ぷの
2025-06-03 15:16:12
17604文字
Public レイチュリ🍰
 

お誕生日おめでとう

誕生日にまつわるお話3本まとめ。
P1 - 他人よりは近しい誰かの誕生日(🦚の部下)
P2 - 可愛い子たちの誕生日(🍰たち)
P3 - 涙の日(🦚)

【他人よりは近しい誰かの誕生日】

「お誕生日おめでとう!」
 オフィス内の小さな打ち合わせスペースに部下と向かい合って座り、アベンチュリンは陽気な調子でパカッと机の上に置いた箱の蓋を取った。残業しているところを「ちょっと来て」と呼び出したから、仕事の用件だと思っていただろう。自分の愛称とお祝いの言葉が書かれたチョコレートのプレートを見て、最初ぽかんと口を開けた部下は照れくさそうに笑った。
「十五年ぶりくらいです、こういうの」
 アベンチュリンの声を聞き付けて、近くにいた連中がわらわらと寄ってくる。「始まったぞー」と声がかかって、さらに人が集まる。
 携帯端末で何枚か写真を撮ったのを見届けて、アベンチュリンは美しいホールケーキに容赦なくろうそくを挿した。すかさず横から伸びたライターが火を点けて、それを誰かが写真に撮ったシャッター音が聞こえた。さらに録画開始の電子音が鳴る。
「さあ、主役の仕事をして」
 アベンチュリンに促されて、本日の主役はふーっとろうそくの火を吹き消した。拍手。「おめでとう」の声と、バシバシと肩や背中を叩く手。
 どこからともなく使い捨ての取り皿とフォークが出てきて、主役の手にナイフが渡された。用の済んだろうそくも撤去済みだ。アベンチュリンの部下たちの連携プレーは実に手際がいい。
「主役が切るのかい?」
「切らせてください。このパティスリーのホールケーキ、予約限定で一ヶ月待ちですよ。普段は食べる前にじっくり鑑賞するんです」
 洋菓子に目がなく、出張先でも隙あらば買い込んでホテルで食べている部下は、なかなかナイフを下ろさない。
「そう言ってたね」
 知っていたから、ささやかな誕生日会をすると聞いて、サプライズプレゼントにこのケーキを提供したのだ。もちろんアベンチュリンなので、フラッと買いに行ったら『たまたま余っていた』。貴重なものという感覚は正直なところあまりない。じっくり楽しみたければ、そのうち自分で予約して買うだろう。今日は味見ということで。
「最初の一口だけ、切る前にフォーク入れていいですか?」
「もちろん。君のなんだから、好きなだけ食べて」
 五号のケーキをこの場のみんなで分けたら、少なすぎてろくに味わえない。みんなわかっていて、「ガッといけ」「猫かぶるな、全部いけるだろ」とヤジが飛んだ。主役の手には、いつの間にかナイフではなくフォークが握らされている。
 すうー、はあー、と深呼吸ののち、最初の一口がなかなか大きめに掘られて彼の口に消えた。
「美味しいです。ありがとうございます」
 二口、三口と笑顔で口に運ぶ姿をみんなで微笑ましく見守る。誰かがコーヒーを淹れてきて配った。「見てるだけで胸焼けしそうだ」とからかいながら。
 大人だって無邪気に笑うことがあっていい。役割を果たしているなら、職場で気を抜いたっていい。ワークライフバランスなにそれ美味しいの?を地で行くカンパニーの社員だ。力の抜き方を後輩に見せるのも先輩のつとめ。
「おっとごめん、呼び出しだ。あとはよろしくね」
 アベンチュリンは携帯端末を耳に当て、手を振ってその場を離れた。


 通話しながらデスクを片づけ、目が合った通りすがりの部下に「帰るね」と口パクで告げる。自宅用に買っておいたパティスリーの紙袋を持ってオフィスを出た。
「早かったね!」
 地下駐車場で落ち合って、レイシオは運転席に、アベンチュリンは助手席に乗り込んだ。
「終業後に打ち合わせの予定を入れる仕事の虫がよく出てこられたな」
「今日のはダミー。残業したくないときに時間を空ける手だよ」
 まれにさらに遅い時間に予定を突っ込まれて失敗するけど。その情熱には応えることにしている。ただし、二割増しくらいで当たりがキツくなる。だいたい残業をしたくないのはレイシオとの予定があるときだから、ちょっとばかり私怨が漏れだすのは仕方ないと思う。
 シートベルトを着けたところで、端末にメッセージが届いた。
『一人で全部食べやがりました』
 添付されていたのは、ケーキが吸い込まれていく様子を上から追った動画の早回しだ。ふはっと笑ったアベンチュリンの手元をレイシオが覗き込む。
「これは?」
「今日誕生日だった部下へのプレゼント。五号のケーキって一人で一気に食べきれるものなんだね」
「その紙袋はケーキと一緒に君が買ってきたのか?」
「そう。なかなか買えないケーキらしいんだ、僕の出番だろ」
 動画のリピートが始まると、レイシオが一時停止ボタンを押した。ああごめん、今見るものじゃなかったね。謝って端末をしまう前に、その指がカーソルをシークバーの先頭まで戻す。それから画面の一部を拡大して、コツコツと叩いた。
「このプレートも君が?」
「サービスで付けてくれるっていうから頼んだ」
 アベンチュリンの返事を聞いて、レイシオはあきらかにムスッとヘソを曲げた。なんだなんだ、何が気にくわなかったんだろう。
「君の誕生日はまだ先だけど、今からケーキを買って食べるかい?」
「いらない」
「プレートも付けよう」
「違う」
 レイシオの指が画面をさらに拡大して、一点を叩いた。小さな子どもに呼びかけるような愛称を。
「僕は君に愛称で呼ばれた記憶がない」
 仕事中は「教授」、プライベートでは「レイシオ」。「ベリタス」呼びは、一緒に暮らし始めてからだ。それも家の中で二人きりのときだけ。創造物たちが真似して呼ばないようにそう決めた。たまにフルネームで呼ぶことはあるかな。文句を言うときや、照れ隠しのときなんかに。
 そもそもアベンチュリンはレイシオの愛称を知らない。今まで尋ねたことすらなかったのは失敗だったかもしれない。知らないままで平気だったのは、興味がなかったからじゃない。自分に愛称がなくて、日常的に呼び合うことに考えが及ばなかったせいだ。
 レイシオと出会う前ほぼ唯一の家族だった姉は、姉として優しかった。けれど、アベンチュリンを地母神からの贈り物としてどこか神格化している節があった。あの土地では仕方のないことだ。アベンチュリンの幸運は、神の祝福を身近に感じられるほどに強かった。命を捧げるほど敬虔な信者が、神からのいただきものを軽々しく愛称で呼べるはずがない。
 言い訳に聞こえないといいな。言い訳でしかないけど。ぽつぽつとありのまま事情を話すと、レイシオはアベンチュリンのシートベルトを外して抱き寄せた。
「つまらない嫉妬だ。すまなかった」
「君が謝ることじゃないよ」
 誰も悪くない。ただ、誰かが持っているものをたまたま持っていなかっただけ。よくあることだ、アベンチュリンに限った話じゃない。
「愛称を付けようか」
「いらないかな。あったって使わない」
「君はそう言うが」
 アベンチュリンの髪に頬ずりしたレイシオは、耳に口を寄せて囁いた。
「君がやるべきことを終えて自由になったら、本名で呼ぶからな」
 この世界でたった一人、アベンチュリンが本当の名前を捧げた相手は、それを心の中に飾っておくだけにはしないつもりらしい。
「じゃあ、その時に愛称を付けてもらおうかな」
「考えておこう。楽しみにしているといい」
「君の愛称もその時に教えてもらうことにする」
 レイシオは渋い顔をしたものの、頷いた。そういうところを公平でありたいアベンチュリンに譲ってくれた。
「いいだろう。だがそれはそれとして、今後一切、他の誰の愛称も呼ばないと約束を」
「誓います」
 手のひらをレイシオに向けて宣誓すると、指を絡めて握られて、静かに触れるだけのキスが降りてきた。