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2025-05-04 02:09:20
15744文字
Public お話
 

斜光

燈出のち荼毘出。ふたりが昔出会ってたら、のif話。

小学校に入学してひと月が経った頃、みんなであさがおの種を植えた。
ちゃんと世話をすれば夏休みがはじまる頃にはきれいな花が咲くと聞き、出久はわくわくしていた。
だからこまめに様子を見たし、一生懸命世話もしていたのだけど。
「えー、出久くんのあさがお、ぜんぜん育ってないじゃん!」
クラスメイトたちが出久の鉢を指さしけらけら笑う。
ほかの子たちのは芽が出てから見る間にぐんぐんつるが伸び、たくさんの葉を繁らせている。
しかし出久のはつるがうまく伸びず、見た目もいかにも弱々しい。
このままでは花は咲いてくれないかもしれない。
不安とはずかしさで肩をすぼめる出久を尻目に、クラスメイトたちは聞こえよがしに言うのだ。 
「無個性ってほんと、ぜーんぶダメダメなんだな!」



今年小学校に入学した出久には、なかなか友だちができなかった。
世界総人口の約八割が「個性」という特異体質を持つ超人社会。「無個性」として生まれた出久はまぎれもなくマイノリティであり、それゆえ周囲にうまく溶けこめずにいた。
ちいさな胸に心細さとさびしさを抱えながら日々を送っていた、そんなある日のことだ。
出久の下校途中には公園がある。
遊具は老朽化のためすべて撤去されてしまい子どもが遊ぶには寂しい見た目だが、園内の隅にある藤棚は毎年春から初夏にかけて見事な花を咲かせた。
藤棚の下にはベンチが置かれており、そこに一人の少年が座っていた。
見た目の印象と制服を着ているところからして、中学生だろうとわかる。
出久が気にかかったのは少年が身じろぎもせず、手にした何かを一心に見つめていたことだ。
少年の透き通るような白髪に花の影が淡く落ちる。
整った横顔はどこかかたくなで、瞳には熱を帯びた切実さがあった。
彼を見ているとなぜだか胸苦しくなり、出久は無意識に両手を握りしめていた。
どれくらい経っただろう。ふいと立ち上がった少年は、出久がいるのとは反対側の出入口から公園を出ていった。
少年がいたベンチ付近をぼんやりと見やれば、その足下に何かが落ちている。
近づいて身をかがめた出久は、あっと声を上げた。
「エンデヴァーだ!」
落ちていたのは手のひらサイズのブロマイド。そこに写ったフレイムヒーロー・エンデヴァーは、常のとおりの豪然としたまなざしでこちらを睨めつけている。
ブロマイドはスーパーやコンビニで売っている、ヒーローズチップスというスナック菓子におまけとして付いているものだった。
名だたるプロヒーローたちのブロマイドがランダムで付いてくるというその商品は、ラインナップされているヒーローのファンやコレクターたちのおかげで発売開始直後から飛ぶように売れていた。
出久もおこづかいで何度か買ったが、ブロマイド全種コンプリートにはまだまだほど遠い。
「いいな、かっこいいなあ。だけどこれ、たぶんあのお兄さんの落とし物だよね……?」
さっきの少年がブロマイドを落としたことに気づきもどってくるかもしれない。そう思い出久はしばらく待ってみたが、その日彼が現れることはなかった。
翌日、出久は再び公園に行ってみた。
その次の日もまた次も、学校が終わるとすぐさま公園に向かい、そこで辛抱強く待ちつづけた。
そうして一週間後。
待ちわびていたあの少年が、ようやく公園の前を通りかかった。
「あ……あの、これ!このまえ公園で落としませんでしたか?」
突然声をかけてきた見知らぬ小学生に少年は驚き、足を止めた。
出久の持つブロマイドを見たその目が見開く。
「なんで……
「このあいだお兄さんが帰ったあと、ベンチのところに落ちてたの、みつけたんです。お兄さんのだと思ったから、返したくて」
少年は戸惑いながらも出久の差し出したブロマイドを受け取る。
夕焼けのやわらかな陽の色が瞳の蒼に混ざり、あまりにきれいで出久は見惚れた。
……僕、ヒーローが好きなんだ」
その言葉に少年が出久を見る。
出久は無防備に彼へ笑いかけた。
「お兄さんもヒーロー、好き?」

少年の名は燈矢といった。
現在中学三年生で、出久の下校途中にあるその公園には時々立ち寄っているらしい。
「この公園、俺の通学路からは外れてんだけどな。学校や家以外の場所で考え事したり、休みたいこととかあるからさ。そういうときに来るんだ」
二度目に会ったとき、ベンチの背にもたれながら燈矢はそう言った。
頭上から白と薄紫の混ざりあった藤の花が数えきれないほど垂れ下がり、みずみずしく咲きほこっている。涼やかなその天蓋は燈矢によく似合った。
出久はおずおずとたずねる。
「僕も学校の帰り、ここに来てもいい?」
「来たいなら来ればいいんじゃねぇの。別に俺だけの場所じゃないし」
その答えに出久はほっとした。それからというもの、下校時刻になると公園に向かうのが出久の日課になった。
藤棚の下のベンチで本を読んだり宿題をしていると、週に一度くらいは燈矢に会えた。
そうやって顔を合わせるうち、二人で他愛もない話をしながら放課後の時間を過ごすようになっていった。

「無個性」なのだと出久が打ち明けたとき、燈矢はわずかに目を瞠った。
珍しいなとつぶやき、首を傾げる。
「もしかしてお前がいつも一人でここにいるのも、「無個性」なのと関係ある?」
直截に問われ、出久は言葉に詰まる。
自分の状況や抱えているさまざまな思いを、燈矢に対してうまく伝えられる自信はなかった。
それでも一度口を開けば言葉は自然にあふれてきた。
……先生は、クラスのみんなと仲よくしなさいっていうんだ。だけど……。僕には個性がないから」
胸につかえる鉛を吐き出すように出久は話す。
「しょうらいの夢を、絵に描くじゅぎょうがあって。それで僕、ヒーローの絵を描いたんだ。そしたらみんなに笑われた。個性も持ってないくせに、ヒーローになんかなれるわけないって」
クラスメイトに嗤われるたび、無個性の木偶の坊がヒーローを目指すなど分不相応だと突きつけられる。
ひとりぼっちの教室で出久は毎日息苦しさを感じていた。
燈矢に内心を吐露してはじめて、本当はずっとこうして誰かに話を聞いてほしかったんだと気づく。
「お前、ヒーローになりたいの」
静かな燈矢の声にじわりと瞳が熱くなり、涙がこぼれそうになってあわてて目元を強く擦る。
「うん」
奥歯をかみしめ、やっとのことで出久はうなずいた。
乾いた風が吹き抜ける。
燈矢は短く息を吐いた。
……“みんなと仲よく”なんて下らねぇ。一人でだってヒーローは目指せるんだ。どうしても叶えたい夢なら、手放しちゃ駄目なんだ」
まるで自らに言い聞かせるかのような強い口調だった。
出久は呆けたように燈矢の横顔を見つめる。
「俺の夢も出久とおなじ。ちいさい頃からずっと変わらない。俺は、誰よりも強い炎を持つヒーローになる」
「炎……
瞬間、出久の頭によぎったのは情け容赦なく敵を打ちのめす、身震いするほど苛烈な紅蓮。
「燈矢くんも炎の個性なんだね!エンデヴァーみたい、かっこいいなぁ……!」 
ついさっきまでの涙を忘れたように、目を輝かせ身を乗りだす出久を見て燈矢は笑う。
「ああ。見てろよ、俺は――絶対諦めない」
蒼い瞳に灯がゆらめく。
燈矢の目には、出久がはじめて彼を見かけたあの日とおなじ、憑かれたような熱が宿っていた。

藤の花の盛りが過ぎ、梅雨の季節が訪れる。
空は常に灰色の雲で覆われ、交通機関が麻痺するほどの大雨も何度か降った。
公園に行けず、燈矢にも会えない日がつづく。
出久は毎日曇天の空を見上げ、はやく雨がやみますようにと熱心に祈った。
長く陰鬱な梅雨がようやく終われば陽射しは日に日にその強さを増していく。
連日の高温のせいもあってか、梅雨が明けても燈矢は公園に姿を見せなかった。
そうしているうち、出久にとってはじめての夏休みが間近に迫っていた。

終業式を終えたあと、出久は家で昼ごはんを食べてから公園に向かった。
「燈矢くんももう夏休みかなぁ……
ベンチに腰かけ持ってきた夏休みの宿題を進めながらも、気がつけば燈矢のことを考え手が止まってしまう。
ひっそりとした公園に蝉の声だけが響く。
暑さにぼうっとなる頭を振り、何気なくあたりに目をやった出久は顔を輝かせた。
「燈矢くん!」
喜色満面で駆けだし公園の脇の道に出る。
背後からの声に制服姿の燈矢は立ち止まり、ゆっくりとふりかえった。
……出久」
「僕ね、今日がしゅうぎょう式だったんだ!燈矢くんも、そう?」
ああ、と燈矢はうなずく。
「そうなんだ、じゃあ燈矢くんももう夏休みだね。あのね、僕、燈矢くんに話したいことがいっぱい――
彼を見上げた出久ははたと言葉を止める。
以前の燈矢とはどこか様子がちがって見えたからだ。
放心したようなまなざしをして表情は乏しく、心なしか顔色もよくない。
唐突に蝉が鋭く鳴いた。
ちいさな黒い影が空へ舞いあがり、すぐさまどこかへ飛び去っていく。
「だ、だいじょうぶ?どこか痛い……?」
背中を汗が伝う。
不安に駆られ、出久はおそるおそる燈矢へ手を伸ばした。
……つかれた」
蝉の声の中心にかすれた声がぽつりと落ちる。
「毎日勉強ばっかで、疲れちゃったんだ。だからさ出久」
出久の伸ばした手を、冷たい指先がそっと握った。
「息抜きに付き合ってくれよ」

ホームで電車を待つあいだ、出久はそわそわと周りを見まわした。
大きなボストンバッグやキャリーバッグを手にした人の姿もちらほら見える。
梅雨明けからこっち、天気は快晴つづきである。学生は夏季休暇にはいる時期でもあるし、旅行に出かける人は多いだろう。
そういった人々に対し、出久と燈矢は身軽なものだ。
出久の持ち物は夏休みの宿題がはいったリュックだけ、燈矢にいたっては制服姿に通学鞄。
アナウンスが流れ、まもなく電車がやってくる。
ひらいたドアへと踏みだす燈矢につづき、出久も電車に乗りこんだ。
車内はそこそこ混んでいたが運よく二人分の空席を見つけ、隣り合って座る。
座席に腰を落ち着けた出久はほうっと息を吐いた。速度を上げ過ぎ去っていく窓外の景色に目をやる。
立ち並ぶ建物や看板、遮断器の向こう側へ伸びる道。まだ走りはじめてすこししか経っていないのに、すでに出久の知らない光景ばかりだ。
隣に座る燈矢を見上げ、出久はひそめた声をはずませた。
「僕、お母さん以外のひとと電車に乗るのはじめて」
そっか、と燈矢は蒼い瞳を細める。
奇妙なほどの静けさに包まれた車内で流れる景色をただ見送るうち、出久はいつしか眠気におそわれていた。
「あとで起こしてやる。寝てろよ」
燈矢の手が出久の髪をなでる。
心地よさに抗えず、瞼がゆるゆると下がってくる。
「ん……どこ、まで、いくの……?」
出久の問いかけに燈矢はさあ、と他人事のように答えた。
「どこだっていいさ」
駅へ停車するたび乗客が降りていき、車内には空席が目立ちはじめる。
肩にもたれ寝息をたてる出久の体温を感じながら、燈矢は空いた座席に鞄を放りだした。

出久が燈矢に揺りおこされ降り立ったのは、名も知らぬちいさな無人駅だった。
古びた木造の駅舎を出ると強烈な陽射しが照りつける。
駅前には一体の銅像がぽつんと建っていて、それを見た出久は思わず駆け寄った。
「燈矢くん、これ見てみて!」
「なんだ、誰の像?有名人なのか」
「だれかはわかんないけど、このポーズがね、まえにテレビで見たオールマイト像とそっくり!」
像の横に立ち、喜び勇んでおなじポーズをとる出久に燈矢はきょとんとし、それから呆れたような顔で笑った。
「なんだよそれ、そんなんでよく喜べるな」
肩を揺らし笑う燈矢を見て出久はうれしくなった。
「燈矢くん、やっと笑ってくれた」
その言葉に彼は目を伏せ、口元に苦笑を浮かべる。
出久は燈矢の顔をそっとのぞきこんだ。
「息ぬき、ってどうするのかよく知らないけど、楽しいことたくさんしたら息ぬきになる?」
……うん。そうかもな」
「じゃあ、いっぱいあそぼう!」
無個性の自分でも、燈矢のためになれるかもしれない。彼の助けになれるかもしれない。
出久の胸にあかるい光が満ちる。
燈矢の手をとり、出久は彼に笑いかけた。
駅前にあった簡素な案内板によると付近に物産館があるらしい。物産館の裏手にはちょっとした山があり山頂へはケーブルカーも出ているという。
「ケーブルカーっていうの、乗ってみたい!」
「じゃあ、とりあえず物産館に行くか」
焦げつきそうなほどの暑さのなか、案内板に示されていた方向へ歩みをすすめる。
平凡で静かな町だ。あまりの暑さに皆屋内へ引っ込んでいるのか、行き交う人の姿もほとんど見えない。
時おり電器屋や園芸店などの看板も見えたがどこも店内は無人で、営業しているのかすら定かではなかった。
しらない場所へ来たのだと出久は改めて実感する。
十五分ほど歩いてたどりついた物産館には野菜や果物、弁当や加工品などが並んでいた。ここは案外多くの客でにぎわっていて、地域の人々の交流拠点にもなっているようだ。
駅前の案内板にあったケーブルカーの駅は物産館に併設されており、建物の脇にまわると水色のかわいらしい車両が待機していた。
「うわあ、遊園地の乗りものみたい。これでお山のてっぺんまで行けるの?」
「そうみたいだな」
「こんにちは。ケーブルカー、乗りますか?」
乗車券売り場のほうから柔和な顔つきの女性が声をかけてきた。
出久は不安と期待の入り交じった目で燈矢を見あげる。
「落っこちたりしないかな……
「お前、これに乗ってみたいって言ってたじゃん。俺もいっしょに乗るんだから怖くないだろ」
……うん!」
売り場の女性はほほえましそうに二人のやりとりを見守っていた。
燈矢が二人分の料金を払うと、女性はにこにこしながら乗車券を差しだす。
「きょうだい仲が良くていいねえ。頂上できれいな景色、楽しんできてくださいね」
大人が五人も乗れば満員になってしまうような小型の車両は、二人が乗りこむとゆっくり動きだした。はじめはこわごわと外をうかがっていた出久も、迫ってくる山の青々とした緑の美しさに魅了され、すぐに景色を眺めるのに夢中になった。
まるで空を走っているように爽快な気分で、出久は燈矢をふりむく。 
「燈矢くんすごいね、きれいだねぇ!」
「うん、きれいだな」
ふとさっき売り場の女性に言われた言葉を思いだし、出久はつぶやいた。
「僕と燈矢くんって、似てるのかな」
「は?なんだよ急に」
「だってさっきのひと、僕たちのこと“きょうだい”って」
ああ、と合点がいったように燈矢はかるくうなずく。
「友だちにしては年が離れてるから、きょうだいだと思ったんだろ」
「そっかあ。でも、僕なんだかうれしかった。僕にも燈矢くんみたいなやさしいお兄ちゃんがいたらいいのに」
出久の言葉になぜか燈矢の顔が曇る。
うつむき目を逸らしながら、燈矢はぼそりと言った。
……俺は優しくなんかない」
「やさしいよ!だって学校の帰りに僕と話してくれるし、こうやっていっしょに遊んでくれるもん」
「それは――出久は、弟じゃないから」
どこか苦しげな声で燈矢は吐き出した。
出久は戸惑い口をつぐむ。
あたりまえのことを言われただけだ。なのにどうしてか、ひどくさびしいような気持ちがした。
……出久はひとりっ子なんだよな。うちは四人きょうだいなんだ。俺がいちばん上で、妹がひとりと弟が二人。下の弟は、出久とおなじくらいの年だ」
二人きりの空間にひそやかに響く、燈矢の声。
出久が弟だったらよかった。膝のうえで組んだ指に目を落としながら、燈矢はぽつりとそう言った。
やがて山頂に到着し、二人はケーブルカーを下りた。
そこは広場になっていて、細やかに整えられた花壇があり、子どもが遊べる遊具も置かれている。
双眼鏡と椅子が設置された一画は展望所で、景色を楽しんだり写真を撮っている人の姿があった。
出久と燈矢もぐるりと巡らされた柵の側まで行き、眼下にひろがる景色をのぞむ。
「うわあ……!」
出久は思わず歓声を上げた。
無人駅から歩いたときにはあまり特徴のない町だと思ったが、うえから眺めてみるといろいろ発見があって面白い。
住宅街のなかにそこだけ緑が密集して森のようになっている場所があったり、延々と白い建物ばかり並んでいるところがあったり。
あれは学校だろうか、あそこは何をするところだろう。そんなふうに燈矢とときおり話しながら飽きず町を眺めていた出久は、頬をかすめた風にちいさなくしゃみをした。
気づけば広場の時計の針は、夕方の六時近くを指している。いつもならとっくに家に帰っている時刻だ。
肌を刺すほどの強さだった陽射しもずいぶん和らぎ、夕風にすこしずつ夜の気配が混じりはじめている。
とたんに出久は落ち着かない気持ちになった。
「燈矢くん」
そろそろ帰ろうと口にしかけた出久だったが、燈矢は明後日の方角を見ている。
「なあ出久、あそこ見てみろよ」
言われるがまま視線を向ける。燈矢の指さす先には、太陽を映しきらめく青があった。
「あそこって、海?」
「ああ。もっとよく見てみな」
うながされ目をこらすと、水面に何かが浮かんでいるのに気づいた。真っ白で巨大なもの。遠目からでは動いているのかもわからないが、蛇のような見た目はなんともいえず不気味だった。
「海になにかいる……?」
「なんだろうな、あれ。怪物かな、それともヴィランが何か仕掛けてたりして」
燈矢は冗談めかしてさらりと言ったが「怪物」「ヴィラン」という言葉に出久は青くなった。
「し、知らせたほうがいいかも。すぐ、ヒーローに……
「だけどまだ事件も何も起きてない。ヒーローだって忙しいんだ。きちんとした正確な情報がなきゃ、こんな辺鄙なところまで来るはずねぇよ」
燈矢はそう言うと踵を返した。
「ど、どこ行くの?」
「ちょっと近くまで行って見てくる」
「ええっ、あぶないよ!」
出久は仰天し燈矢の腕にすがりつく。 
必死に止めようとするが燈矢は聞く耳を持たなかった。
「出久は来なくていいよ。待つのも嫌ならひとりで帰ればいい」
突き放すようにそう言い、さっさと歩いていってしまう。
出久は一瞬迷ったが小走りに後を追った。
「待って、僕も行く!」
どのみちここから自宅までひとりで帰れる自信はなかったし、何より燈矢が心配だ。海に漂うあれが本当に危険なものだったら、すぐヒーローや警察を呼ばなくてはならない。
山頂からふもとまでケーブルカーで下る。
燈矢は迷いのない足どりで元来た道とは反対側へ歩きだした。
赤い太陽が徐々に押しつぶされるように水平線の下へと沈んでいく。
日暮れが訪れ完全に太陽が沈黙してしまうと、出久はどんどん不安な気持ちになってきた。
もう小一時間は歩いているだろうか。展望所から見たかぎりでは海までそう遠くないように見えたが、これだけ歩いてもまだ着かない。
道に人通りはなく、電灯が少ないためにあたりは暗かった。ときおり行き過ぎる車のヘッドライトの明かりが、ふりむかない燈矢の背中をしろく浮かび上がらせる。
夜になり気温が下がってきたのか、汗が冷えて脇の下や背中が冷たい。
こんなに帰りがおそくなって、母はきっと心配しているだろう。足が痛くて重い。我慢していたけれど、さっきから頭もズキズキ痛みはじめていた。
あれの正体なんて知らなくていい。出久はただ燈矢と帰りたいだけだ。
息を吸った瞬間、出久の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「ふ、……う、うぅ」
箍が外れたように後から後から涙があふれる。
視界がにじみ、足下がおぼつかなくなって立ち止まる。
一度止まってしまえばもう一歩も動けなくて、出久はその場に座りこんでしまった。
「出久」
先を歩いていた燈矢がもどってきて、出久のまえにしゃがみこむ。
「もうかえりたい、燈矢くんといっしょに、おうちにかえりたいよぉ……
泣きながら訴える出久を燈矢は静かに見つめていた。
やがてゆっくりと目を伏せ、長く息を吐く。
「ごめんな」
消え入りそうなその声に出久は泣き濡れた目を上げる。
熱い涙でぼやけた視界に、哀しげに笑う燈矢の顔が見えた。
……逃げだしたくて、どこでもいいから遠くに行きたくて、だからこんなとこまで来ちゃったんだ。こんなことしたってどうせ諦められないって、わかりきってるのに」
微笑む燈矢の唇がかすかに震え、音もなくあふれた涙が頬にひとすじ伝い落ちる。
「お前を巻きこんでごめん。ごめんな、出久」
出久は首を横に振った。
自分よりずっと大きな、けれど幼い迷子のような目をした燈矢をぎゅっと抱きしめる。
とうやくん、と呼びかけて、涙でぐずぐずの声を懸命にしぼりだした。
「僕がもうすこし、おおきくなったら……そしたらきっと、ずっと遠くまでいっしょにいこうね」
そんなの待ってはいられないと一蹴することもできただろうが、燈矢はただうなずいた。
抱きついてくるちいさな体に腕をまわし、燈矢はそっと目を閉じる。
藍色の空に星が灯る。
しらない町の夏の夜は、青く錆びついた匂いがした。
  
海へ向かうのを断念した二人は、元来た道を引き返しはじめた。
しかしいくらも経たないうちに雲行きがあやしくなり、湿り気を帯びたぬるい風が吹いたと思えば雨が降ってきた。
雨は見る間に激しさを増し、足下で飛沫が跳ねる。
燈矢は出久の手を引き、雨やどりできる場所を探して走った。
ようやく屋根付きのバス停留所へたどりついたときには、二人とも頭から水をかぶったようにびしょ濡れだった。
鞄からタオルを取り出した燈矢は出久の髪や体を拭う。
「あ……ありがと」
「急に降ってきたな。すぐ止めばいいけど」
しかし雨は勢いを増すばかりで、二人はぼんやりとベンチに掛け雨止みを待つ。
……出久のお母さん、心配させちゃうな。出久の家に連絡できたらよかったんだけど、充電切れちまったみたいだ」
燈矢は手にした携帯端末を、再びスラックスのポケットにしまいこんだ。
「燈矢くんのおうちのひとも、心配してるんじゃない?」
「うちはどうかな。焦凍が……下の弟が帰ってこないってんなら、みんな心配するだろうけど」
燈矢は降りしきる雨を眺めながら「俺さ」とふいに話しだした。
「高校は雄英のヒーロー科に行くって、ずっとまえから決めてたんだ」
「ゆうえい?って……オールマイトも行った学校?」 
「よく知ってンな、さすがオールマイトオタク。そう、その雄英。俺のお父さんも通ってたんだぜ」
「えっ、そうなんだ!もしかして、燈矢くんのお父さんもヒーロー?」
「ああ。……フレイムヒーロー、エンデヴァーが俺の父親」
「えええっ!?」
出久は目玉がこぼれ落ちんばかりに目を見開いた。
驚きのあまり胸がどきどきする。
同時にはじめて公園で燈矢を見かけたときのことを思いだした。
出久が拾い燈矢に返した、エンデヴァーのブロマイド。
「すっごいね!ヒーローが……エンデヴァーがお父さんだなんて」
興奮気味の出久に燈矢はすこしだけはにかむような表情を見せた。けれどそれは一瞬のことで、次に話しだしたときその顔は暗く陰っていた。
――お父さんはさ。俺が雄英受けること、良く思ってないんだ。というより、ヒーロー目指すこと自体をって言ったほうが正しいかな。うんとちいさい頃はいっしょに訓練したりもしてくれてたけど……俺に欠陥が見つかって、より優れた個性を持つ末の弟が生まれて。オールマイトを超えるヒーローを育て上げることがお父さんの夢で、だから失敗作の俺はさっさと切り捨てられた。……なんて、いきなりこんな自分語り聞かされても困るよな。だから夏くんにも嫌がられるんだ」
最後はひとりごとのように言い、燈矢は茫洋とした視線をさまよわせる。
「それでも俺は、雄英を受けるつもりでいた。そのつもりで勉強も、個性の出力訓練もやってきた。雄英に受かってヒーローになって、そしたらお父さんだって俺を認めざるをえなくなる、そう思ったから。だけど」
燈矢はぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、うなだれて言葉を吐き出した。
……突然、個性が使えなくなった」
「え……?」
父親であるエンデヴァーからは個性訓練を行うことを禁じられていたが、雄英高校への入学を目標にかかげていた燈矢は、ひそかに山へ行きひとりで訓練をつづけていた。
しかしひと月ほどまえから突如として個性の炎が弱まり、ついにはまったく出せなくなってしまったのだ。原因はわからない。
学校の保健医にそれとなくたずね、心理的要因などから一時的に個性が使えなくなる生徒がいるとは聞いたが、具体的な治療法があるわけでもない。
中学三年生の燈矢にとって高校受験はもう目と鼻の先だ。このまま個性が使えなければ、雄英への合格は絶望的だろう。
焦りは募る一方だった。
「雄英に行けないのも嫌だけど……個性が使えないことが、なにより怖い」
雨音にかき消されそうなほどちいさく揺れた声で燈矢がつぶやく。
「俺は、お父さんから受け継いだ炎で誰より強くならなくちゃいけないんだ。でなきゃお父さんは――もう二度と、俺を見てくれない」
燈矢は胸のうちを吐露しながらほたほたと泣いた。
いつも穏やかで大人びて見えた燈矢。
彼が抱えていたいくつもの哀しみや不安を、出久ははじめて目の当たりにする。
震える手を握ったそのとき、燈矢を救いたいと心の底から思った。
……燈矢くん、まえに言ってたよね。どうしても叶えたい夢なら、手放しちゃだめだって」
燈矢の瞳がゆっくりと出久に向いた。
彼に笑ってほしいから、出久は先に笑ってみせる。
「きっといまは、ちょっと疲れてるだけだよ。僕みたいな無個性とはちがって、燈矢くんにはすごい個性があるんだもん。だいじょうぶ、ぜったいにまた、炎はもどってきてくれる」
涙に濡れた燈矢の頬に、出久はぺたりと手を当てる。
不器用に涙を拭おうとする出久を見て、燈矢がちいさく吹きだした。
……すごいな、お前は」
雨脚が徐々に弱まってきた。
鼻の頭を赤くした燈矢は、出久の目をのぞきこんで笑う。
「出久、ありがとな。……個性が使えるようになったら、出久に俺の炎見せてやる」
「ほんとに?」
「ああ、約束」
「やったあ!」
喜びの声を上げた瞬間、ずきんと激しく頭が痛んだ。
出久はとっさにこめかみを押さえる。
先ほどから感じていた頭の痛みが、ここにきて耐えがたいほど酷くなってきた。
戸惑ったように自身の名を呼ぶ燈矢の声もどこか遠い。
「出久、どうし――
燈矢の声がふっと途切れた、その瞬間。
激しい光があたりを昼間のように照らした。
小雨など降った端から蒸発しそうなほどの熱が、炎を纏い現れた男の全身から発散されている。
男のすがたを目にした燈矢が呆然とつぶやく。
「お父さん」
そこにいたのは燈矢の父であり、オールマイトに次ぐナンバー2の肩書きを持つヒーロー、エンデヴァー。
彼は声を発した燈矢とその隣にいる出久を鋭く一瞥し、大股で歩み寄ってきた。
燈矢がふらりと立ち上がる。
息子と相対したエンデヴァーは躊躇なく右手を振り上げ、次の瞬間燈矢の頬を殴りつけた。
鈍い音が響き、燈矢は背後のベンチに倒れこむ。
「燈矢くん!」
「エンデヴァー!」
出久の悲鳴と、ともに現地に到着したヒーローの声が重なる。
すぐにもう一人ヒーロースーツを着た女性が飛んできて、出久をさっと抱えいったんベンチから遠ざけた。
「緑谷出久くんね。どこかケガをしたり、痛いところはない?」
しかし出久はその問いかけの半分も聞き取れず、凍りついたようにベンチのほうを見ていた。
ベンチのまえに仁王立ちになったエンデヴァーは、怒りに燃える目で燈矢を見下ろす。
「お前は何を考えている!あんな小さな子を長時間連れ回して、こんな所で何をやっていた。一体どういうつもりだ!」
父親の怒鳴り声に燈矢は悄然とうつむいたまま、「ごめんなさい」と謝罪を口にする。
エンデヴァーはなおも怒りが収まらない様子だったが、他のヒーローにとりなされ、舌打ちとともに燈矢から目を背けた。
「お前がここまで愚かだとは思わなかった。まったく、とんだ事をしてくれたものだ」
吐き捨てられた言葉に燈矢がぴくりと肩を揺らした。
ハッと短く、嘲るような息を吐く。
「そうだよね。俺も一応お父さんの子どもなんだし、息子がこんな誘拐まがいのことやらかしたって世間に知れたら、外聞が悪いもんね」
……なんだと?」
「結局お父さんは、自分が大事なんだ」
冷然とした声で言い、燈矢は打たれた頬を歪め嗤った。
エンデヴァーの瞳に炎が燃え上がる。
彼は周囲の制止を振り切り、燈矢の胸ぐらをつかんだ。燈矢は抵抗するそぶりも見せず、だらりと両手を垂らしている。
「知った口を利くな、お前に何が分かる!」
エンデヴァーが再び片手を振り上げた。
周囲が凍りついたその刹那、出久は転がるように駆けだし全身でエンデヴァーにぶつかった。
「やめて!燈矢くんを、叩いちゃだめ!」
ちいさな衝撃と身もだえするような必死の叫びに、エンデヴァーが動きを止めた。
燈矢も驚いたような目で出久を見る。
出久の背丈では目の前の巨躯の腰にすら届かない。
恐ろしくて悲しくて、感情の奔流が涙となって次から次にあふれだす。
それでも出久はエンデヴァーにしがみつき、まっすぐに彼を見すえた。
「と、燈矢くんはわるくない、僕が勝手についてきただけだもん。だから、っ、燈矢くんのことしからないで、ひどいことしないで!」
頭も喉も胸も熱い。熱くて熱くて、出久は生まれたての赤んぼうのようにわんわん泣いた。
「とうやく、ひとりっ、で、がんばってたっ!みてほしいって、いってた」
自身のことを「失敗作」だと言った燈矢の、さびしげな瞳が脳裏をよぎる。
燈矢が求めてやまないものを与えてあげられるのは、きっとこの世でたったひとりだけだ。
「きめつけないで、燈矢くんのこと、ちゃんと――
ぐにゃりと視界が歪み、エンデヴァーにしがみついていた手から力が抜ける。
誰かに抱きとめられたのを出久はぼんやりと感じていた。
閉ざしかけた視界に不安げな顔の燈矢と、その横にいるエンデヴァーとが見える。
燈矢とおなじ蒼い瞳を持つ彼に、出久はこころのなかで想いを託した。
ちゃんと燈矢くんを見て。話を聞いて。
燈矢くんはお父さんのこと、だいすきなんだよ。
雨あがりの夜風が優しく頬をなで、出久の意識はふつりと途切れた。



燈矢としらない町に出かけた日から、出久は高熱を出し十日間ほど寝こんでしまった。
体調が回復したあとも母は出久につきっきりで、近所の公園へ行くことはおろか、玄関先に出ることすら一人きりではだめだと言い渡された。
「たとえあの子が出久の大事なお友だちだとしても、いまは会わせられない。おねがい出久、お母さん、もうあんな思いをするのは耐えられないの」
目に涙を浮かべ懇願する母を、これ以上悲しませたくなかった。
出久は燈矢に会いに行きたい気持ちをこらえ、長い長い夏休みをすごした。
夏休みも終わりに近づいた頃、よその町へ引っ越す話が持ち上がった。
母は引っ越しの理由を明言しなかったが、燈矢とのことがあったからなのだと出久にはなんとなくわかっていた。
住みなれた家と町を離れる日、出久は住宅街の向こうに見える山へ目をやった。「瀬古杜岳」という名の山だ。
燈矢はいつもこの山で個性の訓練をしているのだと言っていた。
彼が再び個性を使えるようになったら、炎を見せてもらう約束だった。出久のほうが約束を破ってしまうことにきりきりと胸が痛む。
「ごめんね、燈矢くん……
口のなかでつぶやき、出久は母とともに車に乗りこんだ。



数年が経ち、中学生になった出久は引っ越し以来はじめて、燈矢と出会った町に足を踏み入れた。
昔通っていた小学校、母といつも買い物に行ったスーパー、なつかしい場所をめぐりながら、出久は燈矢を探していた。
現在の燈矢はすでに高校を卒業している年齢だ。
個性は無事に使えるようになっただろうか。
宣言どおり、雄英への合格を果たせたのだろうか。
燈矢がヒーローになったのなら、何かの折にメディアでその活躍が報じられることもあるかもしれない。そう思い出久は毎日欠かさず各種媒体をチェックしているが、未だにそれらしい人物の情報は見つけられずにいた。
二人でよく話をした公園に向かってみる。
誰もいないその場所には昔とおなじ藤棚があり、こぼれるように花が咲いていた。
ベンチに腰かけ休憩していたとき、出久はふと目の前の景色に違和感をおぼえた。
「あ……
引っ越しの日にもふりかえり眺めた、住宅街の向こうにそびえる瀬古杜岳。
いつも青々としていたその山がまるで緑を剥ぎ取られたかのように、広範囲にわたり無残な肌をさらしている。
出久は胸騒ぎをおぼえ立ち上がった。
まっすぐ地域の図書館へ向かい、過去の新聞記事を調べてみる。
すると数年前――出久が引っ越しでこの町を離れた、その年の冬に瀬古杜岳で大規模な火災が起きていたことが判明した。
乾いた空気に瞬く間に火は燃え広がり、当時瀬古杜岳にいたとされる少年の遺体は、猛火に焼かれたためかついに発見されなかったという。

行方知れずとなった少年の名は、轟燈矢。