河童の皿箱
2025-04-02 08:58:13
2768文字
Public 遊戯王:短め(2024年度)
 

春/春?

ライジング・スケールが春の息吹を感じるだけ
娑楽斎が暑がるだけ

 ぱち。ぱちぱち。幼き能楽師は不可思議の瞳を開き、何度か瞬かせては、むくりと上体を起こした。左右で寝息を立てる姉たちは、まだ起きていないようだった。しかし、相変わらず寝相が悪い。両脇を固められていたのに、上のはそっぽを向いてるし、下のは上下が逆になってるし。
 ふぅ、と零れたため息ひとつ。起こさないよう、そーっと、そーっと、忍び足。先に着替えも済ませちゃおう。居間で来れば、おや珍しい。どうやら1番乗り。時計を見れば、なるほどなるほど。うっすら明るくなってきたとはいえ、大人たちもまだ布団でごろごろしているかも。
 今日の予定はどうだろう。間に合わせることあったかな。ちょこちょこ歩いて、絵師が毎日書き残す予定帳を開く。あれと、これと、それと、ふむふむ。今すぐやらないといけないことは、ちゃんと全部終わらせてある。これならしばらく、急ぐようなこともないか。
 次には、衣裳部屋に向かった。洋服よりも、和服のほうが気楽でいい。表の掃除もしちゃおうか。作務衣の上下、それと肌襦袢をひっ捕まえて、寝間着代わりの浴衣を脱ぐ。紐をぎゅっと結べば、今日も今日とてジャストサイズ。和服はこうして調節出来るのがいい。サイズアウトを買い替えなくて済むし。あぁ、でも。お出かけが少なくなるのだけ難点かな

 着替えて居間まで戻ってくれば、そこにいたのは浮世絵師。ガラッと障子を開ければ、朝の陽ざしがふわりと入る。「よう、おはよう」。「おはよ」。なんて、ほんのちょっとのやりとりでも、胸の中はほっとする。日差しが作った日向に入れば、あぁ、なんて良い天気。冬の寒さもすっかりなくなって、ただ当たっているだけではうとうとしてしまう。
 「あったかくなってきたな。これなら、もう褞袍もしまっちまっていいか」。外の景色に桜の面影を感じる今日この頃、衣替えにはうってつけだろう。「虫干しもそろそろ?」。問いかければ、「んーそうだな……今日やっちまうか」。ペラペラ捲った予定帳を眺めてから、絵師は笑った。
 「じゃ、俺はとりあえず走ってくるわ。ワゴンもそろそろ起きてくるだろ」。絵師がそう言って部屋を後にしようとすれば、能楽師はちょこっと、その大袖の隅っこを掴んだ。「ん?」。振り返って見おろす顔を見上げれば、能楽師は「お花見、行きたい」、と。小さな小さな願い事に、絵師はそっと微笑んでしゃがみ、その小さな小さな頭を撫でた。
 「もちろん。そんなら、先の仕事もさくっと片づけちまおう。あぁ、あいつらも花見に呼ぶか。花見の祭りだ、きっとみんな来てくれる」。望みの叶う予感に、能楽師はふっと顔を緩め、けれどすぐにキリリと凛々しく直した。「どっちでもいいし」、なんて。

 そんなこんなで方針が決まれば、ちょうど雅楽師が起きてくる。「ふわぁ、おはよう」。大あくびの合間の言葉に、「おはよう」、「おはよ」、と返せば、彼は彼で朝の仕事に取り掛かる。割烹着に腕を通し、厨に立っては、何はともあれ米を研ぐ。「そろそろ、セアミン達も起きてくるじゃろ。飯ができたら呼ぶからのう。好きに過ごしておれ」。のんびりおっとりした穏やかな声色に、能楽師はむんと口を尖らせた。「先に掃除してる」。「はは、頼んだぞ」。「あと、今日虫干しするって」。「おぉ、そうか。じゃあ、そのつもりでいるぞ」。炊飯器の愉快な炊飯開始音と共に、玄関先まで旅立つ。
 ほうきとちりとり、あとゴミ袋。「いつも通り、すぐ戻るからな」。野山の間へ走りに行く背中を見送っては、遠くの山々を望む。

 野山の淡い鮮やかさは、まだない。けれど、頬に乗せた朱のように、ほんのりと色づき始めた、ような。ひゅうと吹いた風は命の息吹を運び、思い切り吸い込んで、吐き出す。ざぁっと掃いたその中に、どこから来たのか花の弁。

 風はまだ青い。でも、きっともうすぐだ。