riririnf
2025-03-01 11:52:45
10620文字
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Ouverture

開幕。
フリーナ水神就任演説前後(1幕・2幕)及びヌヴィレットとの出会い捏造幻覚。



 フリーナはソファーの柔らかさに身を委ね、就任演説の熱を冷ます──なんてことは、当然出来ない。
 まだ周囲には人がいる。彼らがいる限り、気を抜いてはならない。
 ……はやく、部屋に戻りたい。
 はやく、ひとりになれるところへ。
「フリーナ様」
 床に落ちかけた視線を、枢律庭の男の声が引き止める。
……なんだい?」
「演説が終わったにも関わらず、歌劇場に残り続けている者がいるのです。早く帰れと何度も言っているのですが、その……水神様に呼ばれたと、その一点張りで」
 フリーナはひとつ瞬いた。ああ、そうだった。今日はまだ一つ、大切な仕事が残っていた。
 『鏡の中の僕』より直接伝えられた大仕事。彼女が招いた特別ゲストのおもてなし。
 就任演説での綱渡りに気を取られ、すっかり次の予定が吹っ飛んでいた。
「ああ、今行こう。「彼」には心当たりがある」
 神さまの手を煩わせるなど、またも不興を買うのではないかと恐れていたのだろう。快く頷いてやれば、明らかに表情が和らいだ。
 ……よかった。
 疑われないために神らしくあることは大切だが、過度に怖がらせたい訳ではない。
 そっと息を吐き出し、立ち上がる。
「キミたちは付いてこなくていいよ。「彼」と僕との間に、護衛なんて不粋はいらないからね」
 ひらりと手を振り、ひとり歩き出す。「彼」とは込み入った会話になることが予想されるから、誰も同行させられない。
 『僕』から聞く限り、七神とは色々とあるのだと聞いているが、フリーナだって何の用意もせずにこの時を迎えた訳ではない。
 最初の挨拶からその後の話題、おもてなしの準備だってバッチリだ。昨晩寝ずに考えて、カンペだって用意している。
 こっそりポケットの中のカンペを探りながら──気付く。
 これは舞台上で「水神」というキャラクターを作り上げる前に、考えられたものであるということに。
 誠心誠意を込めた丁寧な挨拶。その後の友好を求める素朴な会話。どれも本心からの言葉ではあるけれど、とても「水神」らしい台詞とは思えない。
 ……えっ?これ……まずいんじゃないかい?
 ポケットから手を出す。中のカンペはたった今、ただの紙切れと化した。
 ……も、もう少し待ってもらう……
 再度カンペを作り直すための、いわゆる時間稼ぎ。けれど──なんて言って?
 もう神らしく颯爽と歩き始めている。今更歩みを止められない。ちょっと言い訳を考えつかない。
 ……ど、どうしたらいいんだ……!?
 流れる汗を止められない。視線がきょろきょろ泳ぎそうになる。
 それでも、歩き続ける。真っ直ぐに前を見て、小気味よくヒールの高音を鳴らし、背筋を伸ばして流れる銀糸を従えながら。
 
◇◆◇◆
 
「やあ、お客人。待たせてしまって、すまないね」
 軽やかな声に、伏せていた瞼を上げる。
 どうやら目当ての存在が現れたらしい。
 『すまない』。それは謝罪の言葉。しかし目の前で唇を弧にする態度に、その意はまるで込められていなかった。
 正直なところ、『待たされた』と言えるかは判断がつかない。
 己が生まれた意義さえ分からず、無為に過ごした五百年以上の日々を思えば、この程度は比較にもならない。
 それに元々この身に流れる時は長いのだ。その観点からも、この席に座っていた時間はあってないようなもの。
 途中人間──あれは雄であったか──に何度か囀られはしたが、なんら問題は無い。
 力無きものほど、よく喚く。かような矮小な存在に気を揺らすほど、落ちてはいない。
 そう考えると、ひとつ腑に落ちる。つまりは逆説的に──我が権能を掠め取った怨敵──「水神フリーナ」は決して矮小などではなく、だからこそ無視することは難しい、と言えるのだと。
 だからこんなにも、胸に不快なさざ波が出来ていく。
……えっと……?」
 水神は眉尻を下げて首を傾げる。さっそく意味が分からない。何故そのような仕草を取るのか。
……なぜ、そのような動きをする」
「え?」
 疑問のままに訊ねれば、色違いの青い瞳が見開かれた。そしてまたも首を傾げる。
「それだ。なぜ首を動かす?」
 鈍い反応に、再度指摘してやる。水神はぱちぱちと瞬きをして、三度目になる動きを繰り返す。
……なぜって……、キミの言動が分からないからだけど……?」
「なに?」
 つまり、同じことを考えていた?これはどういうことか。益々疑問が増えてしまった。
 ただそれが声に出ただけだと言うのに、水神はびくん、と肩を震わせた。
 ただでさえ謎が解決していないのに、新たな疑問を増やしてくる。なんと面倒な存在か。
「今度の動きはなんだ」
「な……っ、なんだって、そりゃ……、」
 声までもを震わせ始めた水神は、しかし話す途中で言葉を切った。そして小さな拳を自らの口元に持っていく。
「コホンッ……、どうやらキミは問いかけ遊びが好きらしい。──いいよ、答えてあげよう」
 本当に何を言っているのか。普段あまり動かしている覚えのない眉間が寄っていくのが分かる。
 水神はまたも小さく肩を跳ねさせながら、それでも今度は声を震わせず、回答を口にした。
「こちらが話しかけているのに、返事もせずに、ただこちらを見つめてくるんだもの。そりゃあ訳が分からないし、首を傾げもするさ」
……返事?」
 思いも寄らない解に、そのままを繰り返す。またも水神はぱちり、と瞬いた。
「そう、返事。……うん?キミもしかして、あまり人と話したりしないのかい」
 またも同じ仕草。これで四度目。
「なぜ人間との会話を引き合いに出す?君は神だろう」
 そしてまたも疑問が増える。
「え!?……あ、ああ、そう!そうだよ、そうだけど!」
 今度は音量が跳ね上がった。そんなことをしなくとも、ちゃんと聞こえている。つくづく訳の分からない不合理な存在だ。
 さざ波が激しくなる。不愉快なそれに目を細めれば、更にびくりと小さな肩が跳ねた。
 ……なんなのだ。
 水神自ら人間について口にしたことで思い出す。権能によって読み取るこれは、多くの生命が向けてくる感情と同じもの。
 ──怯え。生存本能に刻まれた、危険を察するための機能。
 神が、龍に、怯えている。
 滑稽だ。何もかも。権能を掠め取った罪を持つ存在が、脆弱なものであることも。
 かような弱き者の招待に一縷の望みを掛け、こんな所まで足を運んだ自分も。
「あー、その、なんだ……
 色違いの青い瞳が忙しくなく泳ぐ。
「神とは、人間を導くもの。その為には人間を知らなきゃいけない。──そう、だから僕が人間を引き合いに出すのは、なんらおかしなことではない。会話はコミュ二ケーションの基本だからね!」
 胸を張り、高らかに宣言される。いつの間にか瞳の泳ぎも収まっている。
 けれどもその変化こそが忙しなく、五百年以上に渡り停滞に浸っていた自分には、どこか落ち着かない。
 しかしそんなざわめきよりも、捨て置けないことがあった。
……神と龍にも、それが当てはまると?」
 会話という、人間の営みが?
「それは私たちが、人間と同じ姿かたちをしているからか?」
 どちらも人ならざるものでありながら、人を模した器に精神を宿している。
 それこそが己が持つ最大の矛盾であり、謎。
……どうだろう」
 水神は指を手に当て、顔を僅かに斜めに上げた。その視線はどこを見るでもなく、緩やかに揺蕩っている。
……その理屈では、姿かたちが異なるものとは、会話をしなくていいということになってしまう」
 色違いの青い瞳がこちらに戻る。そして口元の指が、ゆっくりと滑り落ちていく。
「そうだね…………心が、あるからじゃないかな?」
 指先は胸元に──心臓の辺りで止まる。……いつの間にか、指の行方を辿っていたらしい。
……心」
 それが、神と龍と、そして人間との共通点だというのか。
 納得とはいかない。ただ、否定もしきれなかった。
 己が権能は、人の感情を容易く拾い、共鳴する。しかし、その感情の正体までは分からない。故に、なんの足しにもならない。そう考えていた。
 けれど今、目の前の神の言葉が、確かに己を……心を、揺さぶっている。
 あの日受け取った手紙には、文面からも滲み出る自信満々な素振りで、こう書いてあった。 「最大の劇場で、最高に見晴らしの良い席をキミのために用意しておこう」と。
 見晴らしの良い席──最前列中央のこの席で、今日、神の演説を見た。
 揺れる色違いの青い瞳が次第に定まって、激しいさざ波を伴いながら、それでもなにか、決して揺るがぬ熱情を秘めた宣言を聞いた。
 ……なぜ、君は、
……私は多くの疑問を抱えている」
 知りたいと、そんな欲求が水面に落ちた。
「なぜ、かような姿で生まれ、この長き命がどこへ行き着くのか……、それすら分かっていない」
 それは生まれ落ちた瞬間からの命題。
「まるで初めから、なにかを忘れているかのようだ」
 彼女は、なんと答えるのだろう。
 果たして、彼女は。
「──なら、」
 彼女は唇を上向かせた。
「答えを探してみてはどうだい?」
 落とされた雫は、なんの不純もない、ひどく純粋なものだった。
 言葉通り。なんの裏もない。
 分からないなら、探せばいい。それだけ。
 だからこそ──とても、分かりやすかった。
……いいだろう」
 席から立ち上がる。当然、色違いの青は遠くなる。
 その現象になにか不可思議な波紋を見つけながらも、告げる。
「──君の招待を受けよう。……フリーナ」
 この短かな会話だけでも、収穫はあった。五百年以上の停滞が、動き出す気配を感じた。
 ならば、この流れに身を投じるべきだろう。
 分からなければ、探すのだ。
 その為ならば、七神を審判するという我が使命を押し込めて、一時仇敵のもとに下ることすら、飲みくだそう。
「本当……っ?」
 フリーナの顔が明るく綻んだ。色違いの青い瞳に、輝きが散るのが見える気がする。
……二言はない」
 彼女の気配──神の気配とは、呪いに似ている。
 だからだろう。視界に映る女神の姿が、呪いかのように、しみるのは。

◇◆◇◆

 一日のすべてが終わり、フリーナは自室のベッドに沈み込む。柔らかで滑らかな心地良さに、やっとひとりになれたのだと実感する。
「こ……っ、……ッ!」
 思わず吐き出しそうになった本音を、両手で押さえて飲み込んだ。
 フリーナの使命は、神を演じて天理を騙すこと。ならばその天理とは、どこから、どこまで、見ているのか。
…………
 気づけば浅くなっていた呼吸を、吸っては吐いてを繰り返して宥めていく。
 そうでなくとも、扉の向こうには護衛役がいるのだ。余程大きな声を出さない限り聞こえることはないだろうが、それでも迂闊に思考を声にするものではない。
 いつの間にか癖づいて、人のいるところでも口に出てしまっては困る。それこそ今日のように。
 ……悪いことをしてしまった……
 『うるさい』だなんて口にして、皆を怖がらせてしまった。
 今後、口にする言葉にはもっと慎重になるべきだ。うっかり心情が漏れださないように、もっと考えてから話すべきだ。
 ……気をつけよう。
 こうやって反省会をしていこう。そうやって、もっともっと神さまらしくなって、疑いの声を消していこう。
 そうした努力が「軌道」に乗る頃には、『僕』の言う、盛大で、美しい歌劇のような、全てを終わらせる審判を迎えられるだろうか。
 ……なにを考えているんだ、フリーナ。まだ、たった二日だぞ。
 『僕』から使命を託されてから、まだたった二幕。終幕を意識するには、あまりにも早い。
 今はまだ、一幕一幕を丁寧にこなすことだけを、考えていくべきだ。
 例えばそう、今日正式に招待に応じてくれた「彼」のことだとか。
 神の力の起源たる水の龍王。彼……、彼は…………
 ……怖かった……
 どっと汗が吹き出す。震えそうになる身体と声を、一生懸命押さえ込もうとしたけれど、その努力は実っていたのかどうか。
 なにせフリーナの正体がバレてしまったり、あるいは彼の機嫌を損ねて招待を断られてしまえば、『僕』の計画が途絶えてしまう。
 水神として、彼をフォンテーヌの最高審判官に据えること。それが『僕』から託された仕事のひとつだ。
 ……大丈夫……だよね……?ちゃんと、出来ていたよね……
 最初なかなか返事をしてくれなかったり、睨んできたり、訝しげな声を出したり、とにかくリズムが独特で、なんにも掴めないことが恐ろしかった。
 かと思えば、急に鋭くフリーナの正体に迫るような質問をしてくるものだから、一瞬たりとも気が抜けなかった。
 けれど最後には首を縦に振ってくれた。だからきっと、大丈夫。
 明日からは彼を最高審判官にするための猛特訓だ。フォンテーヌの法知識を覚えてもらって、あと、それから……
「一般常識も、かな……
 思わず声に出てしまっていたが、これくらいは構わないだろう。仮にフリーナが本当に神であっても、同じ言葉を口にした筈だ。
 歌劇場での会話もそうだったが、その後食事を共にした時も、彼は規格外だった。
 我が国最高のシェフやパティシエに作らせた贅を尽くした料理でもてなそうとしたのに、彼は生まれてこの方、水しか口にしたことがないだなんて言う。
 当然フォークやナイフの使い方なんて知らないし、「この“服”というものは、いつまで着ていればいい」なんて言い出す始末だ。
 服は『僕』が送った手紙に同封されていたから、なんだこれはと思いつつも仕方なく袖を通した、とのことで、よくよく見ればシャツのボタンをかけ違えているのにフリーナは気付いてしまった。
 フリーナもまだ生まれて二日目だから、常識が足りない部分もあるかもしれないが、それにしたって、あれはない。
「はぁ……
 今日の様子を見るに、先は長そうだ。流石にため息くらい、つかせて欲しい。神さまだって、それくらいする。
 ……でも……
……綺麗だったなぁ……
 彼の性格上、間違いなく手入れなんてしていないと思われるのに、それでも艶やかに輝く銀の長髪。どこか気品漂う顔立ちに、悠然たる立ち姿。
 フォンテーヌ紳士のように洗練されてはいないけれど、一つ一つの動作に迷いがなく、自信と威厳に満ちていた。
 龍であるのに人の姿をしているのだと、事前に『僕』から聞いて知っていた。でも、あんなにも美しいひとだなんて、思わなかった。
 ……見習わなきゃな……
 フリーナという神さまも、かくあるべきなのだろう。彼のように堂々と、自信に満ち満ちた態度でいるべきだ。
 神とは天上の存在。そしてかつてテイワットの頂点にあったという龍も、また。
 それにフリーナと彼には、もうひとつ共通点がある。
 ……寂しい目をしてた。
 まるで寄る辺のない迷子のような。
 フリーナは今日、共に歩み悩んでくれる隣人たちを失った。フリーナ自ら突き放した。
 彼となら、隣人になれるだろうか。そう願うことは、許されることだろうか。でも、それは…………
 ……………………つかれた。
 意識した途端、身体がズシリと重たくなった。
 今日はもう、寝てしまおう。明日からも、この途方もない舞台は続くのだから。
 フリーナは迫る疲労の波に身を委ね、引き摺り込まれるかのように目を閉じた。






 ────なんてことを、今頃キミは考えているのかな?フリーナ。

 今日は本当に素晴らしい演技だったよ。初舞台とは思えない。
 水龍だって釘付けさ。

 ……フリーナ。完璧なキミ。僕の理想。

 信じているよ。キミならば、僕が作り上げた舞台に立ち続け、踊り抜いてくれるって。

 例え果てなき昼夜を越えることになろうとも、潮にさらわれ大海に呑み込まれそうになろうとも。
 盛大で歌劇のような審判──いつか舞台の幕が降りる、その日まで。

 時は来た。役者は揃い、観客席も満員御礼。
 
 では僭越ながら、この僕が号令を。

 さあ、

「──開幕だ」