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桜霞
2022-10-01 17:52:22
16673文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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紅粉青蛾
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/10/31にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
ナイトレイブンカレッジハロウィンウィーク、六日目。
生徒達は、最終日のパーティのため、教師陣に黙ってこっそり、水面下でとある計画を実行するための準備に奔走していた。
かく言うユウも、そのうちの一人である。計画の仕上げ、トリを任されたものとして、全体をプロデュースするヴィルの演技指導にひぃこら言いながらどうにかこうにか這う這うの体でついて行っているところだった。
「おじゃましま~す
……
」
そこへ、ひょこりと顔を覗かせたのはリドルとエースだった。二人の登場に片眉をく、と押し上げたヴィルは、あまり逡巡せずに休憩を言い渡した。
はひぇ、とユウがへなへなその場に座り込む。
「大丈夫かい、監督生」
「だいじょぶでしゅ
……
」
「くたくたなんだゾ
……
」
「一時間ね。じゃ、アタシ、他のとこ見てくるから」
ヴィルは疲労を感じさせない足取りで颯爽とポールルームを後にした。お疲れ様です、とリドルの声がその背中を追いかける。
エースはユウの傍に胡坐をかいて、持っていたバスケットの蓋を開けた。
「ほら、トレイ先輩からサンドイッチの差し入れ」
「ありがたやまのほととぎす
……
」
手を合わせて深々とサンドイッチを拝んだユウとグリムは、揃ってサンドイッチを頬張り、「ふま~い」と目元を蕩けさせた。
「そう言えばお昼ごはんのことすっかり忘れてました」
「昨日の晩は僕らがお世話になったからね」
「ありがとうございましゅ」
「うめえんだゾ!」
「あとオレンジジュースな。はい」
エースは紙パックにストローを刺してユウとグリムに渡してやった。お二人は? とユウが気を遣ったが、揃ってもう食べたからと返す。
「それで、どうよ。上手く行きそうなん」
「
……
成長は
……
成長はしているので
……
なんとか夜までには
……
」
「頼んだよ」
「ぁい、頑張ります
……
」
「つーか、リンさんもトリだろ? 一緒にいるかと思ったのに、別行動?」
「リンさんは一応、オンボロ寮で待機してなきゃいけないから
……
午後から衣装合わせって小耳に挟んでるけど。般若に合わせたメイクするんだってヴィル先輩が言ってた」
「はんにゃ」
「リンさんがつけてるお面です」
あぁ、とリドルが得心がいったように瞬いた。はんにゃ、と口の中で転がして、グリムを胡坐に乗せていたエースが「にゃーんか可愛い名前ね」ぽつりと独り言ちる。
「嫉妬に狂った女の人の成れの果てだよ」
「なにそれ怖
…………
」
あっさりばっさりユウに切り捨てられて、エースの顔はきゅむりと歪んだ。
「だからうちの国の花嫁さんの結婚衣装に『角隠し』っていうのがあるの。白無垢とも言うんだけど」
「へー」
「しろむく」リドルがオウム返しに繰り返す。
興味深そうな眼差しに、ユウは数度瞬いた後、「ええと、」どうにかこうにか、記憶の引き出しをいくつもひっくり返した。
「般若って、他にも意味があって」
「意味?」
「たしか元々は仏教用語で」
「ぶっきょう」
「真理を見抜く
……
的な
……
煩悩を
……
押しとどめる
……
的な
……
?」
「めちゃくちゃ曖昧じゃねえか」
腕を組み、むつかしい顔をして首を傾げながら言うユウに、エースが呆れた半眼でつっこんだ。「んんと、」それでもユウが唸る。
「仏様の力を借りて智慧を得よう! と思って作られたお面がアレ、という話も」
「ホトケさま」
それはなんぞや、とハーツラビュルの二人は首を傾げた。
般若の由来は仏教用語の内の一つである。すべてを見通すほどの智慧という意味を持つとされ、波羅蜜を修めることで得られるとされている。また、般若を得ることで仏陀となることができる。
ただし、般若の面に関してだけ言うならば、仏教との関連は薄い。般若の面は能舞台で鬼女を顕すため多く利用されるが、福面と並べて神事に用いる地域もある。仏の教えにあやかって般若の面を作っただの、般若坊という僧侶が作っただの、はたまた源氏物語で六条御息所の生霊を般若経で修祓したからだの、諸説は様々だ。
───とはいえ。
現代日本の高校に入学して実質四ヶ月、ほんの少し本格的に近付いた古典をちょっと齧っただけに留まるユウの説明なんぞこんなもんであった。
「まぁ、般若がすげえってのは分かったわ」
エースはてきとうに合わせてやった。リドルはホトケとやらに興味を示していたが、これ以上よく分からない、理解するのが難しい話をされても困る。主にエースとリドルが。
「あっ、それで、衣装は着流しだって! ヴィル先輩が監修するんだから絶対かっこいいよ〜! すっごい楽しみ!」
ユウが無邪気にきゃいきゃいはしゃぐ。
その様子を見たエースとリドルはどこか安堵して、つられて小さく表情を緩めた。
ハロウィンウィークなんか全然楽しくないじゃねえか、と文句を言っていたグリムを宥めることも、抑えることもしなかったユウが、心底からの笑顔を見せてくれている。
リドルは勿論、これで大丈夫そうだと胸を撫で下ろしたし、エースも気付かれないように肩の力を抜いた。
だってハロウィンである。折角なら、監督生にも、グリムにも、リンにだって、ナイトレイブンカレッジのハロウィンは最高だったと言ってほしい。
二人は揃って心底から良かったと思った。
これできっと、ハロウィン当日のパーティも楽しんでもらえる───
───と。
……
そう、思っていたのだが。
いや、確かに楽しんではいるのだろうが。
頬を赤らめて。心底から蕩けるような笑顔で。
なんならどこかうっとりとした表情で。
「リンさん、素敵
……
」
なんて言っているユウに、エースは「思ってたのとなんか違うな」と眉間に皺を寄せてこめかみを指で揉んだ。
ハロウィン当日。マジカメモンスターを追い払った翌日の、夜。無事に予定通り開催されたパーティの最中。
野暮ったいスタッフジャンパーを脱ぎ捨てて、ヨレたスラックスをどこぞへやって。
満天の星空をそのまま切り取ったかのようなドレスを身に纏い、リンは、静謐で蠱惑的な魔女に華麗なる変身を遂げていた。
空恐ろしい程に魅力的で、胸が震えるほどの粋を体現していた鬼の面影はどこへやら。
真っ赤な唇を薄く綺麗な微笑みに変えて、リンは影の落ちた眦を柔らかく細めた。
コン、と細い踵が静かに鳴る。
まるで揺蕩う水面のような裾
オーロラのように幾重にも重なった裾
大きなとんがり帽子に、覗く白い肌。
すらりとしたシルエットには女性らしさと品の良さが同居している。
エースは素直に「誰だろう」と心底から思った。こんな一目見ただけで胸がどきりとするような綺麗なひとに知り合いがいる記憶はなかった。
リンは確かに、普通に綺麗な大人の女性だけど。それよりもどこか気安さが勝つというか。近くも遠くもない場所で気軽に声をかけられる姉さん、みたいな。
それが今は、どこか一歩近付きにくいよう、な。お近づきになりたい、ような。普段通りに喋れているケイトと、抱えられているグリム、時折リンに触れて腕を組んだり手を繋いだりしているユウに対して、なにか、こう。胸が、ぎりりと締められるような。
心に素直になれば顔が顰められる。自分のものを盗られた時の気持ちによく似ていた。
この状態は嫌いだ。優越感を味わう事こそが、楽しいのに。こう、するりと相手の懐に潜り込んで、上手く愛嬌を振りまいて、強請って、いいようにするのが面白いのに、
……
。
ちら、とリンを見る。真っ赤になったデュースの顎をからかうようにくすぐって、ふと、リンがこちらに視線を流す。
優しく緩んでいるようで、その実、笑っているようには見えない目元が、エースを射抜く。エースの心臓が、どくりと音を立てて、体を強張らせた。
あかいくちびるが、こをえがく。
「っ、
…………
」
ぶわ、と熱が上がる。首筋が熱い。遅れて耳朶に血が昇る。
───エースの常套手段がリンに許されるかどうかは、彼女の気紛れに左右される。
体は熱い。しかし胸の裡は冷えている。
恐怖か。それとも、畏怖か。エースは自分が敵わないような相手には挑まない主義だ。
今すぐ離れて、どこか、別の知り合いのところに。さりげなく。
エースにとっての楽な道が、甘く囁いてエースを誘う。ざり、と一歩後ずさって、───その瞬間、「エース」聞き慣れたはずの声に、呼び止められた。
「どうした、さっきから黙りこくって」
「、や、べつ、に」
声が上ずる。視線を逸らしてしまう。誤魔化すように、首元を手で擦ってしまう。
「なんだ」どうにも初めて耳にするような、深い声音で、リンがくつりと喉を鳴らす。
「見惚れたか」
「っ、は、ハッ!? み、みほれてなんかねーし!」
震える声に、く、とリンが喉奥で笑う。意地悪な笑い方だった。カッと頬に血が集まる。
来いよ、と、さらり、指で手招かれる。エースの体はびしりと固まった。な、なに、と文句を紡ぎそうだった口は、背中をどつかれて形にならずに霧散した。
目を剥いて後ろを顧みると、いけよ、と意地悪く笑ったトレイが顎をしゃくっている。視界の端で、ケイトがにやにや笑いながらスマホを横に構えている。間違いなく動画だ。
エースは思いっきり力を入れて眉間に皺を寄せた。頬が緩まないように、奥歯も噛みしめる。眦が熱い。揶揄われるのが嫌なのと、恥ずかしいのと、
……
あんまりにも綺麗な大人の異性に、心臓が鳴りやまなくて、どうにもならない。
ふらふら進むと、気が付けばリンの目の前だった。あんまり離れた場所にいなかったのもあるけれど、こんなに近い距離だったっけ、と脳みそがぐらぐら言い始める。
「可愛い奴」
喧騒がぼやける。リンの声の輪郭だけがはっきりしている。
エースは言葉を失った。目の前の魔女に意識のすべてが奪われて、どうにもならない。
「迂闊に噛みつかない賢い子は好きよ」
「っ、ぅ、」
呼吸が止まる。心臓も止まる。今度こそ、エースは目を瞑った。とにもかくにも情報量が多すぎて、本能的に逃避行動を選んだのだ。
「ふふ」
目元の、ハートのスートに。柔らかい感触が触れて、すぐに離れる。わし、とどこかぞんざいに頭を掻きまわされて、エースは自分の肩がガチガチに強張っていたことを知った。
ずるい、とユウが甘ったれて切羽詰まった幼子のような声を出す。エースはゆっくり瞼を押し上げた。辺りが眩しい。柔らかい感触が未だに残っている個所に、そろりと触れる。
───いま。おれ。えー、と。
「ユウは、後でね」
リンがユウの手を取って、その指先に唇を添える。ぽかんと口を開けて呆けたユウは、リンの飛ばした静かなウインクに「ひぁ、」か細い悲鳴を上げて、両手で顔を覆い、しゃがみこんでしまった。どうした、とリンの腕からすり抜けたグリムがユウの表情を覗き込もうとしている。
「
……
え」
ユウが、ずるいと言って。リンが、後でねと言って、ユウにキスをして。
と、いうことは。
今。目元に残る柔い感触って。まさか。
ぱく、とエースの口が戦慄く。今度こそ、その顔は真っ赤に染まっていた。
「うわ~、ハートのスートとそれ以外が区別つかないくらい真っ赤!」
「リドルがキレたときみてーになってるんだゾ」
「うううううっせーわ!!」
「呼んだかい?」
不意に、ひょこ、とリドルが姿を見せた。夜色のドレスを纏った見慣れぬ女性を目にして瞬いた彼は瞬いて、小首を傾げて見せた。
「おや。ユウのお知り合いかい?」
「どうも。いつもウチのユウがお世話に」
「いえ、こちらこそ。本日はようこそおいでくださいました。どうぞ楽しんで行ってください」
エースとは咄嗟に奥歯を噛みしめた。デュースはきょとんとしているが、ケイトは堪え切れずに俯いた。しっかりカメラをキープしているケイトの腕みたく、トレイもいつもの微笑を意識して保っている。
「
……
それにしても監督生、こちらの方とはどこで知り合ったんだい? 確か君はこの世界に身寄りはないと
……
」
ユウは元気よくはっきり「はい」と首肯した。
「この世界に、この学園以外での知り合いは、今の所いません」
「
……
?
……
、
…………
」
不思議そうな顔をしたリドルが首を傾げて、女性を見、ユウを見、そうしてまた怪訝そうな顔をして女性の方へ視線を戻す。
女性はとんがり帽子の広いつばをちょいと押し上げた。シックな化粧を施された顔で、真っ赤な唇が目を引いている。
悪戯っぽいその表情に、どこか見覚えのあるような、ないような。
「
……
、あ」
リドルの丸い瞳が、徐々に見開かれていく。
「っま、まさか」
思わず半歩後ずさったリドルに、彼女は笑みを深くした。
「
……
こちら、リンさんです、ローズハート寮長
……
」
「!!?!?」
びょっ、とリドルの赤毛が飛び上がる。
「りっ、リンさん!?」
「そうだよォ、気付かなかったの?」
「こ、れは、え、っと、失礼を。すみません
……
」
「いーえ」
差し出されたリンの手を自然に取って、リドルはその手の甲にそっと唇を寄せた。紳士故、この手のことは母などに嫌と言うほど仕込まれている。まさかあんなに苦しかったしつけや教育がこんなところで役に立つとは露とも思わなかった。分からないものである。
お詫びにトレイがケーキが綺麗に飾られた小皿を差し出した。こちらもよくできた副寮長だ。
「すごいな
……
」
「
……
なにが」
小皿を受け取ったリンが器用にケーキを小分けにして、「はい、あーん」などとトレイにフォークを差し出している。トレイは「いや、リンさんが食べてください」とあくまで冷静に返しているが、その程度でやめてやるリンではない。
「先輩方だよ。あんなに変わったリンさんに、動揺一つしてねえ
……
」
「
…………
確かに
……
?」
流石に狼狽えてはいただろうが、デュースの言う通り、すぐに体勢を立て直してリンといつも通りに接しているのは流石と言えるかもしれない。終始振り回されっぱなしだったエースとしては、なんだか面白くなかった。
とは言え。
リドルやトレイ、ケイトとて、音に聞こえしナイトレイブンカレッジの生徒達である。先程の仕返しと称して何かすれば、後で返り討ちに合うに決まっていた。
さっき瞠目して赤毛ごと飛び上がっていたリドルは、もう寮長の顔をしている。トレイもそれらしくリドルの傍に控えているし、ケイトは至っていつも通りに会話の中間を取り持っていた。
やがてリンは手を振って場所を移動した。飲み物を取りに行くらしい。ユウがぴっとりその腕にくっついている。グリムが軽やかにその後を追って駆けて行った。まるで魔女とその弟子、その使い魔だ。
二人と一匹が人混みに紛れた、直後。
「っはァ〜〜〜
…………
」
ハーツラビュルのスリートップは、揃って特大の息を吐き出した。エースとデュースは瞬いて、思わず互いに顔を見合せた。
「まったく
……
般若といい、今回の衣装といい
……
心臓に悪いな、あの人は
……
」
「そうだな。よくやったよ、リドル」
「ま〜じでビビったもんね
……
美人すぎていっそコワイってゆーかさぁ
……
」
再び、溜息が三つ揃う。
エースとデュースは揃って何度も目を瞬かせた。
「まだ心臓がバクバク言ってる
……
」
「マ〜ジ〜? オレもオレも! 冷や汗やべー!」
「緊張した
……
」
胸を押さえたトレイと、ケイトが肩を組む。リドルは意識して呼吸を整えているようだった。
はは、とエースが笑う。デュースはどこか気が抜けて、ほっと肩の力を抜いた。
「紅茶にしますか? それともコーヒー?」
「紅茶にしよかな」
「了解です!」
ドリンクバーで水を用意していたジャックの耳に、元気な声が飛び込んでくる。
すっかりはしゃいでいるユウの気配に、ジャックは小さく息を吐いた。最後に見たユウの表情は突発的な謎のアクシデントによる恐怖の色に染まっていたが、それよりもジャックにとって印象的だったのは、六日の朝に見た、影のある、無理をした笑顔だった。
寮の中に入られて、部屋を無遠慮に覗かれて、張り詰めていたものがプツンと切れた、らしい。明るく振舞ってはいるようだったが、どこかいつもの溌溂さを失っているのも事実だった。それがジャックの胸の裡にちくりとした小さな引っかかりを残していたのだ。
だからと言って、自分が何かしてやるのもなんだかむず痒かったし、どうすればいいのか分からなかったので、結局何もできなかったのだけど。
「ジャック! ありがと」
「おう」
ドリンクバーの前を譲ったジャックに礼を言うユウの頬は興奮でか、健康的な赤色に染まっていた。表情にかかるくらい翳も無い。
何とはなしに、良かったと思う。同時に、どこかもやついていた胸中が楽になっていく。
ユウはいそいそと紅茶を用意していた。カップは二つ。秋の夜故に空気が冷たいからかお湯を注いでいるが、カップの七割で止めて、水をほんの少し混ぜた。飲みやすいようにだろう。
二人分、ということは。誰か連れがいるのだろうか。
───グリムか?
何気なく後ろを振り返って、ジャックは瞬いた。
見慣れぬ夜色の魔女が、腰を屈めてグリムの前脚を掴んで遊んでいる。
すん、とジャックの鼻がなった。
「
……
リンさん?」
「ん?」
伺うようなひそめられた声は、それでも魔女に届いたようだった。ぱ、と顔を上げた女性は、確かに常ならぬ美しさに飾られていたが、確かにリンその人だった。
「おぉ、ジャックか」
リンが背筋を伸ばす。ジャックはまじまじとリンを見つめ、
「
……
リンさん?」
再び、聞いた。
「ふふ、リンさんだよ」
「
………
?」
フレーメン反応起こした時の犬みたいな顔しよるな、とリンは思った。スマホがあれば写真を撮っていた。面白いから。自然、肩が揺れる。グリムは何やってんだお前、と怪訝そうに眉をひそめた。
「リンさん! お待たせしました!」
ユウが紅茶を手に戻ってくる。グリムにはストロー付きのジュースだ。グリムは「気がきくな!」尊大に言って、機嫌よく尻尾を揺らした。
「ありがと、ユウ」
「どういたしまして、リンさん!」
───ユウがリンさんと言っている。
それならアレは確かにリンさんで。いやでも魔法を使えない監督生は魔法に耐性がないはずだから、あれがもしリンさんじゃなかったら、
……
いや、
───リンさんは実は魔女だったのでは?
「
……
い、おーい。ジャックくーん? どしたんスか?」
「、ラギー、せんぱい」
「ッスよ〜どいてどいて。コーラ取れねえでしょ」
「あ、すんません」
でかい図体を脇に避けて、これだけタダなら飲まなきゃ損々、と口ずさみながらでかい紙コップにこれでもかとコーラを注いだラギーは、「なんかあったッスか?」なんてことはない調子でジャックに声を掛けた。
「流石に疲れた? もう眠い?」
この時間帯、普段ならジャックは既に就寝準備を始めている。
「まぁ
……
いやまだ平気っスけど」
アレ、と。ジャックが指した先にいたものを見て、ラギーは至極何事も無かったかのようにドリンクバーへと向き直った。そうして、コーラを煽り、ごくごくと喉を鳴らす。
「
……
ジャックくん、ひとつ教えといてやるっスけど」
「ウス」
「あーいう得体の知れねえ美人には関わらねえのが吉っス」
「え、」
「うっかり首突っ込んじまったら最後どーなっちまうか分かったもんじゃねーっスからね」
美しいものをこそ、畏れなければならない、とは、はて誰の授業で聞いたのだったか。
しかしラギーには教師の意図せぬ方向でこの言葉が身に染みていた。
スラムでは、己の美貌を武器にして金やら何やらふんだくるのは当然の行為であり、日常茶飯事と言っても過言ではないのだ。
「うっかり首突っ込んだらどーなるんスか?」
「そりゃあアレッスよ、あることないこと吹き込まれて搾り取られてそりゃあもう干からびたミイラみたいになっちまうのがオチ
……
、
……
ン?」
違和感を捉えたラギーの眉間に皺が寄る。ぴく、と大きなハイエナの耳が揺れた。
なんだか。声がジャックくんではないような。
息を止めて、ラギーは、できるだけゆっくり、そろお、と後方を顧みた。
切れ長の、流麗な双眸と、ばっちり近距離で、視線が絡み合う。
にこ! とリンが笑った。
「───!!」
瞬間、ラギーはうっかりコーラをぶん投げるところだった。
飛び上がるほど驚いたが、どうにかこうにか挙動を押さえることに成功する。
ばくばく言う心臓をどうにか押さえているラギーを意地悪く見やりながら、リンは屈めていた上体を優雅に起こして見せた。
「つまり? 私にあることないこと吹き込まれてミイラになるまで搾り取られたいと」
「んなわけねぇっしょ!?!!?!?」
うっかり張り上げた大絶叫がこれでもかと夜闇に響く。
「つか、え!? リンさん!!?!?」
「リンさんだよ。なんだァさっきから皆して。まるでうっかり鬼にでも出くわしたみたいな顔しくさって」
「いやそりゃだってあんた
……
」
「ァによ」
「
…………
」
開けた口をぱくりと閉じる。
だって。急にそんな。き、
……
きれ、
……
い
…………
うぐぅ、と喉が鳴る。上手く言葉にできなくてぐるぐる唸っていると、リンは片眉を跳ねさせた。
「まぁいいけど」
視線が逸れる。
興味を無くされたことにドッと安心感が溢れる。今更手先の指が強ばる。
ユウが甲斐甲斐しく世話を焼いて空になったカップを片付けている。美しい微笑を向けられていて、
……
いーや羨ましくなんかないもんね、と意識して、ラギーはコーラを一気飲みした。空気が胸を競り上がってちょっとだけ気持ち悪い。
「いつにも増して、って感じっスね。ヴィル先輩とはまた違った迫力で
……
」
「クッソァ、なんで俺らだけ
……
」
感心するジャックとは対照的に、ラギーは恨みがましい目でリンを見遣った。
「
……
、
…………
」
そうこうしていると、ふと、脳裏にひらめくものがある。
───いやでもリンさん良いよって言うかな。いやでも後で揶揄われるのがオチでは? 恥ず
……
いがしかしなぁ
……
綯い交ぜになった感情がぐるぐるととぐろを巻いて胸中を席巻する。けれども、それらすべてが煮詰まって繋がった興奮が、ええいままよとラギーの背を押した。
「リンさん! 写真撮ってくださいッス!!」
いいよォ、と間延びした声。「私がお撮りしますよ」ユウが自分から進み出た。
「レオナさんが写真見た瞬間にスマホぶん投げそうなやつ撮りてえッス!!」
「どんな注文?」
まぁいいや、おいで、と手招いてくれるそれはいつものリンだった。
けれども見た目は全くといっていいほど別人に見える。
参ったなあ、何か調子狂う、とラギーはなんだか泣き出したい気分になった。
一方その頃。
すっかり大変身を遂げたリンに振り回される生徒を見るにつけ、ディヴィス・クルーウェルの目にはどうしても険が宿っていた。
───いつの間に、あんなものを
仔犬どもを誑かしおって、というわけでもなく。
情けない顔を晒しおって、というわけでもなく。
おそらくこの島のブティックさえ碌に知らないだろうリンが、一体いつの間にあんなドレスを用意していたのか、その一点のみが、自称・ファッションの鬼であるデイヴィス・クルーウェルの胸中を占めていた。
───古、くはないが、いや、よく似合、
……
クルーウェルは自分で自分の思考回路をぶん殴って粉砕した。
紳士であるので、ドレスを着こなしている本人が楽しそうなら、身に纏っているものに対してわざわざケチをつけるような真似はしない。しないがしかし、どうしてそのドレスになったのかとは、小一時間ほど問い詰めたい衝動が堪え切れない。
リンの身に纏っているドレスはどちらかというと今風ではない。かと言って流行遅れというわけではなく、いつの時代でも受け入れられてきた、どこにでも着て行けるクラシックなタイプのドレスだ。
TPOを考えれば確かに、今日この日の装いとして、ドレス初心者なら選んでもおかしくはない。安パイ、というやつである。
しかし。しかしだ。
リンは好んで保守的な姿勢に回るだろうか。もっと攻めたドレスでも、上手くこの場に馴染んで見せたのでは、という想いがどうしても拭えない。
つまるところ。
リンに贈られたドレスは、まったくもってクルーウェルの趣味ではなかったのである。
───リン自身の魅力を引き立てるならもう少しタイトでも、それにもう少しカジュアルにしたっていいはずだ、ノースリーブにして、黒のショールを羽織らせて
……
「ちょっと先生、どうしたのよ。すごい顔よ」
「なにか不手際でもありましたか?」
ふと声を掛けてきたのは、ヴィル・シェーンハイトとジェイド・リーチだった。クルーウェルは瞬いて、勝手に開催していた脳内ファッションショーを一時中断させた。
「、ん、あぁ、いや
……
、」
生徒達に対して馬鹿正直にリンのドレスについて考えていた、なんていう訳にもいかない。さてどうやって誤魔化したものか。とりあえず口を開こうとしたクルーウェルを遮るかのように、「先輩!」とユウが手を振って、こっちに駆け寄ってきた。その後ろ手には、リンの手も繋がっている。
「どうしたのよ」
「お陰様でリンさんと会えました!」
「あらそう」
「良かったですね」
「はい! それと、お揃いになりました!」
リンと腕を組んで、グリムを抱えて、ユウはこの一週間で一番、心底から嬉しそうに弾ける笑顔を見せた。満面の笑み、というやつだった。
無邪気なそれに、自然、場の空気も緩む。
「鬼の仮面はもういいの?」気に入ってたでしょうに、とヴィルは苦笑した。
いつもなら嫌味っぽく意地悪に言っているところだった。
「うぐ! た 確かにそっちも格好いいので好きですが
……
!!」
「ごめんね、影分身使えなくて」
リンが心底申し訳なさそうに言ってユウの肩を抱く。茶番だな、とクルーウェルは思った。
二人の様子を見守っていたジェイドが、ふと目を瞬かせた。
「そう言えば、あの鬼の仮面はどうされたんですか?」
「あ。トレイン先生に預けっぱなしだ」
「トレイン先生?」クルーウェルは思わず眉根を寄せた。
直後、リンがどこかはにかむようにして、頬を緩ませる。
「このドレス、トレイン先生が魔法をかけてくだすったんですよ」
「えっ」
「あら」
「
………………
」
クルーウェルは、苦虫を噛み潰したような顔を堪え切れなかった。
「そうなんですか! すごく素敵です! 夜空みたいなきらきら、魔法なんですね!」
「たぶん? 私もよく分かんないんだけど、確かに夜空見たいね」
きゃいきゃいはしゃぐ声がどこか遠くに聞こえる。クルーウェルの様子に、ヴィルとジェイドは思わず互いに目配せをしてしまった。
さて、一体どう会話を繋げたものかと男三人が逡巡している間に、「気に入って頂けたかな」と落ち着いた声音が滑りこんだ。
「トレイン先生!」
ユウがぱっと顔を輝かせる。リンにとっての魔法使いの登場に、彼女は心底から穏やかな微笑を見せた。瞬く間に、リンの纏う空気が、艶やかな美しさから、息を呑むような温かみのあるそれに変わる。
「もちろん。ありがとうございます、本当に」
リンは少しためらったが、それでも郷に入ってはと感情をハグで表した。慣れたもので、トレインはしっかり受け止めてくれた。そうしてさりげなく、やんわり距離を取ってくれる。
「実は、これを預かったままだと気が付いてな」
「あぁ、般若の。リリアに貸してもらったんです」
「そうか。実は、由緒が気になってな」
「それなら彼に聞いた方がいいと思います」
「では、」
これは、私が代わりに返しておこうと言いかけたトレインを遮って、リンは一歩踏み込んだ。
「リリアのところに行くなら、私もお礼が言いたいから一緒に行きたいのですけど」
「勿論。構わないとも」
自然に、トレインが腕を差し出した。リンもいつかの練習が役に立ったわと、慣れた風情でトレインの腕を取る。
「じゃあ、ユウ、後でね」
「はい! また!」
ユウはにこにこ顔で二人を見送った。連れ添って歩く二人は仲睦まじく、トレインは見事にリンをエスコートしていたし、リードされているリンはと言えば、相手が年長者故気が緩むのか、正しくうら若き乙女の様相をしていた。
先程までのいっそ蠱惑的なあれそれはどこへやら、である。そこにいるのは、初めてのパーティに目を輝かせてはしゃいでいる娘がいるだけだった。
クルーウェルはしばらく沈黙すると、やがて嘆息した。そうしておもむろに仔犬の帽子を取り上げて、ぐしゃぐしゃと掻き回して撫でてやる。
「ひょ!? うわ、ちょ、なんです先生、ひょえ、なん、なに!!」
この学園でも随一と言っていい素直な反応に、ささくれ立った胸中が癒されて、凪いでいく。毛並みを整えてやってから帽子をきちんと被せてやると、クルーウェルは一言「楽しめよ」と言い置いて、あっさり踵を返して人混みの中に消えて行った。
「? な、なに
……
?」
「あら、良かったわね。帽子、綺麗になってるわよ」
「えっ」
わぁ! と歓声が上がる。確かに、オンボロ寮のボロボロのカーテンで作った帽子は、リンのドレスのように小さな星々が散りばめられた魔法の帽子に様変わりしていた。
「子分だけずりぃんだゾ!!」
「おやおや。こちらも綺麗になっておりますよ」
「ふな!?」
飛び上がって自分の帽子とケープを確認したグリムの歓声が夜空に響く。すごいすごい、いつ魔法を使ったのか分からなかったとはしゃぐ後輩たちを見ながら、ジェイドはそっとヴィルに耳打ちした。
「
…………
もしかして、ものすごく珍しいものを目にしたのでは?」
「命よりも尊厳を大切にするなら終生黙っておくことね」ヴィルは即答した。「でないと腕が脚になるわよ」
ジェイドは瞬いて、至極真剣にヴィルに向き直った。
「
……
アズールにも? フロイドにもですか?」
「海を捨てるのね」
「ご忠告、痛み入ります」
恭しく、ジェイドは身を引いた。
しかし。
───クルーウェルがトレインに自分のお株を取られてものすごい顔をしていたのを、黙っていなければならない、というのは。
それはちょっと。いやほんの少し。いや些か。いや大分。結構。とても。ものすごく。
ジェイドにとっては、残念なことだった。
☆次回! 夜闇にうっそりと、魔女が嗤う───!!(嘘)
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