かいえ
2025-02-21 20:35:01
7475文字
Public
 

【蘭武】Once Upon a Time in Tokyo ③

謎軸設定
7,469文字
武道が戻って来た未来は、武道以外がみんな幸せ(最終軸の職業についている)で、26歳の武道と仲良くしている人はいない世界だった
Twitterに載せたお話に加筆修正したもの
※このお話の前までをまとめたものを通販中です
🐯 https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031155559/
🛁 https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=2409146



「花垣君、はいこれ」
 出勤して店舗に出た来た武道に、店長が差し出してきたのは武道の新しい名札だった。
 厚紙で作った簡易的な名札は、店のエプロンの胸元に付けっぱなしにしているものだ。それなのに、武道がエプロンをロッカーに丸めて突っ込んでいるせいで、大抵折れ曲がってみすぼらしくなっていた。そういう次第で、武道の名札は、店長が定期的に作り直す必要があった。
 前回のシフトで帰る際に、武道の名札がまたしても折れ曲がっている事に気が付いた店長が、作り直してくれたという訳だった。
「あざっス!」
 武道は遠慮なく新しい名札を受け取った。
「本当、もう何度目? いい加減エプロンをぐちゃぐちゃにしてロッカーに突っ込むのを止めて欲しいわね。こんなに作り直しているの、花垣君だけよ?」
「スミマセン」
「あー、もうその『スミマセン』は、何度聞いたか分かんないヤツ! 本当にそう思ってたらさ、絶対繰り返さないよね?」
 店長は怒っているように見えるだけで、武道に辞めて欲しいと思う程は怒ってはいない。店長は元からこれが普通の口調なのだ。もしも、店長が本当に怒っている場合は、口を利かなくなるという事を、この世界線の武道は知っていた。
 最初の世界線の武道だったら、額面通り受け取って委縮してしまっていたのだが、今の武道は店長と軽口を叩ける間柄になっていた。この世界線で店長との関係だけが少し穏やかになっていた事は救いだった。
 以前ほどは失敗をしなかった事と、リープの数だけ武道が成長した事が大きかった。だから、店長の怒り口調の言葉を以前のように嫌味だとは捉えず、愛情ある小言だと思うようになっていた。そんな風に武道の受け止め方が変わったから、店長との関係も良好になった気がした。
「へへへいつもスミマセン。店長が優しくて助かってます、本当に!」
 武道が笑って言うと、店長は「もう、仕方がないわね。今回だけだからね!」と言って、照れ隠しなのかバックヤードに入ってしまった。今度、コンビニでお菓でも買って渡そうと思いながら、武道は店長を見送った。
 それから、早速、名札を新しいものに取り換える事にした。店長が作り直してくれた名札は、当たり前だけど皴が一つも無い。白い厚紙に印字された黒い文字で「花垣」と印刷されているのを見て、名札には下の名前が無い事に武道は気がついた。
 店長でも間違える事があるのだと、古い名札を外してみると、そちらも苗字の「花垣」しか印刷されておらず「え?」と、武道は驚いてしまった。名札には元から下の名前など印刷されていなかったのだ。
 けれども、あの日。伊藤はタクシーの中で、武道をフルネームで呼んだ。そして、伊藤が名前を知っている事に驚いた武道に、伊藤はエプロンに付けていた名札を見たのだと確かに言ったのだ。
 それなのに、何度見ても、名札には「花垣」としか記されていなかった。
 伊藤は去年の十二月に初めて会った人だった。
 しかも、伊藤とはこの店でしか会った覚えは無い。
 一体、どうやって自分の下の名前を伊藤が知る事が出来たのだろうかと考えて、風景がぐにゃりと歪んだ気がした。
 肝が冷えるような怖さが沸き上がってくる。思えば、最初から伊藤は馴れ馴れしく、まるで武道の事を知っているみたいに振る舞っていた。
 伊藤は危険だという直感に、そんな人間では無いと打ち消そうとする自分もいて、困惑するしかない。
 武道は、ぐしゃぐしゃになった古い名札をじっと見つめて、それから店のカウンターに置かれたゴミ箱にぐしゃりと丸めて投げ込んだ。