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(3)
・・・
若い頃から同性に惹かれている自覚はあった。明確に気がついたのは寄宿学校で同室の少年を好きになった時だ。自分はおかしいのだと思い、ずっと抑圧して過ごしてきた。
ありがたいことに異性に対しても性欲は抱けた。素敵だと思えたし、恋もした。大学生になってからは同性とも付き合うようになったが、それは遊びであって未来のある交際ではなかった。あの頃この国では同性婚は認められておらず、十数年前にようやく限定的な婚姻が認められるようになったのである。
それに自分が同性愛者だと知られるのは、プライドが許さなかった。ゲイ野郎と罵られ唾を吐かれるくらいなら、女性とだけ交際していた方がずっとましだ。
若い頃から漠然とではあるが、結婚をして家庭を持つという人生設計もたてていた。両親を早くに事故で亡くしたせいか、家庭を持つことに憧れがあったし、人並みに結婚願望も持っていた。せめて四十代までに結婚をと思っていたのに、五十を過ぎても特定の相手すらいない。からっぽだった。過去を振り返ってようやく、自分を愛してくれる絶対的な存在が欲しかったのだとわかった。
無償の愛をくれる相手なんて、いるはずもないのに。求めていたのはもう手に入らない親の愛情だったのだ。
(私はこのまま独りで死ぬのだろう)
そう思っていた。
枕元のプレゼントに気づいた時、エムリックは興奮のあまり、ぐっすり眠っているルークを揺さぶった。が、彼はまったく起きる気配もなく、死んだように眠り続けている。残念に思いながらもエムリックはその長細くてちいさな箱を持ち上げ、心を弾ませた。
エムリックは子供に戻ったような気分でリボンを解き「ハッピーホリデー!」と書かれた手書きのカードを眺める。ルークの字だ。彼の字は独特なのですぐにわかる。踊るような、暴れるミミズの筆記体。なにかあったとしても、筆跡鑑定をするまでもなくわかってしまうだろう。微笑み、包装用紙を丁寧に剥がして箱を開ける。
中身は金のキャップに、つやつやとした濃い緑の軸をしたボールペンだった。エムリックの記憶違いでなければ高級なブランド物だ。ルークは自身の仕事をかたくなに教えてくれなかったが、高価な物をプレゼントとして買えるほどの収入があるのだろうか。時折ふらっと寝室に入ってパソコンに向かっているのは見たことがあるものの、それ以外に働いている素振りはない。資産家だとか?
ともあれボールペンの贈り物はとても嬉しい。仕事で毎日使う物だから、見るたびにルークを思い出せる。思わず頬が緩んだ。どうにも同棲し始めてから絶えず頬が緩みっぱなしな気がする。まだ数日しかこの家に住んでいないのに、一ヶ月と数日後には笑顔の形に表情筋が固まっているに違いない。
「起きてくれ、ダーリン」
「まだ起きる時間じゃない
……」
「いや、もう六時過ぎだぞ、ルーク。プレゼントをありがとう、すごく嬉しいよ。大切にする」
「んー」
「私も用意してあるんだ。ほら、起きて」
ぐらつく頭をなんとか支えながらルークが起き上がった。襟ぐりの開いたパジャマから顔と同じ痣が覗いている。絞首刑の縄痕を思わせるその上に、エムリックは丁寧に細い金の鎖をかけた。
「メリークリスマス、ルーク」
「メリークリスマス
……これ、あんたの目の色に似てる」
「スフェーンという宝石らしい」
「へえ、きれいな宝石だな。大事にするよ、ありがとう、エムリック」
光の具合で緑にも黄色にも見える宝石を透かし、服の下にしまうとルークはふたたび寝転がろうとした。慌ててエムリックが抱きかかえると青年は不服そうに目を細め「六時すぎはまだ朝じゃない」と異議を申し立てる。
むしろ起きるには遅すぎる時間なのだが、それを言っても聞かないだろう。なにせ、ルークの生活サイクルは背筋が粟立つほどめちゃくちゃなのだ。正確なスケジュールで過ごしていると思っていたのに、同棲してみると別の側面が見えてくるものらしい。
抱きしめられたルークは眠たげにもたれかかり、もう一度、ありがとうと言った。
「アクセサリーなんて初めてつけるな。どうやって取ったらいいんだ?」
「私が毎日着け外しするから心配するな」
「ええ?それくらい自分で出来る
……なんだこれ、クソッ、金具まで細い!」
慣れない金具を見ずに外すのは至難の業だろう。もちろんエムリックはルークが装飾品の類いを一切持っていないのでは、とあたりをつけていた。普段着は大抵洗いざらしのシャツか毛玉の浮いたセーターだったし、指輪の跡もなくピアス穴も開いていないとくれば可能性は高い。案の定、人生初のネックレスを外すこともできずにじたばたしている。いつかは自分で取り外しできるようになるだろうが、それは当分先のことになるだろう。
こうしてルークの初めてのことを埋めていけるのが嬉しかった。なにより独占欲が満たされる。この歳になると付き合う相手も経験豊富で、初めてのことなんて双方に残っていないのが常だ。
とはいえ、エムリックもこうして同棲するのは初めてで、生活サイクルが壊滅的な相手に腹を立てないのも初めてだった。まあ、生活習慣についてはきちんと改善させていこうとは思っている。彼の健康のためにも。
細い首筋に顔を埋め、ゆっくりと上に向かってキスをしていく。それまで金具と戦っていたルークは両手を首の後に回したまま固まり、次第に笑い始めた。
「エムリック、髭がくすぐったい!」
「ああ、すまない。剃るのをさぼっていたからな」
「ホリデーだからってずいぶんだらけきってないか?エムリック教授のだらしない格好を見たら生徒は驚くだろうな」
無精髭で大学へ向かう自分を想像してエムリックは苦笑した。生徒以外も驚くだろう。こんなに自堕落になっているのは、若い頃に研究に没頭して以来だ。恋人にこんな姿を見せたこともないし、自尊心の強さからそんな姿を見せたいと思うこともなかった。だが、ことルークに関しては見て欲しいとすら思う。我ながら重症だ。
「だらしない私は嫌いか?」
「それはあれか、俺にだけ見せてくれて嬉しいって言って欲しいのか?」
「言って欲しい」
「はあ
……」
ペンダントを外すことを諦め、ルークはエムリックの両頬をぎゅっと挟んだ。
「俺にだけ見せてくれるならなんだって嬉しいよ。それに無精髭も似合ってる」
これでいいかと言いたげな目線にエムリックは抑えきれない笑みをこぼし、ルークの唇を自身の口で塞いだ。
・・・
「口の周りがふやけた」
うんざりとした口調で言われ、エムリックは恥じ入りながら青々しい剃り跡にアフターシェーブローションを塗りこんでいた。ルークは赤くなった口の周りに保湿クリームをなじませながら、ぶつぶつと文句を言っている。
文句を言われるのも仕方がないことで、あのあと優に三十分近くエムリックはキスをしていたのだ。昔付き合っていた相手から、不名誉なことにキス中毒とまで言われていたくらいである。自覚はあるものの、どうしても気分が高揚すると止められない。そもそも、キスとハグが嫌いな人なんているのだろうか。
鏡越しにじっと見つめていたせいか、ルークは目つきを鋭くして身構えた。
「そんな顔しても今日はもうしないぞ!唇が腫れたら困る!」
「でも唇以外ならいいだろう?」
「反省してないな、エムリック。今日はキス禁止だ。絶対に。あんたの顔が無駄によくても俺は屈しないからな」
エムリックは振り返り、ルークの言うとおり反省の色が見られない表情で微笑んだ。
「私のことをそんなふうに思っていたのか、ダーリン。私の顔が好きだなんて知らなかった」
「ぜんぜん好きじゃない」
「嘘がわかりやすいな」
身をかがめて素早く頬にキスをすると、ルークは猫が毛を逆立てるように全身をびくつかせて、無言でバスルームを飛び出していった。
キスをしたのは自分だというのにエムリックは意表をつかれて両手で顔を覆った。見間違えでなければルークは耳まで赤くしていたし、あろうことか口元がにやついていたのである。全身が温かい泡に包まれたかのように、幸福がじわりと染みこんでくる。こんなに幸せなクリスマスの朝は、両親が生きていた頃以来、一度もなかった。それにしても長時間の睦みあいと同じくらい一瞬のキスが嬉しいなんて、自分はどうにかしてしまったのだろうか。
エムリックはしばらく幸福に浸り、バスルームを出た。慌てて追いかけるまでもなくルークはリビングのソファに丸まって座り、忙しなくリモコンを押してテレビ画面を次々入れ替えている。いま話かけても照れ隠しに怒ってくるだけだろうと判断し、エムリックはキッチンの戸棚を開けた。冷蔵庫にはジャムがあったはずだ。パンケーキでも焼こう。
フライパンを温めながら、エムリックは材料をボウルのなかに放りこんでいく。エムリックは菜食者だが、完全菜食主義ではないので卵も牛乳も好物だ。一人暮らしにしてはいささか大きすぎる冷蔵庫には新鮮な卵も牛乳もたっぷりと保管されていて、朝から惜しみなく使っても問題ない。
混ぜあわせた生地をフライパンに入れたあたりでようやくルークがキッチンへ近寄り、鼻をひくつかせた。
「手伝う」
「それじゃあ食器を出してもらえるかな」
棚から大皿を二枚取り出して調理台に置くと、ルークは少し思案したあと冷蔵庫から果物を数個とヨーグルトを取り出してきた。慣れた手つきで皮を剥き、果肉をサイコロ状に切り分けていく。それをヨーグルトの容器へ放り込み、スプーンで混ぜるとヨーグルトソースの完成だ。
パンケーキが焼けるまでふたりは他愛ない話をして過ごした。冬休み中に少し遠出をしようかとか、普段行ったことのない店に入ってみようかとかそんな感じのことだ。話ながらエムリックが無意識のうちにルークの肌に触れると、彼は「キスは禁止」と距離を開ける。
「触っただけだ」
「あんたはいつも触ったあとにキスしようとしてくる」
「
……そうか?」
「そうだよ。なんなら目つきだけでわかる」
じりじりと後退していくルークを見つめ、エムリックは自分の目つきがどうなっているのか想像してみようとしたが、まったくわからない。
「本当に今日はずっとキスは禁止なのか、ダーリン」
「しつこいぞ、エムリック。何日も禁止されるよりいいだろ」
それはそうだ。がっかりしながらパンケーキをひっくり返し、エムリックは溜め息をついた。
パンケーキもヨーグルトソースもジャムもすべてきれいに皿から消え、ふたりは満腹感と血糖値の上昇で、少しばかり眠気に腕を引っ張られていた。
カウチソファに並んで座り、先ほどと同じように無意識でルークを触り始めたエムリックに、ルークは軽く眉を上げる。拒絶するには眠すぎて、かといってこのままエムリックの要望を受け入れると本当に唇が腫れてしまいそうだ。
ルークはうなりながら倒れ込んでいき、エムリックのきっちりと揃えられた大腿部に頭を置いた。見上げると、きらきらとした瞳がこちらを見つめている。キスをしたい時の目だ。まったく、この老人ときたら四六時中唇をくっつけたくてしょうがないらしい。知り合いに本の虫がいるが、エムリックはさしずめキスの虫だろう。
手を伸ばすと、エムリックは不思議そうな顔をした。ルークは指先でエムリックの唇を押さえる。
「顔以外ならいい」
眠気が吹き飛んだようで、エムリックは内側から輝かんばかりに表情を明るくさせた。ルークの手を掴み、にこにこと笑みをこぼす。
「顔以外ならどこでもいいのか?」
「は?待て、常識の範囲内にしてくれ。エムリック!変なとこにキスするな!」
わあわあと騒ぎながら、ふたりはソファの上で揉みあいだした。
窓の外では雪が降り積もり、どこか遠くで聖歌が響いていた。
つづく。
次回→
闇夜は若く、月は笑う(5)
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