nuka_boshi
2022-11-24 20:18:14
12043文字
Public すとぼ関連
 

【StoryBox派生自己解釈二次】アナザー祝祭前夜_裏【すとぼ二次創作】

すとぼづめvol.2ことすとぼアンソロ2に寄稿した作品の、スピンオフのような短編です。
自己解釈強めな、アナザーアリスと祝祭前夜のクロスオーバー。たぶん寄稿した方の漫画を見なくても楽しめる筈だと思うので、あまり細かい事は気にせずにお楽しみください。

アナザー祝祭前夜〜交差する物語〜


 恋とは儘ならぬものである、とはよく言ったものだと思う。全くその通り、僕にとって恋ほど厄介なものもない。――なんて僕が口にしたら、恐らく周囲の人々は熱でもあるのかと心配するに違いない。それくらいに、僕の恋は順風満帆だと、誰もが口を揃えて言うから。「初恋は実らぬもの」なんていう世間一般の格言とは裏腹に、僕は初めて恋した相手と想いが通じ合っているし、明日には祝祭の儀を控えている。――念の為補足しておくと、祝祭の儀とは夫婦めおとの契りを交わすことだ。
 そう考えれば確かに僕の恋路は順風満帆だ。叶わぬ恋に身を焦がす人々の苦悩など少しも経験した事がないし、間違いなく毎日がこの上なく幸せだから。
 では何故こんな事を言い出したかと言うと、それはひとえに僕の婚約者――リンが可愛すぎるせいである。
 リンはそれはもう可愛らしい。世界で一番可愛いと言っても全く過言じゃない。コロコロと変わる表情が新しい色を見せる度に僕は理性を揺さぶられる心地を味わう。そのつぶらな瞳を潤ませてこちらを上目遣いで見てきた日には、可愛らしいお願いを全て聞いてあげたくなる。何か見つけるたびに目をキラキラさせて僕にも教えてくれる所なんか、猛烈に抱きしめたい衝動に駆られる。お馬鹿な所も可愛らしい。それは無いだろとツッコミたくなるような誤解をしていたら、頭を優しく撫でて正解を教えてあげたくなる。その無邪気な瞳が僕以外の男に興味を向けた日には、毎回心の中でその男を絞め殺してしまう。とにかくこれ以上ないくらいにでろでろに甘やかして、僕無しでは生きられないようにしてやりたい。
 こんな事を言えば同じ部族のティルタには、「君は相変わらず愛が重いね」と呆れられるだろうが、僕はそれだけリンにメロメロなのである。リンは僕の事を大好きだと言ってくれているけれど、僕の方がその何億倍もリンの事を好きだと思う。断言できる。
 そもそも、好きだとか、愛してるだとか、そんな陳腐な単語で語り尽くせるほど安い恋はしていない。僕にとってリンは世界の全てに等しい。僕らの部族が崇める神聖な湖も、空に浮かぶ満月だって、リンの可愛さには全く釣り合わない。そのくらいリンの可愛らしさは尊いのだ。
 漸く星に告げられた儀式の日取り、待ちに待った僕らが結ばれる日、その日を前にそわそわと落ち着かない君を見つめながら、僕は平常を装い努めて「頼れるレン」であろうとした。だというのに。儀式を明日に控えた今日になって、投げ捨てられた儀式の衣装を抱えたティルタから「リンが行方をくらませた」などと告げられるとは、果たして一体誰が予想できようか。
 行方をくらませた理由はもう分かっている。儀式の日に踊らねばならないと知って以来、リンはずっとため息をついていたし、今朝は僕に直接「儀式をやめよう」と言ってきたから。
(十中八九、祝祭の儀で失敗したらと思って不安になったんだろうな……
 所謂マリッジブルーというやつである。……とも一概には言えないのか。リンにとって一番の不安要素は、リンが踊りを苦手としている事だから。今朝は「僕が手を引くから安心して」と伝えて、それで安心したように見えていた。けれど時間が経つにつれてやっぱり段々心配になってしまったのだろう。
 祝祭の儀には伝承がある。詳しい話は省くが、二柱の神に歌と踊りを捧げれば、永遠に結ばれるというものだ。
 こうした伝承では、往々にして失敗は許されない。失敗すれば、永遠に結ばれるどころか儀式を取り行ったその恋人たちは離別する――なんて噂があるのだ。
 要するに、リンは僕と離れ離れになる事を一番恐れているらしい。だから、たとえ結ばれることが無くても共に居られる今のままでいようとするのだろう。なんといじらしく、なんと可愛いのか。僕のリンが可愛すぎてつらい。
 これほど可愛らしいリンを前におあずけを食らうなど、一体誰が我慢できようか。何がなんでも儀式を成功させてやる、例えリンが踊りを失敗しようとも僕が全力でカバーする。それでも僕らを引き裂くつもりだというなら、例え神だろうが伝承だろうが、そんなものは引きずり堕として打ち倒してやろうじゃないか。そう心に誓ったにも関わらず、リンは精一杯身を引こうとする。全ては、僕を愛するが故に。嗚呼、なんという理不尽。本当に、恋というのは儘ならない。厄介にも程がある。
 必死にリンを探しながら、僕は彼女にかける言葉を考える。僕は僕の物語を悲恋になどしない。どんな手を使ってでもリンと添い遂げてみせるのだから。
――って、あれ?」
 ふと戸惑い立ち止まったのは、森の中の景色が見覚えのないものになっていたから。広い野原と、やけに背の高い草花。変わった形の草花の向こうに見えるのは、人間の背丈ほどもある巨大なキノコ。これではまるで……
……まるで絵本の中の世界みたいだ」
 リンが見たら喜んだかもしれない、可愛らしい光景だ。だけど、胸が騒めくのは何故だろう。一見すると愛らしい、御伽噺じみた景色が、どこか不気味に映るのは――
 僕は生唾を飲み込み、それでも草をかきわけて歩き出す。もしリンもここに迷い込んでいるのならば、一刻も早く見つけて連れ戻さなければ。
 ふと、巨大なキノコの上に金髪の少女の影を見つけて僕は勢いよく顔をあげた。
――リンッ! 探したんだよ、早く一緒に……
 帰ろう、と言いかけた言葉は虚空に消えていった。何故なら、巨大なキノコに腰掛けて本を読んでいたその少女は確かにリンと同じ金色の髪をしていたけれど、決してリンではなかったから。
 桃色のワンピースに黒いエプロン、頭には大きな黒いリボンを結んだその少女は、億劫そうにこちらにその瞳を向ける。
――あぁ、貴方なのね。招かれざる客人は」
 顔立ちは確かにリンに似ていた。髪型だって、髪の色だって、リンにそっくりだった。けれども、決定的に別人だと分かったのは、その瞳のせいだった。まるで全てを飲み込むような、虚無の瞳。まるで何もかもを諦めたかのような、空虚な瞳――
「ようこそ、私のセカイへ。
私を目覚めさせないなら・・・・・・・・・・・、歓迎してあげるわ」
 見知らぬ少女アナザーアリスは、空虚な笑みを浮かべてそう言った。

 ――時計の針は廻る。くるくる、くるり。

◇◆◇

 最低限の自己紹介を終えた僕は、挨拶もそこそこに目の前の少女――アリスに問いかける。
「ええと、アリス……だっけ? リンって女の子を探してるんだけど、見てないかな? こう、ちょうど僕と同じ年頃の、君に似た髪型で――
……あなたと同じような民族衣装を着た、馬鹿っぽい――いえ、子供っぽい子の事?」
「知ってるの⁈」
 キノコから降りてきたアリスが当然のようにそう問いかけてきたものだから、思わず大きな声をあげてしまう。驚かせてしまっただろうかと不安になり伺うも、アリスは全く表情を変えず、思案の姿勢ポーズをとった。
……そうね、今し方どこかの道化師に保護されたところみたいだから、問題は無いと思うけど。不安なら案内しましょうか?」
「いいの!?」
 願ってもない話だ。思わず食いついた僕に対し、アリスは呆れたようにため息を吐いた。
「だって貴方、そうでもしなきゃいつまでもこの世界に居座るでしょう? ――迷惑だわ。案内してあげるからさっさと連れを見つけて帰って頂戴」
 心底迷惑そうな物言いに、僕は戸惑う。確かにリンを連れ戻すまではどんな場所であろうとも帰らないつもりだったが、それにしたってなんという言い方だろう。もう少しこう、遠回しに言うとか――
「どうしたの?」
 表情だけなら一見人形を思わせるほど空虚だというのに、まるでこの世は自分の為に用意されているとでも思っていそうな程に、尊大不遜だ。十余年生きてきた中でも、このようなタイプの人間には出会ったことがない。だけど――
「ううん、なんでもないよ」
 だけど、なぜだか嫌いじゃない。不思議とそう思えたのは、この奇妙な空間セカイを歩く彼女があまりに堂々としているからだろうか。奇妙なセカイと不思議なアリスはあまりにも調和していた。――まるで、なにかの絵本の1ページみたいに。

 ――斯くして巡り合った二つの物語は混ざり溶け合い、歌い出す。くるくる、くるり。

◇◆◇

 野原を抜け、赤い薔薇のアーチをくぐり、僕はアリスについていく。……アリスはずっと無言だ。
「それにしても不思議なところだよね、ここ。一体どこなんだろう」
 沈黙に耐えかねてそう尋ねると、アリスは振り返ることなく言った。
「ここはもう一つの不思議の国。永遠に繰り返される、狂ったおとぎ話のセカイ。……って言っても貴方にはわからないでしょうね」
 全くもってその通り、さっぱり分からない。僕は苦笑いで応じる。
「でも、すごいよねここ。ほら、あそこの綺麗なお城なんか、リンが見たら絶対喜びそう――
「あまりそちらに近づかない方がいいわよ」
「え?」
 もしもこの場所セカイのことを事前に知っていた者が居たならば、不用意に生垣を覗き込んだ僕を愚かだと嗤ったかもしれない。それほどに僕の行動は軽率だった。例え、僕の知る常識では当たり前の、何気ない行動であっても、この狂ったセカイでは軽率だったのだ。
 生垣の向こうに見えた景色は、あまりに鮮やかな赤色だった。綺麗な赤色が、空を舞っていた。その向こうには、頭に冠を頂いた笑顔の少女と、首を無くして赤く染まった――
「うっ――
「だから言ったでしょう。馬鹿ね」
 思わず叫びかけた僕の口を塞いだのは、アリスの暖かい手だった。アリスはピクリとも表情を変えず、冷たい空虚な瞳で僕を見ていた。相変わらず人形のように表情を見せないアリスを、ただ彼女の手の温度だけが生きていると証明している。
 大きな音を立てて脈打つ心臓、震える身体。衝動的に漏れ出しそうになる悲鳴を、出会ったばかりの少女の小さな手が辛うじて留めている。恐怖に潰されそうになる僕の心を、生きている人間が側にいるという頼りない事実だけが支えている。――まだ大丈夫。僕は生きてる。――あの光景は、僕とは無関係の――
……落ち着いた?」
 そんなわけがない。初めて見た『死』の光景に、僕は必死に涙を拭う。アリスは肩をすくめると、唇に人差し指を当てながら囁いた。
「落ち着かなくてもいいから暫く黙ってなさい。クイーンに見つかると面倒だわ」
 腰を抜かした僕を引っ張り起こし、アリスは相変わらずの無表情で僕に手を差し伸べる。
「さっさとここを抜けてしまいましょう」

 ――針は廻る。くるくる、くるり。

◇◆◇

 悪夢のようなばしょから少し離れた場所、一見普通に見える木々の根元で、僕は吐いた。盛大に吐きながら、僕はふと考えてしまった。あの時潜り抜けた薔薇のアーチ。僕はあの薔薇を鮮やかな赤色だと思ったけれど、本当は何色だったのだろう。首を失った兵士の身体。舞い踊る赤、赤、赤。その赤色と、あの薔薇の色は同じ――
「余計なことは考えない方が良いわよ」
 ぴしゃりと言い放たれた言葉に、僕は思わず顔をあげる。
……なんで君は、平気なの?」
 息も絶え絶えな僕の口から無意識に出た言葉。それが責める口調になってしまったことに後から気付いた。
 ――なにを言っているんだ、僕は。平気なわけがないじゃないか。誰かの死を見て、平気な人間がいるわけがない。初めて見る『死』の後継に憔悴する僕を宥める為に、平静を装っているに決まっている。
「ごめ――
「気にする必要は無いわ」
 強い言葉で遮ったのは、アリスなりの優しさだろうか。そう安堵した僕の耳に飛び込んできたのは、予想もしなかった言葉だった。
「どうせ、また元に戻るもの」
――え?」
「言ったでしょう? ここは、永遠に繰り返される狂ったおとぎ話のセカイだと。――心配しなくても、じきにセカイが巻き戻る。その時にはアレらも元に戻るわ。――中身が全く同じとは保証できないけどね」
 意味が分からない。いや、分かりたくないと言った方が正しいのか。永遠に繰り返される、だなんて。
――なにを、言ってるの? いや、それよりも。なんでそんなことがわかるのさ?」
 戸惑う僕に、アリスは初めて微かな笑みを浮かべた。
「だって、ここは私のセカイだもの」
 生暖かい風が頬を撫でる。微かに風に乗って運ばれる鉄の香りをまるで気にする事なく、ともすれば妖艶とも言える仕草で、彼女は僕の唇に人差し指を向けた。
「それに、見てきたから。ずっとずっと。――ずーっと、ね」
 その瞳は至極真面目で、嘘は無いのだと本能で分かってしまって。だからこそ、僕はゾッとした。世界が繰り返されるという荒唐無稽な現象が現実に起きているという事実に、ではない。人が殺されるという、誰の目にも明らかな禁忌が繰り返されてる事にでもない。もちろん、どちらも大変なことだし、それに対する憤りがないわけじゃない。だけど、そんなことよりも何よりも。目の前アリスが――僕やリンと変わらない年頃の少女が、『死』に慣れきっているという事実にだ。
 ここに来て僕はようやく思い至る。僕はずっと彼女の瞳に虚無を見出していた。どうしてこれほどに彼女が無表情なのか。それは――人の死を見続けて、心が折れてしまったからではないのか。あの瞳は、虚無ではなく絶望と呼ぶのではないだろうか。アリスは僕の為に平気なフリをしているんじゃなくて、もうこんな光景を飽きるほどに見続けて、何も感じなくなってしまったのでは?
――なに? ……大丈夫ならこんな所にいつまでも突っ立ってないでさっさと行くわよ。貴方だって、早く連れの子と会ってこの世界からサヨナラしたいでしょう?」
「う、うん……
「ならさっさと行くわよ」
 僕に背を向けて歩き出した彼女の背が、何故だかとても頼りないものに見えて、僕は口元を拭った。頼もしいはずの強い口調も、今では虚勢つよがりにしかみえなくて。
――こんな世界は、絶対に間違ってる)
 そう思ってみたところで、何にもならないのだけれど。

 ――廻る。廻る。くるくる、くるり。

◇◆◇

 それきり僕らは無言で歩いた。不気味な森の中も、誰もいない家やその庭先に置かれたティーカップも、僕らの言葉を引き出すにはまるで足りなかった。
 僕は、どうすればいいんだろう。そればかり、考えて。
――ほら、見えてきたわよ」
「え?」
 不意に、アリスに声をかけられる。
「ほら、向こうにいるの、貴方の連れでしょう?」
 アリスの指差す方を見れば、木々の向こうに小さく、リンの姿が見えた。相手の姿は木々に隠れて見えないが、誰かに手を振っているらしい。
「リンッ!」
 思わず叫び、走り出す。流石にこの距離では声が届かないだろう。早く、早くリンを連れ出して、この恐ろしい世界から抜け出さなくては。早く――
――? どうしたの?」
 不意に足を止めた僕の背に、アリスの怪訝そうな視線が刺さる。僕は意を決して振り向くと、アリスの腕をそっとつかんだ。
――もし良かったら、君も一緒に来ない?」
 アリスの瞳が大きく開かれる。僕は構わず、言葉を続けた。歩き続けている間、ずっと考えていた言葉を。
「こんな狂った世界にいなきゃいけないなんておかしいよ。君は、ずっと何人もの人の死を見てきて、辛かったんじゃないの? だからさ――僕らのところに来なよ」
 音にして口に出せば、その提案はとても名案に思えた。アリスの手が微かに震えた事に気付いて、僕は優しく握りしめる。
――リンだって、君に会ったらきっと同じことを言うはずだよ。他のみんなも――あ、僕らの部族のみんなって意味だけど――みんなもきっと歓迎してくれると思うし、だから――
――けるな」
「え?」
 僕の言葉を遮るように呟かれた小さな言葉が聞き取れず、僕は聞き返す。しかし次の瞬間俯いて震えるアリスが、僕の手を勢いよく振り払った。
「巫山戯るなッ!」
 ざわりと風が吹き、次いで地面が揺れる。自然のものでは決してない、その風がアリスから発せられている事に気付き、僕は漸く思い至る。――ひょっとして僕は、とんでもない思い違いをしていたのではないか、と。
「私の邪魔をするな、私に触れるな、私を否定するな、私を目覚めさせるなッ‼︎」
 ゾッとするほどの怒りに満ちた声で、アリスは叫ぶ。それは、僕がこの世界に来て初めて見た、アリスの感情だった。
「アリス――ッ!」
「最初に言ったはずよ、ここは私のセカイだって。目覚めさせないでって。――貴方はそんなことも忘れたの?」
 怒りに満ちた瞳でアリスはこちらを睨む。だけど、僕にはそれに反応する余裕すら無かった。どこからともなく現れた無数のトランプが、僕に纏わりついて襲いかかってきたから。
「うわッ、なんだこれ――!」
――もういいわ」
 アリスの言葉の意味がわからない。理解をしようとする余裕もない。頬を、腕を、脚を、無数のトランプたちが傷付けていく。
「この世界に、貴方は要らない」
 アリスのその言葉を最後に、僕はトランプカードに飲み込まれる。襲いくる無数の小さな衝撃に視界がぶれ、呼吸すら奪われ、そしてやがて意識すらもが暗闇に飲まれる。
 まるで濁流に流されるかのように闇に翻弄される中で、僕はほとんど本能で手を伸ばす。
――ン」
 どこからか、声が聴こえる。闇に沈んだセカイの中で、伸ばした手の先、微かに愛おしい人の気配を感じた。
「 レ  ン 」
 聞き馴染んだ響きが心地よい。嗚呼、間違いない。この声は――
――ン、レン! 起きてったら、レン!」
――――っわぁッ⁉︎」
 思わず悲鳴をあげて飛び起きる。――飛び、起きる?
 瞼を擦ってよく見れば、そこには僕を心配そうに覗き込むリンの姿があった。
「あれ? 僕、いつの間に寝て――
「もう、ビックリしたぁ。気付いたらレンが倒れてるんだもん。どうしたの? すごーく魘されてたよ?」
 ――あれは、夢?
 見ればあれだけ痛かった身体は無事だった。どこも怪我していない。――全ては、夢だったのだ。
「それより聞いて! あのね、私さっき、素敵な出会いがあったの! レンにどこか似てて、でも私と同じ、誰かのことをとっても愛してる男の子! それでね――って、あわわ、レン⁉︎ と、突然抱きしめるなんて心臓に悪――
――愛してる」
 夢だと気づいた瞬間、僕は何事かを喋るリンを抱きしめた。突然耳元で愛を囁いたせいか、リンが頼りない悲鳴をあげたが、今はリンの何もかもがただひたすらに愛おしかった。
 ――もしあれが夢だとしたら。それは、不安が見せた悪夢だったのだろうと思う。祝祭の儀を前に、想いが通じないことを恐れた僕の不安が見せた、悪い悪い夢。
 僕は僕の物語を悲恋にしたくない。だから、どうしても改めてリンと話がしたくなった。そうしなければ、夢の中で僕とアリスがすれ違ったように、夢の中ではリンと結局再会出来なかったように、誤解から永遠にすれ違うような予感がしたのだ。
「改めて言うよ。――やるよ、祝祭の儀」
 リンの肩がピクリと震える。
「リンのことが好きだ。愛してる。リンのする事全てが可愛くて、ずっと近くて見ていたい。だから、何があっても絶対に結ばれたい。ずっと一緒にいたい」
 リンは目を逸らさなかった。つぶらな青色の瞳をこちらに向けて、真剣に向き合ってくれている。
「もし不安なら、僕に身を委ねて。僕が必ず、儀式を成功させるから。リンがステップを間違えそうになっても、僕が必ずリードするから。だから――
「私も、レンが好き」
 リンはまっすぐな目を向けながら、そう宣言する。
「レンはやさしくて、かっこよくて、だから私はレンのこと、この世の誰にも負けないくらい愛してるの。レンのこと好きな子はいっぱいいるだろうけど、でも好きって気持ちなら私、世界の誰にも負けない自信があるもの」
 頬が燃えるように熱い。頬だけじゃなく耳までもが熱を持っているかのようだ。
「だからね、私、やるよ。――祝祭の儀」
 強い決意ひかりを秘めたリンの言葉に導かれるように、僕は彼女を改めて抱きしめた。リンも僕の背に手を回して、お互い固く抱擁する。
 祝祭の儀まで、あと一日を切った。僕らを探しに来たティルタが赤い髪を揺らしながらこちらに来るまで、僕らはずっと二人きりで愛を確かめ合った。

◇◆◇

――さて、今回の出会いは如何だったかな? アリス」
 招かれざる客イレギュラーを追い出した私に、低い声がかけられる。
 彼の家に誰も居らず、かつティーカップが外机に無造作に置かれていた事で予想は着いていた。この男が、一枚噛んでいたのだと。
――帽子屋ハッター……
 私がこのセカイそのものなら、目の前の彼はこのセカイの象徴だ。私以外に、外から来訪者を呼び込むなんて真似ができるのは、彼しかいない。――来訪者自身に特別な力が有れば勝手に入ってくることも可能かもしれないが、今回やってきた二人にはどう見てもそんな力は無かった。つまり、そういうことだ。
「どういうつもり?」
「なぁに、偶にはダージリンとは違う茶葉が欲しいかと思ってね」
 嘲るような、軽い笑いを浮かべて帽子屋ハッターはアリスの瞳を覗き込む。
「お気に召すようなら控えの代役キャストとして手元に残しても良いかと思ってね――尤も、あの少年は君の逆鱗に触れてしまったようだけれど」
 くだらない。この男の嘯く言葉が今は本当に煩わしい。私は苛立ちを隠しながら帽子屋ハッターに歩み寄った。
「ねえ帽子屋ハッター
 応えさせる暇を与えず、私は彼の胸倉を掴んだ。
――まさか、この私が飽きるとでも思ったの?」
 そんなことがあるわけないでしょう。私は、自らこのセカイを望んだ。この男が守っていた静寂の鍵を飲み込んだ時から、私は決して帰る事を望まないと決めたのだから。
「みくびらないで。私はこのセカイを決して終わらせない。――次に同じ事をしたら、承知しないわよ」
 この男はこのセカイの象徴。だから決して殺せない。それでも私はこのセカイそのものだ。例え殺せずとも、思い知らせる方法を編み出してやる。それこそ、百億をも越える数の方法を。
 私の怒りが通じたのか、或いはそれすらもこの男にとっては茶番なのか。くつくつと笑うと、彼は強引に一礼して見せた。
――失礼、確かに今回の件は僕が些か早まってしまったようだ。お詫びに紅茶は如何かな?」
「結構よ。第一、本当にそれが貴方の本心かどうかも疑わしいじゃない」
 私は手を離し、彼に背を向ける。もしかしたら私を試したかっただけなのかもしれない。茶番を愉しんでいただけかもしれない。イカレ帽子屋マッド・ハッターの真意なんて、分かった物じゃないのだ。
「疑わしいというならば、それこそ腹を割って話をしようじゃないか。――優雅にお茶会でも開きながら、ね」
「冗談。暫くは貴方のお茶会は遠慮するわ。それが一番の罰になるでしょうから」
「おや、これは手厳しい。――なら、空いた時間でJackでも誘おうかな」
 飄々とした態度に私は「程々にしなさい」と短く返す。愉しげに笑い続けていた帽子屋ハッターだったが、ふと何かを思い出したように笑い声を止めた。
「そういえば――らしくないね。あれだけ盛大に君の地雷を踏み抜いたあの少年と、その恋人同類を何事もなく穏便に帰すだなんて」
 どういうつもりだい? と帽子屋ハッターは試すような口調で問いかけてくる。どうしたもこうしたも無い。深く深く、ため息を吐いた。
――別に。強いて言うなら、『偶にはダージリンとは違う茶葉が欲しいかと思って』って所かしらね」
 その言葉に、帽子屋ハッターはその特徴的な異色眼オッドアイを瞬かせ、次いで耐えきれぬ様子で笑い出した。
――はははっ、これはとんだ意趣返しだ!」
 腹を抱えて笑う彼を横目にもう一つため息を吐くと、私は心の中でそっと付け足した。
(それに――、役すら持たないただの特別出演者ゲスト相手に、わざわざ怒りをぶつける ファンサービスをする程、私は安くないわ)
 苦い紅茶アナザーアリスに零れ落ちた甘いミルク 祝祭前夜。混ざり合った二つの物語は、しかしその本質は変わらない。紅茶アリスミルク祝祭前夜にはなれないし、その逆もまた然り。
 或いはいつもと違う味わいに心躍る者も居るかもしれない。しかし私は、私だけは、それを歓迎しない。私が望むのは、慣れ親しんだいつもの紅茶ダージリンただひとつ。
 所詮異なる価値観を持つ者 ミルクごとき狂った御伽噺ダージリン魅力など伝わらない。どちらかが譲らぬ限り、理解わかり合える筈もない。なればこそ、私は彼らを舞台から下ろすのだ。己のセカイを守る為に。
――さて、そろそろ時間ね」
 セカイが今日も巻き戻る。また変わらぬ物語が紡がれ始める。私が愛する、狂いに狂った日常が始まる。
「おかえりなさい、そしてようこそ。私の愛おしい、もう一つの不思議の国アナザーアリス
 ――針は廻る。規則通りに。くるくる、くるり。高く狂った笑い声を乗せながら。

《おわり》