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桜霞
2024-09-30 20:24:37
70170文字
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魔法歳時記 2
オリジナル主人公:
淋(リン)
あだ名はベル。家名は無い。14歳。日本人だが、堀の深い顔立ちに灰がかった青い目の少女。
小さい頃から山の獣や人外に囲まれて育った。
ハリーのことは弟のように思ってる。
1
2
秘密の部屋
イギリス魔法界とマグルの世界───いわゆる不思議な力を持たない人々との玄関口になっているパブ『漏れ鍋』の一角は、毎年夏になると、とある少女専用のスペースになる。小さなテーブルには紅茶、ビスケットがひとつ。それ以外のスペースには参考書が数冊積み上げられ、羊皮紙がいくつか丸まっていた。肩身の狭そうなインク壺は今にもテーブルから落ちてしまいそうだったが、リン───周囲にはベルと呼ばれている───は器用にレポートを進めていた。
「ベル、手紙だよ」
いつもはバーカウンターの奥にいるトムが、お茶のお代わりと一緒にベル宛の手紙を持ってきてくれた。ありがとうと礼を言って、ベルはいったん羽根ペンを置いた。
手紙は二通あった。一通は分厚く、一通は普通の厚さだった。ウィーズリーからと、ハーマイオニーからだ。
ウィーズリーからの手紙には、ロンとジニー、そしてフレッドとジョージの双子からの手紙が三つまとめて入っていた。
「ベル
久しぶり。元気にしてる? 日本に帰ってないといいんだけど。うちのエロール、流石に日本には飛んで行けないから。
早速なんだけど、ハリーが手紙の返事をしてくれないんだ。もう10回も出してるのに、1回も返事がないなんて変だよ。最後に駅で会ったおじさん達は、誤解しないでほしいけど、変だったし、ハリーにひどいことしてるんじゃないかって心配なんだ。ハリーはおじさん達のことがあんまり好きじゃいみたいだったし。
ベルはどう? マグル式の連絡方法なら、ハリーの様子が分かるかな。パパは喜んで試したがるだろうけど、忙しいんだ。ママも怒るし。何か分かったら教えて。
ロンより
追伸:ジニーだけじゃなくてママも会いたがってるから、良かったら遊びに来てね。煙突飛行粉の使い方は知ってるよね?」
「親愛なるベルへ
こんにちは! 元気? 私は相変わらずよ。この間励ましてもらったばかりなのに、まだホグワーツから手紙が来ないんじゃないかってふとした瞬間に不安になるの。ベルを悪く言いたいわけじゃないんだけど、ベルだって日本人なのにイギリスに来ているのだから、私だって他の国の学校に行っちゃうんじゃないかって、不安なの。そしたらママとパパは私用に新しい制服とか買わなきゃいけないし。新しい制服は欲しいんだけど、でも、この間の手紙でベルがお下がりをくれるって言ってくれた時は、新しいのを買ってもらうより嬉しかったの! ほんとよ! お兄ちゃんたちのよりよっぽど綺麗だろうし、何よりずっとベルが傍にいてくれるみたいで、すっごく安心するなって気付いたの。ベルが教えてくれるホグワーツのことは想像しやすくて、きっと私、一年生の中で誰よりホグワーツに詳しい自信があるわ。
ところで、ロンがハリーに手紙を出しているみたいなんだけど、まだ返事がないの。ベルは何か知ってる? 私もママもパパも、すごく心配してるの。もしロンの手紙に返事がなかったら、迎えに行こうかって言ってる。でも、フレッドもジョージも同じこと言ってたから、きっとパパの改造したマグルの車ってやつをまた勝手に飛ばす気だわ。
お兄ちゃん達が怒られるのは別にいいんだけど、ハリーが巻き込まれたら嫌なの。なんとかならない?
ベルにも会いたい。遊びに来てね。
ジニーより」
「ベル
よう、暇だよな? 今年は少し日本に行くのを遅らせられないか? ハリーと連絡が取れないんだ。ヘドウィグも飛ばせないなんて、最悪の事態も考えなくちゃいけないんじゃないかって思ってる。ハリーの誕生日を過ぎても動きがなかったら、隙を見て様子を見に行くつもりだ。ママとパパだけじゃどうなるか分かんないしな。ハリーの家に行って、何か情報を集められないか? 知っての通り、僕らの家は遠いんだ。頼むよ。
フレッド ジョージ」
「親愛なるベル
こんにちは。いかがお過ごしですか? この間は貴方が二年生の時に使っていた教科書や本を教えてくれてありがとう。とても参考になりました。
お礼に、パパとママに聞いて、和英辞書とか、そういうものが助けになればと思って、リストを同封しました。貴方の英語はほとんど完璧だけど、四年生になったらもっと難しい、専門的な要素や文章の書き方が増えるんじゃないかと思って。両親は歯医者で、大学を出ているから、魔法界のことは分からないけど、そういうことには詳しかったの。きっと助けになると思うわ。お節介だったらごめんなさい。
それと、もしまだイギリスに居るのなら、ハリーを訪ねることはできる? 或いは、ハリーの住んでいるところを教えてくれないかしら。ハリーと連絡が取れなくて困ってるの。ロンがフレッドとジョージと助けに行く計画をしてるらしいけど、詳しく教えてくれないの。何かルール違反とかするんじゃないかって、私すごく心配で。
私もパパとママに頼んで様子を見に行くことはできるんじゃないかと思ってるんだけど、どう思う? できるだけ早く返事をください。
ハーマイオニー」
彼女は一通り熟読した後、魔法界における児童相談所ってあるんだろうか、機能してるんだろうかと考えたが、それはそれとしてハリー・ポッターという特殊な『生き残った男の子』ケースは児相でも扱いにくかろうと、腰をあげることにした。
つまりは、こうである。
「みんなへ
ハリーのことは私が様子を見てくるから、いったん何もするな。続報を待て。
ベルより」
どうせなら誕生日プレゼントを持って行ってやろうと、ベルは朝早くに起きて、ちょっといいフクロウフーズとサンドイッチをたくさん、ジュースを二、三本抱えてプリペット通りを訪れた。
表から行くとどんな扱いを受けるか分からないので、ベルは裏に回ってハリーの部屋を見上げた。窓に鉄格子がついているというわけもなさそうだったが、いい天気なのにカーテンが締め切られている。ベルは「ふむ」と辺りを見回し、小石を足で蹴飛ばして手に持つと、ひょいっと投げた。こつん、と窓に当たって、庭に落ちる。何度か繰り返すと、カーテンから見覚えのある顔が半分覗き、目を見開くと、すぐに慌ただしく、しかし音を立てないよう細心の注意を払って窓を開けた。
「ベル!」
潜めた声で嬉しそうにするハリーに、ベルは手を振ってやった。どうやら静かにしていなければならない理由があるようである。
ベルはカバンからメモとペンを取り出すと、ドアを開けられないかと書き、紙飛行機にして、それっとハリーに向かって投げた。ハリーはなんとかキャッチして中身を読み、パッと部屋の中に消えた。しばらくすると少しだけ大きい紙飛行機を、狙いを定めてベルに向かって飛ばし、彼女は慣れた仕草でハリーの不格好な飛行機を捕まえた。
「来てくれてありがとう! 今、おじさん達が、今度会社の知り合いを招くから、その時の予行演習を何度もやってて、すごくピリピリしてるんだ。僕は居ないようにしなきゃいけないから、音を立てられない。ロン達はどうしてる? 手紙が届かないんだ。ベルが来てくれたってことは、みんな僕のことを忘れたわけではなさそうだけど」
ベルは再度「ふむ」と生垣を見回した。一見、何の変哲もない、普通の生垣である。
ベルは「待ってろ」と口パクで伝えると、家の表の方に回った。ピンポン、とドアベルを押す。
ドアをほんの少し開けてくれたのはバーノンだった。険しい顔でベルの事を睨みつけ、いかにも迷惑そうな顔をしていた。
「こんにちは」
ベルは愛想良く笑って言った。そうして、ほんの少しだけ眉を下げる。
「事前の連絡も無しに、突然すみません。でも、甥っ子さんと連絡が取れなくなったんで、近くを通りがかったついでに、少し話しに来たんです。御無礼は承知しておりますが、お邪魔させていただくことはできませんか?」
キラキラ光るブルーグレイの瞳に一生懸命、健気に見つめられ、彼女を追い返すための言葉はバーノンの喉奥で音を立てて詰まってしまった。なんとかバーノンが絞り出せたのは、「それはなんだ」というものだけだった。ベルはバーノンに中身がよく見えるように袋を大きく広げて持った。
「これは、フクロウフーズと、サブウェイのサンドイッチと、その辺のスーパーで売ってたジュースです。もしかして、ネズミをとってくるのでお困りなんじゃないかと思って
……
」
バーノンはじっくり、隅から隅まで袋の中身を見聞すると、再度近所に視線を走らせ、やがて素早くドアを開けた。早く入れと顎で示し、「10分だ」不機嫌そうなのを隠しもせずにぴしゃりと一方的に言い放った。
ベルはとびっきりの笑顔で「ありがとうございます!」と言い、「おじゃまします」とリビングで固まっていたペチュニアとダドリーに、にっこり微笑みかけた。
「甥っ子さんの部屋はどちらですか?」
「階段を上がって左だ」
「ありがとうございます」
実際、ベルがハリーの部屋を訊ねる必要はなかった。ハリーがドアを開けて、嬉しさを交えた顔で驚きながらベルを待ち構えてくれていた。
「ベル!! すごいや、本物?」
「そうだよ。ほら、つまらんもんだけど、誕生日おめでとう、ハリー」
「ありがとう
……
!! 君が来てくれただけですっごく嬉しいよ、アー、部屋が汚いのはごめん
……
」
「こんなもんだろ。私は自分の部屋が無いからよく分からんし。さて」
ベルが部屋をくるりと見渡している間、ハリーは恥ずかしいのを誤魔化すようにして早速ヘドウィグにフクロウフーズをあげた。ヘドウィグは羽を広げられないのだけは不満そうだったが、勢いよくフーズを突きはじめたので、ハリーはホッとした。
「ねえ、ヘドウィグだけでも預かってもらえない? これじゃ可哀想だ」
「唯一の連絡手段を自分から手放すんじゃない、ハリー」
「でも、誰からの手紙も届かないし」
「いいや、届いてる。たぶん。ロンなんか10通以上手紙を出してるぞ」
「そんなに?」
ハリーは素直に信じられないという顔をした。ベルはちょっとだけドアの向こうの気配を伺い、静かに「そこにいるな?」と何も無い空間に向かって声をかけた。
「静かに、姿を現せ」
ハリーは、ベルが何をしようとしているか全くもって分からなかった。しかし、ベルがじっと見つめる空間に、コウモリのような長い耳をして、テニスボールくらいの緑の目がぎょろりと飛び出した小さい背丈の生き物が現れると、うっかり疑問や言葉なんて失ってしまった。驚きに目と口を開いたままのハリーを置いて、ベルは「屋敷しもべ妖精だな」静かに言った。
「左様でございます」
生き物はカーペットに細長い鼻の先がくっつくくらいのお辞儀を披露した。ハリーはその生き物が手足を出せるように穴を開けた古い枕カバーを着ていることに気が付いた。
「え、っと
……
こんにちは?」
「ハリー・ポッター!」生き物の甲高いキーキー声が響いた。「ドビーめはずっとあなた様にお目にかかりたかった
……
とっても光栄です
……
」
「あ、ありがとう」
ハリーは、この後はどうしたら、というほとほと困り果てた顔でベルを見上げた。ベルは一歩屋敷しもべ妖精に近付くと、視線が合うように膝に手を着いて腰を屈めた。
「ドビー、私はベルだ。今から私の質問にできるだけ正確に答えてほしいが、答えられない質問があるなら、答えられないと言ってくれ。あなたが私の質問に答えられないことで、私は不快になったりしないし、あなたを責めたりもしない。そして、声を小さくしてほしい。できる?」
「はい、できます」
「えーっと、長くなる? 座ってね」
ベッドを指したハリーに、ドビーは丸い瞳を更に丸くさせて、声を殺して泣いた。
「す───座ってなんて!」
「えっ」
「これまで一度も
……
一度だって
……
」
「え、えっと、気に障った?」
「このドビーめの気に障る!?」
ベルの静かにしなさいという言葉を守っているせいで、ドビーの喉から出る声は今にも引き裂かれんばかりに掠れていた。
「ドビーめはこれまでたったの一度も、魔法使いに座ってなんて言われたことありません。まるで対等みたいに
……
」
おんおん泣き続けるドビーに、ハリーはとうとう困ってしまって、再びベルの方を見た。ベルは嘆息し、ドビーをひょいと持ち上げてベッドに座らせた。
「ドビー。ここには誰かの指示で来たか?」
「いいえ、いいえ
……
どなたもご存知ありません、ドビーめはこの事で厳しく自分をお仕置しなければなりません」
「どこの家に仕えている?」
「答えられません」
「ハリー宛の手紙を、お前が持っているね?」
「はい」
「!?」
ハリーは耳を疑った。今このドビーと名乗った屋敷しもべ妖精という生き物は、ハリー宛の手紙を自分が持っていると言ったか?
「ドビー、どうしてハリー宛の手紙を堰き止めた」
「ハリー・ポッターをお守りするためでございます。ドビーは、あとでオーブンの蓋で耳をバッチンしなけらばなりませんが、それでも───ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません」
「───」
さしものベルも瞬いて、一度ハリーの方を見遣り、ハリーが言葉を失っている様を確認すると、すぐにドビーに向き直った。
「どうしてハリーがホグワーツに行ったら危ないんだ?」
「罠でございます。ドビーめはこのことを何ヶ月も前から知っておりました。ハリー・ポッターは安全な場所にいないといけません。偉大な人、優しい人
……
ホグワーツに戻るのは死ぬほど危険でございます」
「ふむ」ベルはちょっと思案する素振りを見せた。「さしずめ、ハリーがホグワーツに戻りたくないと思うようにするために手紙を堰き止めていたんだな」
「左様でございます」
「寄越しなさい。私が代わりに預かっておこう」
ドビーは枕カバーの服から手紙の束を取り出すと、恭しくベルに差し出した。ベルは手紙の束を受け取って、さらに質問を重ねた。
「その罠っていうのは、ダンブルドアでもどうにもならないか?」
「答えられません」
「罠をしかけたのは『例のあの人』?」
「
……
『例のあの人』ではございません」
ドビーはガラスのような丸い瞳で、じっとベルを見つめていた。ベルは何度目か「ふむ」と言って、腰を伸ばしながら体を起こした。
「ヨシ、聞きたいことはこれで聞けたな。ドビー、よく聞け」
「はい」
ドビーはピンと背筋を正してしっかとベルを見つめた。
「お前がここにいると、ハリーはおそらく健康的で文化的な最低限度の生活を送れない。ハリーを守りたかったら、お前は屋敷に戻って、何事も無かったかのように仕事をしなさい」
「かしこまりました」
「この家の人たちは、魔法に関わるものについて酷く脅えている。大切な肉親を奪われているからね」
「もちろんでございます」
「だから、ハリーのことも怖がってしまって、ハリーのことを守ろうとしない。分かるね?」
「それは
……
はい」
「だから、ハリーはここから移動する必要がある。では、魔法界の中で、きちんと食べて眠る事ができて、一番安全な場所はどこかな?」
「それは───」
ドビーはとても苦しそうな顔をした。言いたくないことを言わなければならないが、必死に堪えている様子だった。やがてドビーは消え入りそうな声で「答えられません」と言った。
「何がハリーのためか、よく考えることだ。己の身を守るためには敵の懐に潜り込まねばならんときもある。もう行きなさい。ハリー宛の手紙を塞き止めることも、もうやめるんだよ」
「かしこまりました。さようなら、ハリー・ポッター。どうかお気をつけて」
パチンと音を立てて、ドビーは姿を消した。
「さて、これで手紙は届くようになるだろうが、お前のおばさん夫妻は梟が来るのを嫌がるだろうな」
そろそろバーノンの許した10分が過ぎようとしていた。ベルはハリーにドビーから預かった手紙を渡すと、ハリーを連れてリビングに降りた。
「話は済んだか」
「はい、済みました。ありがとうございます。でも、あの、ひとつご提案があるんです。決して損はさせないんですけど」
ハリーはベルの声がこんなに可愛らしく素敵な、鈴を転がすような声になったところを初めて聞いたので、驚いて思わず声を上げそうになるのを堪えなければならなかった。ベルの話を満更でもなさそうなバーノンが「なんだね」と聞く姿勢を見せるのにも、ベルの完璧に整った笑顔にダドリーがちょっと頬を赤くするのも驚いたが、ベルの提案はもっとハリーを驚かせた。
「いかがでしょう、この夏、私達でハリーを預かるというのは。今度、大事な商談があるとお伺いしましたし、そんな時に学校からの報せが届いては、皆さん驚かれてしまうでしょうから」
「それはなんとも、まったく損のない話だ!」
バーノンがこんなに満面の笑みになったのを、ハリーは今まで一度も見たことがなかった。ベルは心底ほっとしたかのように幼気な笑みを見せ、「それじゃ、またご連絡します。お電話番号をお伺いしても?」至極真っ当にお伺いを立てた。
バーノンは小躍りしながら家の電話番号を書きとった。
「いや、いや。まさか、君のような普通に近い人間が、まさかそちら側にもいるとは───」
「光栄ですわ、ミスターダーズリー」
「君たちの世界にも電話はあるのかね?」
「ありません。ちょっと不便で
……
公衆電話からおかけしますね」
「これだから、普通でないやつは、困ったものだな。ほら、これがこの家の番号だ。それから、電話代を渡しておこう」
「まあ、ご親切に。いいんですか?」
たったの一枚か二枚の硬貨に対して大仰に「困った」という顔をする可愛らしい少女に、バーノンは益々気を良くしたようだった。
「なに、なに。これを預かってもらえるんだから、安いものだよ。帰りはどうするんだね、足はあるのか?」
「ええ、ご心配なく。もう切符を買ってしまいましたから。お気遣い頂いてありがとうございます」
爽やかに言って、ベルは「それじゃ、そろそろお暇します」ぺこりと会釈した。
「すみません、突然お伺いしたのに、こんなに良くしてもらって。ハリー、すぐに荷物をまとめておいてね」
「うん、分かった」
「お迎えに上がる日はご連絡差し上げますけど、でも、ご近所に気付かれる訳には参りませんから、夜中にこっそりお邪魔しますね。どうか泥棒と勘違いしないでくださいね」
「そのために電話を寄越してくれるんだろう?」
「ああ、その通りです。流石」
ベルは手まで叩いてみせた。バーノンはますます胸を張って得意げにした。ハリーは笑ってしまいそうなのを堪えるのに、口をもにょりと引き結んだ。
「皆さんが目を覚ましたら、もういなくなってますから。ご心配なく。それじゃ、また近いうちに。じゃあね、ハリー。良い一日を!」
初夏の爽やかな風のように去っていくベルを、ダーズリー一家はにこやかに見送った。ハリーはベルのスリザリンらしいところを垣間見た気がして、なんだか少しおかしな気分だった───何はともあれ、ベルが拒絶されなかったことは、ハリーの心を安らかにするのに一役買ったのだった。
数日後、ダーズリー家に「今夜ハリーを迎えに行きます。明日の朝、目が覚めた時に鍵が開いていても驚かないでくださいね」と一本の電話が入った。電話を受け取ったダドリーは一日機嫌が良かったし、ハリーは忌々しいダーズリー家から離れられるとあって、心が浮き足立つようだった。
ダーズリー夫妻が機嫌よく眠りに就き───ダドリーは珍しく夜更かしをしたがった───ハリーは今か今かとジリジリしながら部屋の中で待った。10分が一時間に感じられるほどで、とにかくベルに早く迎えに来てほしかった。
不意に。
コンコン、と窓がノックされた。ベルが来てくれた、とカーテンを開けたハリーは、うっかり大声を上げそうになって、慌てて息を潜めた。
「ロン!!」
「よう、ハリー。元気?」
「とっても! 君、どうやって来たの? 箒かい?」
「車だよ。それより、荷物を用意して。早くトランクに入れちゃおう」
「分かった」
窓の外で、車が静かに向きを変える。驚くことに、飛んでいる───しかし、興奮している暇はなかった。ハリーはえっちらおっちら、魔法道具や教科書をたくさん詰め込んだ重いトランクを車に詰め込んだ。最後にヘドウィグを窓から放してやり、空いた籠を放り込んで、今度こそハリーが窓から車に飛び乗った。
「よし、乗ったよ」
「しっかり掴まってろよ」
運転席に座っていたのはフレッドとジョージだった。車は滑らかに夜の闇を滑り出し、あっという間にぐんぐんと高度を上げ、すっかり街を見下ろしながら雲を横目に走っていた。
「すごい!! すごいよロン!!」
「君、ホグワーツではこれより早く飛んでるじゃないか」
「箒だと、荷物運ぶのが大変だし、目立つからな」
「ベルに感謝しろよ。この方法、母さんを説得するのは大変だったんだ」
「いやー、スリザリンの真髄を見たね」
揃ってすごかったと言うウィーズリーに、ハリーもくすりと笑って「僕もすごいのを見たよ」とベルがいかに見事な手腕でダーズリー達を掌の上で転がしていたのかを語った。双子は揃って肩を竦め、ロンは呆れて口をへの字にした。
「奴さん、顔だけはいいからな」
「どうも最近、その自覚が出てきたらしい」
「急がないと。ハリーに会ったらすぐに空港に行くって言ってたから」
「そうなの? ベル、もう日本に帰るの?」
残念そうなハリーに、フレッドが頷いた。
「ああ、実家でいろいろ仕事を手伝わなきゃならんらしいぜ」
「こっちの魔法は受け入れられてないから、最近は肩身が狭いって愚痴ってたな」
「ベルのおかげで皆の手紙も───そうだ。ねえ、『屋敷しもべ妖精』って知ってる?」
「知ってるも何も」
「そりゃ知ってるが。それがどうした?」
ハリーはベルが来てくれた日のことを詳しく話した。皆からの連絡を受けとって来てくれたと思ったら、すぐにハリーの家に上がって、屋敷しもべ妖精のドビーが潜んでいることを見抜いたこと。そして、慣れた風情でドビーからホグワーツに罠が仕掛けられていることや、ドビーがハリーを守ろうとしたことを聞き出したこと。
話を聞いたウィーズリー達は揃って黙りこくってしまった。
「そりゃ、くさいな」
「まったく、怪しいな」
双子たちがなんとか言葉を絞り出す。
「ベル、そんな事、一言だって言わなかったぜ」
「母さんを心配させないようにしたんだろう」
「『屋敷しもべ妖精』は、主人の許しがないと使えない。ドビーのやつ、君が学校に戻ってこないようにするために、誰かから送り込まれたのかもしれないぞ。誰か君を恨んでるやつはいるか?」
「いる」
ハリーとロンが同時に言った。
「ドラコ・マルフォイだ。あいつ、僕を憎んでる」
「ドラコ・マルフォイ?」
ジョージか振り返った。
「ルシウス・マルフォイの息子じゃないか?」
「たぶんそうだと思う。どうして?」
ハリーが聞くと、フレッドとジョージは代わる代わる話を引き継いだ。
「パパが話してるのを聞いたことがある。『例のあの人』の大の信奉者だって」
「ところが『例のあの人』が消えたとなると、戻ってくるなり、全て本心じゃなかったって言ったらしい。嘘八百さ、パパは奴が『例のあの人』の腹心の部下だったと思ってる」
ハリーは前にも似たような話を聞いたことがあったので、特に驚かなかった。
「マルフォイの家に屋敷しもべ妖精がいるかはわかんないけど
……
」
「ま、古くて金のある家には違いない」
「とにかく、ベルに言って様子を見てもらって良かったよ。おかげで迎えに来れた」
「この車、すごいよね」
ハリーは再びテンションを上げた。
「誰がやったの? 僕たち、魔法を使えないだろ」
「パパさ。パパはこういうの大好きだから。マグルのものを全部解体して、魔法をかけて一から組み立てるのが大好きなんだ」
「そのせいで、ママはいつかパパが自分で自分を捕まえなきゃならなくなるんじゃないかって気が気じゃないんだ」
「
……
どういうこと?」
怪訝そうにするハリーに、ウィーズリーの兄弟たちは半ば呆れながら笑った。
「パパは魔法省のマグル製品不正使用取締り局で働いてるんだ。ちょうど事件があったかなんかで、今夜仕事でいないんだ」
「それを利用して、ベルが母さんを説得したんだよ」
「追い詰めたとも言う」
双子はおかしそうに肩を揺らして笑った。
「親父さんが知ったら俺たちを捕まえなきゃいけなくなるからな。一応秘密だぜ、ハリー」
「分かった」
ハリーは重々しく頷いた。ちょうど朝日が登り始めようとしていた。車はゆっくり高度を下げて、やがて普通の車のように走り、ボロボロの車庫の隣で停車した。
一同を出迎えたのは石造りの、くねくねと曲がった家だった。後からいくつも部屋をくっつけたのだろう家の屋根には、煙突がいくつかちょこちょこと乗っかっていた。入口に「隠れ穴」と書かれた看板が少し傾いて立っていて、玄関の戸の周りにはゴム長靴がごた混ぜになっていた。
「大したことないだろ」
「すっごいよ」
ハリーが本当に目をキラキラさせながらそう言うので、ロンはちょっとだけホッとして、双子はにやりと笑みを深めたのだった。
家に入ると、香ばしいパンと甘いバターの香りが漂っていた。
「おはよう。おかえり。徹夜は堪えたろう、紅茶が入ってるよ」
「ベル!」
「おはよう、ベル」
「ただいま」
出迎えてくれたベルはすっかり出かける格好を整えていた。
「母さん、ハリーが着いたよ!」
ベルが奥に向かって叫ぶと、程なくしてウィーズリー夫人が安堵に顔を綻ばせながらハリーを出迎えてくれた。
「まあまあハリー、よく来てくれました。無事で良かったわ。誰にも見られなかった?」
「曇り空だったよ、ママ」
「ママの呪文のおかげで、鳥にもぶつからなかったよ」
双子が取りなすようにして言った。ハリーは驚いてモリーの方を見た。
「呪文をかけてくれたんですか?」
「ほんの少しね、見つかりにくくなるように」
モリーは少し複雑そうだった。
「じゃ、母さん、私もう行くよ。バスが出るから」
「お待ち! サンドイッチを作ったから、持って行きなさい」
「いいのに」
ベルはびっくりするくらいウィーズリーに馴染んでいた。ひとりだけ夜の闇のように真っ黒な髪で、薄く灰がかった青い目をしていて、見た目には浮いているのに、モリーと話しているところは本当の親子のようだった。
「じゃあな、ベル。気をつけろよ」
「ベル、ほんとに色々とありがとう」
「どういたしまぷ」
ばさ、と白い翼がベルの顔を打つ。
ずっと車を追いかけてきていたヘドウィグがばさばさと羽ばたきながらベルに擦り寄った。ホーホーと鳴いて、離れようとしなかったので、ハリーは慌ててヘドウィグを捕まえた。
「こら、ベルの邪魔しちゃだめだろ!」
「ヘドウィグも、どういたしまして。じゃ、ジニーに宜しくな。ハリー、ドビーのことで何かあったらヘドウィグを飛ばせよ。キングス・クロスで会おう」
「うん、本当にありがとう。気をつけてね」
しっかり握手して、ベルは玄関ではなく、何故だか暖炉の方へ行った。ハリーがヘドウィグときょとんとしていると、ベルは暖炉に置いてあった鉢から何か掴み、パッと暖炉の中に放った。忽ち暖炉は緑色の炎で満ちて、ベルは躊躇わずその中に踏み込み、「ダイアゴン横丁!」ハッキリ叫んだかと思うと、瞬き一つで姿を消した。
「───」
ポカンとするハリーに、ロンは「あっ、もしかして煙突飛行粉って初めて?」そう言えばハリーはマグル育ちだったと、一ヶ月ぶりに思い出していた。
来たる九月一日、ハリー達はなんとか時間通りにキングス・クロス駅の9と4分の3番線ホームに滑り込んだ。ホームに入って一番近いところのコンパートメントから待っていましたとばかりにベルが窓を開け、挨拶より先に腕を伸ばして次から次へと荷物を車内へ放り込んだ。ジニーの忘れ物を取りに戻ったせいで、出発まであと一分もなかった。
「気を付けてね!!」
「じゃあね、ママ!! パパも!!」
お別れはドタバタしていて、ろくにお礼も言えたものではなかった。フレッドとジョージは走り出した列車になんとか飛び乗ったし、ジニーはパパに抱えてもらって窓からコンパートメントに入っていた。
「助かったぜ、ベル」
「新学期早々、スリザリンに借りを作ることになるとは」
「毎年言ってんな。ああ、新学期って感じだ
……
みんな元気そうでなにより。ハリー、魔法使いの家は楽しかった?」
「とっても!!」
ハリーが満面の笑みで即答したので、ウィーズリー達はちょっとだけ誇らしそうにしたり、照れくさそうなのを誤魔化そうとした。
「良かった良かった」
「ベル、眠そうね。早起きだったの?」
「んーにゃ、まだちょっと時差ボケがあるかな
……
昨日
……
一昨日? イギリスに着いたばかりなんだ」
「いつもならもう少し早く戻ってきてるだろ? 仕事で何かあったのか?」
「仕事?」
不思議そうなジニーに、うん、とベルは頷いた。
「私の
……
あー
……
生まれた場所は
……
山なんだ、禁断の森みたいな。もうちょっと明るくて、急斜面が多いんだけど。そこには森みたいにいろいろ住んでて
……
代々森番みたいな仕事をしてて
……
」
ベルが、ふぁ、と欠伸をする。くわりと開いた口からちらりと見えた歯が文字通り犬のそれのようだった。
「今年は、特にちょっと、多かったな。いろいろと。なんか
……
なんだろう
……
この
……
英語が出てこない」
「またか」
フレッドが呆れて口をへの字に曲げた。
「夏休み明けはいつもこうだ。ジニー、お喋りしてやれよ。俺たちはリーのところにいくから」
「じゃあまた、ホグワーツでな」
双子はさっさとコンパートメントを後にした。ジニーは憤慨して「ふたりとも、ベルがどれだけ大変なのか、分かってないんだわ」眉を吊り上げて口を尖らせた。
「そっか、日本には日本語があるのか」
「日本語ってどういう言葉なの?」
「これから英語で物を考えなきゃいけないってときに日本語の頭にさせないでくれよ。こういうときは日本語も咄嗟に出てこないんだ。そうだ、ジニー、私からの荷物は届いた? トムに頼んでおいたんだけど」
「もちろん、届いたわ! まるで新品のローブと制服! でも、ネクタイの色を変えるのは早かったんじゃない? どの寮に組み分けされるか分からないのに
……
」
「お前はグリフィンドールだよ」
「そうかなぁ」
ジニーは眉を寄せたが、その実、こんなにもハッキリ言い切ってもらえてホッとしているのが、ロンにはよく分かった。ジニーは他の寮についてあれこれ聞きたがり、それをベルが説明しようとして言葉が出てこないのを、ハリーとロンが所々補った。少しすれば、ベルは二ヶ月前のように流暢に英語を話せるようになっていた。
日が沈みだした頃に、学生達は制服に着替えた。ジニーはちょっと緊張しているようだったが、ハリーとロンは「ハグリッドの言う通りにしておけば大丈夫」くらいしかジニーにアドバイスできることはなくなっていた。
駅に着いて、一年生たちは毎年のようにハグリッドに先導されて行った。ハリー達はベルについて行って、初めて馬のいない馬車がずらりと遠くまで並んでいるのを見た。馬車は生徒達が乗り込んだことを確認すると、静かに走り出し、やがてふわりと浮いて、ホグワーツ城までの空の道を滑らかに進んだ。
車も飛ぶのだから、馬車だって飛ぶのだろうと、ハリーは特段驚かなかった。
大広間でベルと別れなくてはならないのが残念だった。縦に四つ長く並んでいるテーブルには、それぞれの寮に所属する生徒でほとんど埋まっていた。
「じゃあね、ベル」
「おう、なんかあったらヘドウィグ飛ばせよ」
ベルの言葉で、ハリーはドビーのことを思い出した。ホグワーツにはハリーを狙う罠が仕掛けられているという忠告を、ハリーはすっかり忘れていた。けれどもハーマイオニーと再会したり、ジニーが「またウィーズリーか! グリフィンドール!」と即座にグリフィンドールに組み分けられたのを歓迎していたら、またすっかりドビーの忠告を忘れてしまったのだった。
一方のベルは、ハリーの前にドビーと名乗る屋敷しもべ妖精が主人の許しなしでおそらくは主人、およびそれに連なる者達の奸計を忠告しにきたと、既にダンブルドアに手紙を送っていた。いつも通り、ダンブルドアからベル宛に返信はなかった。ベルも返信を求めていなかったから、それで良かった。
いつも通りの日々が始まった。ベルは相変わらず、ルームメイトのお嬢さん達のいい聞き役だったし、惨めな日本人で、スリザリンらしくないスリザリン生として過ごしていた。訳の分からない英語どころか古代ルーン文字を頭に詰め込み、箒で空を飛び、魔法薬を作り、放課後になったら課題に追われたり、ルームメイトのおべんちゃらに付き合ったりした。週末になったら家畜動物と戯れ、野菜の世話をして、たまに森へ入ってケンタウロス達の雲を掴むような話を聞いて、ちょっと占いに詳しくなったりした。
ベルがハリー達と再会したのは、土曜日の午前中だった。
「おやまあ」
自分の背丈ほどもあるカボチャを転がして満遍なく日光が当たるようにしていたベルは、ハリーとハーマイオニーに運ばれてきたロンを見るなり素っ頓狂な声を上げた。ロンはゲーゲーとナメクジを吐いていた。
「一体どうしたってんだい、なんでそんな呪いにかかっちまったの」
「杖が逆噴射したんだ」
「逆噴射ァ? 器用なことをしたもんだな」
ベルは杖を取り出して井戸の傍にあった木桶をひょいっと浮かせ、ロンに持たせた。ちょうどその時、ドアがばたんと開いて、ブロンドの、笑顔が眩しい男が現れた。瞬間、ハリーは目にも止まらない速さでロンとハーマイオニーを連れて茂みに身を隠した。
「やり方さえわかっていれば簡単なことですよ」
意気揚々と言ったのはギルデロイ・ロックハート。今年の闇の魔術の防衛術の担当教諭である。昨年の騒動でクィレルはもちろんクビになったので、新しい先生として雇用されたのだ。
「助けてほしいことがあれば、いつでも私にいらっしゃい! おや、ミス・ベル。精が出ますね」
ベルは片頬だけで笑った。ロックハートは「今夜著書をサイン付きでお送りしますよ!」念を押すように朗らかに言って、颯爽と城へ戻って行った。
「やれやれ、もう行ったぞ。ハグリッド! お客だよ!」
ベルの声はよく通った。ハグリッドはすぐに出てきて、ハリー達を中に入れた。ベルもちょっと休憩しようと後に続いた。ロンはなんとか椅子に座らせてもらって、それでもゲーゲー吐き続けるのは止まらなかった。
「ベル、なんとかならない?」
「吐き気と下痢は出し切るしかねえ」
「ああ、みんな吐いっちまえ」
ハグリッドは追加の受け皿として洗面桶をロンに渡した。ベルはロン用に水と、四人分の紅茶を用意することにした。ベルが杖でひょいひょい命じると、やかんは水を沸かし、ティーセット達は自分達で茶葉を用意した。
「ねえハグリッド、ロックハートは何の用で来てたの?」
ファングをカリカリ撫でてやりながら、ハリーが聞いた。
「井戸の中から水魔を追っ払う方法を俺に教えようとしてた。まるで俺が知らんとでも言うようにな」
ハグリッドがテーブルの上にあった雄鶏を退けると、くたびれているが綺麗な布巾がひとりでにテーブルを拭いた。そこにティーセットが次々と着地する。
「その上、自分が泣き妖怪とかなんとかを追っ払ったと、さんざぶち上げとった。やっこさんの言うことかひとつでも本当だったら、俺はヘソで茶を沸かすわい」
ホグワーツの先生を批判するなどハグリッドらしくなかったので、ハリーは心底驚いてハグリッドを見やった。ハーマイオニーだけが、少し上擦った声で反論した。
「でも、ダンブルドア先生が闇の魔術の防衛術のクラスに適任だとお考えになったのよ」
「他にやる奴がひとりもおらんかっただけだ」
ハグリッドがバッサリ切り捨てる。ベルは「まぁ茶でも飲んで落ち着け」とハーマイオニーにカップを勧めた。
「で、誰に呪いをかけようとしてそうなったんだ」
「マルフォイが、ハーマイオニーのことをなんとかって言ったんだ。たぶん、ものすごい酷い悪口で
……
それでみんなカンカンだったんだよ」
「みんな?」
「クィディッチの練習をしてたの」
「こんな朝早くから? 熱心だな」
「ほんとにひどかった」
発作が落ち着いたのか、ロンが嗄れ声で言った。
「マルフォイのやつ、ハーマイオニーのことを『穢れた血』だって言ったんだ」
「そんなこと、本当に言うたのか!!」
ハグリッドが大憤慨して唸り声を上げた。ロンは再び洗面桶に向かって体を折り畳んだ。
「言われたけど
……
」
ハーマイオニーが少し困った風情でベルの方を見た。その言葉の意味するところがよく分からないのだ。ベルは「まあ、よく聞く蔑称だな」頭をカリカリしながら言った。
「『穢れた血』っていうのはつまり、マグルから生まれたって意味の、両親が魔法使いじゃない者に対する差別用語だな。魔法使いの中には、マグルの血が混じってないことを『純血』って言って、自分達が誰より偉いって思ってる奴らがいるんだよ」
「もちろん、そういう連中以外は、そんなこと全く関係ないって知ってるよ」
ロンが手のひらに零した一匹のナメクジを洗面桶に放り込みながら言った。
「ネビル・ロングボトムを見てごらんよ、あいつは純血だけど、鍋を逆さまに火にかけかねないぜ」
「それに、俺たちのハーマイオニーが使えねえ呪文は、今までひとっつも無かったぞ」
ハグリッドが誇らしげに言う。ハーマイオニーの頬がぱーっと朱色に染まった。
「けど、ま、庇うわけじゃねえが、ドラコに当たらなかったのは幸運だったな。下手すりゃルシウスがホグワーツに乗り込んで、お前の親父に頭下げさせてたぜ」
「最悪だ」
ナメクジをゲーゲー吐き続ける以上に最悪だという顔でロンが言い、また桶に顔を突っ込んだ。ベルは背をさすってやりながら、「それで、なんだって呪いが逆噴射したんだ」ハリー達に聞いた。
「ロックハートのせいなんだ」
「違うわよ! ロンが先生の言う通りにちゃんとできなかったのよ」
「とにかく、消失呪文を習うところで、それで
……
杖を、授業のために用意された妖精に取られちゃって。まァ、いろいろあって、折れたんだ」
「おばさんに7ガリオン送ってもらえ」
ベルは諭すようにして言った。
「土台無理な話だったんだ、杖芯も飛び出してたし
……
ホグズミードにオリバンダーの系列店がある。マクゴナガル先生に言えば、特別に許してもらえるさ」
「ホグズミード?」
「麓にある村の名前だよ。来年からはあんた達も行けるようになる。イギリス唯一の、魔法使いしか住まない村だ」
魔法使いの村! ハリーとハーマイオニーは目をキラキラさせた。
「無理だよ、7ガリオンなんて
……
今年はロックハートの高い本を何冊も買ったし、ジニーも入学だったし」
「そうは言ったってなぁ。そんなんじゃ試験どころじゃあるまい。杖だって可哀想だ」
ロンの杖をポケットから取り出し、テープでぐるぐるになんとかつなぎ止められているのを見て、「おー痛」ベルは心底可哀想だという顔をした。
「ああかわいそうに
……
死に体じゃないか。杖芯にまだ力があるから、辛うじてなんとかなっているだけだ」
「わかるの?」
「分からいでか。とにかく、新しいのを買いなさい」
ベルは丁寧にテープを剥がし、杖芯をなんとか杖の中心に収めながら、慎重に折れた杖の継ぎ目を繋ぎ合わせた。そうしてベルの杖からするすると細長い蔦のようなものを生み出し、ロンの杖にまとわりつかせる。
「こっちの方がだいぶマシだろ。言っとくけど、長くはもたないから、試験までには新しいのを買うんだぞ」
「でも
……
」
「お前の安全には代えられないって言ってるんだ」
ロンはむぐむぐと唸っていたが、結局はこくんと頷いた。
ハロウィン用のカボチャがとうとうベルの背丈を越そうというときに、ベルはパーシーから声をかけられた。ウィーズリー家三男、昨年からグリフィンドールの監督生を任されている、これまた燃えるような赤毛である。
「ベル、すまない、少しいいか」
「ン。なんだ、珍しいな。どうした」
学校では、双子のフレッドとジョージでさえ、ベルにはごくたまにしか声をかけない。ベルはもう気にかけてやらなければならないほど弱くなかったし、そんなことより面白いあれやこれやがホグワーツ城には溢れているからである。
「ジニーのことなんだ。本当は、僕達でなんとかしてやりたいんだけど
……
ほら、ジニーはきみのこと、本当の姉のように慕っているから」
「私で良ければいくらでも話を聞くよ。ランチを食べながらでいいか? ペネロピが気を悪くしないといいが」
「は? 待て、なんで知ってるんだ」
「女子の情報網を侮らねえ事だな。あいつら聞いてもいねえのに喋るから」
二人は急いでランチを片付ける生徒達に混じって大広間に並んだテーブルの隅に陣取った。サンドイッチを食べながら、パーシーは「ジニーの様子がどうもおかしいんだ」早速本題を切り出した。
「最近流行りの風邪なのかな
……
今度マダム・ポンフリーの『元気爆発薬』を飲ませようと思うんだけど」
「初めて環境が変わったんで、ストレスじゃないか」
「そうだといいんだけど
……
つまり、深刻な何かじゃないかって心配なんだ。何か話を聞いてないか? ジニーは女の子だし、僕らに言えないことがあっても、でも、ママや君にちゃんと相談してるなら、それでいいんだけど」
ベルはちょっとだけパーシーを見直した。頭でっかちで堅物の、監督生や首席という名誉に目の眩みがちなパーシーが、ジニーが年頃の女の子だということをちゃんと分かっているとは思わなかったのである。
そんなパーシーに味方をしてやりたかったが、残念ながらベルにパーシーの求める情報の持ち合わせはなかった。
「悪いな、何にも聞いてない。便りがないのはいい便りだと思ってたんだ、双子もいるし。友達もできていたようだったから
……
先輩とは言えスリザリンがしゃしゃり出るのもな。ちょっと違うだろ」
「そうかな。君はその辺、上手くやるんだと思ってたけど」
「あーあー悪かったよ、ほったらかしにして。今度ジニーに話を聞くよ」
「ありがとう。フレッドとジョージは、ペネロピの言葉を借りるなら、女心が分かってないらしいんだ」
「そうなの?」
「ジニーを励ますのに、にきびだらけになったり、毛むくじゃらになったりして、ジニーを脅かすんだ」
「可哀想に
…………
」
ベルは早晩、ジニーに会うことにした。
「ジニー
元気?
ホグワーツに入学してからもう一ヶ月が過ぎたね。寮の皆とは上手くやれてる? 直接話しに行けたらいいんだけど、ほら、私もハリー程じゃないにしても、いろいろ言われてるから。スリザリンだし。ジニーの友達を驚かせたくなくてね。
良かったら話さない? 天気が良かったら湖に行こう。風が気持ちいいよ。空いてる日を教えてね。
ベル」
「ベル
お手紙ありがとう。元気よ。上手くやれてると思う。
あなたについての噂はいろいろ聞いたけど、どれも嘘っぱちばかりで、私、その点に関してだけは譲らないつもりよ。いろいろ言われることなんて、気にしなくて良いんだわ。
放課後ならいつでも空いてる。今日でもいい?
ジニー」
「ベル
元気なら良かった。それが一番心配だった。環境の変化はどうしたってストレスだから、毎年何人かは不調になるんだ。
もちろん、今日でもいいよ。私は温室にいるから、作業が終わるまで待っていてくれる? 晴れていたら外に行こう」
ジニーからOKの返事があったので、ベルはキッチンに行って、ちょっとしたお菓子を頂戴することにした。
温室での作業が終わる頃、ジニーは魔法薬の授業を終えて一人でやってきた。
「ベル! なんだかすごい久しぶりな気がするわ、手紙を貰えてとても嬉しかった」
「おおー
…………
元気そうでなによりだ、ジニー」
嘘だ。全然元気そうなんかじゃない。ジニーの顔は記憶より青白く、これではパーシーが放っておかないのも分かるというものだった。ベルはジニーとハグしながら、ちょっとだけ思案を巡らせると、「晴れてるし、予定通り湖に行こう」お菓子を見せながら言った。ジニーは喜んで「おなかぺこぺこ!」と飛び跳ねた。
湖は斜陽に照らされて、きらきらと眩しいほどだった。ジニーは芝生に座って、ベルはその傍で寝っ転がった。
「夕飯、入るかしら」
「入る入る。体重なんか気にせずに食べな。ちょっと太ってるくらいじゃないとやってけないぞ」
「でも、スタイルは良い方がいいんじゃない?」
「どうして」
「どうしても! ベルだって痩せてるのに」
「背が伸びないぞ。横に大きくなるのを怖がるのは分かるが、それは背が伸びなくなってからでいい」
ジニーは口を尖らせて、不承ぶしょう納得した素振りを見せた。
「栄養不足は肌も悪くするしな
……
お腹いっぱい食べなさいよ。あとちゃんと寝ること」
「寝てるわよ。もう、久し振りに会ったのにお説教ばかりしないでよ」
「お節介焼きたくなるくらい、お前の顔色が良くないってことだよ。何かあったんだろ。話してご覧」
ジニーは咄嗟に言葉を詰まらせた。それを見逃すベルではない。
「お前、何かにハマってるだろ。カバンの中にあるね? 出しなさい」
「、
…………
」
「取り上げたり、怒ったりしないから」
穏やかに宥める声音に、ジニーはのろのろとカバンを開け、中から分厚い冊子を取り出して、ベルに渡した。
「中は見ないで」ジニーは素早く言った。「その、日記なの」
ベルは瞬いて、日記を見、ジニーを見た。ジニーはバツが悪そうにベルから視線を逸らしている。
「ジニー、お前、これがあんまり良くないものだって、ほんとは分かってるだろ」
ぎゅ、とジニーの手元にある芝生が音を立てた。ますます肩を強ばらせて首を竦めるジニーに、ベルは優しくも有無を言わせない声音で言った。
「自分の意思で捨てなさい。そうでないと、お前は元気になれないし、パーシーのお節介も止まらないし、気付かないうちに知らん場所にいる、なんて事も治らんぞ」
「───!」
ジニーが息を飲み、音を立ててベルの方を見やった。ベルは日記をジニーの鞄の上に置いた。
「もう繋がりができてる。お前が始めたことだから、お前が終わらせなさい。そうでないと意味が無い」
「
…………
助けてくれないの」
「今助けてやってるだろ。私が取り上げても、お前が心から棄てたいと思わなければ意味が無いんだ。結局またこいつは勝手にお前のところに戻るだろうよ」
「
…………
ベルは、これがなんだか分かる?」
「お前に取り憑いて、お前の生きる力を吸い取っていることしか分からん。捨てなさい。そんなものなくとも、お前はちゃんとやっていけるよ」
「私、トムに随分と助けられたのよ
……
トムがいなければちゃんとできなかった」
ジニーの声は震えていた。
「何も知らないくせに!! ベルの意地悪、やっぱりスリザリンらしいじゃない!!」
ほとんど金切り声で叫んで、ジニーは鞄をひったくるようにすると、もたつきながら湖から走り去って行った。
「
…………
はー、やれやれ
……
」
起き上がる。カシカシ頭をかきながら、ベルはどうしたもんかと嘆息した。
無理に引き剥がせばジニーの心が壊れる。ベルがジニーからあの日記を問答無用で引き剥がして、ジニーが元気になるなら、友情ひとつ壊れるよりはジニーの命を優先すべきだと、ベルには分かっているし、その覚悟もあった。
だが、今のままではジニーの精神までもつられて壊れることになりかねない。この手の繊細な作業は、正直言って不得手だ。はてさてどうしたもんかと、ベルは三度、嘆息した。
「パーシー
すまん。端的に言って失敗した。
ジニーはどうも、宜しくないものにいろいろと相談して、それであんなに元気がなくなってるらしい。
無理に取り上げるより、信用と信頼ができる相談先を増やした方がいい。ペネロピにも手伝ってもらって、話を聞いてあげたり、モリーママに手紙を書くように言ってあげて。自然と自立するよう促して、依存先を増やして、数ある選択肢の中から敢えてそいつを選ばないようになれば、自然と元気になるだろう。逆に言えば、それだけの時間をかけられるくらいの余裕はあると思う。
私も協力するから、気長にやろう。
ベル」
ハロウィンパーティーが目前に迫って、ベルは俄に忙しくなった。パーティーに向けた広間の飾り付けだったり、大きくしすぎたカボチャをくり抜いてオブジェを作ったり、ハグリッドや先生を手伝って、何度も城と畑を往復した。故に彼女がミセス・ノリスの騒動を知ったのは、生徒が全員、寮に戻ってからだった。
「あらまぁ」
広間から一番近いところにある階段に、赤いペンキでべっとりと、「秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ、気をつけよ」と書かれている。床には一部水たまりができていて、ベルは壁や床、天井を見やった。どこかから水漏れやら雨漏りやらしたのかもしれない。古い城には違いないのだし、そういう事もままあるだろう。しかし、流石に配管工の真似事はしたことがない。仕事を振られたらどうしようかしら、と思いながら、ベルはスリザリンの寮へ戻って行った。
寮はいつにも増してザワザワとしていて落ち着きがなかった。就寝時間を過ぎようとしているのに誰もベッドに戻りたくないらしい。皆がそれぞれのグループで固まって、ああでもないこうでもないと話していた。
「本当にハリーがやったと思うか? 二年生だぞ」
「それでも、あいつは一歳で『例のあの人』を打ち倒したんだぜ」
「ミセス・ノリス、死んじゃったのかしら」
「秘密の部屋ってなんのこと? まあ、この城ならそんな部屋が幾つだってありそうだけど
……
」
「あんなに固くなって、可哀想
……
」
「次は誰だと思う?」
「怖いこと言わないでよ
……
」
ベルは誰の会話を聞くともなしに聴きながら部屋に移動した。緑のランプで統一された空間を進み、過去のスリザリン生達のタペストリーを横目に階段を上がる。部屋には誰も戻ってきておらず、ベルはさっさと寝巻きに着替えて、音を立ててベッドに飛び込んだ。
秘密の部屋とかいうのを開けた奴が、ミセス・ノリスに何かして、継承者の敵を狙っている。らしい。
継承者の敵はハリーかもしれない、とベルは夢うつつに思った。ベルが知っている中で、ホグワーツ城というダンブルドアのお膝元で狙われることがハッキリしているのは、ハリーくらいしかいない。夏にドビーがそう言っていた。
ハリーを継承者の敵とすると、継承者はヴォルデモートかもしれない、とベルは当てずっぽうに推理した。
ヴォルデモートは、おそらくクィレルを失って、なんかしらの手段で以て再びホグワーツに潜り込み、ハリーに接触しようとしている。
……
どうやって? また誰かに憑依しているのだろうか?
今年ホグワーツ城に入ってきた人物と言えば、真っ先にギルデロイ・ロックハートが思い浮かぶ。ねえな、とベルは一刀両断した。
他には新一年生が今年初めてホグワーツに来ているが、ちょろいだけの11歳に憑依を許す体力があるはずもない。憑依されている状態を隠せるだけの技量がある筈もないし、そんなことをしていたらすぐに顔色やらなんやらに現れるだろうし
……
。
「───ジニー、」
微睡みが彼方へ吹き飛んだ。目を見開いたベルの脳裏には、ジニーの抱える日記が思い浮かんでいた。
翌朝、ベルはジニーに手紙を書いた。手紙を書きながら、もう少し早くジニーに謝るべきだったなと少しだけ後悔した。
「ジニー
元気? この間はごめん。
スリザリンとかグリフィンドールとか、あんまり気にせずに、もっと話しかけるべきだったね。いつも私が言ってることを、私が一番気にしてた。ごめん。
これからは私ももっといい相談相手になれるように頑張るよ。良ければ私の話も聞いてほしい。
返事をくれたら嬉しい。待ってるね。
ベル」
唯一の拠り所を取り上げるなら、私が代わりになるからと言ってあげるべきだった。失敗した。ジニーだって、新しいところで精一杯頑張っているのに。
申し訳ない気持ちと、早く何とかしなければならない現実が、ベルを遮二無二焦らせる。日々の授業や放課後の仕事が憂鬱以上に邪魔だった。特にロックハートの授業で、ベルは冷静さを保つことに必死にならなけらばならなかった。
「何も心配することはありませんよ。ミセス・ノリスはじきに良くなります。秘密の部屋も閉じられて、こんな事はもう二度と起こらなくなるでしょう───ホグワーツに私がいる限りね。私の著書『鬼婆とのオツな休暇』でもあったように───」
ベルは、ロックハートの本を買っていなかった。
教科書リストが届き、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店でロックハートの本をちらっと立ち読みして、代わりに以前まで闇の魔術の防衛術で使われていた「闇の力───護身術中級編」を買った。
ベルがロックハートの授業に参加しているのは、出席点のためだけだった。
初めての授業で、実力を測るためだと称して「ロックハートの著書をどこまで読み込んでいるのか」テストを受けさせられた際に、ベルはこの授業、およびロックハートを見限った。テストはほとんど白紙で提出し、その事で「私の本を読んでいないのかな? 予習は大事ですよ」とロックハートに名指しされた際は、可愛い笑顔で、「ゴメンなさい、エイゴがニガテで。日本人なんです。なんて仰ったんですカ?」などと宣い、後で話を聞いたウィーズリーの双子を爆笑させた。
ロックハートはベルがまた珍しい方向で面倒な生徒だと分かると、途端にベルを指名しなくなった。ベルは日本から持ち込んだてきとうな書籍のてきとうなページを開いて、英語を調べているフリをしつつ、堂々別の授業の課題や自習、つまりは内職をやっていた。
要するに、この授業をしている時間は、ベルにとって無駄以外のなんでもなかったのである。
こんなことに時間を費やすならジニーとちゃんと話したかったし、秘密の部屋について調べたかったし、とにかくあの日記を燃やし尽くしたくて堪らなかった。
ようやく授業が終わって、ベルはいの一番に教室を後にした。とにかく何かしていないと落ち着かなかった。
ベルはハリー達を探した。この際、パーシーでも、双子でも何でも良かった。ジニーの様子を直接探るにはグリフィンドール寮の生徒に聞くしかないが、ベルには知り合いが少なかった。
土曜の午後、ベルは珍しくクィディッチ競技場に足を運んだ。試合後のハリーか、双子達を捕まえるためだ。しかし、ベルを出迎えたのは泥んこのグリフィンドールチームだった。そこにハリーの姿も、双子の姿も無かった。
「アリシア」
「あら、こんにちは。試合はもう終わったわよ」
双子と関わりがあるので辛うじて名前を知っているアリシアに声をかけると、彼女は少しツンケンしながら答えた。ベルは気にせずに笑った。「あなた誰?」なんて聞かれるよりマシだからだ。
「だろうな。勝ったか?」
「勿論よ。お生憎様だったわね」
「なーに、マルフォイが負けるのは分かりきってたさ。談話室で箒の自慢しかしねえんだものな。ところで双子とか
……
ハリーはいるか?」
「いないわ。ハリーは保健室、フレッドとジョージはブラッジャーと格闘中よ」
「ブラッジャー? なんで」
「あなた、ホントに試合を見に来てないのね」アリシアは呆れたように口をへの字にした。
「ブラッジャーが暴走して、ハリーばかり狙うようになったの。ハリーはスニッチを取ったけど、腕を骨折して
……
、で、治そうとしたロックハートが、骨を抜いちゃったの」
ベルは眉間に皺を寄せ、口を開け、信じられない面持ちでアリシアの方を見た。アリシアは肩を竦め、「双子が戻ってきたらお見舞いに行くわ。一緒に来る?」と誘ってくれた。
「お、ベル! なんだ、来てたのか?」
「今来た。お疲れさん」
「あなた達に陽があるんですって」
「へえ? そりゃまたなんで」
「ジニーのことで、ちょっとな。でも、先にハリーのお見舞いに行こう」
チームとベルは連れ立ってゾロゾロ保健室まで移動した。ベルは床を汚す泥を魔法でてきとうに綺麗にしてやって、途中、マルフォイが上級生に叱られているのを横目に通り過ぎた。双子がさりげなくベルを隠すようにして歩いてくれたので、ベルは双子のユニフォームの泥を軽く落としてやった。
途中でお菓子やらジュースやらを調達し、チームはとうとう保健室に辿り着いた。ハリーはパジャマに着替え、変な方向にぶよぶよと投げ出された腕か痛むのか、少しだけ苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
「ハリー、チョーすごい飛び方だったぜ」
「さっきマルフォイがマーカス・フリントに叱られてたよ」
「ありがとう。ベルも見に来てたの?」
「いいや、ちょっと話があって。でもまあ、先にこっちだな。食べれる?」
「なんとか」
ロンがハリーを支え起こして、ハーマイオニーがハリーにフォークを渡したちょうどその時、怒れるマダム・ポンフリーがやってきた。
「この子は療養が必要なんですよ!! 出ていきなさい、出なさい!!」
目を丸くした生徒たちが慌ててジュースやお菓子を引っ掴む。ベルはちょっと杖を振って幾つかをハリーに残し、まだ何事か言おうとしたマダムの前で床や椅子に着いた泥を魔法でサッと綺麗にした。咄嗟に固まったマダムに、にこやかに「失礼しまーす」と言って、ベルはグリフィンドールチームを追いかけた。
「ウィーズリー、」
「ああ、そうだった」
双子が立ち止まって、階段を少し下ってくれる。
「ジニーがなんだって?」
「あー
……
ちょっと喧嘩して。手紙で謝ったんだけど。返事がなくてね」
双子は顔を見合せた。あんなに仲の良かった姉妹でも喧嘩をするのか、という顔だった。
「ジニーが元気にしてるならそれでいいんだ。あんた達や友達と話してるなら」
「
……
まあ、ミセス・ノリスの件は堪えたみたいだったけど」
「おおむね問題ないんじゃないか。何か気になる事でもあるのか?」
「ん
……
ちょっとね。でも、ジニーの事だから、私からは言えないな。また手紙出すよ」
「ああ、それがいいな」
「俺達からも、返事を書くように言っておくよ」
「ありがと。じゃあね。試合、お疲れ様」
「サンキュー」
グリフィンドールチームと別れて、ベルは寮に向かうために地下へと降りて行った。
数日後。
ジニーからの返事より先に、ベルはハリーに捕まった。
「ベル! 今、時間ある?」
「よう、ハリー。時間ならあるよ。腕、もう大丈夫か?」
「うん、痛かったけどね
……
ありがとう」
ちょっと相談に乗って欲しいことがある、と言うハリーに連れてこられたのは、嘆きのマートルが棲み着いている女子トイレだった。ベルはハリーが躊躇いなく女子トイレに入っていくのに驚き、そしてそこにハーマイオニーとロンがいて、鍋を囲んでいるのにも驚いた。
「
……
あー
……
料理をするのにトイレの床は適さんと思うが
……
」
「シチューを作ってるわけじゃないわよ。これはポリジュース薬」
「ポリジュース薬? なんでまたそんなものを」
「スリザリンの寮室に入りたいんだ」
「どうして?」
「決まってるだろ。継承者が誰か探るためだよ」
ベルはうっかり沈黙した。その沈黙をどう受け取ったのか、ハリーは窺うようにして言葉を選んだ。
「もしかして、ベル、秘密の部屋は無いって思ってる?」
「あ、いや、違くてな。なんで継承者がスリザリンにいると思ったんだ?」
「僕たち、継承者はマルフォイなんじゃないかって思ってる」
ロンが潜めた声で言った。
「だって、あいつ、大のマグル嫌いだ。ミセス・ノリスはスクイブのフィルチの猫だし、コリンはマグル出身だった」
「コリン?」
「グリフィンドールの一年生だよ。僕の見舞いにこっそり来ようとして、石になっちゃったんだ
……
」
そう言えば、今朝方そんな話を耳にしたような。ベルは「なるほど」と相槌を打った。
「フィルチのやつ、スクイブだったのか
……
」
スクイブとは、魔法族の家に生まれたにも関わらず、魔法力を持たない人々の事である。
「しかし、純血以外を狙うような奴、ってだけだと、容疑者はマルフォイ以外にもいるな。別にスリザリン以外にもそういう奴らはいないことはないし
……
」
腕を組んで何人かの生徒を思い浮かべているベルに、ハーマイオニーが続けて聞いた。
「その中で、古い家のこどもはいる?」
「と、なるとスリザリンが多い。なんで古い家なんだ?」
「
……
実は、入院した日の夜、ドビーが僕の前に現れたんだ」
ベルは驚いた。まさかこんなところにまで追いかけてくるとは思わなかったからだ。
「僕が学校に戻ってきて、でも秘密の部屋が開けられちゃったから、やっぱり僕を家に帰さないといけないって思ったらしくて
……
ブラッジャーに魔法をかけて、僕が家に帰るような大怪我すればいいって思ったって」
どこか複雑そうな顔で言うハリーに、ベルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
異形にひとの道理は通じない。人外であるので。だからこそ、ヒトを守ろうとすると、それがヒトを損なうことに、いつまでも気付かない時がある。
ベルはそれを、身に染みてよく知っていた。知っている筈だった。
「はー、嫌になるな。上手くできないことばっかりだ
……
」
「? なんの話?」
「こっちの話。それで、ドビーは他に何か言ってたか」
うん、と二年生達が頷く。
「秘密の部屋は、五十年前にも一度開けられた事があるらしいの。それと、これはビンズ先生が言ってたんだけど、秘密の部屋は、ホグワーツの創始者であるスリザリンが作ったらしいの」
「純血主義も、そのスリザリンが言い出したんだって」
ハーマイオニーの言葉を、ロンが補足する。ハリーは気遣わしげにベルを見遣った。
「その、ベルはそんな事ないって、僕たち知ってるけど。でも、やっぱり、継承者はスリザリン生なんじゃないかって
……
」
「分かってるよ、ハリー。ありがとな」
ベルは笑みを深めた。ハリーも微笑んで、そっと肩の力を抜いた。頭の中で話を整理したらしいベルが、再度、なるほどなと頷く。
「スリザリン生、かつ五十年前から部屋にまつわる何がしかを子孫の代に伝えられるほどの家。となると確かに、筆頭候補はマルフォイだな。よし分かった、私の方でもちょっといろいろ試してみよう。何か分かったら知らせるよ。ポリジュース薬は最後の手段に取っときな」
「分かったわ」
ハーマイオニーは少し残念そうだったが、ロンは分かりやすくホッとした。
「これでスリザリン生の爪とかが入った薬を飲まなくてもよくなる。助かったよ、ベル」
「どういたしまして。お礼は要らねえから、ジニーを気にしてやってくんな。なんでもいいから、話を聞いてやってくれ」
「? 頼まれるまでもないけど
……
」
「もしかして、ジニーと喧嘩したの?」
「仲直りしたいんだけど、これがなかなか。ま、気長にやるさ」
飄々と肩を竦めたベルは、三人に別れを告げると、人の気配がないことを確かめてトイレの外に出た。
次の教室に向かいながら、頭の中を整理する。
ビンズ先生とドビーの話が本当なら、ベルの推測が現実味を帯びてくる。
ハリーに罠を仕掛ける存在が、ヴォルデモートである可能性。
今も続く古い家の、かつてヴォルデモートに与していた者たちが、ヴォルデモートの手足となって動き、それをドビーがハリーに伝えたという可能性。そして、その古い家が、マルフォイ家であり、現在ホグワーツに在学しているドラコが部屋を開けた可能性。
しかし、それなら、いつ、どこで、どうやって、ジニーにあの日記を持たせたのか。そしてあの日記の「トム」は、本当にヴォルデモートなのか?
あの日記は、もっと別の、ただのタチの悪い魔法道具の一種なのでは? トムなんて名前、どこにでもありふれている。ジニーの件と、秘密の部屋の件は、ヴォルデモートで繋がってはいないのではないか? 流石に、飛躍しすぎではないだろうか。ヴォルデモートという存在の大きさに、引っ張られていやしないだろうか
……
。
あまり大きな名前を出して、周りを振り回すべきじゃない。もう少し確信を持ててから、証拠を得てからでも遅くはない。大広間でたまに見かけるジニーは、まだちゃんと食べていて、ふらつかず歩いている。
焦るな。自分に言い聞かせて、ベルは努めて長く息を吐いた。ただでさえ色々と上手くやれていないのだから、慎重にならなければいけないのは明白だった。
森や畑、家畜の冬支度を世話していると、冬がやってくるなと感じる。作業をするのにも空気は肌を刺すように冷たくなり、昼間でも雲が多く揺蕩って、陽の光を遮った。自然の音が少しずつ静かになっていくこの季節の狭間が、ベルは嫌いではなかった。
「ベル」
今日も今日とて植物が冷えて凍えないように魔法をかけてやっているところへ、スネイプが顔を出した。ベルはまたなんぞやらかしたかしらと一瞬身を強ばらせたが、すぐにクリスマス休暇についてだと思い直す。
「今年も残るのだろうな」
「はい、先生。すみません、この後お伺いしようと思ってたので。御足労頂いて、ありがとうございます」
スネイプと話す時は、やはり緊張する。ベルは魔法薬の授業でかなり異質であるため、スネイプに良く思われていない自覚があった。
学校指定の錫の鍋で、ベルはまともに魔法薬を調合できた試しはなかった。スネイプが黒板に書いた手順通りにやっても、またその工程を0から100までスネイプがつぶさに観察し、問題なかったとしても、何故か最後には鍋がボンと音を立てて爆発するのである。
これではまともな採点ができないとして、ベルは他の生徒以上に筆記テストを完璧にすることを求められ、かつ、錫の鍋での調合を継続すると同時に、日本から持参した調合セットで課題物を作成することを課されていた。これらをきちんとこなし、なんとかいい子にしていることで、侮蔑と嫌悪の入り交じった目で見られることは減ったが、それでもスネイプはベルに好意的ではなかった。
リストに手早くサインする。結構、とスネイプが羊皮紙を巻きとった。
「今年のクリスマス休暇ではマルフォイ達も残る。決して後輩たちの前で、鍋で米を炊くなどの愚行は犯さぬように」
「はい、先生」
ベルはしおらしく答えた。スネイプは疑わしそうにベルを見ていたが、ベルはまだ他にも何か? という顔をした。
「
……
ところで」
「はい」
「吾輩は忙しい。どこぞの生徒のために課題を倍にしているせいで予定が立て込み、今夜八時の決闘クラブに参加する暇もない」
ベルはなんだか嫌な予感がしたが、とりあえず「はあ」と相槌を打った。
「そこでだ。吾輩と比べるべくはなくとも、それなりに実戦経験が豊富で、呪文の扱いに長けており、かつ、生徒達が散らかすであろう大広間の片付けを完璧にこなしてくれる代理を探しているのだが
……
心当たりは?」
「
………………
」
暗にお前がやれ、と言われ、ベルは咄嗟に嫌そうな顔を隠すことはできなかった。
「監督生とか
……
」
「勿論、参加させる」
「フリットウィック先生とか
……
決闘で優勝したことがあるとかなんとか」
「フリットウイック先生はお忙しい」
ピシャリと叩き落とされる。ベルはなんとか、「心当たりは、ありませんねえ
……
」と絞り出すようにして言った。
「ちなみに、誰が発案なんです」
「我らがギルデロイ・ロックハート教授だとも。他に誰がこんな馬鹿げたことを言い出すとでも?」
「あー
……
」
しってた。ベルは腕を組んで遠くを見はるかした。同時に、そりゃあ嫌だよなぁ、とも思う。どういう経緯でスネイプが参加することになったのか知れないが、スネイプとロックハートのソリが合わないことなど、火を見るより明らかだ。
「
……
いいんですか、実践のお手本とかしなくて
……
」
ロックハートを公的にぶちのめせるいい機会でもある。生徒たちにも同じことが言えた。おそらく実践練習のフリをして、普段からいがみ合っている生徒達がここぞとばかりに喧嘩するだろう。ベルはそれらの監督役も任されていると言っても過言ではなかった。流石にそれはちょっと、四年生の肩には重い。
ベルの言わんとすることを見透かして、スネイプは飄々と言った。
「我輩はクラブの集合時間である八時に残念ながら間に合わないのであって、参加を取りやめるわけではない。愚かな生徒達の監督が一生徒に務まるわけがないのは自明の理だ」
「仰る通りで」ベルは嘆息しながら言った。「それなら、まあ、はい。普段ご迷惑をおかけしていることへの感謝も兼ねて、お役に立てるようでしたら、僭越ながら私が」
「素晴らしい。では今晩八時に」
あっという間に立ち去るスネイプ。スネイプの姿が見えなくなって、ベルはなんだかどっと疲れたような気がした。
憂鬱に放課後を過ごし、ベルは八時より少し前に大広間に顔を出した。大広間は多くの生徒でごった返していて、ドラコやハリーなど、知った顔もいくつかあった。
ベルが到着して少しして、ロックハートがにこやかに登場した。きらびやかな深紫のローブを纏って、観衆に手を振り、「静粛に」と呼びかける。
「みなさん、集まって。さぁ、私がよく見えますか? 声は聞こえますか? 結構結構!」
ベルは生徒を見回した。生徒の半数はガッカリした雰囲気を隠しもせず、半分は目をキラキラさせて色めきだっているようだった。
「ダンブルドア校長先生から私がこの小さな『決闘クラブ』を始める許可を頂きました。私自身が数え切れないほど経験してきたように、自らを護る必要が生じた万一の場合に備えて、皆さんをしっかり鍛え上げるためです。後ほど、スネイプ先生もご協力してくださいます───では、本日の助手を紹介しましょう」
手招かれて、ベルは意識して表情筋を引き締めた。ロックハートは「緊張してる? 大丈夫だよ、私がいるからね。り、ら、っ、く、す、だ、よ」なんてベルにだけ聞こえるようにボソボソと言った。ベルはいつものように片頬だけで微笑んで返した。ロックハートはまだベルが英語を理解できないと思っているらしかった。
大広間の食事用のテーブルが取り払われた代わりに設置された金色の舞台へ招かれ、ベルは僅かばかり気を引き締めた。教えるのが下手なだけで、ロックハートが実は優秀な魔法使いであろうことが、まだ僅かばり可能性として残っているからだった。
ステージからは、観衆の顔がよく見えた。どうしてベルが、という疑心の視線、興味津々に好奇心を丸出しにしている顔、ベルのことか、ロックハートのことか、クスクス笑う声。
「まず、私達が決闘の作法について模擬演習をします。決闘においては、互いに一礼をします。礼をしたら、杖を相手に向かって突き出して構えます。そうしたら勝負の始まりです。ですが今回は模擬ですからね、いくつか魔法を使って、ミス・ベルが怪我をしないうちに終えましょう」
ベルは杖を取り出し、日本人らしく頭を下げた。ロックハートは腕を振り上げ、くねくね回しながら大仰に礼をした。
両者が顔を上げ、杖を構える。
「いい姿勢ですね、ミス・ベル。これからあなたに最初の魔法を」
───瞬間、紅の閃光がロックハートを吹き飛ばした。
ワッ、と生徒達が悲鳴とも取れる歓声を上げる。ベルは、ふと、観衆の遠くの方で、スネイプが意地悪く笑いながら立っているのを見つけた。
たぶん、普段から英語さえ喋れないと小馬鹿にしている生徒に無様に吹き飛ばされるロックハートを見る方が、自分でロックハートを吹き飛ばすより満足できると踏んだのだろう。ベルはやりきれなくなったが、そう言えばどういう段取りで模擬演習を終わらせるか話し合っていなかったので、ステージの端でなんとか立ち上がろうとするロックハートを再度吹き飛ばした。今度は間違いなく悲鳴が上がり、「いいぞ、ベル!」おそらくスリザリン生のものと思われる野次が飛んだ。
「そこまで」
生徒を掻き分け、スネイプが壇上に上がってくる。
「今のが武装解除の魔法だ。次に放ったのが基礎呪文。よく鍛錬している、スリザリンに10点加点しよう
……
模範演技はこれでじゅうぶんですな?」
生徒に助け起こされながら、ロックハートが「あぁ、うん、はい、問題ないでしょう」やっとのことでまともな言葉を形にした。壇上からそれを見下ろしていたスネイプがニヤリと笑う。ベルは半眼になるのを堪えきれなかった。
「では、それぞれ二人一組になるように」
生徒達のざわめきに紛れて「よくやった」と小さく言われる。ベルが今まで聞いたものの中で一番柔らかな声音だった。どうも、と軽く会釈して、ベルはさっさとステージを後にした。
「ベル! すごかったぜ!」
「ペア組んでくれよ、プロテゴを試したいんだ」
「なあ、他には何ができるの?」
「あんなの、いつの間に練習したの?」
あっという間に生徒達に囲まれて、ベルは思わずびっくりして目を見開いた。ほとんどスリザリン生だが、たまにレイブンクローやグリフィンドールの生徒が混じっている。
「あー、エト、ウン、えっと
……
」
びっくりするくらい言葉が出てこないし、今自分が何を聞かれているかも分からない。頭が真っ白になって、英語がただの音となって上滑りする。盛んに瞬くベルは咄嗟にどうしたらいいものか分からなくなって、カチリと固まってしまった。
そこへ、スネイプが指示を飛ばす。
「ベルは下級生のうち、余った生徒の相手をするように」
「!」
反射的にスネイプの方を振り返ったベルは会釈して、近くにいた下級生のジャスティンに声を掛けた。
「ジャスティン、一緒にやろう」
「うん、でも、その
……
」
瞠目したジャスティンが、困惑したように眉を寄せる。
「僕、ここにサンドバッグになりにきたわけじゃないんだ」
「誰だってそうだよ。大丈夫、私は羽根ペンを持つから」
「それに、さっきの魔法の呪文も知らないんだよ。君は無言で魔法を使ったし
……
」
「教えてあげる。武装解除の魔法だよ」
二人が話している間に、スネイプとロックハートによって次々とペアができあがる。ロックハートは何度も「相手の武器を奪うだけですよ!」と声を張り上げていた。
「繰り返してね。エクスペリアームス、武器よ、去れ」
「エクスペリアーム、武器よ、去れ」
「エのアクセント、完璧だね。アをもう少しはっきりさせて、最後のSを忘れないように、もう一度言ってみて」
「エクスペリアームス、武器よ、去れ」
「完璧。それじゃあ、礼から始めよう」
ベルがちょうどそう言ったタイミングで、ロックハートが「礼をして!」ステージから指示を飛ばした。生徒達がそれぞれ会釈したり、顎を引いたりして、きちんと頭を下げたのはベルと、そんなベルの相手をすることになったジャスティンくらいのものだった。
ジャスティンが杖を、ベルが羽根ペンを構える。
しっかりと杖を握りしめ、ほんの少し緊張して、ジャスティンはじっとベルの手元に集中していた。
「エクスペリアームス、武器よ去れ!」
瞬間、ぱっとベルの手から羽根ペンが飛び上がり、ぽてんと地に落ちた。
「すごい! 完璧だ! 上手いな、ジャスティン」
「ほんと? きみみたいにはできなかったけど
……
」
ジャスティンは目に見えて全身から力を抜き、気恥しそうにはにかんだ。
「ありゃちょっと力んじゃったんだ」
ベルは羽根ペンを拾いながら言った。
「やりすぎたよ。それにしても、初めてでこれか。私が監督生だったらハッフルパフに加点してた」
「褒めすぎだよ。でも、ありがとう。ねえ、もう一回やってもいい?」
「勿論。どうぞ、よく狙って」
ジャスティンが二度目の武装解除を成功させて、ベルが拍手で褒めてやる頃、大広間では武装解除どころか様々な呪文が飛び交い、惨憺たる有様を呈していた。ハーマイオニーはスリザリン生からヘッドロックを喰らい、マルフォイは笑い続け、ハリーは文字通り踊らされていた。生徒のひとりは鼻血を出し、別の生徒はゲーゲー吐いていた。
「武装解除だけと言ったのに!!!」
「ベル!!」
怒り猛ったスネイプが鋭く呼びつける。ベルはぐるりと目を回した。
「はいはい! じゃあね、ジャスティン」
ジャスティンが「ありがとう、」と言ってくれたのを背に、ベルは広間の端から端まで走り回り、あらゆる呪文をフィニートで終わらせた。嘔吐く生徒には水をやり、汚れは杖の一振で綺麗に、怪我に対してはハンカチなどを出して応急手当をしてやり、立ち上がれないらしい生徒にはウィゲンヴェルド薬を譲ってあげた。
「ベル!」
「はいはい」
今度は何だと、ベルはひょこひょこスネイプの傍に駆け寄った。
「ドラコとポッターに模擬試合をさせる。立会人を任せても良いな?」
「承知しました」
ベルは軽く顎を上げるようにして頷いた。
スネイプの指示で、二人がそれぞれステージの両端に立つ。スネイプはドラコに何事か耳打ちし、ロックハートは「こうするんだ」と腕をグネグネさせている。ハリーはどこか焦ったような、困惑したような顔で、助けを求めるようにベルの方を見やった。ベルは「がんばれ」と口を動かし、「両者、礼!」ひとまず立会人なら仕切った方が良かろうと声を張り上げた。
マルフォイとハリーが数歩ぶん前に出て、互いに顎を引く。それ以降礼らしい仕草を見せる気配がないので、ベルは半眼になったが、「はじめ!」さっさと終わらせた方が良かろうと号令をかけた。
「サーペンソーティア! 蛇出よ!」
マルフォイが呪文を唱える。直後、杖先からニョロニョロと現れたのは長い黒蛇だった。ハリーがギョッとして半歩後ずさるのと同時、観衆は悲鳴を上げ、我先にとステージから距離を取った。
ベルは動じずに、スネイプを横目でチラリと見やった。スネイプは悠々として、成り行きを眺めている。
鎌首をもたげて攻撃の姿勢を取った蛇に、ハリーはどう動いたものか、混乱しているようだった。マルフォイはニヤニヤ笑っているが、ベルにはマルフォイがこの後のことに一切責任を持たないだろうことを見抜いていた。ドラコでは、この魔法を終わらせられない。
ベルも立会人なので、どちらかが倒れなければどちらにも肩入れできない。三者が動かない状況をどう受け取ったのか、ロックハートがハリーを押し除けて前に出た。
「私にお任せあれ!」
ロックハートが腕を振り上げる。直後、バンと大きな音を立てて蛇がステージの上から跳ね上げられた。ベルがサッと身を翻してステージから生徒達の前に降り立ったと同時、べちゃりと蛇が床に落ちる。蛇は怒り狂ってシューシューと音を立て、ベルの方に狙いを定めたようだった。高く鎌首をもたげ、牙を剥き出しにしている。
ベルが一切動じないまま流れるように踏み込み、逆手に持った杖を振り上げたのと、ステージから駆け寄ったハリーが何事か発したのはほぼ同時だった。
「■■■■■、■■■■!」
直後、蛇とベルが同時に動きを止める。ベルは、とにかくハリーが蛇を制してくれたのだと悟った。蛇は先ほどまでの様子が嘘のように、とぐろを巻いて大人しくなる。
───二年生なのに、よくもまあこれだけのことをしてみせる。
ベルは思わず片頬で笑った。ハリーもホッとしたのか、頬が緩んでいる。
「助かった」
言って、ベルは蛇を魔法で消した。黒い煙の残滓をかき消すようにステージに歩み寄り、ハリーとハイタッチをするようにして手を握り込む。そのままステージから降りてきたハリーの肩を、ベルはいつものように軽く叩いた。
「よくやったな。それにしても、なんて言ったんだ?」
「え? 手を出すなって言ったんだよ、聞こえなかった?」
「
……
うん?」
瞬いたベルが二の句を告げる前に、いつの間にか駆け寄ってきたロンが急いだ様子でハリーの袖を引いた。
「行こう、さあ、ほら」
「え、」
「早く!」
どこか青い顔をしたハーマイオニーも後に続く。ベルは瞬いて、それを見送ることしかできなかった。
「今のって
……
」
「まさか、あいつが?」
「あの子も分かってるふうじゃなかった?」
「今日の決闘クラブはここまで」
たくさんのひそひそ声を、スネイプが一刀両断する。
「必要であれば保健室に行き、そうでない者は真っ直ぐ寮に戻るように。ベルは当初の予定通り、ここを片付けていきたまえ」
「
……
はーい
……
」
大広間から出て行く生徒達と逆流しながら、ベルは再度杖を構えた。地味な仕事は生徒に任せておけばよろしいというスネイプの言葉に、ロックハートが確かにと頷く会話を聞くともなしに聞きながら、ベルは浮かした長机をこのままぶん回してやろうかしらという物騒な発想をなんとか仕舞い込まなければならなかった。
ベルがレヴィオーソを駆使して大広間を元通りにする頃には、すっかり就寝時間を過ぎていた。ベルは急いで、駆け込むようにして寮に戻った。この頃のフィルチと言ったら、息をしているだけで罰則を課そうとしてくるのだから、ひとたび捕まれば厄介この上ない。
なんとか誰にも見つからずに寮に戻って一息つけるかと思いきや、次にベルを出迎えたのはシン、と静まり返った談話室と、じっとベルの方を見やる生徒達の大量の視線だった。
ベルの心臓が、音を立てず止まる。意識して呼吸を繰り返し、ベルは何故だかそうっと、足音を立てないようにして移動し、談話室から女子寮へ続く階段を進もうとした。
「ミス・ベル!」
聞き覚えのある声が、ベルを引き止める。ドラコ・マルフォイである。ベルは階段に一歩足をかけたところで、ドラコの方を半身顧みた。
「よう、ドラコ」
「先ほどの模範演技は素晴らしかった。こちらでお話ししませんか?」
「
……
あー
……
悪いな、大広間の片付けをしてきたところで、」
「それにしても、以前から気になっていたんです。どうしてあなたは家名を名乗らないんですか? 僕、心配なんです、やっぱり軽々しく名前をお呼びするわけにはいかないと思って───宜しければ教えてくださいませんか?」
「
……
」
───家名。
数瞬、ベルの───淋の胸中が、騒がしく何事か喚き立てるように、不自然に凪いだ。
それらを一呼吸で沈め、ベルは短く言った。
「剥ぎ取られた。家名は無い。私はただの淋だ」
虚を疲れたのか、咄嗟に何事か言いあぐねるドラコの隙をついて、ベルは「今日はもう疲れた」嘆息しながら言った。
「またな。おやすみ」
ベルらしく微笑んで、今度こそ階段を登る。ベルに声をかけられる者は、誰もいなかった。
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