だけじゃない、その場にいた人間全てが唖然と見ていた。
恐らく僕が乗ったボートが最後の一隻だったのだろう。招待客と船の乗員はほとんどは、多少の怪我はあれど無事に脱出して江戸へ戻る事が出来た。
ただ、式へ招待した幕臣二人だけが今も行方知れずのままだ。
一人はあの江戸の区画再生計画の担当者。いまやこの国に欠かせない存在となったターミナルからアクセスのよいかぶき町の一帯を幕府主導で整備しなおし、主に天人向けの宿泊施設や飲食店などを備えた巨大複合商業施設を建築し、併せて公園などの景観事業を推し進めようとしていた実力者の一人だった。計画は一度見直される事になるかもしれない。
もう一人は、僕が彼の写真を見せた時、やたらと羨ましがった警察関係にコネのある役人。確か攘夷戦争には幕軍の指揮官として出兵し、その功績で現在は幕府の常設軍の軍備兵站部門の役職についていた筈だった。
僕はあの二人の会話を思い出す。多分、二人の役人はもう生きてはいないのだろう。
そして──彼の行方も一切分からなくなっていた。
皆は死んだと思っている。不幸な事故に巻き込まれたのだと、祖父や父、事情を知っている家人達は慰めてくれたけれど、僕だけが知っていた。彼は本当に、あの男と行ってしまったのだ。
人を使って訪ねさせると、丁度今日、万事屋の看板が下ろされているところだったらしい。使いの者が知らぬふりを装って訊ねれば彼を世話していたという女性は何も知らないと答えたらしいが、僕も会った事のあるあの面倒見の良さそうな女性が、たった三日で彼の帰りを待つのを止めるとは思えない。きっと、彼女にだけ、彼から連絡があったのに違いなかった。
僕は窓の外に目をやり、灰色の雲の厚さをぼんやりと思った。
きっともう会えない。
花の精をこの手のうちに捕まえたと思ったのに
……
それは最初から幻だった。
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