河童の皿箱
2025-04-02 08:58:13
2768文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

春/春?

ライジング・スケールが春の息吹を感じるだけ
娑楽斎が暑がるだけ



 縁側に腰を掛けるは浮世絵師。昨日に引き続き、まだ山々は色付かず、けれど冬の様相でもない。だが、絵師の耳の後ろあたりから、ツウッと一筋、汗が流れ、ぽたり、と手元のタブレットに落ちる。長いため息をついて、首にかけた手拭いで拭いとる。昨日は隣に、日向ぼっこをしていた能楽師たちが居た。だが、今日は居ない。子供たちは部屋の日陰に引っ込んで、急いで引っ張り出した扇風機の前を陣取っていた。
 とうとう男は耐え切れず、腕を袖の中に引っ込めては、そもそも前の緩い麻の着物を鬱陶しそうに内側から開け、鍛え上げた肉体をあらわにした。

 「……暑くね?」

 男は思い返す。確か、1週間前まで暖房をつけていたはずだ。だがどうだ。天気予報と温度計が指し示すのは、明らかに初夏の陽気であった。
 男は燦々と輝く太陽を眺めながらぼやく。「春はどこだ」。「夏じゃねぇか」。「いい加減にしろよぉ」。「まだ桜も一分咲きだろぉ?」。早朝、日課のジョギングをしていた時は、まだひんやりしていた。日陰に入れば風が汗をさらっていき、心地よかった。だが今はどうだ。汗がひっきりなしに出てくるわけでも、肌をじりじりと焼くわけでもないが、風にあたっていないと体に熱がこもって仕方がない。絵師は筋肉質で、代謝が良く、汗っかきでもある。皮膚に纏わりつく湿り気と、時間をかけて雫を形成する汗の、なんとやかましいことか。
 故に、絵師は日も風も入れられない自分の部屋を飛び出した。同じように居間に屯する皆々と同じように、とにかく風にあたりたくて仕方がなかった。とはいえ、扇風機は能楽師たちが使っている。自分があそこに行けば独り占めになるし、何より暑苦しいだろう。文句を言われて抓られるのは勘弁だ。

 「おおい、娑楽斎。水飲めよぉ」。ぼやきながらも仕事を片付けたり、祭りの企画を練る絵師に、水を差しだしたのは雅楽師ワゴン。「ありがとよ」、とコップを受け取り、飲んでみれば、冷蔵庫で冷やされていたのだろう。求めていた安らぎがそこにはあった。
 その後ろを見れば、いつもの黒衣を脱ぎ去り、半袖の人形師も居た。能楽師たちが謡本を読み合わせる少し離れたところで、扇風機の恩恵をほんのり受けながら、新しい人形の設計図を描いている。皆、春の桜を祝う祭りのため、始動したプロジェクトに向き合っていた。
 もし、もっと日差しが強かったら。もし、もっと強力な暖気が流れ込んだら。もし、会場で誰かが倒れてしまったら。そうならないためには、どうしたらいいだろうか。それを考え、手配するのが、絵師の仕事でもあった。

 「熱射病対策も念のためしておくか。客もそうだし、俺たちのもな」。皆が『楽しかった』と笑って別れられる祭りになるように、絵師はタブレットに走り書きしたメモにそんな注釈を付け加えた。