Two head chefs are there(Hades Game)

料理長とザグの話。短い。



Two head chefs are there.




 料理長は二人いる。そのことを知っている者は館の関係者の中でもごく一部だ。ひとりは自分の雇い主である冥王神ハデス。そしてもうひとりはもう一人の料理長。調理場に出入りする皿洗いの亡霊たち。
 そして、そこにいるもうひとり――

 その少年は調理場のよく見える酒場のカウンター席に座って、「もしかして、二人いる?」と包丁を研ぐ自分に問いかけた。「料理長って、交代してない?」
 なぜ。なぜわかったのだろう。
 厨房はこの日もいつも通りの雑音にあふれていた。食器類の重なり合う音。亡霊たちの囁き声。かまどの炎が爆ぜ笑う音……
 手を止めている暇はない。魚用の包丁、パン用の包丁と、研ぐべき包丁はたくさんあった。冥府の酒場は眠らない。なにせ、この三重の夜の世界は、睡眠を必要としない者たちであふれかえっているのだから。
 少年は足音を持つ者だった。
 この冥界の底にあって、透けない体と足音を持つ者。
 漆黒の髪に、左右色違いの瞳。
 決して燃え尽きぬ月桂樹の葉冠。
 雑草のような素朴さと、やがて重厚な花弁をひらく、若いつぼみの尖った光を秘めた少年だった。
 少年は問いかけに対して、返答がないことなど気にした素振りもなく頬杖をついた。強い顎のラインに、少年らしい甘さが残った横顔。露出した肩にはほんのりと太陽の気配が残っている。
 少年は目を閉じて、調理場に染み付いた魚醬のかすかな香りに相好をくずしたように見えた。胸がざわざわする。幼い頃、自分の弟もよくこんな表情をしていたものだ。

 弟は雨が好きだった。雨樋から落ちる雨粒。草木を打つ雨音。暗い空をじいと見上げ、うっすらと幸せそうな顔をしていた。弟の視線には熱があった。天水桶の中にできる波紋の美しさ、水たまりに映った雨上がりの空の青さ、いちじくの果皮についた無数のしずくのつめたさ……
 目に映るひとつひとつに歓びを覚えてみせる、そんな素直さで少年は自分が包丁を研ぐ様を見つめている。濡れた砥石をすべる包丁。透明感のある硬質な高い音。心がざわめくような、逆に落ち着くような。
 肉包丁を研ぎ終えたところで、少年はなぜか己もいま切れ味を取り戻したというような顔をして、包丁の汚れを流す自分を見ていた。
「包丁の研ぎ音が、ちょっと違う」
 それは料理長は二人いることを、もはや疑っていない声だった。

 きらめきを取り戻した包丁を布巾でぬぐいながら、館の使用人たちがみなそれぞれに彼を好いている理由がわかった気がした。
 好きを増やしていくことに躊躇いがない。生前と死後を肯定し、謳歌する者よ。
「たまには俺も俺の剣磨こうかな~」
 少年はそう言って、そう言いながら頬杖の上の頭を傾けた。
 調理など本来奴隷の仕事で、誰も注目などしないものなのに。この少年に見つめられていると、自分の仕事が、自分が、価値のあるものに思えてくるから不思議だ。……きっと弟も。

 ハデスの嫡男である少年の言うとおり、ハデスの館で包丁を振るうコックは二人いる。あまり知られていないことだが。あまり、知られてはいけないことだが。
 研ぎたての包丁は、心なしかいつも軽い。ボウルの赤玉ねぎをひとつ取り、さあという気持ちで包丁を突き入れる。
 ――トン、という期待通りの音。
 繊維が断ち切れていく、さわやかな手ごたえ。
 料理を始めるときのこの、自分のために音楽を始めるような感覚が、たぶん、好きだ。

 生前、自分とはまるで似ていなかった双子の弟は、十二時間後には自分とそっくりの格好でこの調理場に立っていることだろう。



(終)
(好きな感じに書けた。よかった!)





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