ねぶくろ
2025-03-08 14:07:03
4307文字
Public Skeb
 

愛に浴する

Skebにて納品した作品です。
BL作品の為苦手な方はご注意ください


愛の報酬


 日本の警察官はハニートラップを採用しない。理由は単純明快、費用対効果が悪すぎるからだ。どうせ結果が同じなら、捜査員にそうした技術を仕込むよりも調査対象者 ターゲットが思いを寄せている相手を警察に取り込んでしまった方が早い。ターゲットの想い人にそれと知られないよう接触し、時間をかけて情報を抜き取っていく。間接的にはハニートラップとして成立しているが、捜査員に過度な精神的・肉体的苦痛を強いて消耗させるよりもお手軽で、ターゲットに捜査員の素性が割れる危険性も低い。何より、やることが通常の協力者づくりと何ら変わらないので、部署の中から好きに適任者を見繕うことが出来る。ハニートラップよりも圧倒的に効率の良い方法だ。
 それはそれとして、と警視庁公安部外事一課に所属する浅沼南桐は、回された案件を前に「めんどくせぇな」と顔をしかめた。下った指令によれば、浅沼は今日から半年かけてとある調査対象の想い人から情報を収集しなければならないらしい。ターゲットは某国にルーツを持つ過激派宗教団体の構成員。想われているのは無辜の一般市民で、歌舞伎町のスナックで働いているシングルマザーだという。
 あまり頭の回転が速いとは言えない上司が作成した計画書に目を通しながら、目を細める。情報収集にかかる時間が長いことに加えて、協力者との距離を縮めるための設定に粗が多い。スナックの常連客として距離を縮めて情報を収集する、というアバウトすぎる作戦はもはや作戦の名を冠することすら烏滸がましいほど杜撰なものだ。
 新人にでもやらせておけばいいだろう、と思いながら企画書をゴミ箱に放り込む。普段は戦地をメインに働いている浅沼に白刃の矢が立ったのは、他に適任者がいなかったか、あまり国内に滞在しない浅沼自身の適性確認の為か。ここ最近は同僚からの尾行も目に付くし、おそらくは後者だろう。組織への忠誠心を試されているのはあまり気持ちのいいことではないし、監視の為だという事情を排してもモチベーションのあがる仕事ではない。
 浅沼はその案件を記憶から抹消し、先に着手していた企画書を書き上げた。
 公安警察では、調査の計画や手法について自由に提案し、行動することが許可されている。先ほど浅沼が捨てたものと同じような「企画書」を指揮官レベルの捜査員たちが作成し、適任者に必要な範囲の情報と指示を与えて作戦を遂行していくのが、公安警察の調査方法だ。企画の審査は緩いもので、浅沼の実績を考慮すればどんな破天荒な企画書を提出しようとも一蹴されることはない。
 書き上げた企画書を携えて、上司のデスクへと向かう。中年太りに生え際の後退が目立ち始めた彼に企画書を提出すれば、上司はそれに見向きもしないまま「先ほど渡した案件についてだが」と口火を切った。機先を制するように「他の奴にやらせてください」と会話を終わらせる。彼はその反応にも動じた様子を見せず、「そうか」と静かに自身の顎を撫でた。
「それなら仕方ないな。必要ならば捜査一課から人員を引き抜いてきて構わないと言われているので、そのようにするしかないか」
 聞かせるためのひとりごとに目を瞬く。
……何で捜査一課が」
 思わず怪訝な顔で上司を見遣れば、彼は涼しい顔で顎を撫でさすりながら「公安内部で探しても、他に適任者がいないからだ」と言葉を返した。ちらりとその視線が持ち上がって、浅沼を見る。
「相手は配偶者と死別したシングルマザー。……再婚相手を探しているらしいな」
 話が合いそうな刑事がいれば適任なんだが、と聞こえよがしに嘯く言葉に目を細める。彼が誰を人質に取ろうとしているのかは明白だ。よぎったのは最愛の娘について語る阿倍陽太郎の顔で、娘のための定時退社を信条とする彼がこの案件に拘束されることを考えて、思わずため息が零れた。
 上司はおそらく、捜査一課から人員を引っ張ってくる気などないのだろう。ただ、こうして揺さぶりをかければ浅沼が引き受けると知っていてそんなことを言っている。浅沼南桐という人間に、公安警察、延いては日本国に対する忠誠心や愛情が存在するのかを測るためだけの狂言だ。
 退屈で面倒な仕事を回して適性の再確認と監視を行う。長期間にわたって国外に派遣されている人間の忠誠心を疑い、定期的な試験によって捜査員をふるいにかけるその判断に否やはないが、やり口が腹立たしい。浅沼は隠すこともなく舌を打ち、上司を見遣った。
「半年は長い。三か月で片をつけさせろ」
……遂行できるならその期間で予定を組みなおして構わない。自由に動いてくれ」
 上司からの許諾を得て、浅沼はデスクに戻った。機嫌悪く足を放り出し、先ほどゴミ箱に突っ込んだ資料を回収する。詳しい情報に目を通しながら、浅沼は上司の手のひらで踊る羽目になった事実に舌打ちをした。