みそ
2025-06-11 00:29:45
4428文字
Public 本編ロナドラ
 

Pieces of Memories(ロナドラ)

7月13日新刊サンプル(全文公開)です。
Pieces of Memories:幸せの在処/ルビーレッドとマリッジブルー(ロナドラ)


ルビーレッドとマリッジブルー

 新横浜に越すまで外を出歩く習慣が無かったドラルクは、これまでジョンが口にして酷く後悔していたヘビイチゴのほかに日本の野いちごを知らなかった。しかし今、輝く真っ赤な果実を目の前に、なんだ、ちゃんと食用に適した種もあるんじゃないかと認識を改める。片手鍋をちょうど満たす、恋人と使い魔が摘み集めてきた自然の恵みたち、コロンと丸く中空で細かな粒がきっちり並んだものと、ザクロの実のように透き通る、やや大きめな粒が集まったものの二種。前者はドラルクにとって馴染みのあるラズベリーに近いが、後者は珍しい形だと感じる。
 昼間ジョンがロナルドと共に頑張ってきたというシンヨコ山での野いちご摘み体験会。この街で暮らして十余年、相も変わらず街中の『可愛い』の声を独占するジョンには似合いのイベントだと思えたが、一方の三十路男である。彼が初夏の日差しの下で身体を縮め、ほんの指の爪ほどの果実をちまちまと集める姿を想像するとドラルクは笑えて仕方が無い。滑稽さと、それを上回る愛おしさ。勿論本人には内緒だが。

 貧弱という概念の極点に立つドラルクにも、幼い頃のベリー摘みの思い出くらいならばある。あれらはブラッドジャムの香り付けに良く、季節が来れば一族の誰かしらと森へ出たものだ。
 しかし思い出と言っても、である。『森の生き物の糧でもあるから、我々は採りすぎてはいけないよ』とは父の教えだったが、幸か不幸かドラルクは集める事より数える事に囚われる性質だった。故に、ベリーの茂みの前で大人達がせっせと手を動かす横でドラルクは、ただ実りを数えていた。覚えたての、百までの数字を駆使して。そしてベリーの一粒は、無数の粒の寄せ集めで出来ているということに気が付いてしまった。それは、ベリーの茂みが望まない捕食者から身を守るために備えた鋭い棘より余程危険な罠だった。
 大人の目を盗んで城を抜け出すほど数え遊びに心囚われたドラルクを、祖父が迎えに来たある夜のことだ。彼は孫と同じように地面にしゃがみ込み、これが食べ頃、と手のひらに深紅の実を一粒乗せてくれた。ドラルクはそれを間違いが無くなるまで何度も何度も数えてから、恐る恐る口に含む。
「すっぱいです! ふしぎなあじ」
 それはとても鮮烈な味覚で。戸惑う孫を見た祖父は、同じ感想、といたく嬉しそうだった。数えることに慣れ、ベリー摘みに飽きてしまった後も、あの味だけは強く覚えていた。

 キッチンにいられると邪魔であるからと、手伝いをしたがるロナルドをドラルクはいつものごとく事務所へと追い払ったが、今日の彼は拗ねもごねもせずに応じた。曰く、ジョンと共に書類仕事を済ませると。ドラルクはそれに、良い心がけだと朗らかに応えた。ついでに煽りもした。彼がジョンとの間で済ませたい話はそれだけではないと知っていて、空惚けてみせた。
 近頃あのふたりに何やらの隠し事があるように、ドラルクとジョンの間にもロナルドに対する隠し事がある。それもずっと、いくつもだ。
 家捜しの達人、もといこの事務所の整理整頓を一手に担うドラルクは、デスクの鍵のかかる引き出しがフェイクであることを知っている。今回の本命はクローゼットの上の棚、家族写真の収まる缶の下にあることも。それは役所に届け出る、ある種の用紙。両名および証人の記名欄のある――
 これからジャムになろうとしている野いちごの一粒を、ドラルクは戯れに口に放り込む。かつて心囚われたその集合果の細かな粒も、今や一瞥するだけで数え終わる。噛みしめ、にじみ出した果汁を舌に纏わせ味わった。
 ロナルドやジョンはその味を、爽やかな酸味に市販のイチゴとは少し異なるコクのある甘みが混ざり、後味は微かに苦いと説明したが、ドラルクからすれば懐かしの強烈な酸味と検知範囲ぎりぎりの薄い甘み、そして微かな痺れを伴う『ふしぎなあじ』だ。ヒトの食べ物をほとんど口にしないドラルクのような吸血鬼は、旨みや糖の甘みをヒト程強くは感じ取れない。だからドラルクの料理にジョンの味見は欠かせない。固形物も滅多に口にしないから、プチプチと音を立てる種の歯ごたえにも怯む。飲み下して良いものかジョンに尋ねようとして、そういえば事務所にいるのだと思い直す。

 種族、故郷、生きてきた年月、趣味嗜好から味覚でさえも。共通点よりも違いの方が多い一人一鬼一玉が出会い、山あり谷ありポンチありの日々を共に過ごすうちに芽生えた想いが、ドラルクとロナルドを恋人として結び付けた。最初など、誤解に基づくただの退治対象だったのに、だ。そして今またロナルドが、ふたりの関係に新たな呼び名を加えようとしている。
 普段よりも頻繁に、意味不明な様子伺いをしてくる父。
 相変わらず多忙を極める母から二ヶ月前たった一言飛んできた、『今日ポール君と会った』とのメッセージ。
 なにより、ドラルクにとっての半身であるジョンが何も言ってこないこと。
 ドラルクがとうに気付いていて、それでも出来うる限り先延ばしにしておきたかったXデーは、きっともう目と鼻の先なのだろう。
 それは甘く、痺れるような予感だ。