闇夜は若く、月は笑う(3)

エムルク/現代AU

前回→(2)
※ルークとエムリックの二人称がゲーム本編と違います



 ・・・



 ようやく大学も冬休みに入る。
 クリスマス前というのもあって大学近辺は華やかなイルミネーションとツリーで飾られ、ホリデーを過ごす学生たちで賑わっている。
 先月までのエムリックならば恋人たちを見て鬱々とした気持ちになっただろうが、今は彼らを目の敵になんてしない。むしろ愛と青春を謳歌せよという気にすらなっている。

「それで、ルークは恋人ができたのは初めてだと言っていた。あんなに素敵な人の初めての恋人が私だなんて、信じられない。そう思わないか、ヨハナ」
「ヴォルカリン、言っておくけど休暇明けに泣きつかれても慰めないわよ」

 休暇前にいつもどおり昼食を共にし、ヨハナはそう釘を刺した。ほとんど一方的に新しい若い愛人のことを喋り続けられるのは、メソメソとくだらない戯言を吐き続けられるよりもうっとうしい。いや、どちらも同じくらい面倒なのだが、妙に自信たっぷりに話をされる方が癇に障るのだ。
 墓地の青年はすっかりエムリックに絆されてしまったらしく、老いた友人はひっきりなしにメールをしたり電話をかけたりと忙しない日々を送っているようだった。しかも驚いたことに今のところ、彼をうっとうしがっている様子もない。ここまでまめな交際相手は、ヨハナが知る範囲でも五指に入る程度しかいない。もはやエムリックにベタ惚れと言ってもいいだろう。
 エムリックはヨハナに突き放されても上機嫌で、食後の紅茶を楽しんでいる。

「その愛人も近いうちに別の相手に目移りするか、あなたのわがままに耐えられなくなるかどちらかね」
「彼はそんな人じゃない」
「そんな人じゃない人も、しつこい老人を相手にしていたら変わるものよ」
「ヨハナ、きみの言う通りかもしれない……だが私は今からデートなんだ」
「ふん!好きにしたらいいわ」

 にこっと笑ったエムリックに、ヨハナは鼻を鳴らして席を立った。
 ヨハナ・ヘゼンコスの言葉は正しい、とエムリックもわかっている。こうして惚気るのも静かに迫ってくる冷たい不安の手を、なんとか振り払おうとする足掻きにすぎない。ルークがいつか周囲の人たちの方が、エムリックよりずっと大人で付き合い易く、面倒が少なくて情熱も体力もみなぎっていると気づいてしまったらそれで終わりだ。縋りつく暇もなく捨てられてしまうだろう。
 交際が叶った当初は浮かれきってそこまで考えられていなかったが、こうして日が経つにつれてエムリックは不安を抑えられなくなっていた。
 エムリックの心を映しているように、鉛色の雲が垂れ込めている。今日は雪が降りそうだ。



 ・・・



 水しぶきと共に、湯気があっという間に視界を覆い尽くす。タイル壁に手を着いたまま、エムリックは頭から湯を被った。夢ならきっとここで覚めるか、あるいは湯だと思ったら水だったなんてことになるだろうが、一向に目覚める気配はない。
 つまりこれは現実で、見慣れないシャワーカーテンも、かわいらしい花模様のタイルも、すべて現実の物だということだ。
 楽しいデートのあと、店を出たルークとエムリックを待ち受けていたのは積もりに積もった雪のブロックだった。しかも少し歩いただけで吹雪に遭い、ルークの提案でなんとか彼の家に辿り着いたのである。
 招かれた自宅は驚いたことに墓地の奥にあった。だからいつも墓地でタバコを吸っていたのかと納得する反面、自宅の庭で吸えばよかったんじゃないかという疑問も浮かび上がる。が、寒さに震えて疑問をさっさと捨ててエムリックは暖かい家に飛び込み、家主に言われるがままにバスルームに追いやられたのである。
 そして――視線の先には、クラーケンの絵が描かれたコンディショナー入りのシャンプーと、オーガニックのボディソープが置かれている。エムリックが普段使わないような物で、どちらもシトラスと柑橘のさわやかな夏の香りがする。そういえばルークの肌に顔を寄せるといつもこの匂いがしていたなと思い返し、エムリックは顔を赤らめた。
 彼と付き合ってからというもの、どうにも精神年齢が退行してしまっている気がする。ルークのちょっとした仕草や言葉に驚いては胸を高鳴らせ、同じ匂いを纏うだけで興奮してしまう。気づかぬうちに自分の日頃の振る舞いも子供のようになっていて、そのせいでルークに気を遣わせているのではないかとエムリックは落ち込んだ。
 ルークと付き合い始めてもうすぐ三週間経つ。
 墓地で会っていた頃の辛辣さは薄まり、すっかり優しくなったルークにエムリックは不安を抱いていた。きつい物言いをしていても実際は優しい性格だろうとは思っていたし、その予想は的中したのだが、それにしたって優しすぎるのだ。エムリックが会いたいと言えば予定をなげうってまでいいよと言い、キスをしたいと言えば笑顔で受け入れてくれる。しかも、キスの時にうっかりタバコ臭いと言っても怒らずに禁煙までしてくれた。
 無理をしているか、慈愛の精神に溢れた聖人かのどちらかだろう。おそらく前者なのだが、まったくそんなふうに見えないのが難点だった。このままだと無理をしすぎたルークが唐突に別れを突きつけてくるかもしれない。
 会いたいのもキスしたいのも我慢して、ルークの毎日の予定を逐一確認することもきっぱり辞め、メールを一日一回までにすれば破局は回避可能だろう。だが、いったいいつまでルークは恋人でいてくれだろうかと考えると、不安と焦りが湧いてきて居ても立ってもいられなくなるのだ。
 以前付き合っていた相手の時も会うのを我慢して、余計に不安になって夜中に会いたいと騒いでしまったことがある。

(あの時、ストライフは会いに来てくれたが、結局は彼の転勤で疎遠になったな。転勤先についていけば今頃は……

 ストライフはエムリックより少し年上のFBI捜査官で、たくましく落ち着きがあり、優しい人だった。退職後はふたりでどこか自然の多い場所にコテージを買うか、牧場でも手に入れて静かに暮らそうと言っていたのを覚えている。
 今はまだルークは好きだと言ってくれるけれど、エムリックの内面を知っても変わらずに好きだと言ってくれるとは思えない。それに、もっと歳を取って魅力なんてひとかけらもなくなったとしたら――エムリックが六十歳になってもルークはまだ三十代にもなっていないのだ。捨てられたとしても文句は言えないだろう。遺産相続を約束すれば傍にいてくれるかもしれないだろうが。
 ルークではなく、ストライフとなら?
 あれから二年、彼はもうすぐ定年だ。もし今でも関係が続いていたら、こんなふうにいろいろな不安を抱えずにいられただろうか。
 エムリックは慌てて頭を振り、都合の良い想像を吹き飛ばした。
 無心で洗い終わり、ルークが用意してくれていた服に着替えた。これが一番大きいサイズだと言っていたシャツはエムリックには少しきつく、しかたなく胸元を開けてある。変な意味に取られませんようにと祈りながら、扉を開いた。
 ルークの自宅はまるで絵本に出てくるような古風な一軒家だった。リビングには本物の暖炉があり、いつでも継ぎ足せるようにと薪が積み上がっている。そして、暖炉の前に置かれたカウチソファに家の主は寝転がっていた。

「今日いっぱい止みそうにないって」

 素朴な室内に似合わず、壁には大きな薄型モニターが掛けられている。想定外の豪雪に見舞われているという報道が流れ、渋滞の続く道が中継されていた。エムリックが帰宅に使う電車もまだ止まっているようだ。
 エムリックが座れるように足を縮こめ、ルークは眠たそうにクッションを抱え込む。ろくに拭いていない髪の毛はまだ濡れていて、青白い肌に貼りついている。エムリックは手を伸ばし、ルークの目にかかっている髪を優しく除けた。

「眠いのか、ダーリン」
「んー」
「私のことはいいからもう寝なさい」
「いや、だいじょうぶ……

 あくびを噛み殺し、ルークはもぞもぞと起き上がる。就寝するには少々早い時間だが、眠気でまぶたが下がってきている。今にも眠ってしまいそうだ。
 無理をさせたくないという気持ちと、偽ってほしくないという本音がエムリックの心を苛立たせる。だってこんなちいさなことでも嘘をつかれていたら、好きだと言われても信じられないではないか。
 エムリックはにこやかに笑いかけた。

「雪が止んだら帰るよ」
「今日は止まないぞ」
「それでも――

 エムリックが言い訳をしようとしているのを、ルークは長い沈黙で塞いだ。暖炉の炎を映して赤く染まった瞳をゆっくりと瞬き、何も言わずにただこちらを見つめている。自分が虚勢を張っているのを見透かされているようだった。
 思わず肩を落として黙ったエムリックの手を、ルークは暖かい手で握った。

「俺に何か言いたいことがあるんだろう。今日はいつにもまして変だぞ」
「私は……私たちはやはり歳の差がありすぎる。私はきみにとって重荷になってしまうだろう。それが嫌なんだ」

 唖然とした表情のルークを見て、エムリックの気持ちはますます沈んでいく。が、彼は「予測と違ってた」とどこか朗らかに言った。

「別れたいって話なのかと思った」
「まあ、遠回しにはそうだな」
「は?待て、どうしてそうなるんだ?」
「年齢のことだけじゃない。きみは無理をしている。そうだろう?禁煙も、私とのデートも、もしかしたら今だって私のために努力して嘘をついてるんじゃないか」

 完全に目が覚めきったルークは、意外なことにそれまでの緩みきった雰囲気から一変して爆発した。爆発だ。そうとしか言い様がない。彼は立ち上がり、冷ややかな目をして、暖炉に薪をたたき込んだ。文字通り、力いっぱい。
 そうしてエムリックを振り返り、袖をまくって白い腕をさらした。ニコチンパッチが行儀良く居座っている。

「俺は、嘘はついてない。努力はしてるけどそれって別に嘘じゃないだろ。ただあんたが喜ぶ顔が見たくて、それで――クソ!」

 見上げるエムリックに掴みかかり、ルークは唇を重ねた。驚く間もなく突き飛ばされ、エムリックは無様にソファに転がる。

「もうどうすればいいのかわからない!」
「ルーク」
「今すぐ別れたくても今日は泊まっていってくれ。こんな猛吹雪に外へ出たら庭か墓地で遭難するからな。俺がそこで寝るからあんたは寝室を使え、いいな。それじゃあ、もう今日はこれで」
「ルーク、すまない、話を聞いてくれ」

 ぱきん、と薪が爆ぜる音がする。
 それまでまくし立てていたルークは閉口し、腕を掴んでいる手を注視した。そこにいるのは泣きかけの少年で、彼をそんな状態にしたのは紛れもない自分自身だった。ルークに捨てられるくらいなら、このまま彼が自分のなかに修復不可能な大穴を開けてしまう前に別れよう、などと思ったせいだ。
 そして心の奥底では、こうして彼が怒ったり泣いたりして「別れたくない」と言うのを期待していた。彼が傷つくかもしれないとわかっていて、ルークの愛情を試したのだ。
 怒ったり泣いたりは希望通りだったが、期待に反してルークは別れること自体は拒まなかった。当然だ。彼はエムリックを、エムリックが想像していたよりもずっと愛している。
 強く引っ張るとルークは体勢を崩し、エムリックと共にソファへ倒れ込んだ。正確にはエムリックの上へ。

「嘘をついてたのは私だ。私にとってきみの存在は……日増しに大きくなって、もしこの先もっと大切になってそれなのに一緒にいられなくなったらと思うと、何より恐ろしかったんだ。本当にすまない、ルーク」

 鼻をすすり上げる音が返事だと受け取っておこう。エムリックは愛しい人の濡れそぼった髪を撫で、このあとでルークから別れを切り出されても自業自得だ、と覚悟を決めた。

「一生別れたくないんだ。別れたいと言われても拒否するし、今日だって本当は一緒に、寝たい」
……セックスはなしだ」
「真面目に話してるんだぞ」
「わかってる。わかってるって」

 くぐもった泣き笑いの声に安堵する。別れ話を急に振っておきながらなんとも勝手なことだが、本当は別れたくなんてなかった。
 さらに嘘偽りない本音を言えば、こんな吹雪のなか家に帰りたいはずもないし、ルークと一緒にいられるならこのまま数日間雪が降り続けてくれたっていい。そしてもっと本心をさらすのならば、セックスなしの間柄に同意したことを少し後悔し始めていた。ルークの嫌がることをしたくはないが、もっと深く繋がりあいたいと思ってしまうのは否定できなかった。それ以外に相手を繋ぎ止める方法が思いつかない、というのが真実なのだろうが。

「エムリック、俺たちまだ付き合って一ヶ月も経ってないのに、今すぐ別れるか、一生一緒にいるかの二択しかないのか?」
「だめか?」
「だめじゃないけど、そんなに深刻に考えてると身が保たないぞ」

 そうかもしれない。それでも性格はそう易々と変えられる物ではない。
 ルークは呆れたように、でもどこか嬉しそうな顔を上げた。涙でうるんだ瞳が藤のように美しい。思わず見惚れるエムリックの鼻をルークはつついた。

「あんたはバカだ」
「ああ、そうだな。バカだ」
「今まで付き合って一番長続きした年数は?」
「急になんだ?」
「いいから、俺に申し訳ないと思うなら答えてくれ」

 一番よかった関係はすぐに思い浮かんだが、長いというと難しい。しばらく記憶をたどり、ようやく答えにたどり着いた。

「三ヶ月だな」
「それってなんかちょっと、短くないか?まあいいか。それじゃあ、あと二ヶ月付き合う間は何があっても絶対に別れないってお互いに誓約しよう。あんたが浮気しようが誰かと結婚しようが別れない」
「それだときみにメリットがないんじゃないか。私はもっとフェアにいくべきだと思うんだが」
「やっぱり大バカ野郎だな、エムリック。俺はあんたが幸せならそれでいいんだ。フェアかどうかは問題じゃない」

 溜め息をつき、うーんとルークはうなった。どうしたと聞くと、彼は言い淀み、エムリックの胸元に指を這わせる。

「胸毛がある……
「ダーリン、やめてくれ、恥ずかしい」
「これ見よがしにシャツを開けてるのは誰だ?胸毛の生えない俺に対する嫌がらせか?」
「私のせいじゃない。きみのシャツが小さいせいだ!」

 ムキになって言い返すとルークは笑い、エムリックの胸板に頭を乗せた。体の重みと、熱と、濡れた髪の雪と夏の匂い。ルークが規則的な呼吸を繰り返すたびに胸が膨らみ、沈んでいく。エムリックの激しい鼓動の響きを、ルークはきっと聞いているだろう。
 ルークの指がエムリックを撫でる。優しく、雪上を滑るように。彼はもう一つの手で暖炉の横を指さした。緑色の扉がある。

「引き摺っていいから運んでくれ」

 徹夜明けなんだ、とつぶやいて、ルークは眠りに落ちた。



 ・・・



 朝、目が覚めると隣には熟睡している青年がいた。エムリックはしばらく記憶をたどり、自分が昨晩、彼のベッドで同衾したことを思い出した。
 部屋はまだ暗いがおそらくもうすぐ夜明けだ。ルークを起こさないようにそっとベッドを抜けだし、カーテンを少しだけ開く。雪原が広がっている。しかもまだ雪は降り続けているようだ。今日も電車は止まったままだろう。
 エムリックは冷気に震え、しばし逡巡したのちにふたたびベッドへ潜り込んだ。普段は朝からストレッチとジョギング、軽い筋トレをするのだがここには器具もないし、ルークはまだまだ起きそうにない。
 このベッドは成人男性ふたりが寝るには少々狭いが、エムリックとしては嬉しいサイズだった。なにせ離れようとすれば容易くベッドから落下するので身を寄せ合うしかないし、くっついて寝るのもしかたがないという免罪符がある。
 寝息をたてるルークを抱き寄せ、エムリックはまぶたを閉じた。平穏な心に静寂がなじむ。

「エムリック」

 腕のなかでもごもごと声がして、エムリックは眉尻を下げた。

「すまない、ダーリン。起こしてしまったな」
「いや、二度寝するから問題ない」

 ルークの手がエムリックの腕に触れる。

「寝てる間に考えてたんだけど、残り二ヶ月、一緒に住んでみないか。あんたの今の家はそのままで、試しに。答えはあとでいい――
「住む!」
「まったく、あんたはほんと……

 喉の奥で笑い、ルークは唇を開いた。思いがけないキスにエムリックは従順に唇を寄せた。互いの喜びが唇をほころばせ、温かい味がする。
 二ヶ月。もしこの二ヶ月でルークが失望してしまったらと思わないわけではない。だが、いまこうして恋人のためにキスの努力をしてくれている青年を、これ以上疑うのは辞めるべきだろうとエムリックは思った。
 彼の愛だけは、信じてみてもいいはずだ。




つづく。
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