桐子
2025-03-09 22:13:20
5838文字
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美しい傷 最終回(父水♀)



エピローグ

心地よい春風とともに、桜の花が舞い踊る。屋敷の庭では桜の花が満開で、はらはらと散る花弁が池の水面に浮かび、美しい模様を作り出している。
「ですから、依頼人には先生からお断りを……引継ぎの資料は山田君に。はい、はい」
そんなのどかな光景とは反対に、電話の主はせわしなく受け答えを繰り返している。
「はい……はい、ありがとうございます」
水木は、ふうと息を吐いて電話を切った。
「水木しゃん、仕事ん電話と?」
「そうなんだ。昨日が仕事納めだったのに、依頼人がごねてるらしくて」
一反木綿にそう答え、水木は電話を置いた。せっかくの記念日だ、仕事のことも依頼人のことも気にはなるが、今日だけは仕事のことは忘れてもいいだろう。
「水木や」
「今行くよ」
鏡の中をのぞきこみ、おかしな所がないか確認する。目の傷も耳の欠けも、相変わらず初対面の人にはぎょっとされるものの、水木自身はまったく気にしていない。スーツを着込んだ姿は、十五年前に比べたら順当に年を取ってはいるものの、まだまだ若々しい。髪の毛もちゃんとしていることを確かめた水木は、庭の方へ向かった。
「待たせてすまん」
靴を履いて桜の木の下へ向かうと、花を眺めていたゲゲ郎が振り返った。昨日は黒の紋付袴を着るのだと張り切っていたが、『娘の卒業式で娘より目立ってどうする』と水木が止めたおかげで、いつもの青色の着流しに白い羽織を羽織っている。ゲゲ郎はスーツ姿の水木の見て、むっと眉をひそめた。
「今日は晴れの日じゃぞ。着物ではないのか」
「娘の卒業式で親が着飾ってどうする。地味でいいんだ。それに、この方が落ち着くし」
そんな水木の言葉に、ゲゲ郎は渋々と頷いた。
「うむ、たしかにそうかも知れんな。……水木が美しいことは、わしだけが知っておればよい」
そう言ってゲゲ郎は水木の手を取り、とろけるような甘い声で囁いた。
……馬鹿」
悪態をつくが、ゲゲ郎には照れ隠しだとバレているようで、にこにこと嬉しそうに笑っている。
「相変わらず仲がいいなァ」
「ほんとにね。毎日愛を囁くとともすごいけど、それを聞いて毎日喜ぶ母さんもすごい」
子ども達は呆れ半分、感心半分で両親を見守っている。
今日は、二人の娘が中学校を卒業する日なのだ。出会ってから十五年以上が経ち、子どもたちもすっかり大きくなった。ゲゲ郎はもうすぐ還暦に手が届くというのに、出会ったときから見た目がほとんど変わっていない。そして、「大事にする」と約束してくれた日から変わらずに、水木のことを愛し続けている。
「父さん、水木さん。写真を撮りましょう」
しびれを切らした鬼太郎に促され、四人で桜の木の下に並んだ。一反木綿がカメラマンを買って出てくれたので、カメラに向かって笑顔を向ける。
「はいチーズ」
パシャリとシャッターの切れる音。一枚に収まらず、二枚三枚と連続して撮られている。桜の花を背景に幸せな四人家族が笑い合っている写真は、きっといい記念になるだろう。
写真を撮り終え、水木はちらっと夫の顔を見た。話すなら今だ、いけ、という合図である。ゲゲ郎は水木の視線に気づくと、小さく頷いてみせた。
「あー……その、実は話があるんじゃが」
おもむろに切り出すゲゲ郎に、子どもたちはきょとんとした顔をした。
「なんですか?」
「実はな……その……
ゲゲ郎はもじもじと指を擦り合わせている。この期に及んで何を照れているのか、と水木が肘で小突くと、意を決したのか口を開いた。
「お前たちに、弟か妹ができることになってのう」
一瞬の間があった後、二人は「ええっ!?」と驚愕の声をあげた。
妊娠していることに気が付いたのは数週間前だ。息子や娘とは年がだいぶ離れているし、やや高齢出産であるので不安があるが、「でかした!」と大喜びしているゲゲ郎を見ていると、自然と「産みたい」と思えた。
「僕が連れてたら自分の子どもかと思われそうですね」
「とと、その子が成人したらもうおじいちゃんだね……
「う、うるさいわい。とにかく、そういうことじゃからな。それで鬼太郎、いい機会じゃからわしはそろそろ引退して、お主に跡目を譲ろうと思う」
「ええ!?」
鬼太郎はまた驚いて、ゲゲ郎と水木の顔を交互に眺めた。
「い、いきなりそんな。心の準備が」
「倅や。親馬鹿かもしれんが、誰よりもこの組を継ぐのに相応しいのはお前だと思うんじゃ」
「父さん……
鬼太郎はすっかり困り果てた顔をしていたが、やがて「分かりました」と頷いた。
「僕、精一杯頑張ります。でも、父さんの力もまだまだ必要ですからね」
「分かっておる。子育てしながら、しっかりさぽーとするからのう」
いつの間にかすっかり頼もしくなっていた義理の息子を見て、水木も微笑んだ。公平な目をもち、弱いものを見捨てられない。そんな鬼太郎は、幽霊組を継ぐのにふさわしいと水木も思う。
「よかよか。鬼太郎しゃんが組長、親父さんが相談役。水木しゃんが顧問弁護士で、うちの組は安泰ばい」
「私は?」
「おお、お嬢は秘書でどげんね?」
一反木綿の答えに、娘は「秘書もいいね」とご満悦だ。
「そろそろ行かないと。卒業生は九時に集合だろ?」
「あっ」
時計を見た娘は、「大変!」と慌てて駆け出した。
「いってらっしゃい」
水木が声をかけると、娘は「行ってきます! 卒業式、待ってるね」と答えた。遠ざかっていく背中を見つめながら、ゲゲ郎は感慨深そうに呟いた。
「小さかったあの子が、もう中学を卒業か。早いものじゃ」
「ああ」
水木の脳裏に、ゲゲ郎と出会った日から今日までのことがまるで昨日のことのように思い起こされた。今でも、両親が死んだ日のことを思い出しては泣いてしまう時もあるし、悲しかったことや苦しかったことが一つもなかったわけではない。弁護士の資格を取るための国家試験はとても苦しかった。依頼人に暴言を浴びせられたこともあった。娘が学校でいじめられたと聞いて、何もできない自分が悔しかった。ゲゲ郎が大怪我をして生死の境をさまよった時は、もう生きていけないかもしれないと思うほど怖かった。
だが、傷つくたびに強くなり、立ち上がる力をもらった。そしてそのたびに、ゲゲ郎や子どもたちと出会えて良かった。生まれてきてよかったと、心からそう思えるようになった。
「そろそろわしらも行くかの」
「そうだな」
ゲゲ郎に促され、水木も歩き出す。びゅうと強い風が吹いて、桜の花びらが降り掛かった。
「おや」
立ち止まったゲゲ郎が、そっと水木の頭に手を伸ばした。花びらがついていたのだろう。それをそっとつまんだゲゲ郎は、にっこりと笑っていつものように言った。

「水木や、愛しておるよ。お主は今日も美しいのう」