山城まつり
2025-03-04 20:33:34
18482文字
Public 【馬子軸スーリニ】レヴリの紅玉
 

【馬子軸スーリニ】レヴリの紅玉#04

Ep.4です!!お久しぶりです!!
ついに種明かしですよ~~~~~!!!推理発表会です!!よろしくお願いいたします!!

一応ですね、ちゃんと今までの情報だけで推理できるようにしているはず、なの、で……うん……自信ないな……。
頑張りましたのでね……許してください…。

また、今回はがっつり医療のシーンを含みます!
知識足りないので間違っている事が多いと思います、いろいろ調べましたが違っていたらすみません…。


レヴリの紅玉 シリーズ▼
https://privatter.me/user/YamashiroMatsuri?category=66492


前回#03▼
https://privatter.me/page/67bc36b1317bf


アスナショウコ様宅【レゾン・デートル】から四宮椿さん、市ノ瀬咲良さん、大河カレンさんをお借りしております。お貸しくださって本当にありがとうございます。

本作は自創作【suicidal/leniency(スーサイダルリニアンスィ)】を「馬子軸」(現代ファンタジー)に落とし込んだ作品です。作者自身、馬子軸に関してど素人中のど素人ですので、間違った解釈などあるかもしれません。本当にすみません。
また、本シリーズ、特に#03以降は【suicidal/leniency】本編のネタバレを含みますので、「ネタバレNG!」という方は閲覧をお控えください。作者的にはスーリニはネタバレありきの方が面白いと思っております……。

スーリニ原作が気になってくださった方におかれましては、以下に本編リンクを載せておきますのでよろしければご覧ください。現在Prologue~Karte03まで読めます。

▼suicidal/leniency本編
https://novel.daysneo.com/works/3870c9c909042fb07a363f371caeee59.html


それでは、皆様にとって良い時間になりますように。


────気付けば、既に日を跨いでいた。
8月9日、午前1時45分。
紺碧の空には天の川が地平線に向かって流れている。シメリスを吹き抜ける夜風は生温さの中に僅かの冷たさを携えていて、風邪を引きたくなければ薄着で出歩かないのが吉だと告げていた。
確か、長崎に原爆が落とされ、それを戒める日だったか────それも、このフランスという国では関係がない話だ。ただの変わりない夏の日の夜。
そう、ただの変わりのない……

シメリス中央病院とイリュソリア・クリニックの中間地点に存在するパンショップ、「オ・ミル・パン」。24時間営業のその店は、瞑色の街並みの中でひときわ明るく、存在感を強く示していた。オレンジに近い灯りが街を照らす。深夜営業しているとはいえど、丑三つ時を回ろうとしている宵闇の世界では、客の姿は殆ど無かった。

────そんなパンショップから、一人の人物が退店する。

開かれた自動ドアから姿を現した彼は、店内の逆光に照らされて深い影を落としている。左手に、購入したパンを詰めたビニールの袋が提げられていた。


……悠長に買い物か?」


その人物が出てくるのを待ち構えていた椿が、店の前で「彼」を咎めた。
「彼」は影によって黒塗りとなった顔を持ち上げて、緋色の女を見上げる。そこには、驚きが半分と余裕が半分見受けられた。


……どうして此処に?」

「それを言うのであれば、どうしてお前も此処に?────ソフィー・ガルニエの手術、もしくは薬物治療がある筈だが」

……。」


椿は、彼を睨みつけた。隣に立ち尽くしている俺も、まだ信じられない気持ちを抱きながら彼を見つめる。
肩まで伸ばしたダークブラウンの髪に、痩けた頬。憂いを浮かべるグレーの瞳は吸い込まれるような闇を映していた。
……信じられる人だと、思っていた。
正義感を抱いている人だと、思っていた。
運命とは────やはり、残酷なものなのだ。

彼────イアサント・マルシャンは、俺達を鋭く睨む。
それに怖気づく事なく、椿は「患者を放棄して買い物とは、優雅なものだな」と嗤っていた。


……ソフィー・ガルニエさんは当病院の適応に無かったので、シメリス中央病院に緊急搬送したのです。確かにシメリス中央病院は満床ですが、緊急手術は受け入れてくれるでしょうから。我々エニグマ医学会に属する病院は、互いに協力しなければなりません」

「はは!それは素晴らしい」

「それで、どうして此処に」

「以前イリュソリア・クリニックを訪れた時、診療室のごみ箱の中にオ・ミル・パンの袋が捨てられているのを見た。大きな病院では休憩室で昼食を摂る事が多いが、中小の病院では医師が診察室で休憩をするのもあり得る話だ。お前はよくオ・ミル・パンを利用しているな。だが休憩時間にこの店まで来る事は、時間的に難しいのだろう。なにせ、オ・ミル・パンはイリュソリア・クリニックからおよそ2km離れているのだから。となれば買う時間は通勤前、もしくは通勤後。私は以前此処の監視カメラを拝見したが、通勤前────午前5時から8時にかけては混み合っている。レジ待ちの長蛇の列には並びたくはないだろう。……だとすれば、通勤後に此処へ寄り、次の日の昼食を買っていると考えるのが妥当だ。今日はブノワ・ピションのオペを先刻までしていた。つまり、今……午前1時から2時に此処を訪れる可能性が高いと踏んだ訳だ」

……言い返す隙もありません。その通りです」

「しかし、ソフィー・ガルニエが再発したとして……お前ならシメリス中央病院に搬送しなくとも処置が出来た筈だが。『レヴリカ』を使えば全身の腫瘍を溶かせるのだから」

「それは……そう、ですが」


イアサント・マルシャンは口ごもる。スアサイダル症候群の特効薬『レヴリカ』は、体内に形成された腫瘍を溶かして分解する事で治療する薬だ。故に、腫瘍の位置や数に関わらず、治療する事が出来る筈なのだ。……そう、理論上は。
言い淀んだイアサントを鷹の眼のように見定めて、その瞳を細く笑わせる。
椿の双眸は、ようやく真実が暴けると歓喜していた。


「当ててやろうか」

「何を、ですか」

「お前は────ソフィー・ガルニエを、第5の死者にしたかったのだろう?」

「な────!?」


灰色の瞳が見開かれる。何を言っている、と、彼の狼狽ぶりは言葉にしなくとも俺達にそう告げていた。俺達は、そんな彼の「芝居」に臆する事なく平然を保つ。
俺は椿に代わって彼に言い寄った。


「クレマリー・ルーヴィルに、罪を着せようとしたんでしょう。全ての患者に彼女の診察歴があり、彼女との接点があったなら……俺達は、神秘管理局は彼女を疑い裁きを下すでしょうから」

「市ノ瀬さん……ッ!あなたも、そんな事を言うのですか。あの時、彼女を捕らえると────」

「勿論、彼女は然るべき罰を受けるとは思います。この悲劇に関連している事は明確ですから」

「な、ならば何故!!私はひたむきに、患者を治療しているのに!」

「────それは、本当ですか?」


俺は彼を睨みつけた。びく、と彼の細い体が跳ねる。
……全てはカルテに書いてある、と、あの時クレマリーは言った。そうだ。そうなのだ。怪死を遂げた全ての人間は、確かにクレマリーが診察をした患者だが────同時に、誰もがイリュソリア・クリニックの通院歴があるのだから!

秘められた真実を、口にする。
真実を暴く事を、俺は恐れてはならないのだから。


……あなたは、『レヴリカ』の治療成功率が100%だと仰っていましたが……本当にそうだと、思っているのですか」

「何を……。貴方達だって投薬後の検査結果を見たでしょう……!」

「ええ、見ました。確かに腫瘍はありませんでした────そう、『固体の腫瘍』は」

「どういう、事です」

「イアサント、しらを切るのはそこまでにした方が身のためだぞ。私達は既に真相に至っているのだからな」


椿がそう言いながら一歩歩み寄る。
彼女は、ゆっくりと紡ぎ始めた。
この悲劇の円環を、緩やかに解き、暴こうとしていた。


「『レヴリカ』は確かに腫瘍を溶解する。固体の腫瘍は『レヴリカ』の成分により溶かされ、その形を失う。」

「そうです……それに、何の問題が、」

「だが────それは完全に『分解』される事がない。それがこの薬品の、最大の欠点だ。溶かされた腫瘍はどうなる?それは血流に乗って全身を回る。腫瘍自体が消えた訳ではないため、それらは患者を神秘の世界へ引きずり込み、神秘汚染を徐々に進行させる。そのストレスで再び腫瘍は凝固し……その結果、全身の血管に沿うように均等に腫瘍が形成されるのだ。これを、『レヴリカ』のせいと言わず何と言う。」

「そんな、」

「ここで『そんなものは知らない』とは言わせない。お前はこの病の治療薬としての『レヴリカ』が欠陥品であり、現段階で外科手術しか治療法がない事を知っておきながら、この薬を使っていた。……外科医療で『完治』させる患者と、『レヴリカ』で『完治を装っていた』患者を分けていた事が、その証明だ」

「何を言っているんですかッ、私はただ、その時に合わせた治療法で治療をしているだけです!」

「その時に合わせた?戯けが」


椿はそう嘲笑した。
だがその神秘の瞳は、決して笑ってはいなかった。
生命の冒涜に対する静かな怒りが、そこには在った。


「お前の生かす殺すの線引きは単純。それは『身内か否か』だ。これまでの死者4名、そしてクロエ・シモンは他人だ……だから死んでも別に構わないと『レヴリカ』の治療に踏み切った。此処の看護師であり、身内同然のクロエ・シモンが生きていたのは幸運だったな。一方────ブノワ・ピションは外科手術を用いて再発の危険がないよう努めた。何故なら、彼はお前の身内だからだ。はじめに会った時、見覚えのある顔だと思ったよ。それもそうだ……お前は、ブノワ・ピションの兄弟なのだろうから。兄だな?当たりか?」

「ッ!!」

「当たりだな」


イアサントは分かりやすく視線を狼狽させた────だが、そうしてもこの悪魔のような名探偵の前では何の意味を成さない事を察すると、静かに瞳を閉ざし……そして、喉を鳴らした。
まるで、この世の全てを呪うように。
まるで、この世の全てを嘲笑うように。
その笑いは徐々に狂気を孕み、彼は顔を歪に嗤わせて声を上げた。
そこにはもう、かつての穏やかな彼の面影はなかった。


「はは……はははははッッッ!!!まさか、まさか全てを暴かれてしまうとは!!!実に面白い、素晴らしいですよ!!!!」

「やっぱり、ですかッ!」


俺は警戒を強めながら眉間に皺を寄せる。コイツは人が死ぬ危険性を孕む薬を正義と称して使用し、その罪をクレマリー・ルーヴィルになすりつけようとしていた。こんなヤツが、医者?ふざけんなや、そんなん許されてたまるか!


「そうですよ、『レヴリカ』は腫瘍を溶かしはしますが分解はしません。これは私からクレマリー・ルーヴィルに向けて贈る最大のプレゼントだ!私から全てを奪った彼女に、心が張り裂けるような痛みと苦しみを!!はは、ははははははッ!!!」

「クレマリー・ルーヴィルに何の恨みがあるんかちゃ!」

「ありますよ、無ければこんな真似はしません……けれど、それは私の命と共に闇に葬りましょう。そして────貴方達も、生かしてはおけない」


彼は右ポケットから小さなペットボトルサイズの瓶を取り出す。そこには血液にも似た赤黒い液体が僅かな粘度を持って揺らめいていた。それが何か、正体を聞かずとも分かってしまう。液体化した、スアサイダル症候群の腫瘍だ!


「スアサイダル症候群は腫瘍との直接的な接触で感染します。これを此処にばら撒けば、貴方達も私も、全てが終わり。全ては無に帰す、完全犯罪だッ!!」

「やめ────ッ!!」


動き出すのに、コンマ数秒の遅れが生じた。
それは、この場において致命的な失敗だった。
俺と同時に椿も咎めようと身を乗り出す。
だが、イアサントが瓶を空中に放る方が、少しだけ早かった。

俺の静止を待つ事なく、溶液が辺りに振り撒かれる。
俺の前に、椿が居た。
星明かりと店のライトを反射して幻想的に輝く死の液体は、一直線に俺と椿に狙いをつけていた。
まずい、触れる────ッ!!!





────その時。



俺達を守るように、白い蝙蝠の羽が広げられた。
ふわり、と白銀の長髪が視界を奪う。
その髪と羽の隙間から覗くは、深紅のドレス。

俺は、俺達は、そこに居る存在を識っていた。


「────間に合ったか」


彼女は、俺達の前に立ちはだかって緋色の液体を一身に浴びた。整った顔から、ぽたぽたと雫が落ちている。衣服を濡らした瓶詰めの液体は、役目を終えたと輝きを失っていった。
かしゃん、と鋭い音を立てて瓶が地面に落ちる。それ以上に、もう何も起こりやしなかった。
イアサントが彼女の名を恨めしそうに呼んでいた。────クレマリー・ルーヴィル、と。


「久しぶりだな、イアサント。少し痩せたか?お前の場合、減量より増量をすべきだと思うが」

「黙れ……ッ!何故、何故お前は平然と立っていられる……!?今、私は確かに神秘汚染度が90%を超えたスアサイダル症候群の腫瘍をばら撒いたのにッ!」

「何故?はっ……腑抜けた事を────私こそが幻想の奇病《スアサイダル》。幻想に生き、その病を統べる私にそんなものが通用すると思うか」

「貴様……!」


イアサントは憎悪に満ちた声音でそう振り絞ると、右手で宙を握るような動作をする。途端に空間が歪み、そこから杖が現れる。……コイツ、魔術の知見があるんか!?
それに気付いたクレマリーはばっとこちらを振り返ると「カレン!」と名を呼んだ。彼女の鮮血のような瞳には、白い十字架が浮かんでいる。蝙蝠の羽に、瞳の文様。これこそが幻想種《ヴィーヴィル》の姿なのだと、俺は知る。
「任せてくださいよォ!」と俺と椿の間を縫って大河が姿を現し、杖の先をイアサントに向ける。その足元で、バステトが毛を逆立てて威嚇していた。

見れば、イアサントは目の前のクレマリーに向けて杖を振りかざしていた。


「危ないッ!!」


思わず俺は叫ぶ。異国の地では、神域結界を張る事も出来ない。つまり、俺には目の前の彼女を悪意から守る事は出来ないのだ!


「させませんよォ!!」


彼の杖が振り下ろされる刹那、大河がそう叫んで己の杖を振り下ろす。
途端に彼から発せられた光の球に大河の電撃が直撃し、攻撃の着地点がクレマリーの頬を掠めて右手側にずれる。攻撃に触れた白い髪が数本空中を舞い、そこから妖精────蟷螂の幼虫が溢れ返った。
だが、その魔術で出来た光の塊……妖精の卵巣は地面に落ちて消える事無く、まるでプログラムされたように背後に居る俺達の方に向けて牙を剥き、躯体を膨張させながら飛び掛かってくる!それに対する大河の反応が遅れ、次の電撃が間に合わない。椿が手前に居た俺の名を鋭く叫ぶ。その地面から青い甲殻類の妖精が姿を現し、彼女の意志に応えようと式を紡ぐが……それもまた、間に合いそうになかった。
まずい、避けきれん、当たる……ッ!


「────【呪腫】ッ!!」


一筋の、凛々しい声が響いた。
思わず目を閉じた俺に、魔の手が触れる事は無かった。
恐る恐る瞳を開けば、目の前に在るのは白い死神────そして、彼女の手には、蟷螂が生み出され続け、じくじくと腐敗する紅いクリスタルの剣があった。
……彼女に、救われたんか。
俺は思わず、息を呑む。
白い髪と白い肌に映える、紅いドレスと紅い剣。
それを携え悪に挑む彼女は、死神でありながら────まるで勇者だと、ただ今は思った。

イアサントは仕組んだ攻撃が防がれた事を悟るとひとつ舌打ちをして再び杖を構える。その杖先に、再び光が集まっていく。それを見たクレマリーは彼を睨み、厳かにこう紡いだ。その言葉は怒りに燃えていて、地獄のような業火に灼かれていた。


「私だけに留まらず、罪なき人を傷つけるなど……

「黙れ。私を狂わせた貴様に、罪を語られたくなどない」

「それが、事を成す理由か?」

「私は全てを奪われた。貴様に、全てを奪われた。クレマリー・ルーヴィル……貴様に復讐を遂げるためなら、幾万の命だって代償にしよう」

「ふざけるのも大概にしろ……恨みひとつでここまで生命を冒涜した、その罪は決して許されてはならない────余程、死にたいらしいな」


その声音は、静かに殺意を含んでいた。
低く唸るような彼女の言葉を受けて、風がごうと啼いた。星が途端に黒雲に隠され、大地がぐらぐらと揺れるのを感じる。
────彼女の巻き起こす神秘が、世界の情報を書き換えている。
彼女に宿る幻想が、俺達を捕らえている。
ゆっくりと、彼女は口にする。
その呪詛は男性のような、女性のような。老人のような、幼子のような。言葉のような、鳴き声のような。人類の知らない叡智を強く孕んでいた。






*“────静謐なる闇よ、絶望を讃えよ。*
*彷徨う魂よ、終焉を受け入れよ。*
*抗う術はない。悔いも、赦しも、意味をなさぬ。*
*灯された命は尽きるべくして尽きる。*
*我が名はスアサイダル────死神の名を冠する死そのもの。*
*今こそ、血の盟約を果たそう────“*






黒い風が吹き荒れて、世界を宵闇が包んだ。
そんな雲の割れ目から、彼女の瞳のような紅い満月が覗いている。
その深紅の光に照らされた死神が握る腐食された剣は、鋭い金属音を立ててその形を新たなものに置き換えた。ぱき、と鉱石が割れるような音がして、先端が鋭利になってゆく。
幻想の遺物、神器────海戟とはまた違う、彼女の力の結晶がそこには在った。


「魔術ッ?」


何も知らない彼が、そう困惑の声を漏らす。
スアサイダルは鋭く光る紅玉の瞳に彼を映すと、一歩踏み込んで剣を振るった。思わず彼は杖を振って妖精で構成された蟲の板を生み出す。だがそれを刃が切り裂いて、神秘を上書きして、溶かし、消し去って────そして彼の握る杖に、その刀身を叩きつけた。

ぱきん。

軽い音が鳴って、杖が二つに割れて落ちる。
紅い軌跡を描いて、スアサイダルの剣が振り下ろされる。
彼女は勝利の宣言の代わりに、こう告げた。


「────案ずるな、お前にとっての死は救済だ」と。


途端にイアサントの瞳が紅く染まり……瞬間、彼は胸部を押さえると地面に崩れ落ちる。それと同時にクリスタルの剣はその姿を闇に溶かし、黒雲と紅い月は、まるで今までの姿が幻覚だったと言わんばかりにもとの世界を取り戻して消えていた。
静寂の世界で、ようやく俺は息の仕方を思い出す。
目の前の死神は、翼をゆっくりと仕舞い、瞳の十字架を消し去ると「大丈夫だったか」と声を掛けてくる。


「あ、あぁ……大丈夫、やが……お陰様で」

「間に合ってよかった。イアサント・マルシャンが私に恨みを持っているのは知っている……私を貶めるためなら何だってするだろう。お前達を消す事で私が苦痛に苛まれる可能性があると思ったなら、お前達まで消しかねない。駆けつけて正解だったな」

「駆けつけて……おい、ソフィー・ガルニエは……?」

「《EFMATイーフマット》に一報を入れた。頼れる仲間は頼らなければならない。医療とは、チームで行うものなのだから」

「つまり、ルミエールやオリヴィエ先生に執刀を任せた、っつう事か」

「そうだ。その後カレンに頼んで、此処まで連れてきてもらった」

「感謝してくださいよォ」

……成る程。それで────イアサント・マルシャンは、」

「スアサイダル症候群に感染させた。急に腫瘍を成長させたからな……意識を即座に奪うために」

「えェ~~~~~~!?殺しちゃうンですかァ?そしたらクレマリーさんもフツーにお縄につく事になりますけど」

「殺すつもりはない。気絶させただけだ。医師の目の前で簡単に死ねると思うなよ……椿」


彼女はそうまで言うと、俺の背後に居る椿に声をかけた。
後半、出番を失っていた事を不服に思っていたのかつまらなそうな顔をしている椿は「なんだ」と低い声で返事をした。クレマリーと違ってコイツはとことん態度に出る奴だ。天才のくせに分かりやすい。顔につまらないと書いてある。つまらん事ないやろうが。危うく死ぬところやったんやぞ。


「拗ねないでくれ」

「拗ねてなどいない」

……お前の腕を見込んで、頼みがある。天才の出番だ」

「ほう?言ってみろ」

「オペだ。今からイアサント・マルシャンの腫瘍摘出手術を行う。場所は心臓……お前は心臓血管外科の嘴馬医師のもとで修業をしているのだろう。専門の者が居た方が心強い────手伝ってはもらえないか」

「成る程?……面白い」


椿の瞳に好奇が戻る。強い光を宿したオッドアイが、臨床の経験に飢えていた。彼女は右手を顎に遣って「心臓か」と呟くと、クレマリーの方を見て口角を持ち上げた。


「私は医学における万能の天才であるが、手術には助手が必要だ。名医も名探偵も、自分の才能に溺れてはならない。一人で全てを完結出来ると自惚れてはならないのだ」

「返事はYesと受け取ってもいいのか?」

「勿論だとも。死力を尽くそう────クレマリー」


二人の天才が、此処に盟約を果たした。
彼を蝕む脅威など、この赤き英雄達の前では脅威にならないだろう。
満月が、穏やかに俺達を見下ろしていた。
天の川が、彼女達の手術の成功を祈っていた。


「救急車呼びましたンで、もう着くと思いますよォ」


大河がスマートフォンをゆらゆらと揺らしながら伸びやかにそう告げる。遠くから、劈くサイレンの音と紅い警光灯が近づいてくる。
丑三つ時は、終わりを迎えようとしている。百鬼夜行の魔の時間は、終焉を迎えようとしている。それを乗り越え、俺達は未来を見据えて祈る。
この咎人にも、救いがあらん事を、と。