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シノハラ
2025-03-12 22:34:53
6073文字
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ルムメ
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ルムメまとめ(2本)
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イベスト感想文のカーヴェとアルハイゼンの話 カーヴェの母の捏造が含まれます
2023年5月7日
時折寝返りを打っているうちに、それなりの時間が経っていた。眠気はあるはずなのだが、妙な興奮状態にある脳が自身を休ませてくれない。そうこうするうちに喉が渇いて来ているのに気がつきつつも、脳の片隅にある眠気が完全にどこかに行ってしまうのではないかとなかなか起き上がれていなかった。
とはいえ限界というものは何事にも存在し、今回においてはそれが今であるとカーヴェは観念する。ずるずるとベッドから落ちるように床に降り、カーヴェは自室から重い足取りで廊下に出る。静まりかえった居間を通り過ぎて台所まで辿り着くと、コップに水を汲んで一気に飲み干した。
常温の水が喉を通り過ぎ、胃に辿り着く感覚もないまま体に馴染んで行った。以前訪れたフォンテーヌの水はどうだったろうかとちらりと思い返した瞬間、ずっしりとした重さを感じる独特の口当たりが蘇ってくる。カーヴェの何とも言えない表情を見て、母もこればっかりはなかなか慣れなかったと苦笑していたのを思い出した。
母に。カーヴェが昨日知った事実を彼女に伝えるべきだろうか。そう、問いただした先からカーヴェは自身に言い聞かせるように頭を振った。スメールで資料に当たれる立場にいるならともかく、フォンテーヌにいる限りは知る由もない情報だ。異国で自分なりに区切りをつけ、新たなる一歩を踏み出した人にわざわざ聞かせる話ではない。
母は父を忘れたわけではなかった。再び伴侶と呼べるべき人を見出した彼女は父を美しい過去として、自身の記憶の中に閉じ込めている。かつてはおいそれと取り出せなかったそれを、母は宝石箱の中からそっと煌めきを掬い上げるようにカーヴェに見せてくれるようになった。彼女が作り出した一等美しい箱庭をどうして今更荒らせるだろうか。
故郷の水をもう一杯体になじませてから、カーヴェは私室に戻ることにした。眠れるとも思ってないが、寝転がって目を閉じる行為に休息の意味があると思いたい。
「
――――
っ! あ、アルハイゼン
……
?」
先ほど辿って来た道を戻る途中に、居間から違和感を覚えて思わず悲鳴を上げかけてしまった。サーチェンとかいう幽霊じみた存在に邂逅してしまったこともあって、この世のものではない者と出くわしてしまったと思ったが、よくよく見れば生命力に充ち溢れすぎている感のある同居人がいただけだった。
居間のソファに座り込んでランプの明かりを頼りに本を読んでいたらしいアルハイゼンはカーヴェの呼びかけに一瞬顔を上げただけですぐに読書に戻っていく。挨拶の一つもない慇懃無礼な振る舞いを見るに、超常現象的な何かがアルハイゼンを装っているなんてこともなさそうだった。
「いつの間に
……
?」
「君が台所に行くときにもいたが」
「いや、だって寝てると思うだろう。今何時だと思って
――
」
非難めいた回答に眉を顰めて応答しつつ、ようやく自分が現在時刻を把握できていない事に気がついた。勝手に真夜中だと思い込んでいたが、それにしては室内が明るすぎる。深夜であれば明かりを片手に歩かねばならないはずなのに、カーヴェは今の今まで手ぶらで歩いていたのだ。
居間に設えられている時計を見ると、そこには夜明けと言うには遅すぎる時間を示す針があった。針が示す時間にしては随分と部屋が暗いのは、どうやら重く雲が垂れこめて雨が降っているかららしい。
「仕事の準備は良いのかい?」
「今日は週末だ」
曜日の感覚がなくてもできる仕事でなによりだ、とアルハイゼンがいらない小言を吐いてから本に視線を戻す。文句の一つ言いたかったものの曜日も時間も分かっていない状態なのは事実なので、口を噤んで呼気だけでカーヴェは不快感を表明するに留めた。
自室に戻ろうかと思ったが、一晩寝られなかった人間が今更寝直せるはずもない。今日一日眠るのは諦めて、カーヴェはアルハイゼンの横に腰を下す。
「君のせいで眠れなかった」
時計の針がじわじわと傾いていくのを見るのにも飽きた頃に、カーヴェはぽつりと音を落とす。内容にしては棘がないのは、アルハイゼンがただのきっかけに過ぎなかったことをカーヴェも理解しているからだ。
「君が昨日教えてくれた話だよ」
突然の苦言にアルハイゼンが本から視線を上げて何の事だとばかりにカーヴェを見た。一応こちらの話を聞くつもりらしいと判断して、カーヴェはアルハイゼンから視線を外して言葉を続ける。
「いや、分かってはいたんだ。明確な理由は分からないけれど、ずっと自分が原因だったんだろうと思っていた。でも、それが揺らがないものとなって、その上僕は父さんが共感した思想を否定した。踏みにじったと言ってもいい」
アルハイゼンに感謝の過剰な表明を強制された件の苛立ちが収まってから、ずっとそのことを考えている。母は父を優しい人だったと言った。カーヴェの記憶にある父も、とても優しい人だった。その優しさはこの世界には手に余る清らかさで、彼の手に届く範囲の全ては彼の苦しみに気づいてやれなかった。そうして父は世界から零れ落ちてしまった。
「あの研究が全て間違いとは言わない。魅力的に感じる部分ももちろんある。けれど、父さんはそれを選んで、僕は否定した。父さんが生きていても僕たちはいつかどこかで決別したんじゃないかとか、そういうことをずっと考えてしまった。今更考えてもどうしようもない話ではあるんだけどね」
父と自分はどこかで決定的に違っているのだ。それがどこなのか、父がいなくなった今となっては結論の出しようのない話である。いくら血が繋がっていようが、自分達は独立した個々の生命体だ。異なっているのは当然で、それが原因で道を違えることなんて珍しい話でもなんともない。
分かっているのに、その事実がカーヴェの心にずっしりとのしかかってくる。悪意を持った言い回しをすれば、カーヴェは意に沿わぬ親を殺めた者とも言えるのだ。言い過ぎだろうというのはもちろんカーヴェだって理解している。あの時のカーヴェだって父が亡くなる原因と知っていればもちろん冠なんて欲しがらなかったし、あの場にいたのが父であればやり取りは幾分か変わって来ていただろう。
まとまらない思考を押し出すように小さく息を吐いて、カーヴェは再び時計の針に視線を投げかける。天井のステンドグラスの窓を叩く規則正しい音と、断続的に紙が擦れる音。アルハイゼンはカーヴェの独白にも近い言葉に反応を示さなかったし、カーヴェもそれ以上何も言わなかった。
理性に打ち消されるのか、言葉になる前に解ける後悔ばかりが胸の中で煙を吐き出し続けている。幼いカーヴェに責はない。カーヴェと父の間に思想のずれがあったとしても、何の問題があるだろうか。分かっている。分かっているのだ、そんなことは。
前触れもなくぱたんと音がして、カーヴェは反射的に音がした方向に視線を投げかけた。音の出元はアルハイゼンの手元からで、どうやら本を閉じた音だったらしい。
「本を取りに行ってきていいか?」
「ふ、はは! 良いよ。行っておいで!」
許可を取ってきただけで及第点だ。同居人の苦悩なんてこれっぽっちも気にしていないらしいアルハイゼンに笑ってしまいながら、不意にこれで良かったのだと理解した。少なくとも、今カーヴェが暮らすべき相手はアルハイゼンであるべきだったのだ。たくさん間違ってきただろうカーヴェの選択の中で、これだけは完全無欠の正解なのだと感じる。
「初めて君と住んでいてよかったと思ったよ」
そのまま私室に引っ込んでしまってもよかっただろうに、わざわざ新しい本を持って来るつもりらしいアルハイゼンにカーヴェは告げた。脈絡を感じられなかったのか怪訝そうな視線を投げかけて来るのがなんだか愉快に思えて、カーヴェは少し口角を上げてしまった。
「大抵の人なら、ここで慰めの言葉の一つかけてくるだろう? 結果なんて誰にも分からないから僕に責任はないとか、多少の思想の違いなんてすり合わせて何とでもなるはずだとか。でも、そんなことは僕にだって分かっている。言われるまでもないことだ」
分かっていてなおどうにも折り合いをつけられない事に触れないでいてくれる彼の存在が今のカーヴェにはありがたかった。普段通りに振る舞われる事で、腫物であるはずの自分を忘れられるような気がする。
「そうだろうな」
アルハイゼンはそれ以上言葉を重ねなかった。今の彼は恩義せがましくもなく、自らの行動を恥じるわけでもない。それが今のカーヴェには酷く心地よかった。
彼がカーヴェの苦悩をどう思っているかは分からないが、それを抱えたままカーヴェが隣にいることを彼は許しているらしい。ただアルハイゼンはカーヴェに時間を提供してくれている。カーヴェの考えや結論に影響を与えるつもりがないと言われているようで、学者であった性なのか妙に安心してしまう自分がいた。
アルハイゼンが立ち去った場所はいつの間にか色ガラスを通した光で新緑に染め上げられていた。雨はいつの間にか止んでいて、雲の向こうにある太陽が存在感を増し始めたらしい。
彼が戻ってきたら、彼の銀色の髪にこの色が滲む様を見られるだろう。その瞬間を心待ちにしながらカーヴェは組んでいた脚を解いて天を仰ぎ、ステンドグラス越しの光を細めた目で捕捉した。
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