やっぱり、六本木のクラブのパーティーになど、行かなければ良かったと心底後悔しながら、武道はよろよろと歩いて地下鉄の駅に向かっていた。
早朝の六本木に、人の姿などまるで無い。深夜どころか明け方まで騒いで弾けたパリピな人々は、皆ベッドの中で眠っているに違いなかった。時折、早朝のマラソンを楽しむ外国人が走っている姿を見かけるだけだった。
竜胆に誘われて参加した、昨夜のクラブのパーティーの思い出は、武道にとって最悪のものになった。
パーティーの最初の頃は、まだ良かったが、深夜に差し掛かり、参加者が段々酔っ払い始めた後は乱れに乱れ、ソドムの宴のようになってしまい、中学生の武道には、目のやり場がないくらい猥褻だったのだ。本当は少しだけ参加して、もっと早い時間に帰る手筈になっていたのだけれど、その手筈を整えてくれた竜胆が、ステージのDJブースに飛び入りで召喚されてしまって、予定が狂ったのだ。竜胆は少し待っててと武道に伝えてから席を外したというのもあったから、竜胆が放免されるまで待とうと思ったのだが、そう判断をした自分がバカだったのだと、武道はひどく反省していた。帰ると決めた時間になったら、さっさと一人で帰れば良かったのだ。勝手に帰ると、竜胆の機嫌が悪くなるからと、それをしなかったのだけれど、そんなものは、後からいくらでも機嫌を取れば良かったのだと、あの時の自分に教えてやりたかった。そもそも、約束を違えたのは竜胆なので、時間になったから帰ったと言えば、怒りもしなかったかもしれない。 然しながら、後悔は先に立たずという言葉通り、今となっては最早手遅れだった。
どっちみち、今、一人で帰っているのだから、結果は同じだったのだと思うと、本当に空しくて悲しくなった。竜胆は、結局、あの後全く解放して貰えず、周囲のノリで酔い潰れてしまい、武道を自宅まで送ることなど出来なかったのだから余計に悲しい。そういう武道も、竜胆の友人が誤って渡してきたジュースのような甘いカクテルで酔っぱらっていて、正常な判断能力を欠いていた。そういう次第で、武道は始発の電車に乗って自宅に帰ろうと、地下鉄に向かって一人で歩いているという訳だった。
六本木ヒルズの大きな蜘蛛のオブジェの横に差し掛かり、昨夜見た蘭の左半身に描かれた、髑髏と黒い蜘蛛のタトゥーが脳裏に蘇ってくる。普段は見えない場所まで、全部見てしまったのだけれど、武道の予想より広範囲にタトゥーがあった事に、衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。
竜胆から、蘭とお揃いのタトゥーを左右対称で入れているとは聞いていて、二人がノースリーブを着ている時など、確かに同じ柄のタトゥーが左右対称に腕に入っていたのは確認出来ていた。けれども、そのタトゥーがあんな間が禍々しい蜘蛛の意匠だとは、思ってもいなかったのだ。武道が良く目にしていた部分は、蜘蛛の脚だと知って驚いたというのもある。竜胆はその件について、武道に何も教えてくれていなかった。
そう言う訳で、武道がびっくりして、蘭のタトゥーを目で追っていると「見てぇの?」と、とても上機嫌に笑った蘭は、正に捕食者の表情を浮かべていたから、本当に蜘蛛に襲われているような錯覚に、武道は見舞われてしまった。
クラブにある一室で、蘭と武道は二人きりになっていた。そもそも、どうしてそんな状態になったかと言えば、昨夜、竜胆の友人たちとボックス席に座っていた武道は、突然現れた蘭に腕を掴まれ、有無も言わさずVIPルームに連れて行かれてしまったからだ。この時点で、竜胆の友人たちも酔っぱらっていたから、武道が蘭に連れていかれた事も気が付いていなかった。しかし、たとえ気がついても、蘭の行動を止められる人材がいたかは謎だったが。
武道も武道で、蘭は竜胆の兄で、とても怖い人という印象ではあったが、武道はこれまで蘭にひどい目に合わされことも無いので、悠長に「どこに行くんですか?」などと尋ねていたりした。蘭は「いーから、着いて来いよ」と、武道の質問には全く答える気が無く、廊下の奥まった先に合った扉を開けて、ずかずかと部屋の中に足を踏み入れた。
扉が閉まったと思ったら、すぐに蘭に抱きしめられていて、武道は軽くパニックになった。武道の知らない香りが鼻腔を擽り、蘭の見た目より逞しい胸に顔を押し付けられているのだから驚いてしまう。どういう意味か測りかねて、武道は困っていた。いつも良くしてくれる竜胆の兄なのだから、穏便にこの場を済ませたくて、ドキドキしながらも頭の中はフル回転状態だ。
「ら…蘭君?」
「ナニ、ハニーちゃん?」
ハニーちゃんとは? と、考えていた武道に突然キスしてきた蘭は、多分、相当酔っぱらっていて、誰とキスしているのかも、分からないみたいだった。そうでなければ、武道の事を「ハニーちゃん」などと言う、ふざけた愛称で呼ぶ筈がないからだ。もしくは、本当に「ハニー」という名前の人に間違えられているのかもしれないけれど。
それはともかく、初めて触れた人の唇の感触にびっくりして、武道はともかく蘭から離れようとした。けれども、竜胆曰くゴリラみたいな腕の力で、がっちり肩を抱き込まれていて、武道は全く動く事が出来なかった。
こんな風に竜胆の言葉を実感するのは嫌だったのだが、武道は非力で、蘭に抵抗する力は持ち合わせていなかったのだから仕方がない。
武道がどうしようと初キスの動揺で固まった一分にも満たない時間で、何度も蘭にキスされていて、今されているキスが、もう何度目のキスかも分からなくなっているくらいだった。しかも、相手は可愛い女の子じゃなくて、六本木のカリスマと呼ばれる男で、ハニーちゃんと呼ばれる誰かと間違われてキスされているのだから、武道にとって最悪のファーストキス体験だった。
ファーストキスは、もっと感激するものなのかと思っていたのに、一度に何回もキスしてしまっては、これがキスというものかと感慨に耽る間もない。それに、既に舌を口内に入れられていて、武道は完全にパニックに陥っていた。
他人の舌の感触は強烈で、自分の舌の表面がざらついている事を再認識させられた。交じり合う唾液に、言葉も無くなる。息が出来なくて、苦しくて、蘭の舌が何をしているのかも分からなくなって、息苦しいのに、信じられないくらい気持ち良かった。武道はその未知の感覚に魅了され、抵抗も忘れ、蘭のキスを受け入れてしまった。蘭の舌が自分の口の中で動く度、腰の奥がざわざわと疼き、下半身を直撃したのだ。キスは唇が触れるだけのものだと思っていたのに、キスとはこんなにも性的興奮を伴うものなのだと、教えられてドキドキした。
武道は気が付いたらキスしたまま抱き上げられていた。 そのまま、大きなソファに武道を押し倒した蘭は、キスもした事が無い武道と違って、何もかもに手慣れていた。
寝かされていると思った時には、武道はほぼ脱がされていて、蘭は上半身裸になっているという手際の良さだった。
武道はしっかり蘭に組み敷かれていて、下半身は蘭の体重で動けなくされているのだ。武道はこれから自分の身に振り掛かる災難も忘れて、六本木のカリスマすげぇと、蘭の押し倒しスキルに感動していた。
そうして、本当に食べられる寸前で目にした蘭の蜘蛛のタトゥーは、強く武道の脳裏に刻まれたのだった。
武道が蘭に押し倒されても比較的落ち着いていたのには理由があった。蘭は酔っぱらっていて、自分が押し倒した相手が武道だと理解していないと、武道は考えていたのだ。多分、ハニーちゃんという女性を押し倒しているつもりだから、そのうち、別人だと気が付く筈だと高を括っていたのだ。なにせ、武道には胸も無いし、蘭を受け入れられるところも無い。どこかで、絶対別人だと気づくに違いないと武道は思っていて、それまで、じっと大人しくしていれば、何とかなるなんて思っていた。
武道の下着に手を掛けた蘭は案の定「あれ?」と、声を上げた。ようやく自分が押し倒した相手が男だと気が付いたのだろう。けれども、事態は、武道の予想と違う方向に行ってしまった。
「あれ? ハニーちゃん男だっけ?」と、蘭が言ったのである。それから「おもしれぇー。オレ、男とやるのハジメテ。オレのドーテーやるから喜んで貰えよ♡」と、あっさり言ってきたのだ。蘭は言葉通り躊躇なく武道の下着の中に手を入れて、少し濡れた性器を触って「感じてんのな」と、ゲラゲラ笑ったのだった。
六本木のカリスマと呼ばれる男は、相手が男だろうと怯むどころか、面白いと思ってやれるのだと思い知らされて、詰んだと武道は絶望的な気持ちになった。
その後は、気持ち良さと痛みの繰り返しで、後ろの処女を盛大に散らした上に、何時間も相手をさせられた。
目を覚まして、自分が全裸で蘭と寝ていた事を知った武道は、自分の身体に残る行為の跡を見て、昨夜自分の身に降りかかったあれこれが、全て現実なのだと思い知らされて蒼ざめた。
一刻も早く、その場から立ち去らないと行けない気がして、隣に眠る蘭を置いて、一目散に逃げて来てしまったのだけれど、この後は一体どうなってしまうのだろうかと、武道は途方に暮れていた。
竜胆と蘭とは、思った以上に楽しく付き合えていた。二人とも武道を弟のように可愛がってくれていたからだ。だから、竜胆と蘭との関係を壊したくなくて、武道は蘭が何も覚えていませんようにと、祈るような気持ちで地下鉄の改札をよろよろと通り抜けた。
「昨日はごめんな。ちゃんと帰れたか?」
竜胆からパーティーの翌日の夕方に電話がかかって来た。こうやってちゃんと武道の心配してくれるから、竜胆は優しいと武道は思う。
「大丈夫でしたよ。ちゃんと帰りましたから」
「そっか。今度奢るから許せよ」
竜胆は心底申し訳ないという声で武道に謝った。
「そんなことしなくて良いっスよ。そこまで子供じゃないんですから、六本木くらいから一人でも帰れますって」
「それでも、奢らせろ。あ、そうだ。タケミチさー、昨夜、兄貴がどんな女と一緒にいたか知らね?」
「え? な…なんでですか?」
突然の話題転換に、武道はドキリとした。しかも竜胆の問いかけの内容が「兄貴がどんな女と一緒にいたか」なのだから、余計にドキドキする、
「それが、笑っちゃうんだけど、昨夜、誰と寝たか忘れちまったんだって」
「へぇー」
内心、ガッツポーズを取りながら武道は相槌を打った。
「でさ、顔も名前も覚えてないのに、躰の相性だけは覚えてるらしくって、サイコーだったから付き合いたいって言うんだよ。おもしれーだろ?」
「へぇー」
今度の相槌は上手く打てたか自信が無かった。同様で少し声が揺れたかもしれない。それくらい竜胆の話してきた内容が衝撃的過ぎて、武道は即座には受け止められなかったのだ。
「でさ、兄貴が女といるとこ見てない?」
「み…見てませんよ?」
震える声で答えて、武道は真っ青になった。蘭が誰と寝たかを覚えていないのは良かったけれど、付き合いたくなっているというのは、かなりヤバいと思った。
あの日、蘭が寝た相手が自分だとバレたら、一体どうなってしまうのだろうと、武道は気が遠くなってしまった。
怒り狂った蘭は、それはもう、とてつもなく恐ろしいのだ。それは、いつも蘭にぼこぼこにされている六本木の兵隊を見ているから、武道は良く分かっていた。
自分も同じようにぼこぼこにされる未来しか見えなくて、もう二度と六本木なんかに行くものかと、武道は固く決意したのだった。
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