ぷの
2025-06-03 15:16:12
17604文字
Public レイチュリ🍰
 

お誕生日おめでとう

誕生日にまつわるお話3本まとめ。
P1 - 他人よりは近しい誰かの誕生日(🦚の部下)
P2 - 可愛い子たちの誕生日(🍰たち)
P3 - 涙の日(🦚)

【涙の日】

 念のためセットしておいたアラームは、今年も鳴る前に止めた。そわりざわりと波立った神経が落ち着かなくて、仮眠を取るつもりが目を閉じただけで終わってしまった。
 あと数分でアベンチュリンは誕生日を迎える。カンパニーに登録されている偽の日付ではなく本物の、彼がこの世に生を受けた日。故郷ツガンニヤの暦で新年最初の日であり、カカワを執り行って地母神の誕生を祝う、一年で一番めでたい日である。だが、アベンチュリンはこの日を毎年しめやかに始める。
 偶然かそうでないのかわからないけれど、この日に限って言えば、故郷とピアポイントにほとんど時差がない。アベンチュリンは物音を立てないように気をつけて、一人ベッドから抜け出した。現地時間に合わせた時計でまもなく日付が変わるのを見てとり、薄暗い部屋から裸足でバルコニーに出た。
 昨日のうちにバルコニーを掃除して、必要なものを用意してある。はじめに、床に置いた陶器の火鉢の中で小さな焚き火を起こした。その横に直に腰を下ろして、火の面倒を見ながら日付変更線を待つ。追って外に出てきたレイシオが、無言で手にしたブランケットをアベンチュリンの体にかけ、静かに隣に座った。
 人工の固く冷たい床は故郷の砂の地面とはまるで違い、柵越しに見える都会の街明かりも故郷の夜の空とはまるで違う。初めて星外に出て晴れた日の夜空を見たとき、オーロラも流れ星もなくて驚いた。他の星域では、そう頻繁に星風が届くことも、星の地表が剥がれて飛んでくることもないのだと、後で知った。
 砂ばかりの干上がった地に降る星雨は、真珠の核のようなもの。金属を含んだ石は地中に埋め込まれ、恵みの雨を受けながらやがて風化して、ターコイズを作る。エヴィキン人にとってターコイズは、買うものではなく掘るものだ。
 エヴィキン人の男の多くがそうだったように、アベンチュリンも自分だけの小さな鉱脈を大切に隠し持っていた。といっても子供の体でなければ入れない狭い場所に自力で見つけたもので、産出量は微々たるもの。品質も悪く、掘っても売り物になる石は出なかった。父親が持っていたはずの鉱脈は受け継げなかったので知らない。
 ターコイズを掘って磨くのは男の仕事、それを輪廻の結び目に編み込むのは女の仕事。姉は初めてアベンチュリンが持ち帰った石を手放しで褒めてくれた。混ざりものが多くて美しいとは言えなかったから、一目で掘ったものとわかっただろう。石を掘ってくるのは一人前の男の第一歩だ。それに、買う代価を工面するために危険を冒したのではないことも、純粋に喜んでくれた理由だと思う。
 不器量で小さな石がなるべく丸くつやつや輝くように、時間をかけて丁寧に丁寧に磨いた。それらは姉の手で美しい飾りに編み込まれ、翌年のアベンチュリンの誕生日に炎の中に消えた。その姿は記憶の中にだけ残っている。
 思い出を懐かしんでいるうちに、日付が変わった。
 故郷を離れては石を掘ることができず、かといって輪廻の結び目をまともに編むこともできない。落ちこぼれのエヴィキン人は、ターコイズの原石を購入してほどよい大きさに割り、形を整えて磨いておいた。どこのものとも知れない石でも、ないよりはいいだろう。小さな石を一つずつ摘まんで焚き火に投げ入れた。
 それから虚空に手を向け、目を閉じて、心の中で祈る。地母神の誕生を祝い、家族の、一族の、たくさんの失われた命の安寧を願う。
 毎年この日ばかりは、天気を調べずにいられない。今日のピアポイントの首都の天気は晴れ。一方、あちらの天気は今年も雨。アベンチュリンが最後に故郷で誕生日を迎えた年からずっと、地母神は新年に恵みの雨を降らせ続けている。
 恵みの雨は空から砂埃をすすぎ、大地をささやかに潤し、ターコイズを育み、地中に埋まったエヴィキン人の遺骨を地に還す。そして、たった一人の生き残りに言い聞かせるのだ。武器を取れ、復讐のために戦え、そして誇り高く死ね――良く言えば鼓舞、悪く言えば強迫だ。
 レイシオは静かに焚き火を眺めている。彼の神は地母神ではないし、たまに露骨に非難するくらい彼女を嫌っている。礼儀は払うが、アベンチュリンの真似をして祈りを捧げたりはしない。レイシオはアベンチュリンに寄り添うためにここにいる。
 数年前、初めて立ち会ったレイシオに、神を称える歌はないのかと尋ねられた。女神を称えるのに、文字も、彫像も、歌も、人の手で作ったものは相応しくない。一通り祭りについて説明したアベンチュリンに、レイシオは一言礼を述べた。以来、この場で好奇心を見せたことはない。
 ターコイズを火にくべて祈ったら、やることはおしまいだ。あとは新たな一年でやるべきことを頭の中で整理しながら、焚き火が燃え尽きるまで見守る。
 その段になると、レイシオはアベンチュリンの手を取って指を絡めて繋いでくる。アベンチュリンはされるがまま手を預ける。
 体を覆うブランケットも、手から伝わるぬくもりも、静かな気配も、アベンチュリンの心を安らかにする。安らかになってしまう。一人で戦い続けるために、この祭りで気持ちを奮い立たせなくちゃならないというのに。
 火が消えたのを見届けて、繋いだ手をほどいた。
 この手は縋るためのものじゃない。アベンチュリンの大切なものを託すためにある。それだけで十分に甘えている。安心は、とても得難いものだから。


 みゃうみゃうとはしゃぐ声が遠くから聞こえて、ぷかりと水面に顔を出すようにアベンチュリンは目を覚ました。そうだ、ブランチを食べてから創造物たちとかたまって日向ぼっこをして、つい眠くなったんだった。
 そばにいたはずの甘い香りが近くにない。アベンチュリンの頭の下にはクッションが差し込まれ、体の上にはブランケットが二枚掛けられている。一枚はレイシオが掛けてくれたもの、もう一枚は先に起きた創造物たちが掛けてくれたものだろう。
 一緒に寝た時に何度も「きみたちとくっついて寝るとあったかい」と言ったせいか、三匹はアベンチュリンを寒がりだと思っている。先に起きるとこうして、自分たちのぬくもりの代わりの品を置いていく。
 まあ、寒がりは間違いでもない。アベンチュリンの知らないところで一人と三匹が楽しそうにしてると思ったら、寂しくてちょっと寒くなってきた。
 クッションとブランケットを片付けて、声を辿ってキッチンに顔を出した。
「おはよう、楽しそうだね。何してるんだい?」
「おはよう」
「もうゆうがただよ」
「かたぬきしてる!」
 ダイニングテーブルに乗った三匹は、誕生日プレゼントにレイシオからもらった抜き型をアベンチュリンに見せた。それぞれの前足から型どりした原寸大の肉球型で、人間二人にはさっぱりだけど、創造物たちには誰のものか見分けがつくらしい。
 その新しい装備で順番に一枚のクレープを型抜きしている。すでに空いている足跡は三つ、アベンチュリンが来る前に一巡を終えて、これから二巡目のようだ。
 レイシオがクレープの上に型を置く。それを前足で押す。レイシオが型を持ち上げて、残った生地を小皿の上に外す。それを食べる。もぐもぐと各自の指球を食べた創造物たちは顔を見合わせ、一斉にレイシオを見上げた。
「あのね、レイシオ」
「クリームをつけたらもっとおいしくなるとおもうな」
「ちょっとだけ、ね?」
 期待がこもる三対の目を向けられたレイシオは、細めた目でアベンチュリンを見た。おねだりの仕方がそっくりだと言いたいのだ。そりゃあそうだろう、一緒に暮らしてる人間を真似て学習してるんだから。
 ただ、一つ物申したい。アベンチュリンは創造物たちにはおねだりしない。する相手は全部レイシオだ。二人が一緒に暮らし始めて、三匹がアベンチュリンのおねだりをたびたび目にするようになった結果、こうなった。つまり、アベンチュリンを甘やかすレイシオのせいでもある。
 以上を乗せて返したアベンチュリンの視線に、レイシオは肩をすくめた。ボウルに残ったクリームをスケッパーで集めて掬い、小皿の上の薄っぺらい掌球三つにちょんちょんちょんと乗せてやった。みゃあー!と歓声が上がる。クリームの淡いピンク色は、ジャムかシロップでも混ぜたんだろうか。桜の花びらを乗せたみたいで可愛らしい。
「「「ありがとう!」」」
 型抜きが終わったクレープは、クリームを薄く塗ったミルクレープのてっぺんにそっと乗せられた。気持ち厚めの生地に空いた穴からクリームが覗いて、淡いピンク色の足跡が三対並ぶ。そうか、これは三匹の足の裏の色。
「可愛いね」
「かわいいだけじゃなくてね」
「とってもおいしいんだよ」
「アベンチュリンのこのみのあじなんだって」
 ペロペロこしこしとおやつを食べた口元のお掃除をしながら、三匹はご機嫌で口々に鳴いた。
「よくやった、完成だ。パーティーが始まるまで向こうで待っていろ」
「かんせい!」
「じしんさくだよ」
「アベンチュリン、どうかな?」
「すごく、すごく嬉しいよ。今年もありがとう」
 創造物たちは再びみゃー!と歓声をあげてテーブルから降り、リビングに跳ねていった。レイシオは完成した誕生日ケーキを丁寧に冷蔵庫に収めた。
「ありがとう、レイシオ。クレープはケーキだけ?」
「酒の肴の分も少々ある」
「蒸し鶏と絶品ソースも?」
「当然だ」
 あはは、おねだりなんてしなくてもいいくらい甘やかされてる。レイシオにも責があるなんて、ただの言いがかりだったかもしれない。
 自身の誕生日は、どうしてもアベンチュリンの気分を沈ませる。少しでも明るく過ごせるようにと、レイシオは祭りのあとの時間を鮮やかに彩るようになった。アベンチュリンが難色を示しても聞きやしなかった。「僕がやりたい誕生日祝いを好きにやっている。気が向いたら付き合え」とどこ吹く風だ。付き合えってなんだよ、当人に向かって。自分のためにしてくれることを放っておけるわけがないじゃないか。
 おかげさまで、苦く辛い誕生日だけど、彼らと出会ってからは幸せな思い出も重ねている。でも、幸せはいいことばかりじゃない。心の墓碑に彫りこんだ血の滲む決意が、いつか浅ましい願いに埋もれてしまいそうで恐ろしくなる。
 ――彼らを残して死にたくない、なんて。
 記憶に焼きついた遠い故郷の雨が、ざあっと頭の中を水浸しにして冷やす。重く垂れ込めた雲が全てを隠す暗い空、砂を抉って流れる川、血と鉄の臭い、あちこちに横たわる人だった塊、踏み荒らされて燻る焚き火の煙が充満した洞穴、どこへ逃げ隠れようとも追い詰められていく恐怖。姉との約束を言い訳にして、アベンチュリンは生き延びた。たくさんの同胞の幸運をかき集めて繋いだこの命は、あの日から自分の物じゃない。
 ご心配なく、マザー。毎年の雨で念を押されるまでもなく、あなたの子は大切な使命を放棄して逃げたりしない。アベンチュリンの家族は地母神の掌の中。会いに行きたければ、その資格を得なくちゃならない。大切な人たちをいつまでもオーロラの下で待たせたくはない。
 家族との再会が、目の前の大切な人とのお別れを意味するとしても。
 寝癖で跳ねているアベンチュリンの髪を、レイシオの指が撫でつける。襟足、耳の横、前髪、再びピョンと跳ねた横髪を巻いて寝かしつけ、顎から輪郭を辿る。顔が近づいて唇同士が触れる前に、口を開いた。
「あのね、レイシオ、クリームをつけたらもっと美味しくなると思うな」
 三匹を真似ておねだりすると、甘やかし屋のレイシオはアベンチュリンの唇にちょんとクリームを置いた。爽やかな木苺の香りがする。アベンチュリンは口を尖らせた。これじゃレイシオがアベンチュリンを食べるみたいじゃないか。クリームはそっちにつけてくれなくちゃ。
「味見しないのか?」
 レイシオはクリームを掬った自分の指先を舐めた。普段はそんなお行儀の悪いことをしないのに、アベンチュリンに見せつけるためにやっている。赤い舌先のなまめかしい動きにまんまと目が吸い寄せられる。
 唇の上のクリームを舐めようとしたら、舌を出すか出さないかのうちにレイシオに食べられてしまうだろう。あの舌で口の中にクリームを塗り込まれたら、味なんてわかるわけがない。
 レイシオの首に腕を回す。頭を引き寄せて頬に唇を押し付け、ぺったりとつけたクリームを舐め取った。予想より酸味が強い。
「なるほど僕の好みだね、うわっ」
 力強い腕がアベンチュリンの背中を支えて腰をさらった。のし掛かられて浮いた体はテーブルの上に柔らかく着地した。倒した体を追いかけて覆い被さったレイシオは、ぺろりとアベンチュリンの唇を舐めて目を細める。
「君にはすっぱいだろ?」
「いいや、甘い」
 もう一度、二度、と舐めて、レイシオは寝言を言った。内ももを撫でて起こしたアベンチュリンの震えを触れ合わせた唇で受け止め、満足げに笑う。
「僕好みだ」
 これはいけない、寝言がひどい。レイシオのうなじを撫でて引き寄せ、耳たぶに唇を触れさせる。
「続きはベッドで聞かせて」
 もう到着しているかのように、甘い囁きを至近距離で聞かせて誘った。ところが、ちょっと乱暴な深いキスをくれたけど、それだけだった。
「後でな」
「は!?」
 正気を取り戻したレイシオは、アベンチュリンの抗議なんて右から左。火照った頬を膨らませてぶうたれるアベンチュリンの腕を引いて起こし、腰を掴んでひょいとテーブルから下ろした。
「あの子らと約束しているパーティーの時間だ」
「主役は僕じゃないの? 開始時刻の変更を求める」
「却下。後回しにして後悔するのは君だ。パーティーに参加するなら、取り皿とカトラリーをリビングに運んでくれ。主役の君には特別に、僕らの飲み物を選ぶ権利を進呈しよう」
 おねだりは空振りすることもある。アベンチュリンはパチンと自分の両頬を叩いて、盛り上がりかけた気持ちを弾き出した。
 パントリーから手作りの果実酒の瓶を選び出し、必要なものを籠に入れてリビングに向かう。ドアの隙間から漏れ聞こえてきた音色に足を止めた。
 弾む歌声は創造物たちのものだ。いつもならアベンチュリンの足音にすぐ気づくのに、夢中になっていて聞こえないらしい。順番に同じフレーズを繰り返して、最後に全員で合唱。何年か前のレイシオの誕生日のお祝いに、アベンチュリンが教えた歌だ。
 あの子たちともなかなか長い付き合いになる。引き取ってからずっと、アベンチュリンの誕生日にはあの子たちが傍らにいた。
 仕事で帰りが遅くなった年、アベンチュリンを待っていた三匹は玄関前で寝落ちしていた。
 一緒に過ごす予定だったレイシオが急用でキャンセルになった年、特別にみんなで夜更かしして翌日の昼まで寝こけ、朝に合流予定だったレイシオを待ちぼうけさせた。
 体調を崩してレイシオに看病されて終わった年、三匹は代わる代わるリビングの窓辺で風に当たって体をひんやりさせては、高熱を出して寝室でうなされるアベンチュリンにくっついて冷やしてくれた。
 レイシオが教えた歌を歌ってくれた年、アベンチュリンが出勤している間に内緒で練習していたのに、数日前から寝言でむにゃむにゃとメロディを口ずさんでいて可愛かった。
 今日じゃなきゃダメだね。逃したら後悔する。君の言う通りだよ、レイシオ。
 もしレイシオと二人きりで過ごすことを優先したら、可愛いお菓子たちの寝る時間を過ぎてしまうだろう。お祝いの歌も自信作のケーキも明日に持ち越しだ。きっと誕生日当日じゃなくても楽しんではくれる。だけど、延期でがっかりしてしぼんだ気持ちは完全に元通りにはならない。そんな思いをあの子たちにさせたくない。この日に悲しい思い出を抱えるのは、アベンチュリンだけでいい。
「ねえ、きみたち、両手が塞がってるからここを開けて」
 ドアの前から中に呼び掛けると、集まってきたお菓子たちの姿がくもりガラス越しにぽよぽよと揺れる。一匹がドアの隙間に前足を差し込んで上手に開けた。この家では三匹が自由に出入りしていい部屋のドアは軽い引き戸になっていて、いつも閉め切らずに細く開けている。
「なかへどうぞ!」
「なにもってるの?」
「いいにおいがする」
「これはお酒だから、今日はあげられないよ。きみたちに害がないか調べ終わったらね」
「まだこんなところにいたのか。早く入れ、後ろがつかえている」
 レイシオの声に小突かれて、アベンチュリンはリビングに入った。三匹に呼ばれて定位置に座ると、両脇と膝の上に馴染みの重みが乗って、ほのかな甘い香りに囲まれる。テーブルに料理が並び、グラスにお酒が注がれ、口々に生まれてきたことを祝われる。明るくて、暖かく、いい匂いがして、命が立てる音がする。
 僕は、君たちに、愛されている。
 僕も、君たちを、愛している。そう言えたらいいのに、口に出す資格はない。不甲斐ないアベンチュリンはほんの少しの時間を差し出すので精一杯で、貰うものにいつまでも釣り合わない。
 ありがとう、ごめんね。君を、きみたちを、選べなくてごめん。
 毎年の誕生日のお祝いがアベンチュリンをおおいに揺さぶって傷つけることを、レイシオはわかってやっている。傷を与えることで自身も傷つきながら、魂だけになって故郷に帰ろうとするアベンチュリンをここに繋ぎ留めようとしている。傷は一年では治りきらず、年々増える綻びを繕いきれていない。
 毎年この日ばかりは、レイシオに繋がれた手を自分からほどけるか確認せずにいられない。今年はほどけた。でも、来年はわからない。
 ……ああそうだよ、来年の話をするようじゃ、もうほとんど後がない。


◇◇◇


 食事で腹を満たして、歌で心を満たして、アベンチュリンはソファで眠ってしまった。誕生日の彼は特に張り詰めている。何年もかけてほぐれてきたが、どうしてもぎこちなく縮こまってしまう。今年もこの数日は眠りが浅く、食欲が落ちていた。緊張がゆるんで疲れが出たのだろう。
 深く眠っているのか、レイシオが抱き上げてベッドに運んでも目を覚まさなかった。眠るアベンチュリンのそばには、二匹のお菓子が寄り添っている。そしてなぜか、キッチンでパーティーの片付けをするレイシオのそばに残りの一匹がいる。
「君はあっちに居なくていいのか?」
「いいの。レイシオをなぐさめてあげなきゃ」
 そう言うが、カウンターの上に陣取ってレイシオの作業を眺めつつ、ときおり眠そうにあくびをしているだけだ。
「言うようになったな。君から見て、今年の出来は?」
「ぼくたち、まえにすすんでるとおもう」
「希望的観測は判断を誤らせる」
「ぼくたちがきぼうをもたなきゃはじまらないでしょ。アベンチュリンにきぼうをみせるんだから」
「ふん」
 慰めはいらないが、片付けを済ませると一息つきたくなった。
 食器棚から足のない手のひらサイズのグラスと小皿を取り出す。二つに少しずつブランデーを注いで、小皿の方は水で割った。小皿をカウンターの上に置く。
「興味があるなら付き合え」
「おさけはダメってアベンチュリンがいってた」
「彼は大切なものに対して慎重だ。臆病と言ってもいい」
 レイシオを見上げる目は、勧めるならもう一押ししてほしいと言っている。レイシオはダブルウォールのグラスを回してブランデーの香りを味わった。
「今まで集めたデータからの推測だが、おそらく君たちに効く毒はない」
「そうなの?」
「身近なところでは、料理に入っている香辛料。食べ物の味はわかるが、体に影響が出たことはないと言っていたな」
「うん、ない。からいものをたべて、あつくなってみたかった」
 今、一人と一匹は同じシーンを思い浮かべているだろう。以前、本格的な曜青料理のレシピを手に入れたことがあった。本場の味を試そうとレシピに忠実に作った結果、レイシオとアベンチュリンには辛くて食べられたものではなかった。何口かで舌が利かなくなってレイシオは早々にリタイアしたが、アベンチュリンは往生際悪くちまちまと口に運び、汗をかきながら辛い辛いと大笑いしていた。結局マイルドな味付けにリメイクして食べきった。
「擬似体験ならできるかもしれないが」
「しなくていいよ。アベンチュリンたちとおなじものをたべられるなら、ぜんぶがいっしょじゃなくてもいいんだ。あっ、もしかしてくすりもきかないの?」
「その通りだ、よく結びつけたな。君たちは頑丈なようだが、過信せず、何か不調があればすぐに言え」
「うん」
 素直に返事をしたお菓子の額を指先で撫でると、嬉しそうにはにかんでぽよんと揺れた。大きな瞳と目を合わせてフッと笑い合い、小皿の縁にグラスの底を軽く当てた。
 レイシオはカウンターに腰を預けて寄りかかり、立ったままグラスを傾ける。お菓子は小皿の酒に前足でちょんと触れて鼻に近づけ、ウッと顔をしかめた。
「もっとうすくして」
 お望み通り水を足してやると、チャッチャッと軽快に舐めて綺麗に飲み干した。気に入ったのか、満足げに口の回りと前足を舐めている。レイシオもグラスに注いだ分を飲み終えて打ち止めだ。酔いたいわけではなく、気分をリセットできればそれでよかった。
「感想は?」
「おはながつんとしたけど、うすめたらおいしかった。レイシオのいうとおりだね、アベンチュリンみたいにふわふわしないみたい」
「おかわりは?」
「きょうはいい。レイシオがかなしいとき、またつきあってあげてもいいよ」
 この言いぐさ。先程の受け答えといい、この子はレイシオと一対一になると話し方が変わる。聞いたことはないが、アベンチュリンや他のお菓子たちにも専用の振る舞いをするのだろうか。
 ルアン・メェイの創造物を見た目の可愛らしさで侮るべきではない。宇宙ステーション「ヘルタ」でいろんな個体に接して実感しているが、この子らの成長に接するとなおさらそう思う。
 アベンチュリンに創造物たちの里親になることを勧めた時点では、里子たちからここまでの協力を得られると思っていなかった。この子らが情に訴えるのは実に効果的だ。卑怯だと詰られようと、レイシオはそう仕向ける手をゆるめたりしない。
 頑固な恋人の心を変えるのに、手段を選んではいられない。己の身勝手さや無力さを痛感しようが構うものか。どんな葛藤も処理してみせる。彼の命が手に入るなら。
「おさけをのんだこと、ひみつ?」
「そうしよう。君と僕の秘密だ」
 お菓子は主そっくりに、くふっと小さな笑いをもらした。
「いいよ。でも、おさけくさいからバレちゃうとおもうな」
「僕はこれから風呂に入る」
「いっしょにはいりたい!」
「いいだろう」
 グラスと小皿を片付けて証拠隠滅したレイシオは、ほんのり大人の甘さになったお菓子の香りを抱えて、バスルームに向かった。