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伊坂
Public
Hades Game
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Zagreus, standing in the kitchen(Hades Game)
ザグレウス、調理場に立つ。料理長三部作(?)の3つめです。
1→
https://privatter.me/page/67d5b6fe01b52
2→
https://privatter.me/page/67d5ba3d137a2
Zagreus, standing in the kitchen
冥夜の内。正しく「内」と認識できる場所。
いつになくがらんとした館の様子に、タナトスはどこか『嫌な予感』がして酒場に向かった。冥王神はイライラと頬杖をついている。報告は済ませたし、もう長居する必要はないだろう
……
。
冥王神の不機嫌は、まあいつものことといえばいつものことではあったが、タナトスが報告する間も、彼の視線はなぜか酒場の方に向かっていた。
「?」
タナトスは不思議に思って、かるく目を閉じて弟神の気配を探った。魂を分け合った存在。眠りという現象。すなわち仮死を司る神。
(酒場?)
さすがに冥界にいる場合に限るが、弟神の気配を探ることはタナトスにとってはたやすい。滅多なことでは柱廊の持ち場から離れないヒュプノスが、どうやら起きた状態で、酒場にいるという珍しさ。それに内心驚きながら、とるものもとりあえず酒場に向かってみたというわけだ。『嫌な予感』というのは、ヒュプノスだけでなくメガイラやアキレウスの気配までが酒場にあったからであって
……
。
これが、こんなことが偶然であることがあるか?
「ほらな」
「何が『ほらな』だ」
「冥王陛下がご立腹だぞ
……
」
タナトスは酒場に顔を出すなり、奥の方に『ザグレウス』の姿を認めてため息をついた。常に何事か目論んで、じっとしていない少年神。冥王神が嫡男。我らが王子
……
。
月桂樹の冠をぱちぱちと燃やしながら、ザグレウスは厨房にいた。レタスや石榴が盛られた籠の間をせわしなく走り回っている。透ける体の見習いたちを伴って。
「何にせよいいところに戻ってきた」
そう言って柔らかく微笑むメガイラの前には葡萄酒が置かれていた。炭酸水で割ってあるものなのか、グラスの表面はわずかに泡だっている。
つまりは、偉大なる冥王神の不機嫌は、この『仲間外れ』が原因というわけだ。
愛息子が何か仕出かしそうな雰囲気。それに家臣たちが、こぞって興味津々である気配。
気が気では無いけれど、まっとうな矜持が邪魔をして、玉座を離れられないでいる、と。
同情するが、自分もまたこの状況を面白く思っていることに気づいて、タナトスはカウンター席にいるヒュプノスに目くばせをした。
「ハイ! お兄ちゃん! おかえり!」
「どうやら俺は『いいところ』に戻ってきたようだな?」
「そうだねえ。そうなるんだと思う」
「料理長はどうした」
「今日は非番なんだって。それでザグ君が料理長! 楽しみだねえ~」
重たそうな瞼をゆっくりと上下させながら話すヒュプノスは、酒場という場所が本当に似合っていなかった。赤い外套はほとんど肩からずれ落ちていて、タナトスは弟のために弟の横の席に移動しなければならなかったほどだ。メガイラの横には既にデューサの気配がある。外套を拾い上げて弟の肩に戻してやれば、ヒュプノスは厨房に立つ王子に向かってひらひらと手を振っていた。
「タナトス! おかえり! いいところに戻ってきたな」
王子はヒュプノスに手を振り返しながら、タナトスに気づいてカウンター席の前までやってきた。輝く葉冠。色違いの目。「俺が休めばって言ったんだ。料理長もたまにはゆっくりしたいんじゃないかと思ってさ」
そう言うザグレウスに対して、よく陛下が黙って許可をしたなとタナトスは思った。何かタナトスの知らないところで密約が交わされたのかもしれない。ザグレウスが提案して、それをそのまま承認する王ではないはずなのだが。
それとも、この父子間に何かまた良い変化があったか
…
。
「その様子だと何かお前が作るんだな?」
ザグレウスの姿を見つめてタナトスは言った。黒髪は酒場の火明かりを拾い集めて、仕事中に見る時よりも柔らかに見える。見慣れないのは、いつもの身装の上から被っている白い一枚布だった。首の後ろで結んであり、更には剥がれていかないよう細い腰紐でも固定してある。太股に添って皴になっているのが、襞のある衣装にも見えてなんとなく可愛らしい。
「下ごしらえまでは料理長たちが済ませてくれていったみたいなんだけど」
「料理長『たち』?」
「ああ、うん、料理長と、ここにいる見習い亡霊たちが」
ぐうと寝息を立て始めたヒュプノスを脇目に、タナトスはザグレウスが手にする一枚の紙きれを見、ようとした。
「それは?」
「これはレシピ。ていうか、駄目だぞ。ネタバレ厳禁なんだから」
言いながらザグレウスは、円卓のほうにいる師の姿に気づいて「師匠!」と笑って手を振った。お前、なんて嬉しそうに手を振るんだ。俺という伴侶がここにいながら、他の男にそんな笑顔で手を振るのか?
というかそもそも、料理なんて地上でも奴隷の仕事だ。それをお前はなんだって嬉し気にやろうとしている? 料理長に、休みまでくれてやるなんて
……
。
(お前、リラを弾けるようになるのにもあんなにかかっただろう
……
)
その思いは言葉にならなかった。言葉にするべきではないという想いと、意外と、このあどけなく凝り固まっていない幼神は、料理というものも成功させてしまうかもしれないぞという期待が、タナトスの中で息の根を止め合ったからだ。
(俺はリラだって、部屋の置物になるだろうと思っていた
……
)
なのに違った。ザグレウスはうまく弾けない、と不満を漏らしながら、でも根気強く弦に触れ続けた。よし、音を鳴らせた。ほら、狙ったとおりの音になった。どこにどう触れればどういう音になるかわかってきたな。今日は優しく触れる。つま弾くようにしてみる。なんか、川になった気分で音階を下ると綺麗な音になる気がするんだ。ため息をつきながら、時に呆けながら、ザグレウスは着実に竪琴を鳴らせるようになっていった。もちろんまだまだ音楽を奏でられるレベルではとてもないけれど。ごく簡単な旋律ならば、途切れ途切れに、どうにか弾いてみせるまでになった。
先日、酒場でオルフェウスに指導をつけてもらっていたのを見ていたが、少し見ない間にちゃんと上達していることがわかって、タナトスにはひどく衝撃だったのだ。
だから。
「楽しみだな」
ふわりと微笑みながら言って、タイミング悪く起きていた弟に、その表情の一部始終をタナトスは見られてしまった。
「う、うん」
そして返ってきた表情と声に、タナトスはさらに笑った。
とてつもない功徳を受けたかのようにザグレウスが頬を輝かせたからだ。
「ようし!」
ザグレウスはそう大きく言って気合を入れると、自分の身幅ほどもある、大きな擂り鉢を引き寄せてレシピとやらを確認した。書きつけられた文字を指でたどり、見習い亡霊たちに「これとこれな」と言って何か持ってこさせる。自分は自分で、まな板の横に準備されていた、山盛りの魚の切り身を摺り鉢へと放り込んだ。
「へぇ
……
、一体何を作る気なんだろ」
楽し気に言うヒュプノスにつられて、タナトスも腰を据えてザグレウスを見守ることにした。噂を聞きつけてか、酒場はいつもの数倍混み合っている。
ザグレウスは擂り粉木棒を取り出して、亡霊たちが持ってきた粉状のものと魚の切り身を摺り混ぜ始めた。おそらくは鉢に切り身が入りすぎていてやりにくそうだったが。
タナトスは食器が重なる音のうしろに、実にさまざまな物音が隠れていることに気づいて気分がよくなるのを感じた。ことこと。ぱちぱち。かたかた。とぽとぽ。まるで穏やかなステュクス川の流れを聞くような気持ちだ。
ザグレウスの、たぶん無駄な動き。
ザグレウスの、だけど淀みない動き。
懸命な表情は、タナトスやヒュプノスを思わず微笑ませたし、それはもしかしたら酒場に集ったあらゆる者がそうだっただろう。いつしか白身は光沢を放つなめらかな擂身になっていた。
(その擂身を
……
?)
タナトスの促すような眼差しに答えて、というわけでもないだろうが、ザグレウスはいったん、擂り鉢の前から移動して、何本もの棒を持って戻ってきた。棒は人差し指よりもやや細いくらい。その細い棒に、擂り鉢の中の擂身を、刃のついていない包丁のようなもので塗ったり盛ったりしていく。それを何本も何本も繰り返し拵える。
「よし
…
!! これをあとは炙るだけ
……
だよな??」
見習い亡霊たちは、ザグレウスの手際の良さににこにこと頷いて、王子を炭火の用意された焼き場へと導いた。網の置かれたそこに、ザグレウスは次々に擂身つきの棒を並べていく。
「おわっ
…
! いい匂いがしてきた!」
奥まっているところで炙っているため、ザグレウスの様子はタナトスのほうからは確認出来なかった。だが匂いは漂ってくる。柔らかく香ばしい匂い
……
。何やら嗅いだことのない匂い
……
。
「これ!! 出来たんじゃないのか?! 料理長の秘蔵レシピ、カマボコ
……
!!」
やがてザグレウスは、大皿にたくさんの棒を乗せて、カウンターや円卓の間を上機嫌に練り歩いた。棒は擂身のついていないほうを取って、めいめいが好きに食べるというシステムだ。
「これは、魚の擂身を焼いただけか?」
「まあ、魚の擂身を焼いただけだけ。だけど
……
」
「ん~~!! フワッフワで、香ばしくって、ほんのり甘じょっぱくて、すごく美味しいよ、ザグくん!」
「ほ、ほんとか?!!」
ヒュプノスの歓声につられて、メガイラが自分とデューサの分を取りに来る。タナトスは感心していた。「ひとつひとつ、舌触りが違うのもいい」
カマボコというのは初めて聞く料理だが、おそらくは蒲の葉のような、鉾のような形状を指してそういう名前なのだろう。甘じょっぱさは炙る前に魚醤を塗っているかららしい。
「よーし、揚げ油が用意出来たら、揚げカマボコを作るから
……
」
ザグレウスは溌溂とした顔をしていた。
ややほっとして、頬を赤くしているのが健気だった。
タナトスはおかわりをするヒュプノスに巻き込まれて、二本目のカマボコを掴まされていた。あちこちで歓声が上がっている。大成功じゃないか。
「ザグ、陛下には持っていかないのか」
「
……
カマボコ屋に転職しろって言われるだけだ」
「言われない」
「言われる」
「俺は賭けてもいい」
「
………
アンブロシアを? タンが?」
仕事をしなくなったザグレウスの代わりに、厨房では見習いたちが大忙しだった。揚げ油の用意ができたところに、一口大に丸めた擂身をぽいぽいと放っていく。白っぽい擂身がこんがりと色づいたあたりで油からすくいあげる。それは息の合った動作で、揚げカマボコとやらはザグレウス抜きでどんどん出来上がっていった。
「
……
。ほんとうにアンブロシアを賭けるんだな?」
顔を曇らせていたザグレウスは、タナトスがゆっくり頷くのを見て、いかにも見栄えのいいカマボコを、ひときわ美しい長皿に盛りつけてのろのろと酒場を出て行った。「アンブロシアのためだ」と言って。何度も何度も深呼吸して。
少し後
……
。
ザグレウスが空の皿を持って、父王を伴い酒場に戻ってくるのが、タナトスには目に見えるようだった。
(終)
波箱はここから
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