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かいえ
2025-02-21 20:35:01
7475文字
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【蘭武】Once Upon a Time in Tokyo ③
謎軸設定
7,469文字
武道が戻って来た未来は、武道以外がみんな幸せ(最終軸の職業についている)で、26歳の武道と仲良くしている人はいない世界だった
Twitterに載せたお話に加筆修正したもの
※このお話の前までをまとめたものを通販中です
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1
2
Ⅲ COMINGTOAMERICA
「こんばんは。また面白そうな映画を選んでもらえる?」
伊藤が次に武道の店を訪れたのは、食事を食べに行ってから十日あまり経過した夜だった。伊藤は前と同じ黒のカシミアのチェスターコートを羽織り、首元にはグッチのマークが入ったマフラーを巻き、いかにも柔らかそうな黒い皮の手袋を嵌めていた。
武道が前と同じように複数枚のDVDを提示すると、伊藤はやはり即決で提示した左端のDVDを選び、二階の視聴ルームで映画を鑑賞した。そして、帰り際、丁度、退勤時間だった武道を食事に誘ったのだ。
武道は、今度は迷う事無く了承の返事をした。以前のように躊躇しなかったのは、何度もLINEのやり取りをした事で、伊藤が身近になっていたという事もあるし、二人で食事をする楽しさを忘れられなかったという事もあった。伊藤は武道にとって、客というより、最早友人といえる存在に変わっていたのだ。そして、伊藤と出会って、武道は誰かと交流するという事に、どれだけ自分が飢えていたのかをまざまざと思い知らされてしまったのだった。
この世界の武道は、伊藤としか食事をする機会が無いくらい、他に親しく接している人間が皆無だったから、伊藤からの誘いを断るという選択肢は無いに等しかった。
こうして武道は、伊藤が店に来た後に、一緒に食事をするようになった。伊藤は嬉々として、武道を色々な店に連れて行ってくれた。伊藤が選ぶ店は、武道が一生行く事の無いような高級店ばかりで、且つ、プライバシーが確保された個室のある店だった。伊藤が身に着けているものから予想は出来たが、その日暮らしの武道と違って、かなり裕福な暮らしを送っているようだった。
伊藤は良く旬の食材を食べようと言った。
それまで、武道のしてきた食事は、いかにして腹を膨らますかに重点が置かれたものであり、基本的に食べられればそれで良いというものだった。従って、美味しいとか、旬だとか、希少だとかを考えて食べた事は無かった。それに、旬と言っても、夏の食材であるトマトやキュウリも、年中スーパーの売り場にあるのだから、どの食材がいつ旬であるかなど、武道は考えた事も無かったのだ。
そういう訳で、伊藤の提案は、武道にとって新しい世界が広がった瞬間だった。
二月もそろそろ終わろうとしている夜、武道は人生初のフグを食べに行く事になった。伊藤が連れて来てくれた店は、やはり個室のあるところで、今回は畳の掘りこたつがある部屋だった。
靴を脱ぎ部屋に上がり、ふっくらした座布団の上に座る。掘りこたつだったので、胡坐をかかず、椅子に座るように足を下ろした。すると、足元に暖かい風が当たり、冷え切った足元がじわじわと温められた。こたつなのにこたつ布団が無くて、どうやって温まるのだろうかと思っていたのだけれど、なるほど、こんな風にして温まるのかと、武道は目を見張った。
仲居が大皿とお通しを運んできた。大皿には、乳白色で透明度の高いフグの刺身が薄くカットされ、美しく盛られていた。そして、湯引きされ細くひも状に切ったフグの皮を中心に、フグの刺身は大輪の花びらのように大皿一面に広がり、真上から見ればそれはダリアの花のように見えた。刺身はとても薄く切られていたので、伊万里の大皿の絵柄が透けて見える程だった。
別の仲居が運んできたものは、松葉色の日本酒ボトルだった。津軽びいどろのお猪口が二つあるのを目にして、自分も飲むのかと驚いて伊藤を見ると「美味しいから飲んでみて」と言われてしまい、日本酒は苦手だと武道は言えなくなってしまった。
仲居が春の空のような水色のお猪口に注いだ酒は、白く濁っている。伊藤と乾杯し、武道が少しだけ口に含んでみると、舌の上できめ細かい泡が弾けて驚いた。日本酒に炭酸を混ぜるなんて聞いた事がなかったからだ。味もフルーティな香りとさわやかな酸味があり、のど越しがさらりとして、武道が苦手だった日本酒のあのカッと喉が燃えるような独特のアルコール臭が無くて、恐ろしく飲みやすい。
「美味しい
…
」
これは本当に日本酒なのだろうかと、武道は松葉色のボトルをまじまじと見つめた。ボトルには、紙のラベルは貼られておらず「TSUKINOKATSURASAKE」という文字と灯篭を模したような屋号マーク、右下に日本語で「生酒にごり酒」と、白で印字されている。
「だろ? これは『月の桂』というにごり酒なんだけど、米のスパークリングって呼ばれてるやつ。飲みやすいから日本酒が飲めなくてもいけるかと思ってね。どう、飲めそう?」
「だから発泡しているんですね
…
びっくりしました。それに日本酒とは思えないくらい美味しいです
…
これなら飲めそうです」
炭酸で割ったのでは無いのだと思いながら、もう一度口に含ませるように味わって飲んだ。やはり飲みやすくて、美味しいと感じる。自分が日本酒を苦手な事までバレていたのかと、伊藤の観察力に武道は驚くしかない。何もかもお見通しというやつなのだ。
伊藤がフグの刺身二枚を一度に箸で取り、紅葉おろしに小口ネギを入れたポン酢に付けてから口を運んだ。小皿は持って食べるのがマナーのようだった。武道も伊藤を真似て自分の手前にあるフグの刺身二枚を箸で取りポン酢の入った小皿に入れた。小皿を持ち、口元まで運んでフグの刺身を口の中に入れる。
フグにといえば毒というイメージがあった武道は、恐る恐る刺身を口にしたのだけれど、淡白であっさりとした味わいと、こりっとした歯ごたえのある食感があって美味しいと感じた。飲み込んでも、身体がピリピリと痺れる事は無く、武道はホッと胸を撫で下ろした。
「毒でもあると思ったんだ?」
挙動不審気味の武道の態度を不審に思った伊藤が声を掛けてくる。違うの? と、顔を上げると、武道を見ている伊藤とばっちり目が合った。伊藤の蠱惑的なラベンダーの瞳は、今夜も何の感情も見えなくてミステリアスだ。「フグの毒はテトロドトキシンと言ってね、青酸カリの五百倍から千倍の毒性を示す猛毒だから、致死量は二ミリグラムから3ミリグラムで人は十分に殺せるんだけど、実は食べて直ぐに症状は出ないんだよ」
「え? そうなんですか?」
「食後二十分から三時間までに、口唇、舌先、指先の痺れが始まるものなんだ」
「マジですか?」
では、もう暫くしたら、身体が痺れてくるかもしれないのだと考えて、武道はゾッとしてしまう。
「それから、激しい嘔吐が続いて歩行は千鳥足になる。まもなく知覚マヒ、言語障害、呼吸困難となり、血圧が降下する。その後、全身が完全な運動麻痺状態になって、意識消失後まもなく、呼吸と心臓が停止して、死に至るんだよ」
恐ろしい内容を詳細に説明した伊藤は、緩く目尻を下げていて、どう見ても笑っているように見えた。
「怖くないんですか?」
不思議に思った武道が伊藤に尋ねる。
「オレ?」
「そうです」
「怖くないよ。だって、フグの毒は肝臓か卵巣か腸にあるだけで、他の身の部位には無いんだよ。フグの種類によっては、皮にも含まれる場合があるけどね。このフグはトラフグだから、皮にも毒なんてねぇし。安心安全なフグだよ」
「な
…
なんだ
…
刺身には
…
毒が無いんだ
…
」
武道が拍子抜けするのを伊藤は完全に面白がっていた。
「だから、安心して食べて
…
ふ
…
ダイジョウブ
…
ふふ
…
だから
…
ふふふふふ
…
」
伊藤は笑みを噛み締めながら話したが、最後はどうにも耐えられなかったようで、クックッと肩を震わせた。
「伊藤さん、笑っていますよね?」
「うん、笑ってる
…
あまりにもさ
…
恐る恐る食べている姿が
…
オモ
…
」
言い終わらない内に、伊藤はとうとう盛大に噴き出してしまった。
「そんなに笑わないで下さいよ! フグには毒があるとしか知らなかったんですから!」
「ごめん
…
でも
…
面白
…
過ぎて
…
ははは」
伊藤は腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。武道の様子が余程面白かったようだ。無知なところを笑われて一瞬ムッとした武道だったが、昔の記憶で、バカな事をする武道を見て盛大に笑って揶揄ってくる東卍の皆に囲まれていた事を思い出したら、怒りよりも懐かしさでいっぱいになってしまった。もしかすると、あの頃の自分が一番幸せだったのでは無いか思うのだ。
あの頃の武道は、信頼出来る友人と先輩に囲まれて、怖いものなど何も無かった。一度目のどうしようもない人生をやり直し、今度は素晴らしい未来が待っていると信じて何度もリープしていた。どの世界線に行ったって、仲間とはずっと一緒に居られると思っていたし、実際そうだった。このまま、皆と一緒に、良い未来で大人になるのだと、武道は信じて疑わなかった。
それなのに、武道が必死で辿り着いた世界は、リープしていた武道だけが、幸せな世界線の外側に立つ世界だった。それは、何とも言えない皮肉な結果だった。
「ホント、こんなに笑ったの久し振りだし。オマエは本当に面白いね」
そう言った伊藤の目尻には少し涙が滲んでいた。伊藤に対して言葉を返さない武道に、伊藤は「ごめん、笑い過ぎた。怒ってる?」と、武道の顔をあざとく覗き込んできた。伊藤の困った声が耳に届き「あ
…
」と、武道は自分が別の世界に意識を飛ばしていた事に気付かされた。
「いいえ
…
ちょっと昔の事を思い出していただけです」
武道の返事に伊藤は「そっか」とだけ答えた。それから「これも食べよう」と、別の小皿を武道に勧めてきたのだった。
「美味しいっス」
小皿に箸を付けて武道は言った。本当にお世辞ではなく美味しかったのだ。そもそも、今まで伊藤が勧めてくれた食べ物で、不味いものなど一度も無かったのだけれど。
「良かった」
フッと笑う伊藤の笑みに目を奪われる。ラベンダーの瞳は神秘的で、蕩けそうなくらい甘い光を帯びている。そ の目尻を下げた優しく慈愛ある微笑みに、武道は救われていると、改めて思ってしまった。
あのままずっと一人ぼっちだったら、武道はきっとどこかで限界を迎えていた気がするのだ。自分が思うより一 人っきりという孤独な環境は武道を苛んでいた。自分ではどうにも出来ない仲間との距離の隔たりは、なるべく気にしないようにしていただけで、実のところ、ずっと苦しいいと思っていた。伊藤が居たから、灰色だった日々の日常が色彩を持ち始めたのだと、今、武道はしみじみと実感していた。
「伊藤さんと一緒にご飯できて、オレ、すげぇ嬉しいです」
「
…
どうした、急に改まって」
正面に座る伊藤は面食らっていた。
「なんて言うか。言葉にしたかったんです。ずっとそう思ってはいましたけど
…
思ってるだけじゃ
…
伊藤さんには伝わらないんだなって思って。ちゃんと伝えられる時に、気持ちを伝えないとダメなんだって、急に思っちゃって
…
あ、変ですね、オレ
…
ワケ分かんない事言っちゃって
…
スミマセン
…
」
武道の言葉に、伊藤は目を見開いていた。けれども、数秒の沈黙の後「そうだよな。言葉にしないと伝わらないよな。そう思うのは変じゃねぇよ」と言い、徐に手を伸ばしてきて、武道の両手を掴み包み込むように握った。
予期せぬ出来事に、今度は武道が目を見開いた。
初めて直に触れた伊藤の手はやはり大きくて、少しだけひんやりとしていた。武道は自分の手を包み込んでいる伊藤の手を凝視したまま固まっていた。自然と伊藤の親指の爪に目が行き、その爪が綺麗に切りそろえられており、透明なネイルが塗られ、美しく整えられている事が見て取れた。この人は、身に着けている服や身の回りの品だけではなく、爪の先までお洒落をするのだと、武道は衝撃を受けた。しかも、伊藤の手は冬なのにかさつきも無く、指先までしっとりとして滑らかな感触で、日焼けも無く傷一つ無いのだ。途端に、大きなナイフの傷がある、自分の何も手入れしていない荒れた手が、酷く不格好に感じてしまい恥ずかしくなった。並べて見るものでは無いと、恥ずかしさで泣きたくなる。慌てて手を引っ込めようとしたれども、伊藤はぎゅっと殊更強く握り、それを許さなかった。
「伊藤さん、離してっ!」
「なんで? この傷のせい?」
伊藤はそう言って、武道の左手の甲の傷に手を掴んだまま親指の腹でなぞる様に撫でる。
「これは、オマエの勲章だろ? 全然恥ずかしい傷じゃねぇよ」
武道の左手の傷は、確かにドラケンを庇った時に出来た傷で、勢い良く振りかざされたナイフは、掌から手の甲へと突き抜けていた。たまたま運良く神経や腱を避けてくれたので、その後の生活に支障無く済んではいるが、傷口は蚯蚓腫れになっており、事情を知らない人が見れば、気持ちが悪いと思われるのが常だった。勲章などと言ってくれたのは伊藤が初めてだったので、武道は恥ずかしさよりも感極まって胸がいっぱいになっていた。けれども、伊藤が武道の左手にある傷口に口づけて嬉しそうに目を細めたあと「オレもタケミチと一緒にメシが食べられて嬉しい」と、まるで告白するような甘さを含んだ声色で言われた挙句微笑まれてからは、情緒が乱れ過ぎて頭がおかしくなりそうだった。しかも、伊藤に「タケミチ」と下の名前で呼ばれたのは初めてだったので、武道は脳内がハレーションを起こし、何も考えられなくなっていた。耳の奥が何やらこそばゆい感じもして、手も握られていたままだったから、心臓がドキドキと高鳴って苦しさまである。
「あのさ、これからはオマエの事を『タケミチ』って、呼んでも良い?」
伊藤の言葉に、武道は素直にこくりと頷いて意思を示した。また昔のように自分の事を「タケミチ」と下の名前で呼んでくれる人が現れた事に、心が震えて言葉にならなかったのだ。
「良かった。ずっと『タケミチ』って、呼んでみたかったから」
伊藤と見つめ合っている事に限界を感じた武道は、そっと逃れるように目を伏せた。すると、今度は掘りごたつの中で、蘭のつま先が武道のつま先に当たって、武道はビクっと身体を震わせる羽目になった。偶然当たった訳では無いのは、次の瞬間に直ぐに分かった。何故なら、伊藤の右のつま先が武道の左足の甲に触れたからだ。驚いた武道が伊藤を見ると、伊藤はフッと笑ったから、そうじゃなくても暴れていた心臓が、もう止められないくらいバクバクとして、息が出来無くなっていた。
伊藤は武道の反応を見て楽しんでいた。揶揄われているのだと思っても、武道は文句の一つもいう事が出来なかった。感情が爆発して言葉が何も浮かんでこないのだ。
そうして、伊藤にされるがままの状態は、仲居が次の料理を運んでくるまで続いたのだった。
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