ねぶくろ
2025-03-08 14:07:03
4307文字
Public Skeb
 

愛に浴する

Skebにて納品した作品です。
BL作品の為苦手な方はご注意ください

愛の所在


「嫁のこと愛してるのに、なんで俺のこと抱こうとするの」
 大きなベッドに腰を下ろして、浅沼南桐がこちらを見上げる。カーテンの閉め切られた薄暗い一室を照らし出すのは、小洒落た間接照明だ。雰囲気のある橙色の光が彼の肌に陰影を落としている。
 適当に入ったホテルの調度など興味はないが、少し暗いなと目を細めて彼を見つめる。見慣れた薄い笑みに向け、阿倍陽太郎は「なんで、ですか?」と浅沼の言葉を繰り返した。確認のために復唱した声に、彼が頷く。
 ネクタイを緩めながら「愛情と欲求は別のものなので……」と答えれば、こちらの動作をつぶさに観察しながら、浅沼が「そう」と穏やかに相槌を打った。
「それじゃ、俺とは遊びなんだ?」
 揶揄うつもりにしてはやけに冷えたその言葉に、目を瞬く。光のない黒々とした眼差しを受け止めて、阿倍は戸惑いつつも「そうなりますね」と頷いた。
 咎めるような彼の指摘を肯定し、そのうえで行為に至ろうとその肩を押す。ハードな仕事でしっかりと作られた体は硬く、力強い。生命力を感じるその体躯は、しかし阿倍の軽い一押しで呆気ないほど簡単にシーツの海に倒れ込んだ。清潔な純白の上に押し倒された浅沼は無抵抗にこちらを見ており、圧し掛かっても何らの拒絶を示されない。そのことを不審がって彼の顔を覗き込めば、浅沼は「なに?」と平たい声で問いかけてきた。
……。浅沼さんも、欲求を発散できるから俺との行為を受け入れているものだと思っていたんですが、違うんですか?」
 尋ねてみれば、浅沼は心外だとでも言うように片眉を上げた。
「違う。俺は陽ちゃんみたいに飢えてないし、こんなことしなくても何ら支障はない」
「では、なぜ?」
 尋ねながら彼が纏ったシャツのボタンに手をかければ、浅沼がやんわりとその手を掴んだ。薄闇の中に沈んだ表情は判然としない。阿倍が心中を推し量ろうと思考を巡らせていれば、彼が「拒絶する意思は都度示しているつもりだけど?」と息を吐いた。
「それとも、どうして今日ここに来たかって話をしてる? それなら、美味い日本食が食えるって聞いたからだけど」
 また騙したよね、と呆れの滲んだ声が耳朶を打つ。「後で奢りますよ」と言葉を返せば、浅沼が小さく笑った。掴んだ手を弄ぶように握り、少しかさついた指先が肌の上をなぞる。阿倍がそちらに目を向けていれば、彼が戯れのように爪を立てた。手の甲に三日月のような形の跡が刻まれて、彼が言う。
「捌け口にするなら俺じゃなくてもいいよね」
 咎めるような響きに目を瞬いて、掴まれた右手をシーツの上に縫い留める。抗うような力を感じながらも無視して、阿倍は彼の目を見返した。
「捌け口だとは思ってませんよ」
……そう?」
 彼が薄い笑みを浮かべたままでこちらを見返す。拒否することは諦めたのか、彼が力を抜いて、ぱたりとリネンの上にその身を投げ出した。それを許諾と捉えて、唇を塞ぐ。
 彼が眉根を寄せると同時、室内にはつかの間の沈黙が齎された。遠くに聞こえる走行音も、低く唸るような家電の稼働音も、わずかな衣擦れの音までもが明瞭な一瞬。永遠に等しい一秒を終えて、彼に馬乗りになったまま問いかける。
「いいですか?」
 彼の纏ったシャツのボタンを指先で撫でる。彼は天井を見上げた視線をこちらに向けて、「やだって言ったら止めてくれんの?」と、諦めの滲んだ声で問いかけた。第二ボタンを外しながらそれに応じる。
「今からは少し、難しいですね」
「じゃあ聞くなよ」
 諦めたように天井へ視線を放るその眼差しに、三つ目のボタンを手で摘まんだまま「嫌なんですか?」と問いを重ねる。浅沼はこちらを見ないまま「さぁね」と投げやりに言葉を返した。薄ぼんやりとした照明の下では、その顔に浮かんだ表情の意味は汲み取れない。阿倍は彼のシャツをはだけさせて、そこで動きを止めた。彼の胸部に手を当てて、脈拍の振動を確かめる。
 電化製品の発する鈍い低音。微かに空気を震わせている環境音。手のひらに伝わる心音。
 意識しなければ流れ去って気づけない微弱なそれらに耳を傾けながら、阿倍は「浅沼さん」と彼の名を呼んだ。
「俺は妻と娘を愛しています」
 宣言するように伝えれば、彼は目を合わせないまま「知ってるよ」と言葉を返した。そのまま寝入ってしまうんじゃないかと不安になるほど安穏とした表情で、彼が目を瞑る。上下する胸から手を離して、阿倍はそっとその頬に手を滑らせた。
「それとは別に、浅沼さんのことも大切です」
 頬に落ちていた髪の毛を耳に掛けさせて、その顔を覗き込む。浅沼は疲れたように目を瞑ったまま、「それも知ってる」と呟いた。今回の一時帰国が終わったら、彼は再び仕事のために戦地へと赴くらしい。前回の滞在よりも少し痩せた頬を撫でて、「そうですか」と相槌を打つ。阿倍は彼を見下ろしたまま、言葉を紡いだ。
「俺が浅沼さんとしたいのは、ただ飢えてるからじゃありません」
 ただ欲求を発散するだけなら第三者でも構わない。実際、浅沼が日本にいない間はそうして適当な第三者を見繕って対処しているのだ。浅沼が仮に姿を消したとしても、支障はない。――ないのだが。
……浅沼さんが良いからこうして誘ってるんですが、それも知ってましたか?」
 尋ねかければ、彼が瞼を持ち上げた。いかなる感情も汲み取れない無表情で、彼が無造作に投げ出していた腕を持ち上げる。彼は黙ったまま阿倍の襟首を掴んで、引き寄せるように引っ張った。顔を寄せ、耳慣れた声が耳元に囁きかける。
「それなら、俺がいい理由を教えてよ」