※ルークとエムリックの二人称がゲーム本編と違います
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青年は墓に囲まれ電子タバコを吸っていた。
大学の近くに墓地があることは知っていたが、エムリックは普段は車で通勤していてこのあたりを歩くことはなかった。追突事故を起こされ愛車が走れなくなってしまい、彼は最寄り駅から大学まで歩いて通うようになったのである。初めは事故に対してひどく憤っていたが、いまこの瞬間、あの事故こそが運命の女神がたぐり寄せた奇跡の糸の端だったのではないかとすら思った。
今朝テレビで観た、星座占いが脳裏を過る。
――初対面の相手との出会いが素敵な関係をもたらすでしょう。
墓石のなかでもひときわ大きく目立つ像に腰掛け、若者はぼんやりと有害物質を肺に取りこんでいる。
薄闇のなかに浮かびあがった彼は、エムリックが今まで会った誰よりも完璧だった。ぼさぼさの黒髪、薄い紫色の瞳、顔の右側には大きな痣があったがそれすら彼の顔立ちを引き立たせている。引き締まった体の割にどことなく幼い顔立ちで、髭の一本も生えていない肌は桃のようにふわりとしていた。
つまるところ、エムリック・ヴォルカリンは五十を過ぎて初めて、強烈な一目惚れをしてしまったのだ。
・・・
エムリックは自身の身なりに欠陥がないか再度確認し、磨き上げた革靴を墓地の湿った芝生へ下ろした。足音に気づいたのか、青年が視線を向ける。
「またあんたか」
明らかに苛立った声。エムリックはそれでも笑顔を見せ、彼に歩み寄った。
「今日もきみに会えたらいいなと思ってたんだ」
「俺に構う暇があったらマッチングアプリでもしてろよ、じいさん」
辛辣に言い捨て、タバコを吸う。だが、エムリックが隣に座っても立ち上がりはしない。目を細めて嫌そうな顔をするだけだ。
口調の刺々しさの割に実際は優しい性格なのだとエムリックは気づいていた。その優しさにつけ込むようで罪悪感を覚えたが、話せば話すほど惹きつけられていくために良心は抗えなくなっている。
相手は自分が教えている生徒たちと同じ歳くらいの若者なのに?
そのことを考えると腹の底が捻れるような苦しさがあったが、エムリックはすっかりこの恋にのぼせ上がっていた。絶対に実らない恋だとわかっていたとしても、一時の夢を見ることすらかなわないなんてことはないだろう。恋の相手が迷惑そうにしているとしても。
「私はやはりその、迷惑だろうか」
「自覚があるのになんで毎日来るんだ?あんた、俺じゃなかったら絶対に通報されてるぞ」
青年は吸い殻を抜き取り、新しいタバコを取り出す。
タバコを吸っている間だけなら話をしてもいい、というのが彼の提示した交流の条件だった。
何度か墓地にいないこともあったが、ほとんど毎日同じくらいの時間帯に見かける。エムリックは彼が自分のために同じ時間に墓地へ来ているのではないかと妄想し、そっと自惚れていた。実際は彼の生活サイクルがきっちりとしていて、偶然にもエムリックがそこに乗っかっているだけだろうが、想像するのは自由だ。
青年が有害物質を黙々と吸っている間、エムリックは大抵大学の話だとか、自分の分野の話を一方的にしていることが多い。これまでは頭蓋骨のレプリカことマンフレッド相手にしていた脈略のない話を、彼は微妙に相づちを打ちながら聞いてくれる。それがとにかく嬉しかった。
「それで
……くしゅん!」
鼻水が出てきて、エムリックは慌ててハンカチを鼻に押し当てた。もう十二月だ、そろそろこうして話をしているだけで体が冷えてくる。若い頃なら防寒具を着込んでいさえすれば平気だったのだが、老体には寒さがこたえる。腰も痛いし、寒気までしてきた。
震えるエムリックの前に、保温ボトルが差しだされた。
「これは?」
「紅茶」
蓋を開くと白く温かな湯気がのぼり、レモンとジンジャーの匂いが詰まりかけた鼻腔を開かせる。
「私のために用意してくれたのか?」
「
……いいから早く飲めよ」
「ありがとう」
ぶっきらぼうに言われ、エムリックは微笑む。この青年はエムリックを邪険に扱うものの、いつも気を遣ってくれている。墓地に来られない日には「予定がある、帰れ」とメモを墓石に貼りつけてくれるし、雨の日は外でタバコを吸わないと早い段階で宣言してくれていた。(本当は雨の日も会いたかったが、先に言われてしまってはねだれない)
茶葉は安いティーパックのようだったが、レモンのさわやかな酸味とジンジャーの辛みが風味を豊かにしている。それに寒気も収まってきて、指の先まで暖かくなってきた。
ほっと息をつくエムリックを見て、珍しく青年の目つきがやわらかくなる。なんとなく、普段はこういう雰囲気で生活しているんじゃないかとエムリックは思った。こちらを警戒しているだけで、本来は優しい青年なのだ。認めるのはつらいがエムリックはいまだに警戒されている。そして青年のその判断は正直なところ間違いではない。下心がないとは言い切れないからだ。
「春になるまでもうここに来るな。俺もこんな寒いなかであんたのお喋りを聞く気はないからな」
今にも雪が降ってきそうだし、立っているだけでも寒い。こうして墓地で会う時も時間通りに待ち合わせているわけではないから、待っているだけで風邪をひきかねなかった。
でも、とエムリックは未練がましく縋りつきかけた。寸でのところで我慢したが、なんとかならないかと思考はフル回転している。ここで会う以外に彼と接触する方法がない。連絡先どころか、名前すら知らないのだ。もし春になっても墓地に彼が現れなかったら?もう二度と会えないなんて、とてもじゃないが耐えられない。
残り少ない紅茶を見つめ、エムリックは一気に飲み干すと保温ポットと共にありったけの勇気を手渡した。
「その、きみさえよければ、連絡先を教えてもらえないだろうか!」
「まあ、メールアドレスくらいなら」
「本当に!?」
「そんなに興奮されると教えたくなくなるんだけど」
「ああ、申し訳ない。つい嬉しくて」
呆れたように目を細め、彼はポケットから携帯電話を取り出すとエムリックのアドレスを素早く入力した。すぐにメールが届く。明らかに使い捨てのアドレスだったが、そんなことはどうでもいい。彼といつでも連絡が取れるという事実がエムリックを瞬間的に幸福にする。
アドレスの登録名をどうしようかと迷っていると、続けざまにメールの着信が表示された。
――登録名はRookで。
「ルーク?」
「そう、チェスの駒だ」
まさかニックネームとは。
秘密主義者の青年は、携帯をポケットへ戻すと、とっくに吸い終わっていたタバコを簡易灰皿へ入れて立ち上がった。
「帰る」
「今日もありがとう、ルーク。話せてよかった」
振り返らずに墓地を出ていくルークを、エムリックはその背中が見えなくなるまで見送った。
・・・
「不毛ね」
ヨハナ・ヘゼンコスは鋭く突き放した。
午前の講義が終わり、遅い昼食を摂りながら彼女はうんざりしきっていた。目の前に座る老齢の男が数日前からずっと浮かれきっているせいだ。食事中もにやにやとしまりがなく、携帯を眺めては気味の悪い笑みをこぼしている。
つい先月までくよくよめそめそと「彼は私のことなんか気にもしていないんだ!」と泣き言ばかり言っていたというのに、この変わり身はなんだ。
「ヴォルカリン、わかってないみたいだけど二十代前半の若い子が五十過ぎの年寄りを好きになるわけがないじゃない。もしその子が奇跡的に異性愛者じゃないとしても同年代か、よくて少し歳上を好きになるでしょ。いくらなんでも夢を見過ぎね」
「でも、連絡先を教えてくれたし、この前までほとんど毎日会ってくれてたんだぞ」
「あなたが押しかけてるからよ」
エムリックはヨハナの言葉など意にも介さず、チーズサンドイッチを頬張った。
ヨハナはエムリックと三十年来の付き合いだが、ここまで積極的に自分に気のない相手に迫る姿を見るのは初めてだった。黙っていれば大抵誰でも近寄って来るうえに、少し気のあるそぶりを見せれば相手の方が夢中になるからだ。わざわざ振り向かない相手を追いかける必要はないのである。
しかもこの男は初老になるまで着飾ったオウムのように注目を集めたがり、陽気なおしゃべりをまき散らし、季節毎の洋服のように恋人を取り替えていた。ただひとりを、それも好みの範囲外だったはずの、年下の男を追いかけ回しているなんて異常ですらある。
それに片想いの相手からは、まるでその気がないように思える。話を聞いているだけでも勝算がなかった。あまりにも不毛である。
「外で会おうとか言ってみたらどう?」
「それはいやだ!嫌われたくない!」
「私だったらストーカーされてる時点で嫌ってるわね。もうこれ以上嫌われようがないんだから誘ってみたらいいじゃない。どうせ向こうはあなたのことを喋るオウムくらいにしか思ってないんだから」
「ヨハナ
……それじゃあ、今からメールを打つから返事が来るまで一緒にいてくれないか?」
濡れた子犬のように見つめられ、彼女は舌打ちした。この男は本当に、昔からヨハナを懐柔するのが上手い。
「良いから早くメールしなさい」
「ありがとう!」
――ごきげんよう。きみさえよければ今日、どこか寒くないところで会えないだろうか。
用件だけの方がいいとヨハナに言われて打ち込むと、エムリックは緊張する指先で送信アイコンに触れた。
数分後、携帯が震え、エムリックは慌てて画面を開いた。
――了解。時間と場所は任せる。
「ヨハナ!」
「ああ、はいはい。よかったわね」
「嫌われてなくてよかった
……」
多くの人間がヴォルカリン教授を落ち着きがあり、生徒想いで研究熱心な成熟した大人だと思っている。だが、ヨハナからすれば彼はとてつもなく幼稚な感情を持った大きな子供に過ぎなかった。常に注目を集めたがり、人々に囲まれてちやほやされることを望み、バイセクシャルだと自認しながらも熱心に付き合っている相手は包容力のある年上の男ばかり。両親を早くに亡くしたせいか、エムリックはやたらと恋人に甘えたがる。
今回は奇妙なことに年下、それもほとんど犯罪すれすれの若者に夢中になっているが上手くはいかないだろう、とヨハナは確信していた。ヨハナの知る限り、エムリックの交際が長続きした例しがない。それは恋人が彼の金メッキの下にある子供っぽさや、執着心、支配欲に気づいて去ってしまうからだ。年上ですらそれなのだから、親子ほど歳の離れた青年相手では、もしも交際までこぎ着けたとしても破局は避けられないだろう。
明日は号泣されながら昼食を摂らなければいけないのだろうか、と諦観しながら、彼女は食事の残りを片付けた。
コーヒーチェーン店は授業終わりの学生で賑わっていた。
教え子に見られるかもしれないと思わないではなかったが、ここが一番墓地から近い店だったし、もし教え子に見られたとしても別にやましいことはしていないのだから過剰反応というものだろう。
入り口で待っていると時間通りに墓地の青年が姿を見せた。いつもは黒いパーカーかカーキ色のブルゾンを着ているのに、今日は明るい色のコートを羽織っている。髪も寝起きそのままのぼさぼさ頭ではなく、手櫛と申し訳程度の整髪料で整えられていた。いつもの格好も素敵だったが、今日は何割も増して輝いて見える。
エムリックは自分だけがデートだと思って浮かれているのではないかと心配していたのだが、ルークもデートだと思ってくれているのではないかと思えて安心した。
「ルーク!」
「どうも」
「来てくれてありがとう」
「
……ずっと外で立ってたのか?先に店に入ってくれててもよかったのに」
てっきり「勘違いするな、暇だからだ」と言われると思っていたがルークは少し笑って、店のドアをエムリックのために押し開いた。思わぬ優しさにどぎまぎしつつ、エムリックは礼を言って店内に足を踏み入れた。
カウンターでそれぞれ飲み物を注文し、混み合う店内を歩き、ようやく奥まった席に腰を落ち着ける。誰もエムリックたちに注目していない。むしろ学生のカップルが多く、互いのことしか目に入っていないようだった。
「ここにはよく来るのか?」
「いや、ほとんど来ない。私はコーヒーより紅茶の方が好きだから。若い子はこういう店によく来るんだろう」
「さあどうなんだろうな。俺はたまにしか来ない。コーヒー豆を切らした時とか、行きつけの店が休みの日とか」
「行きつけの店?」
「今度一緒に行くか?」
何気ない口調で誘われ、エムリックはカップを持ったまま固まった。ざわざわとした店内の音がやたらと気にかかる。誰かの噂話や、カップルのささやき声、弾けるような笑い声がさざ波のように漂う。
「あんたが今日、勇気を出して誘ってくれたことくらいわかってる。こういうのは一方的じゃダメだろ。で、どうする」
「
――行く」
「じゃあ、都合のつく日をまた連絡してくれ。それで、今日の用事はなんだ?」
「きみの声を聞きたかった。メールだけじゃ寂しくて」
目を瞬き、ルークは初めてエムリックを見たかのようにじっと視線を注いだ。エムリックは話をしたいといつも言い続けていたが、ルークに対してこれほど真っ直ぐに好意を示したのは初めてだった。拒絶されて会えなくなるのを恐れて、淡い恋心を慰めるだけで満足していたのである。
今のところ、ルークから蔑視はされていない、と思う。深呼吸し、絞り出すように声を出した。
「それから、きみが私をどう思っているか知りたかったんだ。墓地で会うだけならその、私のことはただの喋るオウムくらいにしか思っていないだろうと友人が」
「喋るオウム!」
彼が声をあげて笑うのを初めて見た。
普段なら嬉しくてたまらない瞬間なのだろうが、今は恥ずかしくてしかたがない。目元を覆って笑うルークの腕に手を置き、エムリックはうろたえた。
「まさか、そう思ってないな?」
「ははは、思ってないよ。思ってないけど、でも、これからあんたが喋りまくるたびに思い出しそうだ」
「やめてくれ、ルーク!」
「登録名を喋るオウムにしておくか」
「ルーク!」
慌てるエムリックにルークは目元の涙を拭い、冗談だよと楽しげに言った。
タバコを吸って無愛想に振る舞っていないルークは年相応の屈託のなさを振りまき、エムリックは片想いの相手の新たな一面を見て、自分の心がこれ以上ないくらい甘く熟していくのを感じた。
甘やかしたいという気持ちと、甘やかされたいという気持ちが同時に存在できるなんて思いもしなかった。だが確かに今、エムリックは彼をとびきり甘やかして愛情という名の糖蜜漬けにしたかったし、そんな彼に溺れるほど愛されたいと願ってしまっていた。
そう、タバコを吸っていない彼はあまりにも幼くて優しげで
――いや、そもそもこの関係は数分の会話の上にしか成り立たなかったはずだ。タバコを吸う間だけなんて時間は、もうとっくに過ぎている。
エムリックは非喫煙者だがニコチンの作用については知っている。喫煙者がしょっちゅう有害物質を咥えているのも、ニコチン中毒のせいだ。
「ルーク、時間は大丈夫なのか」
「ああ、普通ならそろそろ爆発寸前だな」
ルークはエムリックに掴まれたままの腕の袖を捲り、色白の肌に貼りついたちいさな湿布のようなものを見せた。
「緊急用のパッチだ。禁煙の場所に出かける時に使う。それで、うん、まあ何と言うか」
ルークは視線を泳がせて、咳払いをした。
「
……俺は昔から性的な欲求が理解できない。でも、好きかどうかくらいはわかる。俺があんたのことをどう思ってるかだけど」
正解かどうかわからない答えを口にするように、彼はおそるおそる言葉を絞り出す。喧噪にかき消されそうなほどちいさな声だったが、エムリックの耳には大きく響く。
「セックスしないなら別に付き合ってもいい」
エムリックはただじっと、薄紫の瞳を見つめた。ルークの目は真剣で、嘘をついているようには見えない。
「つまり私と、特別な関係になってくれるということか?」
「それがお望みなら」
「だが私はきみよりずっと年上で
……」
「しかもよく喋るオウムで?」
「はあ、こんなことになるならもっと落ち着いた店を選べばよかった」
もっとロマンチックな店でしか告白をしたことがない。ここはあまりにも煩雑で、他人の目が多く、落ち着かない。それでもエムリックは今まで味わったことがない高揚感に包まれて、ルークの手を握った。
「一緒にいてくれるだけで充分嬉しいよ、ルーク。でもきみさえ良ければ付き合ってほしい。何も無理強いはしないと約束する」
そして、ルークの手の甲にキスを落とした。彼は目を見張り、照れくさそうに微笑む。
「信じられない。ものすごくドキドキしてる」
「本当に?」
「本当だ」
握った手が引っ張られ、ルークの胸に手のひらを押し当てられた。平らで、しかし厚みのある胸だ。
無理強いはしないと誓ったが、この胸の感触はこれから先何度も思い出してしまうだろうなとエムリックは申し訳なく思った。それに、ルークの笑みがあまりにも鮮やかで、エムリックは人生で二度目の一目惚れを経験した。ひとりの青年相手に二度も惚れるなんて、誰が予想できただろうか。
エムリックは耳の奥で鳴り響く自身の鼓動に驚き、愉快そうに笑った。
つづく。
次話
闇夜は若く、月は笑う(2)
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