地続きの潮騒

エガキナマキナ / 見上兄妹

01『海』


「なんで私たちは絵を描くんだろう」
 風が強く吹いて、亜麻色の長く細い髪が大きく揺れた。それに釣られるようにして、彼女の隣に座っていた深雪は、微かに目を見開く。初夏。白いワンピースに薄い上着を羽織った、十と幾つかの年の透夏は、まっすぐに眼前を見据えたままだった。そこには海が広がっている。明るい陽光に照らされても底が見えない、どこか仄暗い海が、横たわっている。
 深雪はいつも、その海を化物のようだと思っていた。夜になると大きく口を開き自分と妹を飲み込んでしまうのではないかと思っていた。しかし、海は青く描くべきだと信じていたので、今、彼の手元には青い絵の具が眩しく光っている。
「お兄ちゃん。なんで、私たちは絵を描く?」
 彼女のスケッチブックには、見事なまでに波のうねりを描き出した鉛筆の跡が残っている。まっすぐな、自分とお揃いの黄色い瞳がこちらを見ないことをいいことに、深雪は透夏の手元に視線を寄越しては、胸がきりきりと痛むのを感じていた。気持ちが悪い。深雪は透夏の絵を見るたびに、喉が締め付けられるような感覚を味わっていた。
 繰り返された問いに答える術を持たなかった。なぜ。絵を描くことに理由が必要なのだろうかと、深雪は頭の片隅で考えた。透夏は返答を待っているのかいないのか、やはり海を見据えたまま、日に焼けていない足をぷらぷらと揺らしている。
「透夏は、絵を描くのは楽しい?」
 当たり障りのない答え方だ。深雪は自嘲して、視線を手元に戻した。目の前の薄ぼんやりとした海とは似ても似つかない、絵本のような、写真のような、そう、まるでお手本のような海が膝の上でさざなみを打っている。こんなものを描くのなら、わざわざこんなところにこなくてよかった。
 隣の透夏の指先が、迷わずに白を手に取った。
「わからない」
「そう。……絵を描くのは嫌?」
「嫌ではない。……お兄ちゃん、私、そういうことを聞きたいんじゃない」
「あはは、ごめんね……。なら、どういうことなんだろう」
 自分の筆の先が震えるのを、深雪はどこか他人事のように見下ろしていた。妹の声すら遠い。
「私たちの絵は、なんのためにあるの?」
 人を救うためだ。そう父さんから聞いた。
 人の心を動かすため。そう母さんから聞いた。
 芸術に理由など必要ない。そう先生から聞いた。
 人々は芸術を求めるものだ。だからこそ正しくなければならない。そう、誰かから聞いた。
 借り物の言葉ばかりが脳内で飽和して、がんがんと頭痛がするような気がして、深雪は、透夏の絵も、顔も、瞳も見ることができなかった。
 絵から海鳴りがする。
…………僕らは、描かなきゃいけないよ」
 なんの答えにもなっていやしない。
 妹の海の絵は、美しく壮大であるがゆえに、まるで化物のように彼女の膝の上に横たわっていた。