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闇夜は若く、月は笑う(1)
※ルークとエムリックの二人称がゲーム本編と違います
・・・
服に付いていた白髪をつまみ上げ、ルークは自身のものではないそれをどうしようかと迷った。結局、逡巡の末に携帯灰皿へ捨てたが一瞬でも捨てずに取っておこうかと思った自分が気持ち悪い。気持ち悪いというのは言い過ぎか。でも他人の髪の毛を持っていようと思うなんて、かなり変質的ではないだろうか。
溜め息。それも深いやつ。
ブラックコーヒーを出してやりながら、店主は苦笑した。
店は今日もありがたいことに繁盛している。といってもここから道を挟んだ側にあるコーヒーチェーン店よりは混雑していないが、ルカニスにとって儲かることは重要ではない。コーヒーを愛する人たちや、カウンターで突っ伏している友人がくつろげる場所ととびきり美味しいコーヒーさえ提供できればいいのだ。
「人でも呪い殺しそうな溜め息だな、ルーク。また話に行き詰まってるのか?」
「原稿は書き終わったけど、あの教授がしつこくて」
「ああ、最近よく墓地に来ると言っていた男か」
「うん。名刺によるとヴォルカリン教授だ」
高級そうな革靴に、仕立ての良いロングコート。丁寧に整えられた口ひげと、やや後退しつつある白髪混じりの灰色の髪。歳はおそらく五十代前半だろう。初めは睨まれているのかと思っていたが年嵩のその男はルークに話かけ、名刺まで渡してきたのだ。
普段ならしばらく墓地に立ち寄るのを止めるのだが、ルークは執筆に行き詰まっていたのもあって話を聞いてやってもいいかと思い直した。が、まさか毎日毎日飽きもせずにやってくるとは予想していなかったのだ。
冷たく突き放しても諦めずにやってくるせいで、ルークはすっかり調子を崩されている。それにふとした時にあの老人のことを考えている自分がいて、ますます困惑しては腹を立てる。やり場のない、胸がむかつくような感覚だ。友人が淹れたコーヒーがなければ落ち着きをなくしていただろう。
「本当に手助けは必要ないのか?イラリオも心配していたぞ」
「イラリオまで?」
「私のいとこもあれでお前を気に入ってるんだ。カテリーナの件でお前に感謝しているからな」
「あれは俺よりナーブに感謝すべきだと思うけど、まあ大丈夫だ、ありがとう。あの人は
……ものすごくお喋りなだけだから害はないし」
タバコを一本吸い終わるのにだいたい五分かかる。その五分間、エムリックはずっと喋り続ける。大抵は専門分野の話で、大学の講義を縮小すればこうなるのだろうかといった感じだった。それからたまに、黙ってルークの横顔を見ていることもある。
好意を持たれていることくらい、恋愛ごとに疎い自分にもわかった。まあ、現実の恋愛には今まで一度も関わり合いがなかったが、架空の恋愛に関してはプロといっても差し障りないのだ。なにせ恋愛小説を書いて生活費を稼いでいるのだし。これが小説ならあっさりと相思相愛になりそうなものだが、登場人物が初老の男と性愛にまったく興味がない男では、ラブロマンスも始まる前に枯れてしまうだろう。
そう、少なくともこちらは向こうに興味がない。毎日墓地に行くのも曲がりなりにも墓地の管理人だからであって、エムリック教授がずっと待ち続けていたら嫌だとか、かわいそうだとかそういう同情があるわけではない。決して。
そういえば昨日会った時、咳をしていたなと思い返して紅茶でも持っていった方がいいかもしれないと考える。その数秒後にルークはふたたび大きな溜め息をこぼした。
「俺、どうかしてるよな
……」
「誰かを好きになるのをどうかしてるって表現するのは作家だから?」
やや低く穏やかな声に振り返ると、口角を微かに上げた女が立っていた。ナーブ、と呼ばれて彼女はルカニスに軽く手を振り、ルークの隣へ腰掛けた。萌え出る緑を思わせるズボンに、白いブラウスというラフな格好だが彼女が着ると立派なドレスコードになる。
「こんにちは、作家先生。相変わらず教授に冷たく当たってるみたいね?」
「だって、期待させたら悪いだろ」
「でもあんまり厳しくしてると嫌われるわよ」
眉をひそめたルークを見て笑い、ルカニスはナーブへコーヒーを出した。
「ナーブの言うとおりだ、ルーク。ちゃんと理由を話して正直に付き合ってみたらどうだ」
「俺は
――別にあの人を好きなわけじゃないし」
「ルーク、自分が嘘をつく時にものすごく不機嫌そうになってるって知ってた?」
叫んでカウンターに突っ伏したルークを見ながらナーブはコーヒーを口に運び、にこっと微笑んだ。今日もルカニスのブレンドコーヒーは美味しい。
恥ずかしさのあまり動かなくなった共通の友人を後目に、ナーブとルカニスは情報交換を始める。
「教授は未婚だった。私が調べた範囲だとここ数年は恋人もいないみたいね。終身雇用の大学教授で、かなり有名。本も何冊か出しててお金持ちでボランティア活動もよくしてる」
「そうか、それなら私たちの友人が思っているほどひどい男じゃなさそうだな。ルークが悪態をついても昨日も懲りずにやってきたらしいし、かなり根気強い」
「
……ふたりとも嫌がらせのつもりか」
「まさか。お前が心配なだけだ。いつもは止めても突っ走っていくのに今回はらしくないしな」
目に見えてる厄介事でも真っ直ぐ突っ込んでいく性格と本名のダブルミーニングから「ルーク」と呼ばれている青年が、なぜか老教授相手にはいつもと真逆の行動ばかりとっている。普段の彼なら相手がストーカー気質の男であっても、愛想笑いと話術でうまく躱していただろう。もしくは墓地へ行かなければいいだけの話だ。それをわざわざ毎日出向いては思ってもいない悪態を吐き、自己嫌悪に陥り、それでも気になって会いに行っての繰り返しときた。
ルカニスもナーブも彼が恋をしているのではないかと予想していた。自分は無性愛者だと自認している彼らの友人は、おそらく一度も恋をしたことがない。機械がエラーを起こすように、ルークも突然の恋心に対処できなくなっているのだろう。
もちろん、それが恋愛感情ではない可能性も想定している。だが、なんにせよルークが後悔しないように支えたいと彼らは思っていた。今まで何度も助けてくれた友人を、今度は自分たちが助ける番だ。
「もし、普通に話してがっかりされたらどうすればいいんだ」
机に伏せたまま、ルークが呟く。
ルカニスとナーブは顔を見あわせ、うなずきあった。間違いなく、恋だと。
・・・
老教授はカフェに足を踏み入れた瞬間、ここの店主がとても恵まれた感性の持ち主だと理解した。
微かに聞こえるジャズのメロディ、紅茶派のエムリックですら穏やかな気持ちになる炒りたてのコーヒーの香り。照明は文字が読める程度に絞られており、席は互いが気にならない程度に空けられている。店内装飾は暗色と濃い紫色で統一されていて、あちこちに店名を想起させる黒カラスのモチーフがちりばめられていた。
そもそも、恋人に案内されていなければここが店だとも思わなかった。外観は一見すると極普通のちいさなビルだ。しかし、一歩足を踏み入れるとそこは暗証番号を知る者しか入れない、秘密のカフェバーに変貌する。
暗証番号はここの客が信頼した相手にしか教えないという決まりで、しかも毎月変わるらしい。毎月の番号は友人や信用された客だけが教えてもらえるという仕組みだ。
ルークは驚いているエムリックの手を取り、カウンターへ近づいた。
「おはよう、ルカニス」
「おはよう、ルーク。では
……彼が例の?」
「ああ。エムリック、彼はここのオーナーのルカニス。ルカニス、エムリック教授だ」
互いに「よろしく」と握手を交わす。
店主は目元の涼しい美丈夫で、蓄えた髭によりやや年嵩に見えたが髪も髭も黒々としている。おそらく三十代になったあたりだろう。引き締まった体はカフェの店主というより、体操選手のように見えた。
ルカニスとルークの関係性が気になる。が、それを言い出すのはさすがにまずいだろうとエムリックは愛想笑いを浮かべた。
付き合って一週間も経たずに破局するのは経験済みだが、絶対に(感嘆符で強調したいくらい絶対にだ!)ルークとそうはなりたくない。自分のよくない部分はそれなりにわかっているつもりだから、とにかく今回は絶対にボロを出さないようにしなければ、とエムリックは意気込んでいた。
ルカニスはエムリックをじっと見つめたあと、ルークへ視線を移した。
「今日は何にする?」
「俺はいつものやつで。エムリックは何が飲みたい?コーヒーが苦手なら紅茶もあるけど」
「あ、ああ、そうだな
……」
「ルーク、このコーヒーをあの卓へ持って行ってくれないか?エムリック教授はもう少し悩みたいようだからな」
「わかった」
コーヒーを受け取ったルークが去っていくのを見届け、ルカニスはメニューではなくこちらを伺っているエムリックに声をかけた。
「お前がルークのことをどう思っているかは知らないが、ルークはここ最近、お前のことばかり話していた」
「
……彼が私のことを?」
「ほとんど毎日な。ようやく話題の人に会えて嬉しく思うくらいだ。それで、注文は決まったか?茶なら今日はミントティーがおすすめだが一度はコーヒーを
――ルーク、次はこれを窓際の席へ頼む」
「客使いが荒い」
「あとでアップルパイをおまけしよう」
アップルパイに釣られて、ルークはチーズケーキを手に別の席へ向かう。客に配膳させるのかと驚いていると、ルカニスが疑問を読み取ったかのように首を振った。
「ルークはここを立ち上げた時の仲間のひとりだ。今も手が足りない時は手伝ってくれている」
「つまりきみたちは友人だと言うことか」
「そうだ。お前が心配する類いの関係じゃない。今日はふたりでゆっくり話をしていくと良い」
エムリックは目を丸くし、客商売をするにしては少しばかり無愛想な男を見つめた。つまり彼はエムリックの心配を杞憂だと言いたかったらしい。そのためにわざわざルークを遠ざけて話をしてくれたのだ。
ありがとう、と言うとルカニスは微笑をたたえ、コーヒーがおすすめだと言った。
店主の好意を無碍にはできない。エムリックはルークと同じ物を注文した。たまには趣向を変えるのも悪くはないだろう。
ルカニスは戻ってきたルークにコーヒーを二杯持たせ、エムリックにはアップルパイを一皿まるごとと食器類が乗ったトレーを持たせると「二階を使え」と階段を指し示した。背の高い観葉植物で隠すようにしていたので、てっきり居住スペースなのかと思っていたが二階もカフェ用のスペースらしい。階段を上るふたりを、他の客が羨望と詮索の眼差しで見ている。
「ものすごく見られてるな」
「二階は普段閉まってるから羨ましいんだろう」
「それだけか?それにしては何というか、痛いくらいの視線だが」
「まあ、ここから先は誰の目線も気にならないから安心してくれ」
古びたドアを押し開くと、十九世紀のクラブハウスのような洒落た雰囲気の空間が広がっていた。
広々としていて、ソファとコーヒーテーブルがあるだけでなく、毛足の長いシルクの絨毯とその上に積まれた鮮やかなクッションや、天井から吊られた色とりどりのガラスのランプが異国の趣を添えている。扉一枚隔ててまるで別世界へ足を踏み入れたかのようだ。
驚きつつもトレーを置いて、エムリックは感嘆の息をこぼした。なるほど、他の客が睨みをきかせてくるわけだ。ここはあまりにも豪奢で、特別で、そして魅惑的な場所だった。
「こんなに素敵なカフェは初めてだ。連れてきてくれてありがとう、ルーク」
「お礼を言うのはまだ早いぞ、エムリック。ほら、とりあえず座ってくれ」
てっきりそれぞれ別々のソファに座ると思っていたのが、彼は自分の隣を叩いて待っている。恋人の真横に座るなんて別段珍しいことでもないのに、エムリックは緊張に体を強張らせてソファに腰を降ろした。思わず両膝に手を置き、背筋を伸ばしてしまう。
ルークは深々とした溜め息をつき、うつむいたままちらりとエムリックを見た。
「エムリック、ひとつ話しておきたいことがあるんだ。その、今までひどいことを言ってごめん。どう接していいかわからなくて、ずっと冷たくしてた。あれは本心じゃなくて本当は
……付き合う前の俺が良かったなら努力はしてみるけど」
落ち込んでいるルークの姿をかわいいと思う気持ちと、彼にマゾだと誤解されているという事実がエムリックの脳を走り抜ける。墓地で罵倒されつつもめげずに通い続けた結果、どうやらルークのなかで、エムリックは言葉責めに快感を覚える被虐性愛者になってしまったらしい。
もちろんマゾではない。むしろ、ルークがえぐるような罵りを口にした日には頭蓋骨のマンフレッドを抱えて泣いたし、何度かヨハナにも泣きついた。それでも諦めずに墓地へ通ったのは、信じられないくらいルークに恋い焦がれていたからだ。彼を諦めてしまうことなどできなかった、ただそれだけだ。
「ルーク、私はきみが好きだ。話をしてもっと好きになったが、冷たくされたからじゃない。きみの優しさがわかっていたからだ。だから今のままでいてほしい
――それに、私はマゾじゃないから安心してくれ」
「俺はてっきり
……じゃあ、えっと、そうか。本当にすまなかった」
もごもごと謝るルークの頬に思わず手を添えると、色素のほとんどない薄紫の目がエムリックを写しこんだ。彼の目に映る自分は年老いて醜い。しかし、ルークはエムリックの手に自身の手を重ね、臆するように静かに微笑んだ。
エムリックの長年の経験上、この流れならキスをするのが自然に思える。それに、胸をざわめかせている気持ちをルークに受け止めてほしい。ありとあらゆる愛情を込めた気持ちを。
互いの視線が交差し、ルークの頬が微かにひくつく。拒絶されるかもしれない、とエムリックの心に嫌な予感が過ったものの、ルークはゆっくりとまぶたを閉じた。長いまつげが震えている。
時に、愛しあうのに言葉はいらない。そっと唇を触れあわせ、吐息を分けあうだけでいい。軽く重ねるだけの口づけを繰り返す。そっと顔を離すとルークはまぶたを開き、エムリックを抱き寄せた。思いがけなく力強い腕に包みこまれ、今度はエムリックが目を閉じた。
「ダーリン、私もきみが思うような人ではないかもしれない。それでも、嫌いにならないでいてくれるか」
「ああ、嫌いになんかならない。エムリック、少しずつお互いを知っていこう。一緒にいたいって気持ちが同じなら、きっと大丈夫だ」
それで、とルークがふたたびくぐもった声でささやいた。声は小さかったが、距離が近いのでよく聞こえた。
「今のが俺のファーストキスなんだけど、変じゃなかったか?」
エムリックは目を閉じたまま笑みを浮かべ、唇で首筋をたどった。ルークがくすぐったそうに身をよじるのがわかる。
「ルーク、きみは本当に素晴らしい」
二度目の口づけは、さらに甘く、溶けあうようだった。
つづく。
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