riririnf
2025-03-01 11:52:45
10620文字
Public
 

Ouverture

開幕。
フリーナ水神就任演説前後(1幕・2幕)及びヌヴィレットとの出会い捏造幻覚。

「フォカロルス様」
 遠慮がちに発された声に、フリーナは振り返る。そこには何だか立派な服装の人達が数人立っていた。
……?」
 『鏡の中の僕』との会話を終えたばかりのフリーナは、その内容の衝撃と、あまりの情報量の多さに頭が疲れていた。
 だから彼らに、こんにちは、と挨拶をするのも少々億劫で、ぼんやりと彼らを見つめ返した。
「あの……、フォカロルス様?」
 一人の男性が意を決したように前に出る。おそらく彼らのリーダー格なのだろう。その目は何故かこちらを向いていて、フリーナは話しかけられているのは自分だと気が付いた。
 ……でも、なんで?
「僕は、フリーナだよ……?」
「は……?」
 どうして、フォカロルス、なんて呼ぶのだろう。
 ぽかん、と口を開けた男性にフリーナは首を傾げる。
「貴方は、魔神フォカロルス様では……?」
 ……あっ!!
 そうだった、自分はこれから『鏡の中の僕』に言われた通り、神の振りをしていかなければならないのだ。そして、フリーナが演じる神さまの名前が、フォカロルス。
 予言やら何やら、『僕』から伝えられることが大変すぎて、そんな簡単なことが抜け落ちていた。大失態だ。まだ何にも始まっていないのに、もう正体がバレてしまう。どうしよう、どうしよう……
「ああ、もしかして、人間名というやつですか?他国の神も、たまに別名を名乗ることがあるそうですね」
 例えば岩神モラクスは、璃月では岩王帝君と呼ばれているそうですよ、とリーダー格の男性の少し後ろで、小柄な女性が説明してくる。
 フリーナはその言い訳に飛びついた。
「えっと……そ、そうだよ、僕は、『フォカロルス』……、だけど、フリーナという名前でもあるんだ……
「な、なるほど……?」
 たどたどしく口馴染みのない名前を一生懸命名乗るフリーナは、後から思えば怪しいことこの上なかったが、まさか人間が神に成り代わるなんて荒唐無稽な冒涜を、彼らは思い浮かべもしなかったらしい。戸惑いながらも納得してくれて、フリーナは胸を撫で下ろす。
 なんとか生まれて初めてのピンチを乗り越えたフリーナは、枢律庭と名乗る彼らから、様々な情報をもらった。
 ここはフリーナ──水神の私室で、しばらく入ってくるなと言われていたが、それでもあまりに長い時間篭っているので、流石に心配になり、また今後のスケジュールに差し障るので、不敬を覚悟で、仕方なく入室してきたとのことだった。
 罰なら私に、と神妙な面持ちで進み出たリーダー格の男性に、そんなことしないよ!と納得してもらうのには少し苦労した。
 また明日はエピクレシス歌劇場の完成記念セレモニーがあり、そこで同時に水神の就任挨拶を実施予定なので、その最終確認をこれから行うこと。そして歌劇場の建設も、就任挨拶の実施も、水神──つまりフリーナの指示によって進められたことになっている。
 枢律庭による神の認定を受けたのも『鏡の中の僕』のようで、お陰で『僕』と瓜二つのフリーナは、疑われることなく神として接してもらえているようだった。
 どうやら『鏡の中の僕』は、フリーナという存在を生みだす前に、色々と手を回していたらしい。
 聞いていたこと、いなかったこと、様々な情報を流し込まれて、フリーナの頭はもうパンク寸前だ。
 でも、それでも、やらなければならない。
 フリーナが頑張らなければ、フォンテーヌは予言の通りに水に沈んで、皆死んでしまうのだから。
「では、失礼いたします。明日に向け、ごゆっくり休まれてください」
 枢律庭が去って自室に残されたフリーナは、目の前の大きな全身鏡を見つめる。
 そこにもう、『僕』はいない。映り込むのは、いつの間にか伸びていた、『僕』を思い出させる程に長い髪。
 ……ううん、最初からこの長さだったのかも。
 きっと『僕』と話したあの場所は、所謂精神世界というものだったのではと、フリーナは推測を立てていた。
 でなければ、人間の髪は急に伸びたりなんかしないし、気が付いたら自室にワープしたりなんて、有り得ない。
 そもそも『僕』の言う通りなら、フリーナが神を演じることは、誰にもバレてはいけない秘め事。ならば現実世界で計画の打ち合わせをすること自体が、相当なリスクである筈だ。
 だから現実世界である此処では、もう『僕』に会うことは出来ないのだろうと、フリーナは何となく気が付いていた。
 それはとても心細いけれど、仕方の無いことだと納得もしている。
 『僕』もフリーナの心許なさが分かるから、腰まで流れる白銀の寄る辺を与えてくれたのかもしれない。
 ……長い方が、神様っぽく見えるものね。
 この髪は、言わばお守りだ。
 本当に、自分に神を演じるなんて、大それたことが出来るのか。怖くて不安で仕方がない。
 だから見た目だけでも、それらしく見せられたなら。真実神性に溢れていた『僕』のように。
……頑張らなきゃ」
 まずは、明日を乗り切ろう。フリーナは自身の長い髪をひと房とって、そっと胸の前に抱え込んだ。

◇◆◇◆

 ……お、おわった……
 水神の就任挨拶が、終わった。
 歌劇場のステージの上で、なんとか「理想の神」を演じて乗り切ったそれは、いわばフリーナの初舞台。
 舞台袖を抜けて控え室に戻ったフリーナは、扉の前で呆然と立ち尽くす。
 ……もう、ダメかと思った……
 観客の疑いの眼差しを思い出してしまい、背筋が凍る。
 登壇前までのフリーナなら、ここで一気に気が抜けて、目の縁からじわりと這い寄る熱さに身を委ね、その場に蹲っていただろう。
 でも、今はもう、そんなことは。
「フリーナ様、素晴らしい演説でした。まさか、昨日から演技をしてらしたとは。いや、お見逸れしました」
 枢律庭の長たる男が、感心しきりの様子で褒め称えてくる。
 昨日はおどおどした人だと思っていたけれど、実のところ、フリーナの神らしくない態度に戸惑っていただけだったらしい。
 確かに『鏡の中の僕』──フォカロルスは、実に堂々とした態度で、全てを見透かすような超然とした雰囲気を持っていた。
 間違っても人間のご機嫌を窺ったり、意見を仰いだり、なんてことはしないだろう。
 理想の神さまがほんの数時間部屋に篭もったのを境に、まさしく人間の小娘になってしまったのだから、それはもう大混乱だろう。
 それでも『僕』の威厳を覚えていた彼らは、今日の観客達のように、あからさまな疑いの目を向けてくることはしなかった。
 豹変には何か理由がある筈──それこそ神のみぞ知る、何かが。そう信じて、追及してこなかった。
 それは幸いにも運命の歯車が噛み合い、味方してくれただけのこと。ただの、運。
 つまりフリーナは生を受けたその瞬間から、知らぬうちにギリギリの綱渡りをしていたらしい。
 ──なんて、恐ろしい。
 指先が冷えていく。いや、もっと前から、舞台上で神を演じたあの瞬間から、もう血なんて通っていない。
 心臓がバクバクとうるさい。左胸を越えて、脳天にまで響いてくる。そのせいで目の前の男の浮かれた様子の台詞が、ちっとも耳に入ってこない。……ああもう、本当に、
「──うるさい」
 途端水を打ったように、シン……、と控え室が静まり返った。
 ひゅ、と息を呑みそうになるのを、すんでのところで堪えた自分を、心の底から褒めてやりたい。
 目の前の男は顔を真っ青にしている。神の不興を買ったと、思い込んでいる。
 ……違うんだ。うるさいっていうのは、キミに対してじゃなくて、僕自身のことで────なんて、今はもう、そんなこと、言えるわけがないじゃないか。
 だから、ここで絞り出すべき回答は「ごめんなさい」でも「気にしないで」でもない。
「──そんなに大袈裟に褒めちぎってくれなくても、僕の素晴らしさは、僕自身が一番理解しているさ」
 不遜に唇を形作って、吐き捨てる。
 ──これが、正解。
 カツン、とヒールを鳴らして一歩を踏み出す。広い控え室に響く高音に、人間たちが息を呑む。
 枢律庭の数人に、水神のお世話の為に待機していた世話人ら、皆が揺れる銀糸に釘付けになる。
 ……長い方が、神様っぽく見えるものね。
 図らずもフリーナのウォーキングを演出してくれる長い髪。これをくれた『僕』に心の底から感謝する。
 そうしてゆったりと歩いたフリーナは、目当ての場所に腰掛け、脚を組む。
 豪奢な誂えのソファは柔らかくて、この心地よさが、演説前の不安をほんの少し和らげてくれたものだった。
 大丈夫かな、上手く出来るかな、とあからさまにそわそわしていたフリーナに、優しく話しかけてくれた人もいた。
 フリーナは目を細める。ほんの数刻前のことなのに、もう遠い昔の出来事のように感じる。
 誰も彼も、優しく話しかけてくれたあの人も、今は緊張、恐怖、怯え、そんな色を宿してこちらを見ている。そしてそんな視線に、身体が強ばりそうになるのを必死で耐える。
 フリーナは気づかれないように慎重に息を吐き出しながら部屋をぐるりと見回して、今度は、はっきりと分かりやすい笑みを作ってみせた。
……とはいえ、麗しの神を崇めるその意気やよし──これからも、その心を忘れずにおくといい」
 張り詰めた水面に一石を投じて、とぷん、と皆の心に入り込むと、ほう……っ、と控え室の緊張が一気に解けていく。
 神の不興を買った哀れな男の顔に血色が戻っていく。
 彼らはもう、フリーナと共に歩いてくれる隣人ではない。彼らは────、

 ……僕が必ず……キミたちを守ってあげるから。

 フリーナは今はっきりと自覚した。
 自分は──フリーナ・ドゥ・フォンテーヌは、「神」であらねばならないのだと。