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mishiadd
2025-03-07 01:31:33
14836文字
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いおりとごはん
【転生パロ】食事という行為にまったく価値を見い出せないくせにやたら料理のうまい宮本伊織とその宮本伊織と一緒にご飯を食べるのが三度の飯より大好きなヤマトタケルの日常風景(CBC概念礼装/ヤマトタケル絆礼装着想ともはや言いたくないいつもの感じのマジでどうしようもないアレ)【(ろくでもない)剣伊/モブ伊】
続編『この世界にはまだ苦しみが足りない』:
https://privatter.me/page/67d61793a9ab1
1
2
【正位置】
妙な雇い主であるとは思っていた。
今まで交わした愛人契約書の中でもっとも奇妙で、もっとも誠実で、そしてもっとも
無邪気な
内容だった。
――
主人の住まう離れの一室で住み込みで生活すること、主人に対して敬語は使わないこと、服装や髪型は主人の望み通りにすること、主人が望めば使用人としての家事をすること、等々。
性交渉に関する記載はなかった。伊織が締結した愛人契約書の中でこの項目がないことは初めてのことだった。
契約者は若干十四歳の少年であるというので、当初は子供の悪戯かとも考えたが、契約書にサインをしてすぐに、月々に約束されていた支払額の半年分が手付金として口座に振り込まれていた。
――
であるならば、と伊織は荷物をまとめて早々に指定された屋敷へと向かった。この奇妙であどけない雇い主がどうやら本気であるらしいことを認め、であるならば、伊織は支払われた対価によって課された義務を果たさなければならない。
◆
物心ついた頃から自我の希薄な子供だった。
自分の器量がよいらしいということは幼い頃から周囲から散々聞かされてなんとなく知っていたが、ただそれだけだった。別段そのことに対して興味も面白みも価値も見い出すことができず、あるいは自分の誕生日の日付がいつであるとか、あるいは自分の靴のサイズがいくつであるとか
――
自分に関する
つまらない事実のひとつ
として、把握はしているが「だからどう」ということもなかった。
物心のついた頃から
――
漠然とした空虚感があった。なにか、出逢うべきであるものに出逢えていないような
――
ふわふわと、何に対しても確固たる頓着を持てないまま、あるいは彼という存在を地面に繋ぎ止めるための『芯』を見い出せないまま
――
かといって何に対して渇望すればよいのか、それすらもわからぬまま
――
夢を見ているような現実味のない日々が彼の上をただ通り過ぎていき、そして彼が身の裡に抱えた虚無とはまったくの無関係に
――
彼はただ、なるべくして、空恐ろしいように
美しく成長した
。
鏡を見れば、その顔がひどく整っており、そして人の目を惹きつけるのだということは頭では理解できた。ただ、それ以上でも以下でもなかった。この顔のおかげで、自分は他人に好意を持たれやすいのだということも理解できた。だがそれも、それ以上でも以下でもなかった。やがてそれが
――
金に換えられる
のだということを知ったときに初めて、伊織は自分の容姿を
便利な道具
であると認識した。
伊織は器用な子供であった。勘どころを見抜くのが得意で、理解が早く、要領がよかった。一を見て十を覚えた。手先が器用で工作なども得意であったし、勉強もよくできた。運動も得意であったし
――
化学の実験が得意であるのと同じように、家庭科で習う料理も得意だった。
だが、そのいずれも伊織の自尊心に貢献することはなかった。そもそも伊織には向上させるべき自尊心というものがなかった。そもそもの自我がひどく希薄であったので。
触れるものすべてをすぐに会得して、どれだけ上手にこなそうと
――
それはまた、彼が自分という『資本』について把握するデータのひとつに過ぎなかった。彼自身には価値を見い出せなくとも、彼を取り巻く他人が勝手にそこに価値を見い出して、
その対価を彼に支払う
。であれば、それは伊織にとっては便利な道具だった。彼が生計を立てるための、彼の有する『資本』。
――
彼の『資本』に対して最初に対価を支払い、占有したいと願い出たのは、伊織の大学の同期だった。
お互い、つい先日まで学ランを着ていたような頃だった。『新歓コンパ』
――
と銘打った集まりに呼ばれた帰りだった。終電がなくなった伊織を、その日初めて名前を知った同期の男がアパートに泊めてくれることになったのだ。
まだ段ボールも開封しきっていないような部屋に通され、「そのへんで適当に寝てて」と言われたので冷たいフローリングの上に横になろうと思った。自分はベッドに潜り込んだ同期が、「腹減ったな」とぼやいたので、なんとなくキッチンに立って、ありもので簡単な夜食を作った。
小皿に盛ってちゃぶ台に置いた名前もない料理
――
トマト缶で味付けした煮物のようなもの
――
をベッドから起き出してきた同期が箸で突つき、「うっま」と小さく驚きの声を上げた。伊織も、大して興味のない顔で少量を箸でつまむ。味付けがおかしくはないことだけを確かめ、「うん」とやはり大して美味くもなさそうにそっぽを向いた。
「すごいなこれ。店出せるよ」
「そうか」
感慨もなく、肯定も否定もなく流され
――
そしてやはり大して興味もなさそうに、ただ雑音を流すためだけにつけられたテレビ画面に目を遣る伊織のひどく端正な横顔を、男が見る。白い頬に深夜番組の大人びた色遣いが照り返し、深淵のような月夜の色をした瞳がちらちらと光っている。
伊織の、そのかたちのいい顎に男が手を掛ける。く、と遠慮なく加えられた力に、伊織がろくに抵抗もせず促されるまま男の方を向いた。じっと自分の顔を見つめている男と、伊織の目が合う。
「宮本ってもう家決まってるんだっけ」
「今
――
探している。大学の、近場で」
「ここ、住む?」
伊織が返事をする前に唇を重ねられた。ただ互いの唇の弾力を確かめ合うだけのようなそれは、まるで判子の捺印のようだった。
結局、自分が明確に返事をしたかどうかを伊織は覚えていない。家賃と生活費を男が負担する代わりに、伊織は家事を担当することになっていた。伊織がキッチンに立っているところをたまに男が背後から抱きしめて、包丁を持ったままの伊織の顎を掴んで振り向かせ、その唇を奪うことが何度かあった。特に抵抗もせずにいると、やがて触れるだけだったそれは深くなり、やがてはそのままキッチンの床に押し倒されるようになった。
伊織が自らの美貌になんの感慨も覚えないように、あるいは作った料理になんの達成感も得ないように
――
男との触れ合いは、伊織にとって毒にも薬にもならなかった。伊織の顔も、伊織の手料理も、そして伊織の体も、伊織ではなく伊織を貪る他者を楽しませるためだけに存在していた。
ただ、その頃になって男に提案されたことがあった。あるいはそれは、この関係性を積極的に楽しんでいるわけではない伊織を手放すまいとして男が追い縋ろうとしたかたちであったのかもしれなかったし、そうすることによって
伊織を不当に搾取しているわけではない
という己の良心を守るための男の方便の発露なのかもしれなかった。
この関係性を正式に文書に書き起こし、貸し借りなしの相互利益関係
――
即ち、契約関係を結ぼう、ということになった。
契約
を成すにあたっての、男が為すべき義務と。それを対価として伊織が男に果たすべき義務と。
むしろそれは、契約書というよりはメモ書きに近かった。たった四行かそこらだったように伊織は記憶している。内容に真新しいものはなかった。既に日常で為されていることを明文化したに過ぎない。
――
甲
が家賃と生活費を全額負担することを対価として、
乙
はすべての家事を負担し
――
甲の求めに応じて、
その体を許すこと
。
A4のコピー用紙に印刷された簡素なそれに伊織がボールペンでサインをした直後、ちゃぶ台の隣に座っていた男に肩を抱かれて唇を奪われた。右手に握っていたボールペンがフローリングに落ち、そのまま手のひらを握り込まれる。格好をつけようとした男が伊織を抱き上げてベッドへ運ぼうとしたが体格的にうまくいかず、察した伊織が自発的にベッドに上がった。思えば、キッチンやフローリングの硬い床以外で手を出されるのはこれが初めてだった。伊織の寝床は相変わらずフローリングにキャンプ用の寝袋を敷いたものだったので、そもそもベッドに上がったのも初めてだった。
いつになく荒い鼻息で伊織の白い首筋にいくつも唇を落とし続ける男を見上げていると、やがて男が伊織の耳元で囁いた。
「今日からはここで寝るよな、伊織?
――
お前は、俺が頼んだらいつでもやらせてくれるんだもんな?
そういう契約だもんな
?」
あるいは、伊織が今までフローリングに寝かされていたのは男なりの遠慮だったのかもしれなかった。
――
しかし、その遠慮ももはや不要となった。それは男の
当然の権利
となった。
まるで初めてその体に触れるかのように興奮した様子で無我夢中で自分の体を貪り続ける男の赤い顔を、なんの感慨もなく伊織が見上げている。ふと、思う。
――
なるほど、こういう手があるのか、と。
伊織にとって「他人に迷惑をかけない」ことは彼の行動規範の上位を占めていた。ふわふわと
――
生きている実感の薄い自分でも、この人間社会にうまく溶け込んでなんとかこの人生をやり過ごすためには、最低限の礼儀や道徳を弁えていなければならない。畢竟、それは
他者に負担をかけず
、ひっそりと
――
息を殺して極力目立たないようにして生きる、ということだ。
とはいえ、現実世界ではどうしたって他者の力を借りなければ生きていけないことを伊織は知っていた。ただ
――
『契約』、という方式をとってしまえば、それは『他者にかける一方的な負担』ではなくなる。運よく相手が伊織の『資本』を望んでくれたのならばめっけものだ。伊織の美しい顔でも、家事の腕でも、その細い体でも
――
伊織には、相手に支払える『対価』がある。
男の手が伊織の胸を撫でたので、試しに「ン」と小さく声を上げてみた。男の表情が変わり、しきりに伊織の胸元を指先で弄りながら激しく腰を動かしたので、相手が喜んでいるのだということを悟る。
――
伊織は、演技をすることを覚えた。これが伊織が男に支払う対価ならば、伊織はその品質保証に責任がある。「気持ちいい? 伊織」と男が何度も尋ねるので、「気持ちいい」と答えると、男がますます昂るようだった。その男の息遣いを、上擦る声を学習して、少しずつ真似をしてみる。そこからまた少しずついろんなことを試していって
――
そうやって、相手の好みに照準を合わせていく。
――
伊織の生は他人を喜ばせる為だけにある、などと言えばいくらなんでも聞こえが良すぎた。ただ単に、自分で生が楽しめないので、結果的に伊織の周囲の人間がただ
伊織を楽しむ
だけになる。伊織の方もそれでよいと考え、その為の努力は惜しまない。
男とは半年程関係が続いた。最初の三ヶ月程度は契約書通りの良好な関係が続いたが、やがて契約書の範疇外で伊織に対する男の束縛が激しくなり、伊織の交友関係を制限したり、行動を制限したり、果ては受講のために大学へ向かうことも許さず伊織を部屋に閉じ込めるようにすらなった。大学に行けないとなると伊織としてもこれ以上男の傍にいるわけにはいかなかったので
――
単位を落とすわけにはいかない
――
その頃になってようやく伊織は、なんの逡巡もなく至極あっさりと
――
男に契約解除を切り出した。
荒れ狂った男は取り乱し、挙句伊織の足元に身を投げ出してみっともなく追い縋り考え直すように迫ったが、とはいえこの関係において一度も冷静さを失ったことのなかった伊織は、その男の狂態にこそこの契約がもはや修復不可能であることを悟った。この契約は
賞味期限が切れた
。
――
であるならば、また新たな契約相手を探さなければならない。
伊織の『契約』を『愛人契約』だと評したのは、確か三人目の契約者であったか。それが揶揄であったのかもわからぬまま、伊織は単に「わかりやすくてよい表現だ」と思い
――
以来、彼自身がそれを『愛人契約書』であると称している。
◆
広大な敷地の中に『離れ』として用意されていたのは二階建ての洋館だった。巨大な門構えで伊織を出迎えたのは本館に詰めているという女中で、洋館の玄関まで案内するとさっさとその場から離れていった。
ベルを鳴らせば、ややあって扉が開いた。聞いていた通り、十四歳くらいの
――
可憐な顔立ちをした少年だった。
伊織の顔を見た瞬間、少年がやや言葉に詰まったような顔をした。「
――
あ」と何かを言いかけて、結局口を噤む。さっと伊織の顔から目を逸らし、何度かしぱしぱと夕陽色の大きな瞳を瞬いた。涙を散らそうとしているようにも見えたが、そんなわけがなかった。
「
――
イオリ。きみの部屋はこちらだ、案内する」
挨拶もなくさっさと本題に入ろうとする新しい雇い主を前に、伊織はぴんと伸ばした背筋を深々と折って礼をした。
「宮本伊織
――
だ
。契約書に記載されていた条件には既に目を通している。今日から世話になる」
「あ、ああ。
……
よい。それでよい。
――
そうだ、そうだったな。
自己紹介がまだだった
」
年若い少年は、その見た目に似つかわしくないような古めかしい口調で言った。
「私の
真名
――
本名は契約書の署名欄に書かれた通りだが、きみには『セイバー』と呼んでほしい。
……
それから、念のために確かめたいのだが」
ぐ、と『セイバー』の口許が引き締まり
――
やがて、恐る恐る、震える声で尋ねた。
「きみは
――
私のことを、覚えているか?」
「?
――
ええと、」
質問の意味を捉えかねてやや困惑したような顔をした伊織に、セイバーはそれだけで質問の答えを得たようだった。「よい。
――
私は一体何を期待したのだろうな。忘れてくれ」と自嘲するように言い、その話はそれっきりとなった。
紹介された部屋はセイバーの寝室の隣の部屋で、そしてセイバーの部屋と同等の広さがあった。家具も一通り揃えられており
――
書斎机の隣に据え付けられた書棚には既にいくつか本が置かれていたが、不思議なことにそれらの書籍は不思議と伊織の趣味に合致していた。
――
誰かを歓待しようとして用意する本が三国志、というのもなかなか奇特であると伊織は思った。
部屋の奥には大きなウォークイン・クローゼットがあることに気付き
――
そういえば、あの無邪気な契約書には髪型と服装に関しての条件が書かれていたな、と思い至る。
ウォークイン・クローゼットの扉を開けると、中にはさまざまな衣類があらかじめ用意されていた。伊織の服装に関して制限をかけたがる契約者は今までにもいたが、そこに取り揃えられたものは過去の彼らの趣向とは明らかに違っていた。露出度の高いコスチュームであったりフェチシズムを全面に押し出した
とても外には着ていけないような衣装
――
ではなく、常識的な、どちらかといえば品のよいものばかりだった。
洋装には細やかな刺繍が施されそれだけで品質のよいものであることが伺えたし
――
もっとも目立つところに置かれていた鮮やかな青緑色の着物も光沢が美しく、高価な反物で仕立てられていることがわかった。
くるりと一通りウォークイン・クローゼットの中を見渡している伊織に、クローゼットの外からセイバーが声を掛ける。
「ここから選んだものであれば、何を着ていてもよい。
――
どれもきっと、きみにはとてもよく似合う筈なのだ。ああ、それから、契約書に記載したと思うが
――
きみの髪についてだが」
ウォークイン・クローゼットの中にセイバーが足を踏み入れる。一歩、二歩と伊織に近づき
――
少しだけ背伸びをして、伊織のうなじあたり、襟足に触れる。
――
短髪というにはやや長めに切り揃えられた、栗毛の癖毛の髪。
「
伸ばしてほしい
。
――
和装のときに、髷を結えるくらいに」
「『髷』?」
困惑して訊き返した伊織に、至極真面目な顔をしてセイバーが言った。
「とても
――
似合う筈なのだ、きみに。
……
イオリ」
じっと、伊織の目を、夕陽色の瞳が見つめている。
――
その瞳が切ないように僅かにひしゃげ、今にも泣き出しそうに
――
縋るように。まるで
――
その奥底で何かを叫んでいる。
聞いてほしい誰か
に聞き届けられない何かを、必死に叫んでいる。
ふと、伊織は思った。
「
旦那様
。
――
もしかして俺は、あなたの大切な誰かに似ていますか」
「イオリ」
「その目は、今日初めて出逢った者を見る目ではありませんから。
――
若干十四歳の少年がする目のようにも見えませんが」
セイバーが言葉を失う。
――
やがて、くしゃりと泣き笑いのような大人びた顔をして、言った。
「
ああ
、
そうだ
。
……
ああ、相変わらずきみは
理解が早い
のだな、イオリ。
――
そう、実はそうなのだ。黙っていて悪かったな。きみと契約したのもそういうことだ。
――
だからきみには、私の愛した『彼』のふりをしてほしいのだ、イオリ。私はまた、『彼』と食卓を囲みたいのだ」
「欲のない、愛らしい願いですね。旦那様」
そう言った伊織に、セイバーがやや傷ついた顔をする。「どうしました」と小首を傾げた伊織に、セイバーが言った。
「『旦那様』
――
は、やめてほしい。『セイバー』と呼んでくれないか。
……
私と『彼』は、対等な友人同士だったのだ。『彼』は、決して私のことをそのように呼ばない」
「ああ」
「そうでしたか」と言いさした伊織が、「そうか」と言い直す。やがて頷いて言った。
「わかった。こんな『愛人契約』は初めてだが
――
契約したからには、雇い主の願いは叶える。たとえただの
他人の空似だったとしても
――
おまえが俺にそう望むなら、俺はおまえの『彼』になるよ。契約外だが、おまえとの契約書には性交渉に関する項目がなかった。その分のおまけだ」
「
――
イオリ」
そう名を呼んだセイバーの声が、どこか喉から絞り出すようにも聞こえ
――
あるいは伊織を見つめるその大きな瞳がひどく揺れていて、その奥底に潜む哀しみと寂しさと
もっと別の昏い感情
がより深まったようにも見え
――
だが、伊織にはそれ以上何をどう言ってやることもできなかった。
こうして、伊織にとってもっとも年若く、もっとも無邪気で
――
それでいてもっとも切なる願いを裡に秘めた雇い主との愛人契約が、開始された。
◆
伊織の焼いたパンケーキを口に運んでは満足げに笑みを漏らす雇い主を眺めながら、伊織もまた自分で焼いたパンケーキを口にする。
――
伊織は、他人を楽しませるためだけの存在として生きている。
何に対しても頓着を持てず、焦がれるような情熱にも出逢えず、生に対する空虚感を裡に抱えたまま、今日まで生きてきた。
人生を楽しむ
ということを、およそ知らぬままに生きてきた。
伊織は、自分では楽しみを見い出すことができない。彼の中核に深く刻み込まれるような、宵に浮かぶ三日月のように鋭い
衝撃的な出逢い
を果たしてさえいればあるいは、そのことだけには自発的に楽しみというものを見い出すことができた人生もあったかもしれなかったが、所詮はたらればの話だった。
でも、だからこそ、思う。
――
豊かな
生
に楽しみを見い出す者を見て、思う。
――
その生命の喜びの眩さを、想う。
「いい顔をするな、セイバー」
ぽつり、と伊織が言った。口許に笑みのようなものが浮かんでいるという自覚が、うっすらあった。
「おまえは食べるとき、本当にいい顔をする。
――
料理の作り甲斐が、あるよ」
セイバーの動きが止まる。ぽろ、とフォークの先から大きなパンケーキの欠片が零れ落ちて、白い大皿の上に落ちた。
やがて、ぐす、とセイバーが鼻を啜ったような音がして
――
少しだけ濡れたような、それでも精一杯明るい声で、言った。
「ああ。
知っているよ
、イオリ」
いおりとごはん・了
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