かいえ
2025-02-19 20:45:04
11036文字
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【蘭武】 Once Upon a Time in Tokyo ①

謎軸設定
11,030文字
武道が戻って来た未来は、武道以外がみんな幸せ(最終軸の職業についている)で、26歳の武道と仲良くしている人はいない世界だった
ある日怪しげな伊藤という男が武道の働くレンタル屋にやってきて「面白い映画を選んで欲しい」と、武道にDVDを選んでくれるように頼む
Twitterに載せたお話に加筆修正したもの



 てっきりその辺の店に入るのかと思ったのに、しばらく歩くと男は車道に向かって手を上げ、流しのタクシーを止めた。そして、開いた扉の向こうの後部座席に先に乗り込むよう、武道に顎をしゃくった。
「ど、どこへ行くんですか?」
 後部座席の奥に押し込むように座らされ、続いて乗り込んで来た男に出口を塞がれて、閉じ込められたような感じがしてしまい焦った武道は男に尋ねた。
「麻布に良い店があるから」
 武道には縁のない、セレブが好む地名だったのでギョッとする。
「麻布?」
 聞き間違いかと思ったが、男はタクシーの運転手に麻布の住所を告げたので、武道の聞き間違いでは無いようだった。
「あの えっと」
「伊藤だよ、花垣武道君」
「あ 伊藤さん って、なんでオレの名前を知ってるんですか?」
「名札。エプロンに付けてただろ?」
「ああ名札か あの そうじゃなくて、オレ、そんなに持ち合わせがないっス!」
 タクシーに乗ってまでして行く麻布にある店が、安い値段の店である筈が無かった。武道はDVDレンタル屋で働くフリーターでしかなく、バイト代は生活するだけで精一杯の稼ぎしか無く、そんなに多いものでは無かった。実際、築五十年は経過している木造のボロアパートの家賃や水道光熱費にスマホ代を支払ったら、食費も足りるかどうかの金額しか残らない。そんな身の上だから、外食は殆ど出来ないし、したとしても、五百円以下で食事ができるファストフードに限られていた。
 そういう訳で、リュックの中にある武道の財布には千円札が一枚と小銭が少々という、社会人とは到底思えない金額しか入っていなかったのだ。この先の展開を想像して、武道は心細くて仕方が無かった。
「金の心配なら無用だって。オレが誘ったんだから、オレの奢りってやつ」
「え? そんな
「いーから。一緒に食べよーぜ。たまには誰かと食べたい時って、あるだろ?」
 伊藤の言葉に、武道はドキリとさせられた。まるで、武道がこの世界で一人ぼっちである事を知っているような口調だったからだ。サングラスをしているから目線が合っているか分からないけれど、きっとまっすぐに自分の瞳の奥を覗き込んでいる気がした。
「オレは、今夜がそうなの。金を余計に払ってでも、誰かと食べてーの」
 武道はそれ以上何も言えなくなって、黙り込むしかなかった。伊藤の気持ちが痛い程分かってしまう自分が、背後から近付いてくる孤独に飲み込まれないようにするのに必死だったのだ。
 そうして、伊藤に連れて来られた場所は、白木造りの引き戸の入口に、縁起担ぎの盛り塩が置いてある和風の店舗だった。店内は石畳みの長い廊下があり、その両側に個室が並んでいるようだった。そのうちの一つの部屋に案内されて、武道は伊藤と向かい合わせで座った。リュックを隣の椅子に置くと、仲居が恭しくスカーフくらいの大きさの白い布をリュックの上に被せてくる。料理で汚れないように配慮してくれたのだ。そんな店に入った事が無い武道は、背筋を伸ばしてじっとしているしか無かった。
 四人掛けのテーブルには、既に鍋の置かれたカセットコンロに、取り皿、お通しの小鉢などが置かれている。いつの間に予約したのだろうかと、武道は不思議に思ってしまった。仲居がコンロの火をつけると、別の仲居が部屋に入って来て、しゃぶしゃぶ用の牛肉と野菜を盛った籠を運んで来た。見た事のないくらい高級そうな霜降り肉が、上品に皿の上に並べられていて、美しいとすら思った。
「調理致しますか?」
 案内してくれた仲居が伊藤に尋ねた。伊藤が「自分たちでするから」と答えると、仲居は「畏まりました」とお辞儀をして部屋から出て行った。そういう訳で、個室に伊藤と二人っきりになって、途端に盛大に気まずくなった。伊藤と何を話したら良いか見当がつかないのだ。
 伊藤はサングラスを外しながら「肉で良かっただろ?」と、武道に尋ねた。「は 」と、怪しげな返事をしながら、この料理はいくらするのだろうと、武道の胃がキリキリと痛む。伊藤が奢ってくれるという話ではあるが、高額そうで嬉しいと思うより恐ろしいと思ってしまうのだ。何しろ、ただの客と店員の関係なだ。こんな立派な食事を奢られる理由など、どこにも無いように思えた。
 伊藤は鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌な様子で、菜箸を使って高級そうな霜降り肉を鍋に投入した。掴んだまま左右に振ると、すぐに取り出して武道の取り皿に入れようとしてくれている。
「ポン酢派? ごまだれ派?」
 ラベンダー色の瞳が武道を見つめていた。目尻が赤く見えるのは寒さのせいだろうかとぼんやり見つめ返した。
「肉はどっちで食べんの?」
「ああ ポン酢でお願いします」
 肉をどちらの皿に入れるのかと聞かれている事に、武道はようやく気がついた。
「オッケー。薬味を入れたいなら後で入れろー」
 そう言って、伊藤はポン酢の入った取り皿に肉を入れてくれた。それから、自分の分を同じように鍋で茹で、ごまだれの入った取り皿に入れる。
 そして、食べずにじっとしている武道に気がついた伊藤は「食べて。冷めたら旨い肉が台無しだって」と言った。
 武道は箸で肉を掴むと、恐る恐る口の中に入れてみた。
 信じられないくらい柔らかい、蕩けるような食感は初めてで、武道はびっくりして目を見開いた。武道にとって肉は硬いものだった筈なのに、噛まずとも消えて無くなりそうな薄い肉が、口の中を甘い肉汁でいっぱいにしていく。あまりの美味しさに「んー」と、武道は言葉にならない感嘆の声を上げてしまった。
「旨い?」
 伊藤の言葉に、武道は素直に「旨いっス」と素直に答えていた。
「良かったじゃん。ほら、もっと食えー」
 伊藤は嬉しそうに、また高級肉を武道の取り皿に入れてくれた。伊藤は甲斐甲斐しく世話をするタイプには見えなかったので、意外な感じがしつつ、武道は給仕されたままでいた。本来なら年下の、しかも奢って貰う方がするべきだとは思ったのだけれど、目の前の男があまりにも楽しそうに、鍋奉行をしているので言い出せなかった。
武道は一人っ子で兄弟はいないのだけれど、兄がいたらこんな感じだったのだろうかと思った。
 伊藤は行きのタクシー内で宣言した通り、全額を奢ってくれた。何度も肉を追加したので、多分かなりの支払額になっている筈だ。しかも、遠慮もせず食べまくった武道が恐縮するのを言いくるめ、タクシーでアパートまで送ってくれたのだった。外は雪だったから、歩かずに帰宅できるのは、正直有難い事だった。
 自宅前に着くと、伊藤は「お土産」だと言って、先ほどの店の名が入った包装紙で上部だけ包まれた折詰を武道に押し付けるように渡して来た。
 それは、昔見たファミリー向けのアニメで、酔っぱらった家長が帰宅する時に持っていた長方形の箱だった。アニメと同じように紐で十字に結んであり、折詰の中央部分で紐の輪っかが作られていて持ち手になっているアレだ。
 実際の現物を見るのは初めてだったので、武道は遠慮するのを忘れて、嬉々として輪っか部分に人指指を差し入れ持ち上げてみた。折詰は思ったより重かったが、武道の指の下でゆらゆらと揺れていて、何だか面白い気分になってくる。
 そんな武道の様子を眺めていた伊藤がくすりと笑ったから、武道は自分が折詰に夢中になり過ぎていた事に気が付き我に返った。すっかり伊藤の存在を忘れていた武道は、慌ててタクシーに視線を戻した。
 伊藤は特に気にする様子も無く、タクシーの中から「またね」と笑って手を振った。条件反射で武道も思わず「また」と言って手を振り返したけれど「また」があるのだと、ぼんやり考えながらタクシーを見送った。
「またね」という男の言葉が耳の奥にじんわりと沁み込んで、頭の芯をほんわり温めてくる。そんな言葉を掛けて貰ったのは、いつ振りだろうかと考えてしまった。
 雪道を慎重に走り去るタクシーのタイヤには、雪滑り防止のチェーンが巻かれていて、ちゃりちゃりと音を立てて遠ざかって行く。突然の雪で、スタッドレスタイヤに取り換える事が出来なかったと運転手は話していた。深夜の暗い生活道路を慎重に進んで行く赤いテールランプは、やがてゆっくりと左折して見えなくなった。
 そうして、世界は急速に静寂さを取り戻した。
 周囲の家々の電気は消えていて、街灯のある所だけが煌々と辺りと、漆黒に降る雪を照らしている。雪はまだ降り続いていて、深夜で誰も踏みしめていない事もあって、足元の積雪は十センチくらいになっていた。
 しんしんと雪の積もる道路には、武道しか立っていない。まるで、世界で唯一の人間のようだった。物音一つしない世界に、一人っきりで武道は佇んでいるのだ。
こんな風に、一人である事を感じるのは好きでは無かった。
 武道が夜のシフトを多めに入れるのは、物音がしない夜の自宅に一人で居るのがイヤだったからだ。昼間であれば近隣の生活音がそれなりに聞こえて気が紛れるのだけれど、夜は静か過ぎて寂しくて怖くなるのだ。
 店内に流れる音楽と、朝まで眠らない人間がいる街に身を置けば、そんな風に寂しさを感じないで済んだ。自分の周囲に、常に誰かの気配を感じられたし、少しだけ誰かの役に立っているという感覚も味わえた。誰にも必要とされていない現状から目を背けられた。
 そして、今、この瞬間、武道は一人なのだと切々と感じていた。
 だから、早くここから立ち去らなければと武道は思った。踵を返した武道は白い吐息を吐きながら、足早に一階の右端にある我が家に向かった。そして、こんな寒い夜は、さっさと布団にもぐって寝てしまおうと思った。孤独が背後から追いかけて来て、武道を頭から食らわないうちに。